あなたの「もと」は?

「あなたの元はなんですか?」
と聞かれ・・・

ちょっと漠然として
直ぐに答えがでませんでした。

「それは親です。
 親はあなたにとって
 『あなたの元』
 『命の元』なのです。
 あなたに、どんな風に映ったとしても
 あなたにとって最も尊い存在なのです。」

ちょっと怪しい宗教みたいだけど・・
違います^_^;

ふ~ん。なるほどぉ~
確かに「命の元」です!
両親が居なかったら
管理人はこの世に存在しないのだから

その通りです。

当たり前に思っていたけど
確かに、親は
子供より多くの
私達のことを知ってます。

誕生日
生まれた日の顔・泣き声・体重身長
生まれ出た時から
いや
もしくはお腹の中から・・・
私達よりずっと子供の思い出・知識を持ってます。
それに比べれば
子供達は、親に対する知識は本当にわずかです。

時々親の誕生日も忘れます。
ただ確かに忘れっぽい管理人も
子供を生んだ日は覚えています。
親は子供の誕生日は忘れません。

子供は
最初に親で「恩」を知るのだそうです。
生まれて初めての恩人でもあるのです。

「命のもと」
そんな風に親を見ることはなかったけど
両親が居なければ
管理人は、
今ここでブログなど打っていない^_^;
幸せなことです。

この世、あの世合わせても
たった二人だけです。

自分の存在意義を唱える前に
まずは
両親に感謝してからですね!!

そうっかぁ~!!!
「自分のもと」
「命のもと」
はっきりと分かるだけでも
なんだかスキッとします。

「この世に生を与えてくれて
 ありがとう!!!」
と心でつぶやきましょう。

実際に言葉に出しては
まだまだ照れくさいからですからぁ~^_^;

管理人の「もと」はあそこにあったんですねぇ~
大切に生きなきゃね!
あとは、心の中でそっと「感謝です」(#^.^#)




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所有欲

「所有欲」
自分のものにしたい欲

人は自分の手放したくないと思うもの。
そんな大切なものに対して所有欲がでます。
自分のものであることで落ち着くのです。

手に入れることで
もう大切なものが何処にもいかないと思うからです。
一時の安心感を手にするのです。

例えば物ならば
自分のものにする為に
購入するという手段があります。

とても気に入ったものは
大切に大切に自分の近くにおいて楽しみ続けます。

好きなときに好きに見る。
好きなときに好きに使うなど。

時には忘れた頃に思い出し
出しては、また楽しむ。
自分の都合のままに楽しみます。

それが、ただ物でなく人ならばどうでしょう?

誰のもでもない自由の心を持つ人の心
それでも自分のものにしたくなる。
そんな経験ありませんか?

昔、恋を経験した時とそんなことがありましたぁ~(#^.^#)

自分に自信がなく
手に入れることで
安心するのです。

愛がそんな気持ちを作り出します。

家族は不思議と自分のものと思えます。
それは、手に入れることが前提ではなく
守ることが前提だからだと思うんです。

子供が大人になり
親の元を去ります。
もう親のものではなくなります。

それは、
守るものではなく
もう一人で歩いてゆける力を持つから・・・

自分のものにしたい所有欲は
それは自分の欲をみたすだけのものです。

守るということと所有することは違います。

人は誰の所有物にもならない。
そうなりたいと思ったとしても
それは不可能なのです。

人の心は自由です。
誰にも所有することはできません。
だれもが平等にその権利を持ちます。

あなたが誰かを所有したいと思ったら
それは、あなたの単なるエゴに過ぎない。

所有欲とは偏った自己愛
本当に人を愛すことではないと思うのです。

所有するのではなく
守ってあげるという想いに変えて行きましょう。

所有されていると思っている人がいるなら・・・
もし、それが居心地がよいならば
それは良いのです。

それはお互いがお互いのものになりたいということです。
所有したいといるより
お互いのものになりたいと思う
自らの意志ですから。

愛しいものへの想いを
強くギュッと握りる手から
そっと暖かく包み手にして行きましょう。

あなたの愛する人を包む込む手の中の暖かさは
あなた自身のこころを
より暖めてくれると管理人は思うのです・・・・



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悪あがき

管理人は自分の性格を良く理解しているつもりですが
それでも欲張りな管理人
出来ないと思うことをやりたがる

やりたいと思った途端
出来ると信じてしまいます。
でも面倒臭いと止めてしまう。
まあそれも性格でしたね^_^;

