何を書いたらいいのかわからず、ご無沙汰してしまいましたが、元気にやっております。
地震が起きたときは、銀座のオフィスにいました。
帰ろうかどうしようか悩んだ挙句、夕方6時に会社を出て、3時間半歩いて帰宅。
家も、物が散乱してお皿が何枚か割れたりしていたけれど、無事でした。
両親や親戚も無事です。
前の記事まで「ゾンビゾンビ」言っていたのに、まさか、その数日後、ゾンビ映画で描かれるような光景が、この日本に広がることになるとは…思ってもみませんでした。
先週は、結局毎日出社し、早めに帰るようにしてましたが、普通に仕事をしていました。
といっても、自宅待機となっている会社も多く、予定していたアポが飛びまくって空き時間もあったので、その間に会社の近場でできる備えをあれこれと。
予備の眼鏡作ったり、薬をもらいにいったり、家具転倒防止の金具を買いに行ったり。
電気のことや電車のこと、普段より不自由なことはありますが、被災地の方々のおかれている状況に比べれば、全然たいしたことない。
いままで気付かなかったこと、考えも及ばなかったことに、おびえたり、落ち込んだり、心配したり、泣きたくなったり、開き直ったり、逆に期待したり、少しわくわくすることもあったり…そんな毎日を過ごしています。
「風が吹けば桶屋がもうかる」じゃないですけど、ひとつの出来事がどんどん他のことに影響を及ぼし、枝分かれして、さらに影響が広がっていくという、その波及力、誘発力に、いまさらながら驚いています。
原発や放射能のことはもちろん、自分の日常への影響のことも。
いままで、自分がどれだけ目先のことしか考えていなかったのか、気づかされる。
さらに、ネットやテレビで、デマも混ざった大量の情報が垂れ流される現在、何を信じるのか、そして、その自分が信じたことに対してどう&どこまでレスポンスしていくのか、その力が試される時なのだと感じています。
女性誌の編集という、被災地の直接的な支援には遠い仕事をしているため、「この作業は、果たしていま必要なことなんだろうか…」と少し考えてしまったりもしましたが、やっぱり、タレントさんインタビューも、新色コスメ情報も、恋愛のアドバイスも、お料理のレシピも、これからの占いも、日々楽しく過ごすために必要なものだと思っています。
いまは「無駄」「余分」な部分と思う人もいるかもしれないけど、世の中、「余分」な部分がなければ楽しくない。
いま「不謹慎」と言われているものだって、人に元気を与えるかもしれない。過度の不謹慎意識は危険。
一日も早く、日本人全員が、また「余分」を楽しめる心を取り戻せる日が訪れることを、祈っています。
地震が起きたときは、銀座のオフィスにいました。
帰ろうかどうしようか悩んだ挙句、夕方6時に会社を出て、3時間半歩いて帰宅。
家も、物が散乱してお皿が何枚か割れたりしていたけれど、無事でした。
両親や親戚も無事です。
前の記事まで「ゾンビゾンビ」言っていたのに、まさか、その数日後、ゾンビ映画で描かれるような光景が、この日本に広がることになるとは…思ってもみませんでした。
先週は、結局毎日出社し、早めに帰るようにしてましたが、普通に仕事をしていました。
といっても、自宅待機となっている会社も多く、予定していたアポが飛びまくって空き時間もあったので、その間に会社の近場でできる備えをあれこれと。
予備の眼鏡作ったり、薬をもらいにいったり、家具転倒防止の金具を買いに行ったり。
電気のことや電車のこと、普段より不自由なことはありますが、被災地の方々のおかれている状況に比べれば、全然たいしたことない。
いままで気付かなかったこと、考えも及ばなかったことに、おびえたり、落ち込んだり、心配したり、泣きたくなったり、開き直ったり、逆に期待したり、少しわくわくすることもあったり…そんな毎日を過ごしています。
「風が吹けば桶屋がもうかる」じゃないですけど、ひとつの出来事がどんどん他のことに影響を及ぼし、枝分かれして、さらに影響が広がっていくという、その波及力、誘発力に、いまさらながら驚いています。
原発や放射能のことはもちろん、自分の日常への影響のことも。
いままで、自分がどれだけ目先のことしか考えていなかったのか、気づかされる。
さらに、ネットやテレビで、デマも混ざった大量の情報が垂れ流される現在、何を信じるのか、そして、その自分が信じたことに対してどう&どこまでレスポンスしていくのか、その力が試される時なのだと感じています。
女性誌の編集という、被災地の直接的な支援には遠い仕事をしているため、「この作業は、果たしていま必要なことなんだろうか…」と少し考えてしまったりもしましたが、やっぱり、タレントさんインタビューも、新色コスメ情報も、恋愛のアドバイスも、お料理のレシピも、これからの占いも、日々楽しく過ごすために必要なものだと思っています。
いまは「無駄」「余分」な部分と思う人もいるかもしれないけど、世の中、「余分」な部分がなければ楽しくない。
いま「不謹慎」と言われているものだって、人に元気を与えるかもしれない。過度の不謹慎意識は危険。
一日も早く、日本人全員が、また「余分」を楽しめる心を取り戻せる日が訪れることを、祈っています。