2014年11月12日、奈良国立博物館新館で行われていた正倉院展を観るため奈良を
訪問していた。その日に立ち寄った東大寺戒壇院を写真紹介します。
東大寺戒壇院の基本情報
住所:奈良市雑司町406ー1 TEL:0742-26-7520
宗派:華厳宗 建立:天平勝宝6年(755)
Goo地図はこちら
「戒壇」とは正式な僧になるため高僧から必要な戒律を授けるために設置された
施設である。
日本で最初の戒壇は天平勝宝5年(753年)12月20日に仏舎利を携え薩摩坊津で
来日に成功した唐僧鑑真が、同じ年の12月26日に太宰府を訪れ筑紫戒壇院の地で初の
授戒を行った。奈良に招かれた鑑真の提唱で754年に東大寺に臨時に戒壇が設けられた。
ここで鑑真が聖武太上天皇、光明皇太后、孝謙天皇に戒律を授けた。
天平勝宝6年(755)、その戒壇の土を移して東大寺戒壇院が建立され、さらに
天平宝字5年(761)に聖武天皇の勅願により筑紫観世音寺の境内の西南部の一角に
戒壇院が設置された。
東大寺の中央戒壇に対して、筑紫観音寺戒壇院は西戒壇(さいかいだん)と呼ばれ、
同じく761年に建立された下野薬師寺戒壇(東戒壇)を含めた3つの戒壇院は
本朝(天下)三大戒壇と呼ばれる。
上の2枚の写真は2014-11-12撮影の東大寺戒壇院の山門と戒壇堂です
上の写真はパンフレットに記載されていたもので往時の東大寺戒壇院です。
当初は金堂、講堂などが建てられていて、かなり大きな寺院であったことが伺えます
上の写真も同じくパンフレットに記載されているもので戒壇堂の中の四天王(国宝)の
配置図です。
戒壇堂内撮影禁止のため四天王像の写真を撮れなかった為、国宝の四天王立像の写真
が掲載されているサイトへリンクさせていただきます。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-129.html
東大寺について簡単に触れておきます。
南都七大寺は下記のとおりで天平勝宝元年(749)に定められた墾田の
地限の数値で南都七大寺の中でも東大寺が勢力のあったことが判ります。
興福寺(奈良市) 1,000町歩
東大寺(奈良市) 4,000町歩
西大寺(奈良市)
薬師寺(奈良市) 1,000町歩
元興寺(奈良市) 2,000町歩
大安寺(奈良市) 1,000町歩
法隆寺(生駒郡斑鳩町) 500町歩
次に食堂の大きさについて比較したデータを示します。
食堂は僧侶の食事や修行に使われ、主要な建物の一つだった。
文献や絵図によると、南都寺院では東大寺が飛び抜けて大きく、ついで大安寺
その次に元興寺とともに薬師寺と続く。詳細は下の表(奈良文化財研究所の資料)
訪問していた。その日に立ち寄った東大寺戒壇院を写真紹介します。
東大寺戒壇院の基本情報
住所:奈良市雑司町406ー1 TEL:0742-26-7520
宗派:華厳宗 建立:天平勝宝6年(755)
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「戒壇」とは正式な僧になるため高僧から必要な戒律を授けるために設置された
施設である。
日本で最初の戒壇は天平勝宝5年(753年)12月20日に仏舎利を携え薩摩坊津で
来日に成功した唐僧鑑真が、同じ年の12月26日に太宰府を訪れ筑紫戒壇院の地で初の
授戒を行った。奈良に招かれた鑑真の提唱で754年に東大寺に臨時に戒壇が設けられた。
ここで鑑真が聖武太上天皇、光明皇太后、孝謙天皇に戒律を授けた。
天平勝宝6年(755)、その戒壇の土を移して東大寺戒壇院が建立され、さらに
天平宝字5年(761)に聖武天皇の勅願により筑紫観世音寺の境内の西南部の一角に
戒壇院が設置された。
東大寺の中央戒壇に対して、筑紫観音寺戒壇院は西戒壇(さいかいだん)と呼ばれ、
同じく761年に建立された下野薬師寺戒壇(東戒壇)を含めた3つの戒壇院は
本朝(天下)三大戒壇と呼ばれる。
上の2枚の写真は2014-11-12撮影の東大寺戒壇院の山門と戒壇堂です
上の写真はパンフレットに記載されていたもので往時の東大寺戒壇院です。
当初は金堂、講堂などが建てられていて、かなり大きな寺院であったことが伺えます
上の写真も同じくパンフレットに記載されているもので戒壇堂の中の四天王(国宝)の
配置図です。
戒壇堂内撮影禁止のため四天王像の写真を撮れなかった為、国宝の四天王立像の写真
が掲載されているサイトへリンクさせていただきます。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-129.html
東大寺について簡単に触れておきます。
南都七大寺は下記のとおりで天平勝宝元年(749)に定められた墾田の
地限の数値で南都七大寺の中でも東大寺が勢力のあったことが判ります。
興福寺(奈良市) 1,000町歩
東大寺(奈良市) 4,000町歩
西大寺(奈良市)
薬師寺(奈良市) 1,000町歩
元興寺(奈良市) 2,000町歩
大安寺(奈良市) 1,000町歩
法隆寺(生駒郡斑鳩町) 500町歩
次に食堂の大きさについて比較したデータを示します。
食堂は僧侶の食事や修行に使われ、主要な建物の一つだった。
文献や絵図によると、南都寺院では東大寺が飛び抜けて大きく、ついで大安寺
その次に元興寺とともに薬師寺と続く。詳細は下の表(奈良文化財研究所の資料)
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