ぶらいやWATTY 探求の泉

人生も残り少なくなってきたので、単なる近況報告となります。

斎藤元彦氏の言動は格好の教育材料でもある

2024年09月10日 00時13分36秒 | 日常生活
このことについては、おいおい語る。

(9/10早朝 追記)
① 兵庫・斎藤知事に辞職要求も…「県議が高圧的・威圧的な態度で尋問」維新・藤田幹事長が他党に反発
ニュースの見出しであるが、詳細な内容についてはそのニュース自体を検索してみてほしい。
私が注目するのは「県議が高圧的・威圧的な態度で尋問」という、まさに"リンチ"にみえるかのごとく、藤田氏が話していることである。
百条委員会の模様を撮った録画をダイジェストでも良いから見てほしいが、斎藤知事の証言・釈明が質問にまともに答えていない、知事の常識が世間一般の常識・道徳的観念とかけ離れている。
"おねだり"に関しても、部下は地方公務員が法令等を遵守して物品を受け取らないのに、知事はあろうことか、部下の分まで持ち帰りひとりじめしているのである。そして、その理由も秘書課の者達にだけ分け与えるのはその他部局に居る職員と比して不公平、だから自分で全部持ち帰るというのである。
これだけでもうおかしいのである。
なぜリンチにみえる、または実際にリンチに移行してしまうか、というと、あまりに対象となる者が"異質"で会話・規範やルール順守するようその者を矯正できないからである。

多様性の時代、異文化交流と軽々しく語って、「俺は最先端」「なんて俺は素晴らしい」と流行に乗って自己陶酔でうっとりしている馬鹿者達が散見されるが、それもある程度、"常識""道徳心""ルールに従う"者なら、対話で互いの考え方を確認して共生することも可能だろう。だが、日本は悪魔だと心から信じて日本の法令を守らない奴、無法クルド人みたく本国においても鼻つまみ者で日本においても犯罪をためらうことなく犯す者、そして、同じ日本人なのにいくら「これは違法」「これは職務にあるまじき行為」「道義的責任をもつべきじゃないのか」と詰められても、頑として自分だけの理を語る者とは、そもそも会話が成立しない。意思疎通すら不能。するとどうするか。強制的排除や"リンチ"にするしかあるまい。
(9/10夜 追加)
斎藤知事に兵庫県議全員86人が「辞職要求」へ 全会派に無所属4人も 知事は改めて辞職否定「来年度予算の議論含めてしっかりやっていきたい」 
もはや馬耳東風、別世界の住人かと思うくらいに、百条委員会には別人格が臨み、知事の業務に邁進している印象だ。まるで議員や市民からの糾弾・非難のほうが"幻"であるがごとく。

②「神風特攻」は実に有効な手段である
アメリカ元大統領・トランプ暗殺未遂犯は狙撃時には既に対抗スナイパーにロックオンされ殺害された。生還することすらほぼ不可能。ならば、どうせ死ぬなら、最初から命を要らぬものとしてとてつもない権力者達に挑むべきである。他殺説もあるが、セクシー田中さん事件においては、それですら、日本テレビの不法行為や、まさしく"道義的責任"を追及し断罪することは不可能であった。
今回の兵庫県知事告発問題において、片山副知事は告発者からのメールの中に「クーデター」「革命」という文言があったと証言している。
日本では、いまだに神風特攻が有効であるのは、公平・公正な審判の場が存在しないから、そして、人権、特に生命を大事にしようとする意思が国家にないからである。このことは以前の投稿でも一文一文字違わずに書いたことである。ちなみに「革命」=「Revolution」と言われているが、中国の革命は政体は変わらず皇帝・トップが変わることを指し、本来のRevolutionは政体が変わることを指す。この証言が真実なら何を目指していたのか、と少しだけ疑問に思う。詳細についてはまたぼちぼちと付け足す。まず知っておくべきことは「公益通報制度」及び「公益通報者保護法」は現時点ではそれほど信頼に足る制度ではなく、むしろ「罠」として機能していることが多いことである。
「内部告発」したけど、ひどい目にあった、散々な目にあった事例は枚挙に暇なしというくらい見つかるので、ネット検索して探してみてほしい。外部通報先の選定も、告白対象者達の「同盟」たる顧問弁護士になっていたりする。
そのような運用に関して、消費者庁は法的指導でなく注意喚起程度しかしていない。つまり実際に機能するか疑わしい形骸化制度でもある。役所がどうしても動かなきゃいけないほどの証拠固めと多方面的への公開通報、暴露がどうしても安全である。
                                                                                                   
斎藤元彦兵庫県知事が11日、会見中に突然涙を流し「自分自身に対して悔しい」「色んな間違いもあったかと思う」などと述べ、「県民の皆さんのためにやっていきたい」と続投意思を示した。
これもニュースの見出しだが、このインタビューをYouTubeにて視聴したところ、自分に不都合・見たくないものには一切触れず、自分への応援・支援だけが視界にあるという、非常に羨むべき世界に住んでいるように思える。
随分昔から、やたらと「人のため」「国民のため」「住民のため」と唱える奴らは信用ならぬ、と一貫して私は言っている。
だが、このような思想は、かつての「天皇教」にもあったのである。
欺瞞、虚偽、みせかけの場合もあるが、実際に心底そう思いながら、職員を叱責し、お土産を独り占めし、肝心の県民に無理強いして、着付け室を特別に設置させたり、自分の我儘に言うこと聞かない県民に舌うちしたりするのである
宝塚問題だと「伝統のため」「後輩のため」、ヘアアイロンを顔に押し付けたりするのである。

個人的欲望が、醜い性根が、こともあろうに、神や公共のための行動に流入するのである。下手すると迷信や不可思議な習慣も流入するのである。
信仰の純化、深化、研磨が無いからである。キリスト教宗教革命(実は聖書回帰運動)のように「それは神の御心に"本当に"沿っているのか」というような正当性・本当の気持ちを探る、ある意味"厳しい"内面的探索がなされていないからである。ちなみにこの深化は仏教でも可能というか、仏教のほうが必須でもある。無意識の更に下まで下りて我執を突き止め、煩悩を消すためである。自分が善行をしているつもりでも深く自省すると究極的には「自分のためにしている」と気づくはずである。そして、そのキリスト教もカトリックは勿論、プロテスタントも自分の性欲を満たさんと「神の御心」に沿うためと男女問わず教会内で性虐待している"性"教師が居るのである。誠に人間というものはどうしようもない。

はっきりと言わせてもらうと、自分が知事で居たいという我執が強すぎて、それがすべて利他のためという欺瞞となっているのに、心底そう思い込んで妄想域に入り込んでしまっているのである。自分の願望は全て叶えられるべきと。
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