先日須賀川の牡丹園に行ってきました。
なんと入場料は 0円。 それもそのはず、大半の花は散ったあとでした。
さて、残り物に福があるかしらん。
どうです綺麗でしょう。
まだこんなかわいらしい残り物が。
なかなかいいでしょう。
こちらはシャクヤクかしら。
まんまる蕾に訪問者。
ヒルガオもきれいでした。
牡丹園の奥には薔薇の一角がありました。
牡丹には遅く、薔薇には早すぎたような、これって損?得?
先日須賀川の牡丹園に行ってきました。
なんと入場料は 0円。 それもそのはず、大半の花は散ったあとでした。
さて、残り物に福があるかしらん。
どうです綺麗でしょう。
まだこんなかわいらしい残り物が。
なかなかいいでしょう。
こちらはシャクヤクかしら。
まんまる蕾に訪問者。
ヒルガオもきれいでした。
牡丹園の奥には薔薇の一角がありました。
牡丹には遅く、薔薇には早すぎたような、これって損?得?
「美味しんぼ」の鼻血の話題です。 前にもこのブログでとりあげました。
「風評被害を助長する」とか「科学的根拠もなく不安をあおる」などとして福島県や双葉町、政府が批判をくりひろげましたが、実はこの問題、野党だった自民党議員が当時の民主党政府を追及していました。 被曝した子供のまわりではやはり鼻血を流す子も少なからず存在して、若いお母さんや小学校の方々が大変不安に思っていた現実がありました。
参議院第180回国会予算委員会 第8号 平成24年3月14日
○熊谷大君 大きな不安はないというふうにおっしゃっていますが、ほかの県南の地区も、これ、保健便り、ちょっと持ってきました。ある小学校の、県南の小学校の保健便りです。
四月から七月二十二日現在の保健室利用状況では、内科的症状で延べ人数四百六十九名。内科的症状では、頭痛、腹痛、鼻出血、これ鼻血ですね、順に多くということ、これ結果で出ているんですね。これ、県南でもやっぱりこういう症状が出ると心配になるんですよ。それにどういうふうに、本当に不安はないと言えますか。
参議院第180回国会 文教科学委員会 第3号 平成24年3月22日
○熊谷大君 そういった状況で、官房長官は、人体に影響がないということを繰り返し発表をしておりました。
この前、予算委員会でも紹介させていただきました保健便り、ある県南の、宮城県の南部の学校、小学校が出した保健便りの一節ですね。ちょっとまた読ませていただきます。保健室の利用状況についてでございます。
四月から七月二十日現在の保健室利用状況では、内科的症状で延べ人数四百六十九名が利用しました。内科的症状では、頭痛、腹痛、鼻出血の順に多く、鼻出血というのはこれ鼻血のことですね、外科症状では擦り傷、打撲、虫刺されが順に多かったということで書いてありますが、平野大臣、この事実もう一度、どのようにお考えになりますでしょうか。
参議院第180回国会 憲法審査会 第4号 平成24年4月25日
○山谷えり子君 最後になりました、自由民主党、山谷えり子でございます。
長い時間、参考人の皆様、ありがとうございました。
井戸川町長が雑誌のインタビューでこんなことを言っていらっしゃいます。私は、野田首相に双葉郡民は国民だと思っていますかと聞いたけど、国は、アメリカにSPEEDIのデータを先に知らせて、国民にはSPEEDIのデータを提供していなかった。今もって双葉町はSPEEDIのデータは来ていません。あの情報が入っていたら仙台方面に逃げていますよと。あるいは、ベントの連絡もなかったと。それから、国、東電は、止める、冷やす、閉じ込めると言い張って絶対に安全だと言ってきた結果がこれで、我々は住むところも追われてしまった。放射能のために学校も病院も職場も全て奪われて崩壊しているのです。私は脱毛していますし、毎日鼻血が出ています。この前、東京のある病院に被曝しているので血液検査をしてもらえますかとお願いしたら、いや、調べられないと断られましたよ。我々は被曝までさせられているが、その対策もないし、明確な検査もないという。本当に重い発言だと思います。
福島県民の健診も十分に納得のいく検査メニューではないということなども含めまして、本当に今問題提起されました憲法第十三条の幸福追求権と憲法第二十五条の生存権というこの条文が、もう全く違う角度で私は読み直さなければならないんじゃないか、精査し直さなければならないんではないかというふうに思います。
フランスの原発関係のジャーナリストに聞きましたら、こんなに情報公開がなくて、しかもいろいろな、沃素剤一つ取っても国、県の指示があって初めて服用できるというような、非常に不十分なままほったらかされていたと、この十三条と二十五条、幸福追求権と生存権が妨げられているのではないか。これに対して、井戸川参考人、ちょっと改めてコメントをお願いしたいと思います。
また、大石参考人には、そうした問題提起を受けて、例えば生存権の二十五条、具体的には、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」、これもう学校でいつも習う条文ですよね。この条文が福祉主義あるいは具体的な請求権といった視点からどのような解釈、今回変わったか変わられなかったか、その辺をお話しくださればと思います。
