CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

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相楽園 船屋形の復元前の写真 (昭和16年以前)

2017年03月06日 05時39分58秒 | 神戸情報
相楽園の船屋形は昭和53年(1978)3月1日 牛尾吉朗氏より神戸市に寄贈
を受けて昭和55年(1980)3月31日 牛尾吉朗氏の舞子の自宅から相楽園へ
移築工事を実施完成しました。
さらに、平成13年(2001)神戸市が半解体修理工事を実施し現在に到っています。

牛尾吉朗氏の父親である牛尾健治氏は昭和14年(1939)兵庫県印南郡北浜村字北脇
の川本直助氏から船屋形を購入し所有者となりました。
(神戸市垂水区舞子の牛尾邸内に移設)

牛尾健治氏は 昭和16年(1941)の復元工事で上下各3室とし、屋根も瓦屋根
から桧皮葺に戻しました。

工事の指導は築地本願寺、東京都慰霊堂、大倉集古館、橿原神宮、平安神宮など
数多くの建築を手がけた工学博士 伊東忠太氏(1867-1954)が担当しました。
監督官庁は文部省宗教局保存課

一連の工事の詳細は牛尾健治氏の編著書 船屋形, 彰国社, 1942.3に掲載されて
います。本ブログでは上記の著書から昭和16年(1941)の復元前の写真を中心に
復元後と対比しながら紹介していきます。

船屋形は御座船の上に設けた屋形のこと。
御座船は天皇・公家・将軍・大名などの貴人が乗るための豪華な船のこと。
西洋でいう遊行用のヨットに相当する性格の船である。河川用のものは川御座船、
海用のものは海御座船とも呼ぶ。江戸時代に大名が参勤交代や遊覧に使用した船
が多く伝えられており絵図や模型として残されています。

現存する御座船は他に細川家波奈之丸舟屋形、西光寺船屋形茶室(香川県)が
ありますがいずれも海上用で川御座船としては相楽園の船屋形が全国唯一のもので
昭和28年(1953)8月29日に国の重要文化財に指定されています。


図版13 大塩の川本直助邸の邸外の畑地から南東面を臨んだもの。
前方が上段の間、先方の一段低くなったところが床几(しょうぎ)の間


図版14 邸内より南正面を観た姿
右手が上段の間、左手の一段低くなったところが床几(しょうぎ)の間


図版15 邸外北面の姿である。


図版16 上段の間(2階)の内部
江戸時代に川御座船として使用されていた状況に近い状態であったようです


図版17 上段下(1階)の内部


図版18 移築解体中の南面


図版19 床几の間の南面


図版20 船屋形移築解体中 床几の間天井廻 痕跡


図版21 船屋形移築解体中 床几の間階段


上の写真は解体前の姿 床几の間と上段の間の2室であった


上の写真は解体後 右手に次の間を付け加え移築した。
昭和16年(1941)5月完成


上の写真は移築・解体工事に関わった人々


上の写真は移築解体時に新たに発見された墨書などの一覧


ここで話題を変えて2008年11月2日(日)、相楽園の船屋形の公開イベント
の時に撮った写真と説明書きを添付しておきます。

 詳細は下記ブログ
  相楽園 船屋形


2008年11月2日撮影の船屋形




上の2枚の写真は現地の説明板と重要文化財指定の石碑










上の5枚の写真は船屋形の説明(相楽園のリーフレットより)

次に川本直助氏より船屋形の新しい所有者となった牛尾健治氏の舞子の邸宅の
位置を下に示します。
出典:松浜善正 著 舞子、舞子の浜 浪漫 平成16年(2004)刊











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