2016年10月13日、神戸大学 海事科学学部 深江丸は探査航海のため
神戸大学深江地区繋船池 深江丸係留岸壁を出航しました。その時に阪神
深江駅近くの大日霊女神社と周辺の石碑の写真を撮りましたので紹介します。
大日霊女神社の基本情報
住所:神戸市東灘区深江本町3-5-7 TEL:078-411-0475(深江会館)
御祭神:大日霊女尊(おおひるめのみこと) 天照大神
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ) 総氏神森稲荷神社御祭神
戎大神(えびすのおおかみ) 旧深江浜えびす神社御祭神
東灘区歴史散歩(東灘区役所発行)によると、
中世の頃、この辺りに薬王寺と言う真言宗の寺があり、大日如来を本尊としていた。
ところが文明13年(1481年)、寺は浄土真宗に改宗し、本尊を阿弥陀如来
に改めた。そのため寺を出された旧本尊を引き取って村人が祀ったのが、
この神社の創建だと伝えられている。
実際は明治の神仏分離で、大日如来を本尊とする薬王寺の鎮守社が大日霊女を
祭神とし、村社にされたのであろう。現在高橋川に架かる薬王寺橋があります
この辺りに薬王寺があったのだ。薬王寺はその後、浄土真宗に改宗し、
延寿寺と改名した。寛永10年(1633年)に現在地に移転、
永井山正寿寺と改称したと寺伝に伝わるらしい
と書かれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/a4/9ca176dc58172746e64682de9c63998a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/08/3155ddf42e3bc70abfd3b3963e5fb91f.jpg)
上の2枚の写真は大日霊女神社(おおひるめじんじゃ)です。
地元では大日さん(大日っつぁん)とも呼ばれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/a0/8dab9e458675981d6791b4fb43df9157.jpg)
上の写真は境内末社の白玉稲荷と末光稲荷。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/e5/bcdc15d91f3828557b49bf8f5816dd67.jpg)
上の写真は山の神(右手)と賽の神(左手)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/a8/7b4e255d7b07d7a01918e7f02d62b887.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/11/9a86ac5952ed55f0f32eaa4e5008c3d8.jpg)
大日霊女神社の南側は西国街道があった場所です。そこに石碑があります。
西国街道は本街道と浜街道の2つに分かれます。本街道は西国の大名が参勤交代
などの時に利用される官道であったのに対し、浜街道は村人が行き来する生活道路
でありました。
村と村を繋ぐ道として本街道以上に賑わっていたようです。
浜街道の碑の傍に里歌の説明書きもありました。
「深江越えれば大日如来 高い高橋踊り松 銚子が池に片葉葦」
深江村の情景を歌った里歌で、大日如来は今の大日霊女神社でこの場所です。
高橋は高橋川にかかっていた橋で、正徳2年(1712)石橋に架けかえた
と言われいわれの石は大日霊女神社境内に残されている。
踊り松は高橋川右岸の南に多く植えられていてその南に葦が茂る銚子が池が
あった」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/a6/59d9b2a49b5fdd2b37e0bb0afc1a3a6e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/10/0e4ae6aca177cd1ef1d79ea64ef7ff86.jpg)
上の2枚の写真は魚屋道の石碑と説明板です。
説明板は田辺眞人先生が昭和57年(1982)10月に書かれたものです。
設置者は深江財産区です。 説明文は下記のとおり。
「わが街の史跡 魚屋道(ととやみち)
魚屋道は江戸初期から灘地方と有馬を結ぶ東六甲最古の山越え交通路で、
当時の絵地図では、森から山に登り、蛙岩、山の神、風吹岩、東お多福山、
本庄橋、一軒茶屋、射場山山腹、有馬のルートを通り、六甲越えと呼ばれていた。
幕府が、灘から有馬への正規の街道を西宮、宝塚、船坂、有馬の線に定めた後も、
遠まわりを嫌った人々はこの道を利用した。そこで、街道沿いの西宮や生瀬などの
宿場の商人は、これを抜け荷の道と称して、通行禁止を大坂奉行へ訴え、しばしば
紛争が生じた。文化3年(1806)に、灘本庄と有馬の人々がひそかに道の大修理
をしている。深江浜の魚は大正時代まで、ここから有馬に運ばれていた。」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/7f/802fe56d70a45ba507a74f062bd3ddb0.jpg)
上の写真は平成10年(1998)地車(だんじり)が新調されたことを記念
して作成された銘板
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/34/164022d3e89c91384fdf638ca41af8d6.jpg)
