ぶらいやWATTY 探求の泉

人生も残り少なくなってきたので、単なる近況報告となります。

「わかりつつ助けられるか」について

2012年07月14日 15時39分34秒 | 社会問題
休暇に入ったので、ようやく久々に書き込みできる。
表題に関しては「やめておけ。」と言うしかない。
たとえいくばくかの犠牲を伴うことになったにしても。

有名な掲示板に、実に詳細にその理由を解説した文章があったので転記します。
別に○○と伏せる必要もないけどさ(笑)。


>○○人の情緒の最も根本的な概念に、「恨(ハン)」なるものが存在します。
>この「恨」とは、日本で言う「恨み」とは違う概念のようです。
>それではこの「恨」とは、一体何でしょうか?

>「恨」とは、「○○民族の被害者としての歴史と、民族の苦難に対する嘆き
>及び自己憐憫による陶酔感を、時空を超えて民族間で共有する事によって醸
>成される、粘着質の情緒」の事です。
>この「恨」を共有する○○人にとって、自分の痛みと他人の痛みは同一であり、
>また現在の自分の痛みと過去の先人達の痛みは同一なのです。

>ただしこの「恨」はあくまで「被害者としての歴史」を前提として成り立つ
>ものであるため、○○人の加害者としての歴史は完全に無かった事になっています。
>また、彼らは自分達の加害者面に触れられると大抵激昂しますが、これがいわゆる
>「火病」状態です(笑)。

>「恨」は時間とともに蓄積していくものであり、隙あれば解消される事が期待され
>ますが、その解消の方法とはつまり「復讐」です。
>また、「恨」は○○民族の被害者面だけを蓄積するため、彼らの民族的記憶に「恩」
>が残る事はありません。そのため、もし宗主国が弱体化するような事があれば、○○
>人は旧宗主国の人間に対して残虐非道の限りを尽くし、「恨」の解消に努める事になります。

>そして日本にとって非常に不幸な事に、分離不安が非常に強い彼らには「嫌いなもの
>からは遠ざかるべき」という考えが全く理解できません。
>○○人は、嫌いなものにでも躊躇無くすり寄ってきたり、もしくは徹底的に粘着して
>その価値を貶める事に全力を尽くしますが、そこに違和感を感じる事は一切ありません。
>「嫌いな相手には執着して不幸を願い、『恨』の解消の機会を伺う」これが○○人の
>基本的なメンタリティです。
>そのため、執着を嫌う傾向の強い日本人から見れば実に異様に見える行動も、彼らに
>とっては普通の事なのです。

>また、○○人は「情」を非常に重要視する民族だと言われますが、これは彼らが自他を
>区別できない、もしくは区別されることを嫌うという特質によるものです。
>このような○○人の強い「情」の様子から、彼らがあたかも他人の痛みが良く理解できるよう
>に見える場合があります。しかし、彼らは決して他人の考えや立場を理解して「情」を発揮し
>ているのではなく、単に感情的に相手と同一化しているだけに過ぎません。

だから、完全に○○と絶縁し、更にそのことを明言し、かつ長期において行動においても決意に矛盾ないことを絶えず証明・注視される人で無ければ、助けてはなりません。
例え日本人であっても、同様です。

これに『ウリ・ナム文化』を考慮すると更にややこしいことになりますが、上記の分析のほうが説得力があると思われます。多少、解説文を訂正する必要があるでしょうが。。
『ウリ・ナム文化』は日本にも当てはまることだしね。
私の言ってきた「徹底内輪主義」「ド・カルト」。。。
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