>人口減少や少子高齢化の下で経済成長を続けるため、
>自民党の1億総活躍推進本部(本部長・川崎二郎元
>厚生労働相)がまとめた提言の概要が判明した。
>労働力確保が課題となる民間企業への波及効果を狙い、
>公務員の定年延長を盛り込んだ。
>政府が6月頃に決定する「経済財政運営と改革の基本方針」
>(骨太の方針)などに反映させたい考えだ。
> 提言は、政府が昨年決定した「ニッポン1億総活躍プラン」
>の具体化を政府に求めるもので、大型連休明けに決定する。
>現在、公務員の定年は60歳。定年後の再任用制度はあるものの、
>短時間で軽易な業務が多い。
>提言では、年金の受給開始年齢が65歳に引き上げられる2025
>年度までに、定年を65歳に延ばすことを求める。
>民間企業に同様の取り組みを促し、労働力の減少を高齢者の活躍で
>補う狙いがある。
公務員の定年延長は年金支給を少しでも遅らせ、民間企業も公務員準拠で同様に定年延長してもらおうと狙った政策である。まあ、そんなことは誰でもわかっていることだろう。
昔は公務員も定年55歳だったと聞く。今は学生が就職する年齢が上がり高学歴者が増えたので定年が60になり65歳に延長したいというのも理屈に適っているように見える。しかし、私もそうだがバリバリ働く年齢には個人差もあるがはやり限度がある。私も精神的衰弱も激しく身体の節々が痛むようになり、できれば早めに引退したいと思う。もう老眼になり、朝に自分の白い髭に気づくようになった。記憶力も減退が酷い。実は研究所時代から記憶力が落ちてきているのに気がついていた。
だから定年延長は正直勘弁してほしい。
公務員も民間準拠で賃金を抑制、そして定年延長と色々と言われて実行してきているが、確かに民間企業と比較して温いところはあるが規律がしっかりしている。その温さや規律保持の姿勢純粋に金儲けするか予算を使うかの違いから来ているのだろう。
もう何の力量も取り柄もなくなったが、理系の私にはあまり関係の無い話だ。
私の場合、民間だろうが公務員だろうが、仕事内容に見かけはそうでも無いが、そんなに変容は無い。
そして、私と同様の資格・業務をする若い世代は公務員になりたがらない。だから採用試験も無く随時募集をかけている。(※注意:2017.8.20訂正 私の居住地域では、今は記述・面接はしていると聞いた。応募が少ないなら無試験にすれば良いのに阿呆かいな)年齢制限はあるが公務員になりたかったらすぐなれる。採用するために学校訪問しているとも聞く。待遇悪いから応募しないのにね。アホかいな。
私より高学歴で誠に優秀な人達は、進路にこだわりすぎたか運が悪かったのか知らないが、不遇な待遇に堕ちていった人も多いと聞く。私は以前にも投稿したが、不本意な途を行かねばならず、半ば自暴自棄・虚無的になり学ぶ気力も失ったが、それでも基本的知識だけは身につけてなんとかここまでやってきた。
いや、ほんと、公務員は安定だけが取り柄でどうして人気があるのか理解できない。文系なら良い思いできるのだろうか。確かにそういう話は聞くが、全員そういう美味しい目に合える訳でない。我々にとっては「どこで働くか」の違いしか無い。公務と民間を行ったり来たりする人もいる。
話は脱線したが官民どちらも定年延長はやめてくれ。潔く後進に道を譲りたいし私はもう疲れているんだ。
私の年齢ではそろそろこの世を去ることも念頭に入れておかねばならぬ。どうせ死ぬなら労働しながらではなく、退職してつまらぬ業務の日程や計画とは無縁となり自由な時間を過ごし、多々昔を振り返りながらにしたいのだ。
年金をちゃんと寄越せよ。詐欺同然の年金機構め。
(以下、追記 2017/05/06)
日本の公務員待遇が民間に比して良すぎると思われるような状況になるのは(勿論、全く良くない面もありますが)、日本の「大日本帝国病」の水戸黄門待望症が強すぎるからである。近年は公務員の不祥事も報道され批判・怨嗟も甚だしく多いのですが、それでも行政、公権力依存は治まる気配は無い。福祉や犯罪抑止等のどうしても公権力が必須なもの以外でも公権力を頼りにしすぎている。
最たる例は「言論の自由弾圧」で、お互いに言いたいことを言えば良いのに「あんな発言はヘイトクライムだ。法的に罰せよ。」と主張する輩である。それについては別の機会に述べるが、それだけでなく町の自治会内で解決すべき問題も何かとあれば行政を頼って公権力でなんとかしろと言うのである。明らかに法律に抵触する、罰則が規定されているならまだしも本来は当人同士で解決を、それが無理なら裁判所で和解等解決しなくてはならないものまで行政を頼るのである。これでは行政職員が何人居ても足らぬ。近年は市町村役場でも窓口・軽微な業務は外部委託・非常勤職員業務にしているのに、とにかく「公権力を媒介しなくては何もできない」人達が多いのである。
欧米資本主義諸国が理解するに難儀する日本の官庁の「行政指導」「認可」を通じての企業コントロールはこれら思想を反映したものである。