そして今回も
賞味期限切れになりそうな未解決事項を片付けていると
友人が言います。
「まだ諦めないのぉ~その性格を・・・」

「あなたは諦めたの?」
と管理人が聞くと
即座に
「もちろん諦めたわよ!
人の性格この歳になると変らないよ!
どんどん楽を好んで行くから」

そこで管理人
「わたし、諦めない!!」

「そうじゃあせいぜい頑張って!」
と言われました。

頑張りはしません。
でも悪あがきしてます。

それは、ゆっくり生きて行きたいからです。

苦手な事が後回しになります。
見ない振りして
未解決ゾーンに放り込みます。
ここはとても便利なようで
いつも心の隅を占領して
いつまでもスッキリしない。

直そうと言うより
今は、そんな処理できない
苦手なものの理由を探してます。

理由が分かれば
苦手の改良点も見つかるかもしれないし
理由が分かれば
治らないと諦められます。

だから一つ一つ
出来ないのはこれが嫌だったのかなぁ
これかなぁ~
なんて考えてやっているうちに

知らない間に
今まで出来なかったことが
一つくらい出来てます。

でも
それでも出来なかった理由がわかりません。

とにかくやりながら考えます。
出来ない理由を・・・
苦手の部分を解体しながら
ゆっくり自分観察してます。

諦めるのはその後でも
遅くないし
このまま諦めちゃうと
また面倒な遣り残しがたまり
老後にそなえて
「ゆっくり生きたい夢」が
消されます。

お尻に火が付いてから駆け出すには
年寄りにはちょっと大変かもしれないし・・

未解決事項のものが賞味期限になって
年寄りには開けるのも危険になってるかもしれないから・・・

いまから
ゆっくり生きれる癖をつけて行きたいのです。

その為にも
悪あがきして行きます。

悪あがきは
自分を見捨ててない証拠です。
まだ自分を信じている証拠です。
そう自分への未練なんです。
心残りは良い老後に響きます。
だから
それならいっそ目一杯信じて
楽しく悪あがきやちゃいましょう。

あがいているうちに
がんじがらめになっても今はまだ耐えらお年頃。
あがいているうちに
一つぐらい出来てれば進歩ですから(^^)v





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中間地点

只今管理人は人生の中間地点のようです。

あまり頭を使わないせいか
管理人は白髪がありませんでした。

でもここ一年でいっきに出てきました。
初めは末娘に一本10円で抜いてもらいました。

管理人も意外と苦労してるんだなぁ~って
自分を労いました。

しかし日に日に増える白髪を抜いてもらっている内に
抜いた白髪がまた生える。

それでもって立つ
そうなの
ピンと黒髪よりずっと偉そうに
元気で丈夫そうな太い白髪で立つのです。

人から聞くと白髪は抜いてはいけないそうで
美容院にお願いしました。
白髪染めをって・・・・
いやお洒落染めかな?

美容院ではカラーリングですねと言われました。

髪を染め始めて初めて老いを感じました。
時を同じくして
目も見えずらくなり・・・
暗いところでPCを打つのが原因と思ってましたが・・・
老眼です。

そう言えば
どうでもいい段差でつまずいたりします。
ジャンプしてるつもりでも
何センチも身体が浮きません。
もちろん体重の問題もあるのですがね^_^;