上の写真は平成7年(1995)の阪神淡路大震災で本殿が倒壊したのを
再建したことを記録するために建てられた石碑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/80/e080d414bb1ecc2f6bbf133d7e0ffec9.jpg)
上の写真は深江の里謡を刻んだ石碑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/e8/8d7022a0a3e4ccf884cd5842c6af59de.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/b7/96c3cdeebc58a4b3985a668f92ef501e.jpg)
上の2枚の写真は高橋の礎石と説明板です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/30/f3d1482a909e6ef47cf411694d052bfd.jpg)
上の写真は大日霊女神社と書かれた石碑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/20/b4a91e46cd0205880eaef004f1f755e6.jpg)
上の写真は山ノ神の祠(安政5年(1858)六甲山に建立されたものを
平成16年(2004)3月14日に大日霊女神社に移設された)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/5b/f8817b9b2be1d645c22e41e0b047d69e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/d0/bd8696758368e09ca6243b7296619f4a.jpg)
上の2枚の写真は深江浜のえびす神社鳥居の主柱と説明板
大正3年(1914)9月に深江浜えびす神社が建立
平成6年(1994)1月に大日霊女神社に移設
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/34/b8f202e2a444dd67c4af953834e8bc19.jpg)
上の写真は境内の松が終戦後の昭和20-23年頃植栽されたことを記した
説明パネル
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/ce/181ac42578b8eac163d1ae1e03471981.jpg)
神戸大学深江地区繋船池 深江丸係留岸壁を出航しました。その時に阪神
深江駅近くの大日霊女神社と周辺の石碑の写真を撮りましたので紹介します。
大日霊女神社の基本情報
住所:神戸市東灘区深江本町3-5-7 TEL:078-411-0475(深江会館)
御祭神:大日霊女尊(おおひるめのみこと) 天照大神
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ) 総氏神森稲荷神社御祭神
戎大神(えびすのおおかみ) 旧深江浜えびす神社御祭神
東灘区歴史散歩(東灘区役所発行)によると、
中世の頃、この辺りに薬王寺と言う真言宗の寺があり、大日如来を本尊としていた。
ところが文明13年(1481年)、寺は浄土真宗に改宗し、本尊を阿弥陀如来
に改めた。そのため寺を出された旧本尊を引き取って村人が祀ったのが、
この神社の創建だと伝えられている。
実際は明治の神仏分離で、大日如来を本尊とする薬王寺の鎮守社が大日霊女を
祭神とし、村社にされたのであろう。現在高橋川に架かる薬王寺橋があります
この辺りに薬王寺があったのだ。薬王寺はその後、浄土真宗に改宗し、
延寿寺と改名した。寛永10年(1633年)に現在地に移転、
永井山正寿寺と改称したと寺伝に伝わるらしい
と書かれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/a4/9ca176dc58172746e64682de9c63998a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/08/3155ddf42e3bc70abfd3b3963e5fb91f.jpg)
上の2枚の写真は大日霊女神社(おおひるめじんじゃ)です。
地元では大日さん(大日っつぁん)とも呼ばれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/a0/8dab9e458675981d6791b4fb43df9157.jpg)
上の写真は境内末社の白玉稲荷と末光稲荷。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/e5/bcdc15d91f3828557b49bf8f5816dd67.jpg)
上の写真は山の神(右手)と賽の神(左手)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/a8/7b4e255d7b07d7a01918e7f02d62b887.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/11/9a86ac5952ed55f0f32eaa4e5008c3d8.jpg)
