CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

日本の石油及び石油ガス(LPガス)備蓄量

2017年03月14日 05時06分46秒 | 有用な情報
2016年10月8日、テクノオーシャン2016展示会が神戸国際展示場2号館
で開催され、JOGMECのブースで下に添付の資料を受領しました。


海上タンク方式で世界最大の石油貯蔵船が5基、長崎県新上五島町に設置され
440万Klの石油を備蓄されています。

これがキッカケで日本の石油備蓄の現状について調べてみました。
さらに石油ガス(LPガス)の備蓄についても併せて調べました。

 出典:JOGMECのホームページ

1.石油備蓄


上の資料は石油備蓄の全体像について説明したもので、文章中にも記載されて
いるように全国10ヵ所の国家石油備蓄基地と民間石油会社等から借上げたタンクに
約4,734万klの原油および石油製品が貯蔵されており、民間備蓄は、備蓄義務のある
民間石油会社等により、約3,130万klの原油および石油製品が備蓄されています。

産油国貸与タンクの在庫134万Klを含めると7,997万Klの備蓄で207日分に相当
(2016年3月末現在)

次にJOGMECが管理している国家備蓄の10か所の基地の所在地、貯蔵量、完成年月
を下に添付します。


下に添付したのは民間借上タンクの位置図と総貯蔵量(2016年3月現在)


2.石油ガス(LPガス)の備蓄


上に添付のとおりです。


1973年(第1次)と1979年(第2次)のオイルショックを受け国家戦略として
石油及び石油ガスの備蓄が進められ現在に到っています。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御寺 泉涌寺の塔頭 雲龍院 on 2012-1-29 堂野夢酔筆の双龍風雷図を中心として

2017年03月13日 05時12分16秒 | 京都情報
第46回 京の冬の旅で水墨画家の堂野夢酔筆の襖絵「双龍風雷図」が初公開
され平成24年(2012)1月29日に水墨画が奉納されている泉涌寺の塔頭 
雲龍院の本堂「龍華殿」に出かけて写真を撮りましたので紹介します。

まずは御寺 泉涌寺の塔頭 雲龍院について記載します。

泉涌寺の塔頭 雲龍院の基本情報


住所:東山区泉涌寺山内町36 TEL:075-533-7150
宗派:真言宗泉涌寺派別格本山 山号:瑠璃山
開山:竹厳聖皐上人(泉涌寺第21代長老)
創建:応安5年(1372)に北朝第4代の後光厳天皇(1338-1374)の勅願により創建
御本尊:薬師如来  御住職:市橋朋幸
別称:泉涌寺別院



上の写真は第46回 京の冬の旅 非公開特別公開 泉涌寺 雲龍院の看板


上の写真は雲竜院の表門 Wikipediaでは不明門(正門)と表記されている
この門から歴代の北朝天皇御尊牌が奉安されている霊明殿や龍華殿に直接入れる。


上の写真は山門 奥に庫狸が見える


上の写真は雲龍院の境内より山門方向を見たもので右手に羅刹の難を救うと
言われている衆宝観音の石像があります


上の写真も境内より山門方向を見たもので 鐘楼と接待所が右手にあります


上の写真は境内の庭園


上の写真は庭側よりみた本堂「龍華殿」


上の写真は本堂「龍華殿」の扁額


上の写真は本堂の内部


上の写真は本堂「龍華殿」の説明板




上の写真は書院の「悟りの窓」

蓮華の間について2017年3月7日21:00より放送のBS朝日京都ぶらり歴史探訪
スペシャル 「古都に息づく皇室の思い」で泉涌寺雲龍院の紹介されており綺麗な
映像があったのでそちらから写真を引用紹介します。(下の2枚の写真)





