無精髭

無精者の日記です

川内原発止めてください・・・中央構造線上の伊方原発にも驚き

2016-04-22 16:48:35 | 日記

 

            wikipediaより

 川内原発を止めてください。 万が一にも原発災害などが起こってしまったら取り返しがききません。

 川内原発は今回の震源からは離れているものの活断層は海のほうまで延びていていつそこまで誘起されるか分かりません。 こんなことを言うと不安をあおるとか非科学的だとか言われそうですが、これだけ信頼を裏切られつづけると、専門家や科学者の言うことを参考にするのも大切ですが、素人の感覚というのも大切だと思えてきます。 阪神大震災のときに倒壊した高速道路の橋脚は一本の円柱型で、計算上は十分な余裕度をもって設計されていたのでしょうが、素人目でみるといかにも不安定そうに見えます。 復旧された橋脚は見た目にも丈夫そうなものになっていました。 福島原発もどんなことがあっても壊れないはずの原発でした。

 川内原発は原子力安全規制委員会の審査を通っているので計算上は安全のお墨付きをもらっているのですが自然災害はいつも人間の想像を上回って発生します。 人間の知恵はまだまだ自然を理解できていないのでしょう。 地震の動きを動画で分かりやすく表示しているサイトを見つけたのですが、九州南部や四国の中央構造線(伊方原発)のほうまで広がっています。 これがいつ連動するか分かりませんし、過去にはこれらが連動して大きな地震を引き起こしたこともあったようです。 それにしてもなぜこんな活断層の真上に原発を作ったのでしょう。 とても信じられません。 お墨付きを与えた地震学者は誰だったのでしょうか。 

 伊方原発は幸い停止中ですが止まっていても大変危険であることは福島第一の4号機が証明しました。 川内原発は稼働中です。 大事に至る前にできうる安全策はとるべきではありませんか?

 

5/13追記

 NHKスペシャルから・・・GPSによる地殻移動データと地震データを付き合わせるとこれまでの地震学の常識を覆すモデルがうかびあがってくる研究結果が出てきました。

 これまでの震源のデータをプロットすると熊本大地震の震源が四国の中央構造線につらなっている=活断層が伸びているようすが見て取れます。

 その活断層が川内原発の沖合いまで延びています。 止まらない余震がいつ海底の断層に移動するか知れません。

  日本列島はいくつものブロックに割れています。 震源はこのブロックの境目=断層にそって発生しています。 詳しくはNHKアーカイブスからご覧ください。

 

 


避難と物資補給・・・あらためて思う困難・・・熊本震災

2016-04-18 08:05:38 | 日記

 熊本の地震が収まりません。 改めて恐ろしい大震災の記憶がよみがえりました。
避難所がなく駐車場など屋外に避難している人々や学校や体育館に身を寄せ合っている人たちを見ていると、あの雪が降る寒い中大きな体育館で暖房も石油ストーブ2つくらいしかない中で余震が来るたびに戸をあけて避難口を確保しながら吹き込む寒風に耐えていたあのときを思い出しました。

 報道をみると避難所への物資がなかなかうまく届いていないようです。 物資は相当量届いているのに手配ができていない、手配する人が足りない、といった状況のようです。
大震災の経験が生かされているのかなぁと疑わざるを得ません。
結局のところ大きな教訓も自らが経験しないと他山の石となっているのが現状なのでしょう。

 余震が続き、震災エリアが拡大している現状をみていると、近くの川内原発が心配になってきます。 こんなに大きな余震が続く状況は広い範囲の地殻変動が起きているのでしょう。 恐ろしいことです。 川内原発の再稼動のときの議論では原発災害の避難計画は結局のところ原発から3km以内程度にとどまっています。 それ以上は不可能と自治体がさじを投げているのです。
福島の原発事故で福島県内は仲通りの福島や郡山まで汚染は広がりましたし、遠く静岡のお茶が汚染されたり、岩手の一関平泉のほうもかなり汚染されました。 宮城沖合いに退避していた米軍戦艦がさらに120kmはなれた三陸沖合いまで移動しました。

 普通の震災でさえ困難な避難が原発震災となると放射能によってさらに困難を極めます。
新潟県知事が主張しているように県民の命を守れる具体的・実施可能な避難計画が作れる法整備なりインフラが整備されないことには原発を稼動させることは住民を命の危険と隣り合わせにすることに他なりません。 原発震災では被災地に長期にわたって物資が届きませんでした。
物資を満載したトラックがそこまで来ていても放射能のために民間のトラックは立ち入り禁止になっていたのです。 南相馬市ではガソリン確保のため市がタンク車と運転手を確保しほそぼそと命をつないだのです。 放射能汚染地域に誰が車を運転するのか、物資を運び込むのかさえいまだに法整備がされていないのですから驚いてしまいます。 安倍さんはそんなことより目先の経済が大事なのでしょう。 後世に負担を先送りしながら。

 


さくら満開 一目千本から三春滝桜までさくら行脚 

2016-04-14 12:07:58 | 日記

 宮城県船岡の一目千本桜を見てきました。 11日月曜日だったのですが、最高気温10度前後でしかも風も結構強くて寒い一日でした。 といっても夜の雨があがってときおり太陽が顔を出すまずまずの天気だったことに感謝です。 桜は散り始めていて強い風に花びらがひらひらと舞っていました。

 公園内は年々植栽も充実してきてさまざまな花々が咲き誇っていました。
例年頂上まで登っていたのですが、今年は橋をわたって川土手をゆっくり散歩しようという予定でしたが寒いので早々に暖かい食堂でお昼をとって帰ることにしました。

 ところが時計をみるとまだ13時です。 一緒にいった友人が「三春だっていけるなぁ」なんて言ってしまったので、燃料補給して一路三春へということに。 東和の道の駅で休憩しようと向かう途中に看板発見、せっかくだからと寄り道したのがこの中島の地蔵桜。 写真の手前に水を張った田んぼがありライトアップされると水面に映った桜がきれいだとか。 このあたりは有名な一本桜がいっぱいあるのでした。

 

 道の駅で休憩後に「樹齢800年の桜」の旗につられてうろうろと走る途中に行過ぎてであった「小田八滝桜」です。

 本命の「樹齢800年」のさくらがこちらで「祭田のサクラ」 幹の直径2mもあろうかという大木でした。 エドヒガンザクラという種類で長生きの?樹種だそうです。

 

 こちらは有名な?「合戦場のしだれ桜」。 駐車場がいっぱいで遠く離れた駐車場から眺めることに。 少しは歩けばいいんだけれどこのままでは「滝桜」に着くまで日が落ちそうなので・・・。

 

 なんとかぎりぎり日没前に「三春滝桜」に到着しました。 ときまさに満開でした。
こちらも駐車場がいっぱいで少しはなれた大駐車場へ。 

 さすがに滝桜は風格があります。 はるばるここまで足をのばした甲斐がありました。

 外国人の観光客も多いのでしょう英語表記もありました。 帰り道に咲いていたさくらに目を留め山桜みたいに葉っぱも一緒に出てるなぁなんて話していたら、そばを歩いていた外人さんがこれは**サクラだよなんて教えてくれました。 (^^;

 最後は露天で団子をいただきました。 なにより炭火が暖かいのが一番のご馳走でした。 店のおばちゃんも「昨日は暑くて汗流していたのに今日はさむくてねぇ。」、こんな会話もたのしい花見旅でした。