と言い切ってしまおう、もう。
それが、『崖の上のポニョ』。
今日、母とふたりで観てきました。
観る前は、“なんだかんだ、魚と人間の愛に感動して泣いちゃったりするんだろうなー”とか、“かわいいポニョの姿とあの歌が頭から離れなくなるんだろうなー”とか思っていたのですが…実際観た後私たちの頭の中には、無数の?マークが、ポニョの妹たちのごとく泳ぎ回ることになったのでした。
ここ最近観た映画の中で、いちばんマッドでシュールでアバンギャルドな作品であり、宮崎駿が繰り出してくる放置プレイの数々に、もうクラクラ。
そういえば、このあいだ撮影で会ったモデルちゃんがポニョを観たというので、「どうだった?」と聞いたところ、「…。半魚人になったポニョが…キモかった…」と一言だけつぶやいていた。今は、彼女の気持ちがとてもよくわかる。
もう、何も言えなくなってしまうのだ。ひとつひとつの場面も、人物設定も最終的にどこにもつながっていかない。説明のないことがあまりにも多すぎる。カタルシスなんて言葉は存在しない。
途中まで、ちょっと深読みしようとしながら観ていたんですが、それもバカらしくなってくる。
私たちは、ただ、脳みそをからっぽにして、駿氏のフェチズムの海を泳いでいくしかない。
不気味な海洋生物が蠢き、赤毛の幼児が無邪気に笑う海を。
短いスカートから白いかぼちゃパンツを眩しくのぞかせキャッキャと笑う少女、彼女への愛を、こんな壮大な規模でうたってしまった宮崎氏。やっぱりタダ者じゃなかった。
『千と千尋の神隠し』の、あからさまに“春を売る少女”な設定にもびっくりしましたが、今回の突き抜けっぷりにもまたびっくり。
ある意味気持ちがいい。そして、観客放置な趣味全開作品をこんな大規模で公開できてしまうこと、正直うらやましい。
この夏、彼のフェチズムが日本中に混乱をもたらすのではないだろうか。
あ、ちなみに、海洋生物好きの私たち母娘は、もちろん、クラゲとかフナムシとか奇妙な生物が跋扈する古代チックな海描写も、十分に堪能いたしました。
それが、『崖の上のポニョ』。
今日、母とふたりで観てきました。
観る前は、“なんだかんだ、魚と人間の愛に感動して泣いちゃったりするんだろうなー”とか、“かわいいポニョの姿とあの歌が頭から離れなくなるんだろうなー”とか思っていたのですが…実際観た後私たちの頭の中には、無数の?マークが、ポニョの妹たちのごとく泳ぎ回ることになったのでした。
ここ最近観た映画の中で、いちばんマッドでシュールでアバンギャルドな作品であり、宮崎駿が繰り出してくる放置プレイの数々に、もうクラクラ。
そういえば、このあいだ撮影で会ったモデルちゃんがポニョを観たというので、「どうだった?」と聞いたところ、「…。半魚人になったポニョが…キモかった…」と一言だけつぶやいていた。今は、彼女の気持ちがとてもよくわかる。
もう、何も言えなくなってしまうのだ。ひとつひとつの場面も、人物設定も最終的にどこにもつながっていかない。説明のないことがあまりにも多すぎる。カタルシスなんて言葉は存在しない。
途中まで、ちょっと深読みしようとしながら観ていたんですが、それもバカらしくなってくる。
私たちは、ただ、脳みそをからっぽにして、駿氏のフェチズムの海を泳いでいくしかない。
不気味な海洋生物が蠢き、赤毛の幼児が無邪気に笑う海を。
短いスカートから白いかぼちゃパンツを眩しくのぞかせキャッキャと笑う少女、彼女への愛を、こんな壮大な規模でうたってしまった宮崎氏。やっぱりタダ者じゃなかった。
『千と千尋の神隠し』の、あからさまに“春を売る少女”な設定にもびっくりしましたが、今回の突き抜けっぷりにもまたびっくり。
ある意味気持ちがいい。そして、観客放置な趣味全開作品をこんな大規模で公開できてしまうこと、正直うらやましい。
この夏、彼のフェチズムが日本中に混乱をもたらすのではないだろうか。
あ、ちなみに、海洋生物好きの私たち母娘は、もちろん、クラゲとかフナムシとか奇妙な生物が跋扈する古代チックな海描写も、十分に堪能いたしました。