上の写真は霊明殿


上の写真は霊明殿の前庭の燈籠で周囲に16葉の皇室の菊の御紋が描かれています。


話が前後しているかも知れませんがここで泉涌寺の広域境内図を添付します



上の写真は江戸期?の泉涌寺 雲龍院の境内図

前置きがながくなりましたが本題の堂野夢酔筆の襖絵「双龍風雷図」について
写真紹介していきます。








上の4枚の写真は平成22年10月に奉納された水墨画家・堂野夢酔(どうのむすい)筆の
迫力ある襖絵「双龍風雷図(そうりゅうふうらいず)」です。




上の2枚の写真は作者の堂野夢酔氏の思いと略歴が書かれた説明板

堂野夢酔氏の略歴は下記サイトに記載されています。
 http://www.musui.com/m-08-pro-01.html

2017年3月7日21:00より放送のBS朝日京都ぶらり歴史探訪スペシャル
「古都に息づく皇室の思い」の番組より御本尊の薬師如来坐像と日光・月光菩薩
を含めた薬師三尊像と北朝第4代天皇の後光厳天皇(1338-1374)の尊像を
添付しておきます。(下の2枚の写真)



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

英国の豪華クルーズ客船「クイーン・エリザベス」(9万400トン)の神戸港入港予定

2017年03月11日 05時34分40秒 | 神戸情報
英国の豪華クルーズ客船3代目「クイーン・エリザベス」(9万400トン)が
神戸港に3月13日(月)6:00入港予定です。


出航予定3月13日(月)の20:00です。

現在(2017-3-11 5:40)の位置は沖縄の那覇港西海上です。
 
3月11日(土)は那覇港
3月12日(日)は鹿児島港に停泊予定です。

神戸港へは過去2回寄港しています。








上の動画は2015年3月18日に2回目に入港時のものです。

1回目の入港は2014年3月19日(小生のブログにリンク)



英国の豪華クルーズ客船「クイーン・エリザベス」(9万400トン)が神戸港に初入港 on 2014-3-19 その2




上の2枚の写真は神戸港に初入港した時(2014-3-19)のものです。

クイーンエリザベスの基本情報

船籍:バミューダ
建造:2010年
全長:294.00m
総トン数:90,901総トン
旅客定員:2,068名


クイーン・エリザベス(M/S Queen Elizabeth)の現在位置を確認できるサイトへリンクさせていただきました。

http://www.seascanner.com/schiffsposition.php?schiff=Queen+Elizabeth


http://www.marinetraffic.com/ais/details/ships/310625000/vessel:QUEEN_ELIZABETH

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第18回 神戸・垂水いかなご祭 予定(2017-3-11)

2017年03月11日 04時50分29秒 | 神戸情報
2017年3月11日(土)、第18回 神戸・垂水いかなご祭が開催されます。
予定されているイベント内容をポスターより写真紹介します。

第18回神戸・垂水いかなご祭の基本情報

開催日時:2017年3月11日(土)10:00~16:00 ※雨天決行
開催場所:JR「垂水駅」東口北側の垂水レバンテ広場
      いかなごのモニュメントがある広場

問い合わせ先: 垂水商店街振興組合 (TEL 078-707-4650)



上の写真はいかなご祭のポスター
イベントの内容:
        ○くぎ煮の調理実演・試食やいかなご創作料理の販売
        ○垂水・北播磨・多可町・佐用町等による特産品販売
        ○ステージパフォーマンスやパレードなど


金券ガラポン大会のポスター


上の写真はビンボーゲーム(12:00~)


関連情報
2017年のいかなごの解禁日: 2017年3月7日(火)

いかなごのモニュメント in 垂水駅前 on2010-1-25

いかなごのモニュメント in 垂水駅前 on2010-6-14

いかなごくぎ煮発祥の地塩屋魚友

いかなごのくぎ煮の購入 in 垂水漁協販売所 on 2012-2-28

第13回 神戸・垂水いかなご祭 on 2012-3-10

神戸市長田区駒ヶ林町の散策記 on 2017-2-19 その1 駒林神社の復興された大鳥居といかなごくぎ煮発祥の地の碑
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和の選択 東京大空襲が生んだ悲劇の傑作「噫(ああ)横川国民学校」を視聴して

2017年03月10日 05時25分46秒 | 役立つ情報
昭和の選択 東京大空襲が生んだ悲劇の傑作「噫(ああ)横川国民学校」が
NHKテレビBS3で3月9日20:00から放送があった。