運動不足で筋力が落ちたんだと思いました。
それもあるのですが
老いがからくるものだと分かりました。

そんな老いることを現実に体感しながら
とても不思議な気持ちです。

これかも
ゆっくりゆっくり身体は老いて行きます。
老いに向ってゆっくり進みます。

それに合わせて
心も
ゆっくりゆっくり・・・・
大人になります。

急がない分
考える時間、見る時間が増えます。

急がなくてもいいことを
身体から教えてもらいます。

自分だけでなく
人を見る時間も出来るようになります。

管理人はこんな時は諦めが良すぎるくらい良く
今の不思議な時間を楽しみたいと思うのです。

いつも自分を見ていなかった管理人は
浦島太郎が玉手箱を開けてお爺さんになってしまったように
初めはびっくりしたんだけどね。
すぐ慣れました。
本当にあっという間に楽しみ始めました。

まあ、実際は一本の皺たるみも見逃さず
ゆっくり時と共に老いたかったのだけど・・
まったく今まで気がつきませんでしたぁ~(>_<)
気がついたらいきなり老いと手をつないでましたね。

あまり鏡も見なかったせいかも知れません。

今は良く鏡を見ます。
今の自分の変化に興味津々だからです。

ほうぉ~
ここもこうなり
ここもこうなるんだぁ~

色々自分を観察をしながら
旦那様の
「朝マラソン」の提案に
のってみようって思ってます。

ふぅ~ん
なるほど
一種の脱皮みたいな感じ、
なんて思いながらちょっと面白がってます(^_-)-☆

でも脱ぎ捨てたのが新しいもので
生まれたののが古いなんて可笑しいね^_^;

まあその分こころは
脱皮と共に軽く軽くなって行くみたいな気がしますが・・・






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すきすき だぁーい好き(#^.^#)

昨日の反対です。

ちょっと好き
好き(#^.^#)
だぁ~い好き(^O^)/
なんて人は居ますね。

そんな人は自分の持ってる好きな部分が輝いている人です。
そうなりたいと思う部分をピカピカとさせている人です。

持っているものは皆同じ。
自分の心にあるたくさんのものが
出ぱったり引っ込んだり。
そんなバランスシートみたいなものが
それぞれの価値観をつくりだすのかもしれません。

気になるものが其々違います。
色でも好きな色が違うように

でもその色が好きな場合は
その色と相性がよいのです。

自分でもっている好きな所と似ているのですから
それは無条件に心地よいのです。

管理人は好きなものに囲まれて生きてます。
そう思います。
気がつくと
いつの間にかそうなります。

我ままなんですね。
欲張りなんです(^^)v

大好きなものがきっと人より多いです。

大好きな自然の中に暮らしているせいもあります。

大好きなたくさんの人々に囲まれているせいもあります。

幸せがよく響く心を持ってるせいもあります。

いい鼻をもっているせいもあります。

人の苦手な所より
何故か好きなとこが大きく響く耳を持っているせいかも知れません。

好きなものばかりを見てます。

大好きなものがあると
障害物があることも忘れて
まっしぐらに好きなものに走ります。
そこにしか目が行かないので
よくアザができます。
でも夢中だから
痛くありません。

だからちょっとくらい痛くても
今のすきすき大好きな性格の自分が大好きです(^^)v

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ちょっと苦手

管理人は嫌いな人がいません。
でも
ここは「ちょっと苦手」なんて人はいます。

苦手だったり
嫌いな人は
きっと自分の似ているところがあるからなんだと思います。
その人に、自分の中の嫌なもの覗いちゃうんです。

自分の嫌いな部分が
隠したい部分が
目の前に露出されているから
(キャ~怖い!!)
見るのが嫌なのだと思います。

自慢話ばかりする人は苦手です。

でもそんな嫌いなものが、
自分の口からこぼれ落ちたとき・・・(>_<)
引っ込められない話しの中で後悔が始まります。
そして、終わった途端
「もう、こんな自分嫌いだぁ~」
と心で叫ぶわけです。