大日霊女神社の南側は西国街道があった場所です。そこに石碑があります。
西国街道は本街道と浜街道の2つに分かれます。本街道は西国の大名が参勤交代
などの時に利用される官道であったのに対し、浜街道は村人が行き来する生活道路
でありました。
村と村を繋ぐ道として本街道以上に賑わっていたようです。
浜街道の碑の傍に里歌の説明書きもありました。
「深江越えれば大日如来 高い高橋踊り松 銚子が池に片葉葦」
深江村の情景を歌った里歌で、大日如来は今の大日霊女神社でこの場所です。
高橋は高橋川にかかっていた橋で、正徳2年(1712)石橋に架けかえた
と言われいわれの石は大日霊女神社境内に残されている。
踊り松は高橋川右岸の南に多く植えられていてその南に葦が茂る銚子が池が
あった」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/a6/59d9b2a49b5fdd2b37e0bb0afc1a3a6e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/10/0e4ae6aca177cd1ef1d79ea64ef7ff86.jpg)
上の2枚の写真は魚屋道の石碑と説明板です。
説明板は田辺眞人先生が昭和57年(1982)10月に書かれたものです。
設置者は深江財産区です。 説明文は下記のとおり。
「わが街の史跡 魚屋道(ととやみち)
魚屋道は江戸初期から灘地方と有馬を結ぶ東六甲最古の山越え交通路で、
当時の絵地図では、森から山に登り、蛙岩、山の神、風吹岩、東お多福山、
本庄橋、一軒茶屋、射場山山腹、有馬のルートを通り、六甲越えと呼ばれていた。
幕府が、灘から有馬への正規の街道を西宮、宝塚、船坂、有馬の線に定めた後も、
遠まわりを嫌った人々はこの道を利用した。そこで、街道沿いの西宮や生瀬などの
宿場の商人は、これを抜け荷の道と称して、通行禁止を大坂奉行へ訴え、しばしば
紛争が生じた。文化3年(1806)に、灘本庄と有馬の人々がひそかに道の大修理
をしている。深江浜の魚は大正時代まで、ここから有馬に運ばれていた。」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/7f/802fe56d70a45ba507a74f062bd3ddb0.jpg)
上の写真は平成10年(1998)地車(だんじり)が新調されたことを記念
して作成された銘板
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/34/164022d3e89c91384fdf638ca41af8d6.jpg)
上の写真は平成7年(1995)の阪神淡路大震災で本殿が倒壊したのを
再建したことを記録するために建てられた石碑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/80/e080d414bb1ecc2f6bbf133d7e0ffec9.jpg)
上の写真は深江の里謡を刻んだ石碑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/e8/8d7022a0a3e4ccf884cd5842c6af59de.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/b7/96c3cdeebc58a4b3985a668f92ef501e.jpg)
上の2枚の写真は高橋の礎石と説明板です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/30/f3d1482a909e6ef47cf411694d052bfd.jpg)
上の写真は大日霊女神社と書かれた石碑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/20/b4a91e46cd0205880eaef004f1f755e6.jpg)
上の写真は山ノ神の祠(安政5年(1858)六甲山に建立されたものを
平成16年(2004)3月14日に大日霊女神社に移設された)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/5b/f8817b9b2be1d645c22e41e0b047d69e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/d0/bd8696758368e09ca6243b7296619f4a.jpg)
上の2枚の写真は深江浜のえびす神社鳥居の主柱と説明板
大正3年(1914)9月に深江浜えびす神社が建立
平成6年(1994)1月に大日霊女神社に移設
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/34/b8f202e2a444dd67c4af953834e8bc19.jpg)
上の写真は境内の松が終戦後の昭和20-23年頃植栽されたことを記した
説明パネル
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/ce/181ac42578b8eac163d1ae1e03471981.jpg)
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