書家の井上有一(1916-1985)が書いた作品「噫横川国民学校」の時代背景や
作者の気持ちを推し量るもので見ごたえがあった。

番組の中から空襲の記録などを写真紹介していきます。

まず、東京大空襲をWikipediaで調べてみました。

「東京大空襲(とうきょうだいくうしゅう)は、第二次世界大戦中にアメリカ軍により
行われた、東京に対する焼夷弾を用いた大規模爆撃の総称。
東京は、1944年(昭和19年)11月14日以降に106回の空爆を受けたが、
特に1945年(昭和20年)3月10日、4月13日、4月15日、5月25日の空襲は
大規模であった。
通常「東京大空襲」と言った場合、特に規模が大きかった1945年(昭和20年)
3月10日に行われた空襲を指すことが多い。民間人にも大きな被害を与えた。」


Wikipedia(Bombing of Tokyo )へのリンク


2012年3月18日(日)21:00~21:50にNHKスペシャル 東京大空襲より
上の写真は東京都慰霊堂に眠る3月10日の大空襲の犠牲者10万5千人の骨壷を
収容した部屋の紹介です。大きな骨壷は身元不明なものだそうです。
東京大空襲では3月10日 0時8分に深川への爆撃を合図に2時間余続いたそうです。

3月10日は1999年に空襲犠牲者を追悼し平和を願うことを目的として
「東京都平和の日」に定められ、永遠に記憶に留める日となった。



上の写真は両国の東京都立横綱公園内にある
東京大空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑です。撮影は2007年x月


上の写真は2007年に撮った東京都慰霊堂(当時 東京に勤務)
こちらは大正12年(1923)9月1日の関東大震災で被災された人々や
昭和20年(1945)3月10日他の東京大空襲の犠牲者を慰霊するために
都が建てたものです。

この慰霊堂は昭和5年(1930)9月に伊藤忠太氏他の設計で建坪は
380坪弱あるそうです。

毎年3月10日にこちらで東京大空襲の犠牲者を悼み慰霊の法要が実施されます。

昭和20年(1945)3月10日の空襲では午前0時過ぎから約2.5時間東京の下町が
279機のB29と32万発の焼夷弾による空襲で一瞬にして10万人を超える(文献では
97,031人という資料もあり)貴重な命が奪われた。

大空襲の夜が明けた三月十日十二時の大本営発表によれば、
本三月十日零時過ぎより二時四十分の間、B-29 約百三十機主力を以て帝都に来襲、
市街地を盲爆せり。右盲爆により都内各所に火災を生じたるも、宮内省主馬寮は
二時三十五分、その他は八時頃までに鎮火せり。
現在までに判明せる戦果次の如し。
撃墜: 十五機
損害を与えたるもの:約五十機

空襲による甚大な人的、物的被害については、全く触れられていませんでした。


2012年3月18日(日)21:00~21:50にNHKスペシャル 東京大空襲より
上の写真は昭和19年(1944)11月24日 東京荏原地区の空襲で被害を受けた民家の
写真である。78人が死亡されたとのこと。
東京が初めて無差別の焼夷弾による空爆を受けた日である。
以降昭和20年5月末まで106回の空爆があった。

これまでは東京大空襲を概観するという意味で書いたもので番組の内容はここから
記載していきます。




上の写真は書家の井上有一(1916-1985)が書いた作品「噫横川国民学校」と
井上宥一氏晩年の写真です。

作品は井上有一氏が昭和20年(1945)3月10日当時勤務していた横川国民学校に
避難してきた国民1,000人あまりと彼の教え子8名が炭となって死んでいった姿を
書いたもので井上有一が晩年に書いたものだそうです。
30年あまり懺悔の念でどうしても書けえなかった。

書の内容については下記のサイトに書かれていますリンクさせていただきます。
 http://www.kmine.sakura.ne.jp/kusyu/kuusyu.html