これは、
自分に自信がないので
人のことまで自分の勲章にしちゃいます。
全然自分が偉くないくせに
偉い人に便乗して
なんとなく「偉い人組」に入ろうとします。

でもね
そんな偉い人間ではないって
自分も皆も知ってる。
それもちゃんと分かってるんだけどね・・・
なんだか言っちゃったりするの。

「う~かっこ悪い!!」
って自分で叫ぶわけです。

苦手な人
嫌いな人は
自分で持っている嫌いな部分を
あからさまに出している人。

管理人は嫌いな人がいないのは
きっといい加減な性格で
許せない自分が少ないからだと思います。

自分自身に優しい人間なんです(^^)v

だから自分に厳しい人ほど
好き嫌いがハッキリしているのではないかなぁ~
と思います。

それに管理人は自分が好きです。

出来の悪さが好きです。
そこが人間らしくていいと思ってます。

だから人間臭い人を見ると
なんとなく嬉しくなります。

頭から湯気を出して怒ってる人を見ると
笑っちゃいます。
嬉しくて

ばれる嘘を一生懸命ついている人
なんだか笑っちゃいます。
頑張ってるのが見えてきて・・・

人は相手により良く見せたいのです。
だから
自分を大きく見せようと思います。

そんな人を見ると
本当に嬉しくなるのです。

そうか
そうか
管理人に素敵に見られただぁ~って

後で後悔している後姿も見えると
「いいんだよ」
って言いたくなります。

頭から湯気を出して怒っている人には
背中をゆっくりなぜて上げたくなります。

苦しくて苦しくて自分を見失いそうな人も
ギュッと抱きしめて
一緒に内臓が飛び出そうな痛みを分かち合いたくなります。

「どうせじゃあ、ゲロしちゃう?」
お酒を飲み過ぎた夜のように涙をにじませ
一つの便器で二人で吐いてみたい。
もちろん一つの便器で二人は^_^;未体験なんだけどね。
涙目が合った時、
思わず笑えそうな気がするんです。
心から大笑い出来そうな気がするんです。

やけっぱちになってしまう人も
一緒にヤケを起こしてあげたくなります。
「ちゃぶ台丸ごとなげちゃう?」
巨人の星の星飛雄馬のお父さんのように
意外と管理人もすっきりしそうな気がするのです。
それにお片づけは二人の方が楽チンだし(^_-)-☆

やらなきゃいけないものが出来ない人には
いっそ何も出来ないのだから
アソボ!!怠惰の進めをしたくなります。

皆それって、人のことでもあるんだけど
自分のことでもあるんですよね。
みんな持ってるんです。
針の穴くらい小さなものだとしても
トンネルの穴くらい大なものだとしても・・・
よく言う「大なり小なり」

別に人ははそんなでいいじゃん!!
って言いたくなります。

人に迷惑かけなきゃいいじゃん!
いや人に「大きな」迷惑かけなきゃいいじゃん!でした^_^;
少しくらいはオッケイと言って欲しいの。

『甘えさてちょうだぁ~い(#^.^#)』
ってハッキリ言ちゃおうよ!!!
人にも自分にも(^_-)-☆

甘えるって人を信頼するってことでもあるんです。
人も自分も信頼してもいいかも・・

大恥は管理人はよくかいてます。
直ぐ忘れるから
学びに繋がらない。
深い反省がないのという訳ではないのだけど・・
でもね。これでもそれなりに
一ミリづつ前進してます。
誰にも分からないけど

ちょっとづつ
それでいいんです。

比べる相手は昨日の自分ですし
だからと言って
昨日の自分もそんなに嫌いではないんです。
だから
変らないような小さな歩みでいいと思うのです。

人には108つの煩悩があるのだそうだから
皆持っている自分の嫌な部分
それが強く出ている人が
苦手な人
嫌いな人

苦手な人と話しましょう!!!
嫌いな人と話しましょう!!!