このほかにも復興特別委員会でも自民党・森まさ子議員も子供の鼻血を心配する親御さんに関して発言しています。
美味しんぼの作者、雁屋哲さんも話されているように2年間にわたって取材した内容にもとづいて書いたものだ、風評被害を心配しても、ウソを書くわけにはいかない。 ということに国会にも裏づけがあったということです。 科学的根拠がないとか、風評被害で被災地を傷つけるなどと臭いものに蓋をするのではなく、現実的に起きている健康不安に対して真摯に向き合いその原因や健康対策をどうすべきか真剣に検討することこそが本来の被災自治体の、政府の役割ではないでしょうか。 国民の生命・財産を守ることが一番のしごとなのですから。
関西電力大飯原発の差し止め訴訟で福井地裁の樋口英明裁判長は「大飯原発の安全技術と設備は脆弱なものと認めざるを得ない」として運転差し止めを命じました。
これまで政府や電力の主張を追認してきた裁判所の判断としては画期的なことです。 - 樋口裁判長は「生存を基礎とする人格権は法分野において最高の価値を持つ」と述べ、差し止めの判断基準として「新規制基準への適否ではなく、福島事故のような事態をまねく具体的な危険性があるか」をあげた。 そのうえで、大地震が来た時に原発の冷却機能が維持できるかどうかについて検討。 05年以降、安全対策の基準となる「基準地震動」を超える大きさの地震が福島第一原発事故を含めて5回原発を襲ったことを指摘し、大飯原発の基準地震動700ガルとした関電の想定を「信頼に値する根拠はない」とした。-「朝日新聞」
そのほか使用済み燃料プールの脆弱性や発電コストの問題はきわめて多数のひとの生存と同列に論じること自体法的には許されない。 などと今までの胸のつかえがすっきりするできごとでした。
あの大事故を経験したものなら、常識的判断力を持つものなら、「国内がだめなら輸出しよう」、「オリンピックのためならウソも方便」、「都合の悪いことは秘密保護法で隠してしまえ」などという行動に出れるわけはありません。 国民の税金を使いながら、国民の生命の危機に情報を隠し、診断を拒否させ、これまで数十年続けてきた放射能観測さえやめさせる官僚組織、とんでもない背信行為が当たり前のように行われました。 それでも職を辞して現地に飛んだ研究者やジャーナリスト、学者が少なからず存在したことは日本も捨てたものじゃないと、勇気をもらいました。 法曹界にも樋口裁判長のように良心的な方が増えることを願わずにいられません。 命が奪われるまで長いものにまかれていることはできませんから。
2013年に亡くなった元福島第一原発所長を政府事故調査委員会が聴取した「吉田調書」を朝日新聞が入手し随時一面を飾っています。
「原発撤退は所長命令違反」(20日)、「ドライベント、3号機準備」(21日)などとても重大なないようを含んでいます。 事故当初から現場を指揮し、力潰えて故人となった吉田氏の遺言ともいうべき教訓に富んだ内容で、事故調はもとより規制委員会、政府などが十分に検証し今後の緊急重大事故への対応をつくる上での貴重な資料とされるべきものです。
しかし驚くべきことに規制委員会の田中委員長はこの調書を知らないといいます。 最も重視すべき事故現場の生々しい実態さえ、原発の安全に全面的な責任を持つべき国の機関さえがこんなげんじょうなのですから、あきれるほかありません。 もっともこの規制委員会が今実施していることは重大事故が起こる前までの原子力発電施設の安全性に限定されており、事故後のことは対象外ということなのでしょうか。 国際会議で平気でウソをつく総理大臣が治める日本ですから、こんなことさえ平気なのでしょう。 政府は「情報開示する考えはない」そうです。
さて本題の「吉田調書」ですが、マスコミでも随分と話題になった東電の「福島第一原発からの撤退」の問題です。 管総理と東電社長のやり取りは記憶に新しいとおもいます。 吉田調書で明らかになったその実態は上記のように「原発撤退は所長命令違反」でした。 吉田所長は対応として第2原発への退避準備もしていましたが、15日の2号機爆発が発生、吉田所長は構内の放射線量の上昇が少ない状況から比較的線量の低い北部と南部への避難・待機を命令したにも関わらず、所員の9割はこの命令を無視して第2原発へ避難しました。 というものです。
私はどんな命令が出たにしろ原子炉が次々と爆発し、制御もできない状況では自分の命を守るため命令に違反するという行為に出ることもやむを得ないと考えますが、問題はこういう事態に備えることを怠りマニュアルはもとより想定もされなかったことにあります。 原発はこんな事故など絶対にない設備だったのですから。