上の3枚の写真は3月10日の惨禍を記した井上有一氏のメモ




上の2枚の写真は昭和21年(1946)に井上有一氏が残した横川国民学校の記録




上の2枚の写真は東京大空襲・戦災資料センターと焼夷弾の展示
焼夷弾は19本2列の38本が1発の爆弾に含まれる構造となっている。




上の2枚の写真は焼け跡の東京



上の写真は昭和19年?に出された学童疎開に関する指令書


上の写真は横川国民学校の疎開した児童と井上有一氏が写った集合写真


上の写真は疎開先に向かう児童 東京から23.5万人が疎開


上の写真は昭和20年(1945)の正月に横川国民学校の疎開した児童が書いた書













コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

談山神社訪問記 on 2013-7-6

2017年03月09日 05時34分40秒 | 奈良情報
2013年7月6日に訪問した談山神社について写真紹介します。

当日午後から第1回纒向学セミナーが桜井市市立図書館研修室で開催され出席
のため桜井市を訪問していました。

談山神社の基本情報

住所:奈良県桜井市多武峰319 TEL:0744-49-0001
拝観時間:8:30~17:00 拝観料:600円
御祭神:中臣(藤原)鎌足(談山大明神・談山権現)
開基:天武天皇7年(678年)、定恵

公式ホームページ:http://www.tanzan.or.jp/index.html

談山神社は、藤原鎌足の墓塔と伝える十三重塔と神廟拝所(講堂)を中心とした
旧妙楽寺(開山は鎌足の長男で遣唐使で唐に渡った定恵(643-665))と、
大織冠=藤原鎌足の像を祀る本社の一郭及び摂社、末社等からなる神仏習合の
寺で多武峰妙楽寺と呼ばれていましたが明治2年(1869)の神仏分離令で廃仏毀釈の
嵐が吹き荒れ廃寺となり談山神社として独立した。
十三重塔と権殿<旧妙楽寺常行堂>は室町時代の建立で、重要文化財。
開基は天武天皇7年(678年)、長男で僧の定恵が唐からの帰国後に、父の墓を
摂津安威の地(阿武山古墳)から大和のこの地に移し、十三重塔を造立したのが
発祥である。

神廟拝所は旧妙楽寺講堂で秘仏の如意輪観音像が安置されています。



当日(2013-7-6)は桜井駅南口から8時12分発のバスで談山神社に向かった。





上の3枚の写真は桜井駅南口から談山神社に行くバスの情報(時間表など)
桜井駅から談山神社までの所要時間は25分


上の写真は桜井駅と談山神社を含む地図(桜井駅南口が現在地)






上の3枚の写真は境内案内


上の写真はバス停から談山神社に向かう途中で紫陽花や新緑の植物たちが歓迎


上の写真は祓戸社


上の写真は拝観入口




上の写真は末社惣社本殿と現地説明板
延長4年(926)の勧請、寛文8(1668)に造替した本殿を寛保2年(1742)に移築。
三間社隅木入春日造、銅板葺






上の3枚の写真は末社惣社拝殿と現地説明板
拝殿の前で4月29日と11月3日に蹴鞠祭りが奉納されます。


上の写真は拝殿の中の像高3mの大きな福禄寿像
「大和七福八宝めぐり」の札所となっています。
大和七福八宝めぐりは三輪明神、長谷寺、信貴山朝護孫子寺、當麻寺中之坊、
安倍文殊院、おふさ観音、談山神社、久米寺の八か所




上の2枚の写真は神廟拝所(講堂)の近景と遠景
神廟拝所は旧妙楽寺講堂で、十三重塔の正面に建ち、類例の少ない配置になる。 




上の2枚の写真は閼伽井殿と現地説明板






上の3枚の写真は権殿(旧常行堂)と現地説明板




上の写真は比叡神社(正面中央)と現地説明板
比叡神社の左右には末社の稲荷社と山神神社 手前右手には神明神社と杉山神社




上の写真は談山神社のシンボルとも言える十三重塔
明治33年(1900)4月7日に重要文化財に指定されています。




上の2枚の写真は西宝庫と現地説明板




上の2枚の写真は手水舎の鶴と現地説明板


上の写真は談山神社楼門を中央にした遠景です。


上の写真は談山神社の本殿(左手)と拝殿(右手)


上の写真は談山神社拝殿の近景(西透廊)


