
毎朝元に戻す、軒下の温度計も、最高30度を超えなくなり、最低は20度ぐらいになってきた。夜明けの早い夏は4時頃から目覚めて、家中の窓という窓を開け放していたが、今目覚めて窓を開けると素足にひんやりと風が冷たい。あんなに鳴いていたセミも徐々に少なくなっていつのまにかいなくなっていた。
草引きをしていると、命を繋ぐ使命を果たしたセミはそこここに朽ち果てた姿が、千切れた羽が転がっていた。
明日は秋分の日、お墓に行かなくてもそばにいてくれるとは思っていても、やはりお墓参りに出かけることにする。時々お酒の過ぎる父にチクリと嫌みも言った私に「お父さんが死んだ後に墓石に酒をかけても飲めんきねえ、そんな無駄なことはしないでよい」と笑っていた。暗に生きている内に飲ませと言うことだったろう。「寿命を縮めても自分が好きで飲むのならえいわね」と冷たく言い放つかわいげのない娘だった。
あなたは、受け継ぐべき財産よりも守るべき墓が多い割の合わない当主だったけど、文句も言わないで年に一度は青竹を切ってきて、花立てを新しくして、家の近くの山にはサカキを植えて、折々に自分の両親にも、祖父母にも曾祖父にも顔も見たことのない先祖達に青々として榊を竹筒一杯にさしていた。
あなたに習ってそれらのことをしない娘は、納骨堂にしてしまいました。青竹も切らなくて良くなりました。サカキも10分の一もあればよくなりました。
あなたはご不満でしょうか。
酒は要らないというあなただったけど、やっぱりコップ一杯は供えさせて下さい。昔から花は飾らないのが習いだったけど、小菊が綺麗だったので買ってきました。明日は行くからね。

昨年食べた後のパイナップルを挿して有ったら根付いて、室内で冬越し今年一回り大きくなった。来年ぐらいには実がなるかなあ。。。
20日歩数「6.213歩」
21日歩数「1.831歩」何だか疲れてごろ寝ばかりしていた。
草引きをしていると、命を繋ぐ使命を果たしたセミはそこここに朽ち果てた姿が、千切れた羽が転がっていた。
明日は秋分の日、お墓に行かなくてもそばにいてくれるとは思っていても、やはりお墓参りに出かけることにする。時々お酒の過ぎる父にチクリと嫌みも言った私に「お父さんが死んだ後に墓石に酒をかけても飲めんきねえ、そんな無駄なことはしないでよい」と笑っていた。暗に生きている内に飲ませと言うことだったろう。「寿命を縮めても自分が好きで飲むのならえいわね」と冷たく言い放つかわいげのない娘だった。
あなたは、受け継ぐべき財産よりも守るべき墓が多い割の合わない当主だったけど、文句も言わないで年に一度は青竹を切ってきて、花立てを新しくして、家の近くの山にはサカキを植えて、折々に自分の両親にも、祖父母にも曾祖父にも顔も見たことのない先祖達に青々として榊を竹筒一杯にさしていた。
あなたに習ってそれらのことをしない娘は、納骨堂にしてしまいました。青竹も切らなくて良くなりました。サカキも10分の一もあればよくなりました。
あなたはご不満でしょうか。
酒は要らないというあなただったけど、やっぱりコップ一杯は供えさせて下さい。昔から花は飾らないのが習いだったけど、小菊が綺麗だったので買ってきました。明日は行くからね。

昨年食べた後のパイナップルを挿して有ったら根付いて、室内で冬越し今年一回り大きくなった。来年ぐらいには実がなるかなあ。。。
20日歩数「6.213歩」
21日歩数「1.831歩」何だか疲れてごろ寝ばかりしていた。
食べた後のパイナップルの葉っぱがこんなに育つなんてビックリです。実がなると楽しいですよね。小さなおもちゃのようなパインを育てたことはあるのですが、しっかりパイナップルの香りが部屋中に漂っていました。