先日韓国では大型客船が沈没し高校生など多くの人命が失われる痛ましい事故が起きました。 そして乗客の避難誘導もせず逃げ出した船長以下乗組員とこの客船を運営する会社の責任、監督すべき海洋警察など大きな批判が巻き起こり、船長らには殺人罪の適用が騒がれています。 政治家も首相の辞任が決まっています。 このような韓国の安全軽視、人命軽視の事故を日本人は、どう見ていたのでしょうか? 「韓国はなんてひどい国だ・・・」といったことではなかったでしょうか。 そんな日本で起きた世界的歴史に残る大事故、福島第一原発事故ではどうだったでしょうか。 数十万の人々が避難し、故郷をおわれ、老人病弱者・自殺者など事故関連死した多くの人々。 しかし、この国では誰も責任を取らず、責任追及もされず、マスコミ統制し住民に危険を知らせず、安全宣伝に国を挙げて全力を傾注しています。 そればかりか「風評被害を抑えろ」とばかりに危険性を訴えたり、自主避難などが逆に批判されるのですから何かが狂っているとしか言いようがありません。 「美味しんぼ」に対する政府や自治体の反応もその延長線にあるものではないでしょうか。 中央大学教授の武田邦彦氏の見解はこの問題点をはっきりと提示していて、現在の私たちの社会がいかに倒錯した状況に置かれているかを明らかにしています。
3号機の危機が迫り、大量の放射能をまき散らすドライベントが検討されていたときさえ、国や県はマスコミ統制し住民に危機を知らせず、自分たちは(マスコミ含め)逃げ出していたのですから韓国の船長と同じです。 東電による放射能拡散予測は14日午前7時現在で甲状腺がんを起こす放射性ヨウ素が北北西の方向に広がり3時間で相馬郡付近が250mSVになるというもの。 甲状腺被曝の影響を防ぐため安定ヨウ素剤を飲む当時の国の目安100mSVを超えていた。 と朝日の記事はかたります。 結局ドライベントする前に爆発がおこって格納容器の圧力が下がってしまった=ベントされてしまったのでした。 つまり放射性ヨウ素は相馬方面に流れてしまったことでしょう。 250mSVとは事故時に原発労働者に許容された限度線量です。(この事故後に、それまでは20mSV/年 5年で100mSV) 大変な高線量ですが、これらは測定されることはありませんでした。 (故意のさぼりor隠ぺい)
ここからも国・県・東電・マスコミなどは住民の安全を反故にしていたことは明らかで、とても先進国・民主主義国などといえるものではありません。 事故の解明もなく、責任の所在も明らかにせず、情報を隠ぺいし、秘密保護法を成立させるこの現状をこのまま見守っていていいのでしょうか。
同じ朝日の紙面に「ALPS全系統停止」 「汚染水処理 見通せず」の記事。 ALPSは汚染水をフィルターで浄化する装置で、複雑な精密装置でもなんでもありません。 日本の大メーカー(東芝?)が納めた装置なのに、故障続きで3系統あるのにすべてが停止するというまったく考えられないことが起こっています。 技術大国の日本が放射能にかかると全く手も足も出ないのですから驚きです。 こんな状況で原発がこれまで運転されていたのかと思うとぞっとします。 「原発は完全にコントロールされている」などと平気で言える人間にいつまでこの原発を、子供たちの将来を任せなければならないのでしょう??
朝日5月21日記事から転載しました。
一昨日南相馬市の「ゆめはっと」でチェロデュオリサイタルがあって妻と出かけました。
奏者はヴラダン・コチ氏とそのパートナーのヤナ・コチさん。
ヴラダンさんはどこかで見たことが・・・と思っていたら3年前に原町駅前の新しい図書館での演奏を聴いていました。 「兵役を拒否して投獄された」という紹介があってどこかで聞いたようなと思ったのもそのはずでした。
奥さんのヤナさんは私の周りの席のおばさんたちが「お姫様みたい」とおもわず歓声をあげるほどきれいな人で、小さな顔は9頭身?かと思われるほどでしかも透き通るような白い肌でうっとり。
ところで肝心のチェロはというとその弦から発する振動が体を震わせて睡眠不足で疲れた細胞も喜んでくれました。 弦楽器の響きって本当に躰にしみます。 もちろんヴラダンさんのすばらしい演奏に会場全体が魅了されたことは言うまでもありません。 誘ってくれた元同僚に感謝感謝です。
こんな楽しい時間を過ごせるのも平和な今があってこそです。 平和は武力による他はないという考え方もありますが、武器がつくりだすものは戦闘です。 武器の生産、輸出が当たり前になったら米国のように戦争はじめると大統領の人気があがり、戦争をしない大統領は引きずり落とされます。 やがて膨大な戦費と心身とも消耗した兵士は国民の負担として重くのしかかります。 戦争をはじめる原因も過程も国家機密、軍事機密の名のもとに国民の目からは隠されてしまいます。 私たちのこの国も、もっともらしい理屈をつけながらこの道に引きずられつつあります。 世界最強の米国は将来ある若者を戦争のたびに何万人も犠牲にし、その何倍もの戦争当事国人民を殺しています。 アフガンで、イラクでどれだけの人民が殺戮されたでしょうか、戦闘によって民主主義や人民の自由が実現されたでしょうか。 答えは現実が示すように人々の間に憎しみと対立を掻き立て、先の見えない悲惨な状況をつくりだしただけです。 憲法9条は私たちが思っている以上の恩恵を私たちにもたらしてきたのではないでしょうか。 世界一安全で平和な国日本を大事にしましょう。