上の写真は談山神社拝殿の遠景




上の2枚の写真は談山神社楼門、本殿、拝殿の現地説明板


上の写真は談山神社拝殿の内部
有名な多武峰縁起絵巻をはじめ色々な資料が展示されています。
多武峰縁起絵巻は奈良女子大学附属図書館の下記サイトで詳細を見れます
 http://mahoroba.lib.nara-wu.ac.jp/y06/tounomine/
多武峰談山神社所蔵電子画像集
(多武峰縁起絵巻ほか)


上の写真は多武峰縁起絵巻の中でもっとも有名な場面で蘇我入鹿が討たれた場面




上の2枚の写真は談山神社拝殿の展示の一部で10月第二日曜日に実施される
嘉吉祭の青農と説明板




上の写真は談山神社嘉吉祭の説明と嘉吉祭で奉納される神饌
神饌つくりはテレビでも紹介されみたことがあります。




上の2枚の写真は東宝庫と現地説明板




上の2枚の写真は談山神社の東殿(通称 恋神社)で藤原鎌足公の夫人で万葉集の歌人
でもある鏡女王(かがみのおおきみ)他を祀っている摂社です。
ここで恋の成就祈願すればご利益があるようです。

東殿は造替された旧本殿が元和5(1619)に移築されたものです。


上の写真は結びの磐座(いわくら)


上の写真は観音堂




上の2枚の写真は折口信夫(釈迢空(しゃく ちょうくう))の歌碑と折口信夫氏の紹介板




上の2枚の写真は後醍醐天皇奉納の石灯篭と現地説明板




上の2枚の写真は参道の土産物店
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鶏食堂バル TORIICHI (トリイチ) ミント神戸店 でのランチ on 2017-2-24

2017年03月08日 05時20分24秒 | 神戸情報
2017年2月24日、鶏食堂バル TORIICHI (トリイチ) ミント神戸店
でいただいたランチを写真紹介します。
兵庫県立美術館のエッチング教室の帰りに寄りました。

鶏食堂バル TORIICHI (トリイチ) ミント神戸店 の基本情報

住所:神戸市中央区雲井通7-1-1 ミント神戸8F TEL:078-242-4646
昼:11:00~14:30  夜:17:00~23:00(L.O.22:00)
定休日:ミント神戸に準ずる


公式FB:https://www.facebook.com/toriichi.asia/




上の写真は私が注文した唐揚げのセット 1,180円(税抜)


上の写真は奥様が注文した手羽先のセット 1,180円(税抜)


上の写真は食後のコーヒー+デザート 100円(税抜)

当日(2017-2-24)はオーパ2の開店日でした。(下の2枚の写真)





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さんのみや 三ツ輪でのランチ on 2017-3-3

2017年03月08日 04時50分23秒 | 神戸情報
2017年3月3日、兵庫県立美術館のエッチング教室の帰りにいただいた
さんのみや 三ツ輪でのランチを写真紹介します。

さんのみや 三ツ輪の基本情報

住所:神戸市中央区三宮町2丁目5-7  TEL:078-391-3591
定休日:日曜日(月曜祝日の場合は月曜日)、年末31日〜年始3日まで
昼食:11:00~14:00  夕食:17:00~21:30(L.O.20:00)

公式HP:https://sannomiyamitsuwa.jimdo.com/


上の写真が当日いただいた上みつわ弁当 1,500円(税込)
肉が軟らかく美味しくいただきました。

Goo地図はこちら
 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

季節の小料理「玉ゆら」でのランチ on 2017-3-6

2017年03月07日 06時44分18秒 | 神戸情報
2017年3月6日、季節の小料理「玉ゆら」でいただいたランチを
写真紹介します。

玉ゆらの基本情報
住所:神戸市垂水区仲田1丁目3-22  TEL:078-708-6971
営業時間:(昼)11時半~14時(L.O.13時半)
     (夜)17時半~23時
定休日:月曜夜と火曜日 


Goo地図はこちら
 

COOP神戸の情報誌「ステーション」の2017年1月号で紹介されています。
上記「ステーション」の情報によれば店主んぼ野村淑子さんは有馬の料理旅館
「角の坊」をはじめ大阪や東京でも修業を積まれたそうです。
玉ゆらの名前は古代の言葉の玉響(たまゆら)からでしばしの間ゆっくり
してくださいとの意味があるそうです。