涼しくなると 菊や竜胆の色が鮮やかになる気がしますね。
青竹を毎年新しくしてらっしゃったとは。
そういうやり方があるとは思っていませんでした。
プラスチックの青竹を見慣れすぎているのですね。
最近ではカロートが増え、ステンレスの花立が多いでしょうか。
ゆっくりお参りして差し上げてください。
両親の傍で昔話でもしているのだろうと思う。
明日皆で行く事になるだろう。
不自由なく暮らせるのはお陰とお参りの時は心を込めて祈る。
お寺には烏が汚すので持ち帰るようにと書いてある、好きだった”おはぎ”供えて持ち帰ろう。
私の父もお酒が大好きで当時(昭和30年代)はまだお酒も量り売りが主流だったのか、一升瓶に詰めて貰っていた記憶があります。
優しいばっかりの父でした。風さんの回想を読んで涙が出ました。どうぞ美味しいお酒を墓前に上げて下さいね。お父様もきっとよろこんで下さいますぞね。。
>ジョルジュさん、花立ては「ハチク」の大きさが丁度良かったようです。山の暮らしは身の回りのもので何でも作っていました。竹は生活用品を作るには欠かせないものでした。物干し竿から始まって、花立て、箒、大小様々な籠
垣根にも、野菜の手にも、焚き付けにも、窓にも書かせて頂きましたが、墓前に行かなくても思うことで通じると思う私ですが、母のこともあるし出かけてきます。
>まーにゃさん、四季折々に、年忌に故人の元に集うのは、残された人のために、そして墓参りは自分に納得するため?墓に布団は掛けられぬ、生きている内に親孝行ですね。実家の墓にはお菓子など供える習慣はなく至ってシンプルですが、やはりお酒は供えたいと思う私はカップ酒を開けて置いてきます。
>箱庭さんのお父様と父は同じくらいの年代でしょうか。
>優しいばっかりの父でした。
箱庭さんのお父様を思う気持ちがこの言葉に表れていると思いました。
父も歳と共に酔っぱらいやすくなり、ついつい飲み過ぎて私たちに嫌みを言われ、↑のようなやりとりをしていました。亡くなる前はやはり体調が良くなかったのでしょう。
宇宙に行って来た酵母で造ったお酒をおじいちゃんにと息子が買って行ったのですが、3合ぐらいの小さな瓶を2晩に分けて飲んだと言うのを聞いて、弱っていたのだなあと思いました。
それを飲んで1週間にもならない内に宇宙に旅立っていきました。
私は末っ子なので、無責任なところ多々ありで、いつも甘えてばかりいた気がします。
そばで何かと世話してもらっていた、お父さんはしあわせでしたね。
・・・ついでに 私のおやじにも 朝陽にも合掌
親孝行したかと言えば、したようなしないような、予期せぬ最期、今頃あの世からしてやったりと笑いながら私の慌て振りを見ていることでしょう。
>arfaさん、私は竹筒が当然と思って育ったので、プラスチックの花立てを見たとき、これは便利だ替えなくて良いなどと風情のないことを考えました。お彼岸の中日、清々しい朝です。太陽の光も柔らかくなってきました。
arfaさんもお父様亡くされてるのですね。
お父様「ワシはついでか」と笑っていますよ。息子は父上には照れくさいものでしょうか。
arfaさんのお父様に合掌。。。
父にはしっかりとブログの皆さまとのお話報告です。
私など、父が逝ってからもう忘れるくらい年月が経ちました。それでも、昨日のことのように思われることがあったり、生前は寡黙だった父の夢を見たりします。母の夢は見たこと無いのに‥‥
ゲコだった父、のん兵衛だった主人と2日しか命日が違わないのはなんでかしら、‥‥なんて意味も無いことを命日が近づいたこのごろ思たりしてます。
故人の墓参りと言うよりは、実家の用事が多いのです。今日予定が変わり稲刈り。ダレこけました(笑)