>自民党の1億総活躍推進本部(本部長・川崎二郎元
>厚生労働相)がまとめた提言の概要が判明した。
>労働力確保が課題となる民間企業への波及効果を狙い、
>公務員の定年延長を盛り込んだ。
>政府が6月頃に決定する「経済財政運営と改革の基本方針」
>(骨太の方針)などに反映させたい考えだ。
> 提言は、政府が昨年決定した「ニッポン1億総活躍プラン」
>の具体化を政府に求めるもので、大型連休明けに決定する。
>現在、公務員の定年は60歳。定年後の再任用制度はあるものの、
>短時間で軽易な業務が多い。
>提言では、年金の受給開始年齢が65歳に引き上げられる2025
>年度までに、定年を65歳に延ばすことを求める。
>民間企業に同様の取り組みを促し、労働力の減少を高齢者の活躍で
>補う狙いがある。
公務員の定年延長は年金支給を少しでも遅らせ、民間企業も公務員準拠で同様に定年延長してもらおうと狙った政策である。まあ、そんなことは誰でもわかっていることだろう。
昔は公務員も定年55歳だったと聞く。今は学生が就職する年齢が上がり高学歴者が増えたので定年が60になり65歳に延長したいというのも理屈に適っているように見える。しかし、私もそうだがバリバリ働く年齢には個人差もあるがはやり限度がある。私も精神的衰弱も激しく身体の節々が痛むようになり、できれば早めに引退したいと思う。もう老眼になり、朝に自分の白い髭に気づくようになった。記憶力も減退が酷い。実は研究所時代から記憶力が落ちてきているのに気がついていた。
だから定年延長は正直勘弁してほしい。
公務員も民間準拠で賃金を抑制、そして定年延長と色々と言われて実行してきているが、確かに民間企業と比較して温いところはあるが規律がしっかりしている。その温さや規律保持の姿勢純粋に金儲けするか予算を使うかの違いから来ているのだろう。
もう何の力量も取り柄もなくなったが、理系の私にはあまり関係の無い話だ。
私の場合、民間だろうが公務員だろうが、仕事内容に見かけはそうでも無いが、そんなに変容は無い。
そして、私と同様の資格・業務をする若い世代は公務員になりたがらない。だから採用試験も無く随時募集をかけている。(※注意:2017.8.20訂正 私の居住地域では、今は記述・面接はしていると聞いた。応募が少ないなら無試験にすれば良いのに阿呆かいな)年齢制限はあるが公務員になりたかったらすぐなれる。採用するために学校訪問しているとも聞く。待遇悪いから応募しないのにね。アホかいな。
私より高学歴で誠に優秀な人達は、進路にこだわりすぎたか運が悪かったのか知らないが、不遇な待遇に堕ちていった人も多いと聞く。私は以前にも投稿したが、不本意な途を行かねばならず、半ば自暴自棄・虚無的になり学ぶ気力も失ったが、それでも基本的知識だけは身につけてなんとかここまでやってきた。
いや、ほんと、公務員は安定だけが取り柄でどうして人気があるのか理解できない。文系なら良い思いできるのだろうか。確かにそういう話は聞くが、全員そういう美味しい目に合える訳でない。我々にとっては「どこで働くか」の違いしか無い。公務と民間を行ったり来たりする人もいる。
話は脱線したが官民どちらも定年延長はやめてくれ。潔く後進に道を譲りたいし私はもう疲れているんだ。
私の年齢ではそろそろこの世を去ることも念頭に入れておかねばならぬ。どうせ死ぬなら労働しながらではなく、退職してつまらぬ業務の日程や計画とは無縁となり自由な時間を過ごし、多々昔を振り返りながらにしたいのだ。
年金をちゃんと寄越せよ。詐欺同然の年金機構め。
(以下、追記 2017/05/06)
日本の公務員待遇が民間に比して良すぎると思われるような状況になるのは(勿論、全く良くない面もありますが)、日本の「大日本帝国病」の水戸黄門待望症が強すぎるからである。近年は公務員の不祥事も報道され批判・怨嗟も甚だしく多いのですが、それでも行政、公権力依存は治まる気配は無い。福祉や犯罪抑止等のどうしても公権力が必須なもの以外でも公権力を頼りにしすぎている。
最たる例は「言論の自由弾圧」で、お互いに言いたいことを言えば良いのに「あんな発言はヘイトクライムだ。法的に罰せよ。」と主張する輩である。それについては別の機会に述べるが、それだけでなく町の自治会内で解決すべき問題も何かとあれば行政を頼って公権力でなんとかしろと言うのである。明らかに法律に抵触する、罰則が規定されているならまだしも本来は当人同士で解決を、それが無理なら裁判所で和解等解決しなくてはならないものまで行政を頼るのである。これでは行政職員が何人居ても足らぬ。近年は市町村役場でも窓口・軽微な業務は外部委託・非常勤職員業務にしているのに、とにかく「公権力を媒介しなくては何もできない」人達が多いのである。
欧米資本主義諸国が理解するに難儀する日本の官庁の「行政指導」「認可」を通じての企業コントロールはこれら思想を反映したものである。