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NHK大河ドラマ「青天を衝け」第19回「勘定組頭 渋沢篤太夫」の紀行で紹介された高砂の今市札

2022年01月06日 05時17分49秒 | 神戸市以外の兵庫県

2021年6月20日(日)に放送されたNHK大河ドラマ「青天を衝け」第19回

「勘定組頭 渋沢篤太夫」の紀行で姫路城と共に高砂の今市札(銀札)と一橋家の会所

のあった高砂・今市地区が紹介されました。

放送された紀行の内容については下記サイトに記載されています。

 紀行|第19回「兵庫県姫路市・高砂市」|大河ドラマ「青天を衝け」|NHKオンライン

本ブログでは高砂の今市札(銀札)と一橋家の会所のあった高砂・今市地区に的を

絞り記載していきます。

 参考資料

  1)高砂市を歩く(335) 中島・今市を歩く(11) 今市札 - ひろかずのブログ (goo.ne.jp)

  2)神戸新聞 2021年4月24日 夕刊

    (神戸新聞NEXT 大河ドラマ主人公・渋沢栄一、播磨で商才開花!? 類いまれなビジネスセンス発揮|総合|神戸新聞NEXT (kobe-np.co.jp)

  3)239.pdf (takasago-cci.or.jp) 高砂商工会議所報 なびつま 平成27年1月 Page8

  4)新ひろかずのブログ(1) 渋沢栄一と高砂(1) - ひろかずのブログ (goo.ne.jp)

  5)新ひろかずのブログ(2) 渋沢栄一と高砂(2)・今市札(藩札) - ひろかずのブログ (goo.ne.jp)

 

播磨には一橋家が飛び地として高砂(今市、中島、曽根)の領地を有していました。

徳川慶喜の家臣であった渋沢篤太夫(渋沢栄一)は一橋家の財政を立て直すために、播磨の

特産品である木綿や菜種油に注目、これらの産物を一橋家が管理すべく慶応元年(1865)

8月28日から約1か月間、高砂の今市村山口家に逗留して一橋物産会所の開設の準備をしました。

この地域、特に今市村は米、木綿、塩の集散地として賑わっていました。

 

今市札(銀札)

上の写真は工楽松右衛門旧宅の座敷(8帖)に展示の今市札(銀札)遠景 撮影:2022-1-4

上の写真は工楽松右衛門旧宅の座敷(8帖)に展示の今市札 一匁札の拡大版 撮影:2022-1-4

上の写真は今市札(俵:左に展示)の解説説明パネル 撮影:2022-1-4

上の写真は今市札(裏:右に展示)の解説説明パネル 撮影:2022-1-4

 

上の写真は一橋家木綿預手形(今市札)の説明板 撮影:2022-1-4

 一橋家は当時、十分な引替準備金がありませんでした。

 そこで、渋沢篤太夫(渋沢栄一)は裕福な者から借銀をして準備金を用意することを考えました。

 この出資者は、揖東郡日飼村(たつの市)堀彦左衛門(2500両)、加東郡垂水村(加東市)藤浦常八(1250両)、多可郡下比延村(西脇市)広田傳左衛門(800両)のほか地元・今市村伊藤長次郎(600両)、同村入江十郎(300両)、同村鈴木又蔵(200)両、同村入江亀太郎(150両)、その他一人(120両)、四人(200両)50両ずつ、一人(60両)で、総額6380両を集めました。利息は年8朱で10年返済でした。

 これらの出資者はすべて、一橋物産会所及び引替所の役職に就いています。

 一橋家の発行する手形は、大きな信用を作りあげることに成功しました。

 そのため、一橋家領の木綿預手形は一匁のものはいつでも一匁と額面通り流通したといいます。

上の写真は5匁札(表)の展示  撮影:2022-1-4

 

一橋家の会所のあった高砂・今市地区

上の3枚の写真は今市地域の歴史ある民家の街並み 出典:Googleストリートビュー

上の写真は加古川の舟での運搬拠点を示したものです。 出典:工楽松右衛門旧宅の展示

現在、荒井中学校があるあたりは洗川が流れており今市は高砂港と同じように加古川の舟

による運搬の集積地であり、賑わっていたとのこと。

伊藤長次郎と鈴木長左衛門は今市地区における豪商であり、多分、渋沢栄一との交渉の

中心人物であったと推定されます。さらに、製塩で財を成した曽根の入江十郎も渋沢栄一

との交流があったそうである。

曽根の旧入江家についてはブログを作成していますのでリンクしておきます。

 兵庫県指定重要有形文化財 旧入江家住宅 on 2018-1-30 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

初代伊藤長次郎の時代(江戸時代末期)は干鰯、綿、木綿、さらに米、麦、油、素麺を

扱い財を成した。しかし明治10年(1877)ころから姫路木綿の価格が下落し綿織物などの

農村家内工業は衰退していきました。農家は肥料の買入れにも困るようになり、

綿作農業は、急速に衰えました。

そこで伊藤家先代は、積極的に土地を買い入れた時期は明治10年代の初め頃から17-18年頃で

きわめて短期間に517町4反5歩まで買い進めました。

明治26年(1893)には県内最大の地主で、播磨11郡で田畑456町、宅地6町、山林48町を

所有していました。

今市地区で目立つ建物として浄土真宗本願寺派の総江山 正覚寺があります。(下の写真)

出典:Googleストリートビュー

この寺は江戸時代に鈴木長左衛門の寄進により建立されました。

正覚寺の住所は高砂市今市1丁目11-4

 

一橋家の物産会所はどこにあったのか

一橋家の物産会所は今市村の鈴木長左衛門の空き家が利用されました。

現況がどうかについては未調査


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