ブックエンド

永年、埃を被った重石の山を整頓と日々意気込。
図書目録作成奮闘日記の目論見。

鎌倉訪問Ⅱ…北鎌倉の禅寺を歩く

2008年04月16日 | 紀行
建長寺から円覚寺へ
鶴岡八幡宮 1180年に源頼朝が現在地に移設。鎌倉の町作りの中心地として整備。源氏の氏神。3代将軍実朝が北条氏により暗殺された「隠れ銀杏」。甥の公暁は哀れというべきか。


鎌倉五山第1位「建長寺」北条時頼により創建。北陸に多い曹洞宗の禅寺とは伽藍の配置も異なった臨済宗の禅寺。 


円覚寺に向かう街道沿いに 煎餅を割り味をさらにしみ込ませる「割餅」の店がある。富山では濃い醤油味のかき餅が少なくなってきているので、癖になりそうな味。雷神堂。




歩き草臥れてふと見ると店の軒先に利口そうな猫が2匹。「猫の箱」という小さな動物画のギャラリー。つい引き込まれて見学する。”用がないのなら呼ばないで下さい”など5点のポストカードを買わせていただいた。北鎌倉駅 江ノ電の風景画にチョコンとおさまっている猫がかわいい。…BLOG HPもあるのでぜひ閲覧されては。



円覚寺。北条時宗により創建。臨済宗の禅寺。仏日庵は北条時宗の廟所。


若宮大通りで昼食、小町通りにお土産げを買い求め、江ノ電に乗り満福寺に向かう。義経の腰越状で知られた寺。


もう幾許か健康であれば、斬通や古戦場跡、金沢文庫など見学したかったのですが今回はこの辺で鎌倉の旅を終えます。
富山は、北条家一門の名越氏が守護であった土地で放生津館での一族自害は太平記にも記載されている。機会があれば、もう一度、訪れたい地である。
太平記巻第十一 越中守護自害事付怨霊事
越中の守護名越遠江守時有・舎弟修理亮有公・甥の兵庫助貞持三人は、出羽・越後の宮方北陸道を経て京都へ責上べしと聞へしかば、道にて是を支んとて、越中の二塚と云所に陣を取て、近国の勢共をぞ相催しける。…


翌日。箱根畑宿を通り旧東海道石畳、箱根関所跡、旧東海道杉並木を通り帰富する。40数年前も確かあったと思うのですが、海賊船今回も乗り損ねた。芦ノ湖スカイライン・箱根スカイラインを走り御殿場ICより大月JAに抜ける。スカイラインを通るのは危険。料金所では「いつも霧なんです」だって。霧で4~5m先しか見えないので全区間徐行、2時間帰宅が遅れる。通行は快晴で稜線がハッキリ見える時だけがよい。こんな重要ことはガイドブックにしっかり書いておいて欲しい。
旧東海道石畳を歩く。

箱根関所跡見張り台より。

旧東海道杉並木。


安房トンネルから松本まで何とかして欲しい。大型トラックも頻繁に通って怖い幹線道路なのだ。道路建設の優先順位づけが狂っているのでは、こんなことでは道路特定財源は永遠に終了しないよね。

MicrosoftのIMEFEPはどうなっているのだろうか。臨済宗は変換するが、曹洞宗は返還しない。ATOKならそんなことは無い。万事がこうなのだ。ビルゲイツさんは日本文化への愛着がない。新明解を丸映ししたっていいじゃないか。辞書は文化の基本ゲージです。経営資源をもっと辞書に「もっと明かりを…」。
コメント (1)
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