それはあなたの心の奥に閉じ込めている自分と思って

すると
ちょっと恥ずかしくなったり
ちょっと可愛くなったりするんです。

もし怒りが先に出るようであれば
許してあげましょう。
自分の中にあるそれ自体を・・・






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永遠の嘘をついてくれ

先日、中島みゆきさん騒動がありまして・・・
まあ書くほどのことではないのですが
いつもの管理人の大きな勘違いですので^_^;

そんなことから
管理人に「ふしぎちゃん」のあだ名を付けてくれた
友人の素敵な旦那様が
メールに『嬬恋ライブ』の映像を付けて送ってくれました。

映像を観て管理人はギャフン!!となりました。
彼は嬬恋の生ライブをみて感動したそうです。
吉田卓郎と中島みゆきのデュエットに鳥肌たてたそうです。

まさにその通り
管理人も思わず鳥肌
心をもってかれましたぁ~!!!
その後3回も聞いてしまいました。
また追加で四回になりました。

もうしばらくは頭から離れなそうです。

中島みゆきが作詞作曲して吉田拓郎に贈ったものだそうです。


「永遠の嘘をついてくれ」の歌詞です。

1.ニューヨークは粉雪の中らしい
 成田からの便はまだまにあうだろうか
 片っぱしから友達に借りまくれば
 けっして行けない場所でもないだろう
ニューヨークぐらい
  なのに永遠の嘘を聞きたくて  
 今日もまだこの街で酔っている
 
 永遠の嘘を聞きたくて 
 今はまだ二人とも旅の途中だと
 
 君よ永遠の嘘をついてくれ 
 いつまでもたねあかしをしないでくれ
 
 永遠の嘘をついてくれ 
 なにもかも愛ゆえのことだったと言ってくれ

2.この国を見限ってやるのは俺のほうだと
 追われながらほざいた友からの手紙には
 上海の裏街で病んでいると
 見知らぬ誰かの下手な代筆文字
 
なのに永遠の嘘をつきたくて 
 探しには来るなと結んでいる
 
 永遠の嘘をつきたくて 
 今はまだ僕たちは旅の途中だと
 
 君よ永遠の嘘をついてくれ 
 いつまでもたねあかしをしないでくれ
  
 永遠の嘘をついてくれ 
 一度は夢を見せてくれた君じゃないか

3.傷ついた獣たちは最後の力で牙をむく
 放っておいてくれと最後の力で嘘をつく
 嘘をつけ永遠のさよならのかわりに
 やりきれない事実のかわりに
 たとえくり返し何故と尋ねても振り払え風のようにあざやかに
 
 人はみな望む答だけを聞けるまで尋ね続けてしまうものだから
 
 君よ永遠の嘘をついてくれ 
 いつまでもたねあかしをしないでくれ
 
 永遠の嘘をついてくれ  
 出会わなければよかった人などないと笑ってくれ

 君よ永遠の嘘をついてくれ 
 いつまでもたねあかしをしないでくれ
  
 永遠の嘘をついてくれ  
 出会わなければよかった人などないと笑ってくれ


『君よ永遠の嘘をついてくれ 
 いつまでもたねあかしをしないでくれ』
 
 
管理人は3番の歌詞が特に好きです(#^.^#)
言葉を並べるより
やはりライブ映像を見ていただきたい!
その方がずう~っと感動しますよ!!
「2006年嬬恋ライブ」で探せると思います。


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偽善者

管理人は人から裏切られた事はありません。
・・と思ってます。
本当に騙されたことがない(^^)v
もしくは
そんなことがあっても気が付いていない性格
あとは・・・