上の写真は私がチョイスした気まぐれ定食 925円(税抜)
本日のメインはチキンのトマト煮
美味しく頂きました。


上の写真は奥様が注文した玉ゆら定食 1,175円(税抜)




上の2枚の写真はランチのメニュー表です。




上の2枚の写真は食後のデザート+コーヒー 375円(税抜)


上の写真はお店の看板


上の写真は店内からみたお庭の光景


上の写真は夜のお薦め御膳





 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相楽園 船屋形の復元前の写真 (昭和16年以前)

2017年03月06日 05時39分58秒 | 神戸情報
相楽園の船屋形は昭和53年(1978)3月1日 牛尾吉朗氏より神戸市に寄贈
を受けて昭和55年(1980)3月31日 牛尾吉朗氏の舞子の自宅から相楽園へ
移築工事を実施完成しました。
さらに、平成13年(2001)神戸市が半解体修理工事を実施し現在に到っています。

牛尾吉朗氏の父親である牛尾健治氏は昭和14年(1939)兵庫県印南郡北浜村字北脇
の川本直助氏から船屋形を購入し所有者となりました。
(神戸市垂水区舞子の牛尾邸内に移設)

牛尾健治氏は 昭和16年(1941)の復元工事で上下各3室とし、屋根も瓦屋根
から桧皮葺に戻しました。

工事の指導は築地本願寺、東京都慰霊堂、大倉集古館、橿原神宮、平安神宮など
数多くの建築を手がけた工学博士 伊東忠太氏(1867-1954)が担当しました。
監督官庁は文部省宗教局保存課

一連の工事の詳細は牛尾健治氏の編著書 船屋形, 彰国社, 1942.3に掲載されて
います。本ブログでは上記の著書から昭和16年(1941)の復元前の写真を中心に
復元後と対比しながら紹介していきます。

船屋形は御座船の上に設けた屋形のこと。
御座船は天皇・公家・将軍・大名などの貴人が乗るための豪華な船のこと。
西洋でいう遊行用のヨットに相当する性格の船である。河川用のものは川御座船、
海用のものは海御座船とも呼ぶ。江戸時代に大名が参勤交代や遊覧に使用した船
が多く伝えられており絵図や模型として残されています。

現存する御座船は他に細川家波奈之丸舟屋形、西光寺船屋形茶室(香川県)が
ありますがいずれも海上用で川御座船としては相楽園の船屋形が全国唯一のもので
昭和28年(1953)8月29日に国の重要文化財に指定されています。


図版13 大塩の川本直助邸の邸外の畑地から南東面を臨んだもの。
前方が上段の間、先方の一段低くなったところが床几(しょうぎ)の間


図版14 邸内より南正面を観た姿
右手が上段の間、左手の一段低くなったところが床几(しょうぎ)の間


図版15 邸外北面の姿である。


図版16 上段の間(2階)の内部
江戸時代に川御座船として使用されていた状況に近い状態であったようです


図版17 上段下(1階)の内部


図版18 移築解体中の南面


図版19 床几の間の南面


図版20 船屋形移築解体中 床几の間天井廻 痕跡


図版21 船屋形移築解体中 床几の間階段


上の写真は解体前の姿 床几の間と上段の間の2室であった


上の写真は解体後 右手に次の間を付け加え移築した。
昭和16年(1941)5月完成


上の写真は移築・解体工事に関わった人々


上の写真は移築解体時に新たに発見された墨書などの一覧


ここで話題を変えて2008年11月2日(日)、相楽園の船屋形の公開イベント
の時に撮った写真と説明書きを添付しておきます。

 詳細は下記ブログ
  相楽園 船屋形


2008年11月2日撮影の船屋形




上の2枚の写真は現地の説明板と重要文化財指定の石碑










上の5枚の写真は船屋形の説明(相楽園のリーフレットより)

次に川本直助氏より船屋形の新しい所有者となった牛尾健治氏の舞子の邸宅の
位置を下に示します。
出典:松浜善正 著 舞子、舞子の浜 浪漫 平成16年(2004)刊











コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする