おきらく

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その4 真央とヨナそれぞれの4年

2014-02-26 | もぶろぐ

浅田真央選手と金妍児選手、誕生月も同じで一時は身長も同じで何かと比較されてきた。
バンクーバー五輪では浅田選手は涙の銀となった。

その4年後、再び二人は同じリンクでメダルを競うことになったが、金選手は世界ランクが低かったためSPは早い滑走。
浅田選手が前日のSPのミスのためフリーは早い滑走となり、同じグループで滑ることはなかった。
結果はご存じの通り、金選手は銀メダル、浅田選手が6位となったが、浅田選手の渾身のフリー演技が世界に与えたインパクトはメダルとは違う価値があったように思う。

バンクーバーからの4年、二人の道は大きく異なった。
浅田選手はバンクーバー五輪後、基礎からスケートをやり直した。
本人もずっと違和感を感じながら競技をしていたらしい。
トップにいる者がすべてを壊して1からやり直すことは、すごく勇気のいることだ。
1年試合に出ず練習することだって可能だったはずなのに、試合に出続けた。
思うような結果が出なくても、本人は「何を言われても大丈夫」と与えられた試合はこなしてきた。
「不調」だの「もう終わった」だの言われて辛かっただろう。
ようやく結果が出せるところまで来たとき、最愛の母親を亡くした。
世界中のスケーターからコメントが届いた。
みんなちゃんと浅田選手のことを見ていたのだ。
努力を知っているのだ。
ソトニコワ選手はモスクワで一緒に練習していた仲。
浅田選手をものすごく尊敬している。
それは毎年恒例のアイスショーの中でも伝わってくる。
他にも浅田選手を尊敬している選手は多い。
SPで大失敗をしても、海外のスケート選手からハッシュタグを作って激励されるなんて、他の競技でもめったに見られないと思う。
フリーではバンクーバーではやらなかった構成で臨み、回転不足などはあったものの大きなミスなく滑り終えた。
4年間で得たものをすべて披露してくれた。
その後は絶賛のコメントの嵐。
浅田選手は4年間でスケーティングだけでなく、他の選手のハートまでつかんでしまったのだ。

一方、金選手はバンクーバーの後は競技としてのスケートではなく、メダリストとしての活動が目立ったように思う。
例えば平昌五輪の誘致活動とか、ユニセフとか、噂ではIOC委員を目指すとか。
世界選手権はバンクーバー直後以外では平昌五輪のため、ソチの枠取りのために出た。
冒頭の3-3は今でも豪快に決めるが、そのあとは難易度を下げている。
苦手のループも跳ばない。
それでも200点を常にキープしているのはすごいと思うが、フラワーセレモニーやエキシビションなどで孤立した姿を見かけて、少し気の毒に思った。
金選手はこの4年間でメダリストの地位も名声も得たし、収入も多いと聞く。
しかし失ったものも大きかったようだ。

私は浅田選手にとってスケートは自分自身あるいは人生なんだと思った。
だから無難な構成で加点を稼ぐより、自分が理想とする構成を完成させる事を優先した。
そして金選手にとってスケートは手段あるいはキャリア形成の1つなんだと思った。
国の事情もあるが、彼女は常にスーパースターであり、勝ち続けなければならなかった。
今後二人はどのような道へ進むのかはわからないが、今後は比較されることはないと思う。
日本のTVに釘をさしておく。
最近、一騒動があった2人を対談させる番組が増えている。(マラソン有森と松野とか野球の駒田と加藤とか)
そういうので二人を担がないで!


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