人に全てを委ねているつもりでも
そうでなかったのかも知れません。

目をつむって
人に導いて歩かせてもらっても大丈夫!!!
なんて信頼を置いていると思っていても

実際は薄目を開けてみていた気がします。

それはとても自然にそうしていたのです。

信頼の意味がやっと分かってきました。

今までの管理人は
人を信じてるといいながら
真には信じていなかった気がします。

別に騙された痛い経験もなく
信じることに警戒心もないのに
なぜかといえば・・・

理由は・・・・
自分自身を信じられなかったのだと思います。

自分を信じられる人は
人も信じられる

自分を信じきれれば
人も信じきれるんです。

だから今はもう
目を閉じ
友人の言葉で歩くことも
怖くありません。

自分が信頼できる人と思ったら
自分を信じている強い思いが後押ししています。
信頼できる友人
その言葉はとても重いところにありました。

人を信じることが
自分を信じることに繋がることを
やっと知ってきました。

この歳になって
やっと深い信頼関係を築いてゆけます。

この歳になって
自分への偽善心を恐れず見ることが出来ます。

そうありたいと思って生きて行くうちに
それがいつしか形を伴わなくなり
どっかで自分は
「偽善者」ではないか?
なんて疑問がわき始める・・・

行為が自分の思いを上回る時
自分の中に矛盾が湧き出します。

きっといつも「いい人」でいたかったのです。
人にとっても
自分自身にとっても

「いい人」を自分自身に長い間刷り込むと
そういう人間だと勘違いします。

でも勘違いですから
時々
心の中の悪い自分・本音の自分と戦います。

でも戦う必要・理由なんてなかった。
それ自体がおかしなことでした。

まずは人ではなく
自分自身の本当の声に耳を傾け
理解して行くことでいいんです。

自分との歩み寄りにより
こころが開いてきます。

そうありたいことは
間違いでないし
そうできないことも
悪い事ではない

その中から真の信頼が生まれて来るのだと思います。

そして今更ながら思うのです。
友人はいいなぁ~って
目をつむって歩かされても
怖くない
そんな信頼を持てたことに
感謝しています。

もうアザの一つくらい
擦り傷の一つくらい
手招きした友人達に
「こら~!」って
笑い飛ばせる管理人が居るのだと思いました。



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雨ニモマケズ

昨日ちょうどテレビをつけたら
宮沢賢治の「雨にも負けず」が歌になっていた。

歌にすると、またすっと心に入るものです。
歌声と曲がとても美しかった。

昔は少々重いイメージだったのだけど
なんだか当たり前にすっと入った。

ちょっとぞぞぞってして
心がそのまま持っていかれた。
誰もが知ってるこの詩

この歳の管理人のこころにぐっと入り込む

原文の方が馴染みが深いが
あえて歌のように・・・


雨にも負けず
「雨ニモマケズ」

雨にも負けず

風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫なからだをもち

慾はなく

決して怒らず

いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と

味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを

自分を勘定に入れずに

よく見聞きし分かり

そして忘れず

野原の松の林の陰の

小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば

行って看病してやり

西に疲れた母あれば

行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば

行ってこわがらなくてもいいといい

北に喧嘩や訴訟があれば

つまらないからやめろといい

日照りの時は涙を流し

寒さの夏はおろおろ歩き

みんなにでくのぼーと呼ばれ

褒められもせず

苦にもされず

そういうものに

わたしは

なりたい



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思い出パズル

管理人は強く念じると
記憶を消すくせがあるらしい。

病気の一種かもしれない。
自分を守る為のものかもしれない。

でもその記憶の紐を少しだけ残してある。
時折それが気になるが
いつもそのままにしてしまう。

別に生活には支障がないからだ。

どうしてもその紐が気になってくる時がある。
引っ張りだす時期があるようだ。
それを受け止めるだけの心の準備が出来た時なのだと思う。

ずいぶん昔のことで
どんなに強く引っ張っても
なかなか肝心なとこまで到達しない。

深い穴の中から紐が少し見えて
それを引っ張るような作業だ。

思ったよりも深い
何処まで引っ張っても
紐は延々と続く

紐の先についているものは
なんだんだろう?

途中で息切れをして
手を離すとそのまま
するするとまた穴の中に紐が落ちてしまいそうで怖い

なので休む時も
途中までひっぱた紐を腕に巻きつける

パズルを合わせているようでもある。
発掘したパーツを合わせて行く
不思議な感覚になる。
この思い出の破片がピタリと合うまで
全部のピースを拾い集める作業から始める。
まさに
考古学・・・
発掘作業だぁ~

出してみると意外と風化もしていない。
使えそうなパーツがいっぱいだ。
大事に穴に埋めておいたお陰かもしれない。

これが今の管理人に役に立つものかどうかは分からない。
ただ先は長そうで・・・
気長に発掘作業を続けてゆきます。
考古学ですから^_^;
今の自分に昔の自分が教えたい伝えたい
学びの一つくらいはあることでしょう!



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