24日の朝日新聞デジタルの記事ですが、驚きというより呆れてしまう無責任さです。 東電としては最悪の原発事故である「メルトダウン」とは口が裂けても言いたくなかったのでしょう。
記事によると事故当時の社内マニュアルに「核燃料の5%以上が損傷したらメルトダウンと判定する」ことが明記されていたにもかかわらず、メルトダウン(炉心溶融)という言葉をつかわず「炉心損傷」と言いつづけてきたのです。 東電は事故3日後の14日には 1号機:55%、2号機:35%、3号機:30%の損傷を認識していました。 原子力をかじった技術者なら誰でも停止間もない原子炉の燃料棒が冷却水の喪失によって露出することになればメルトダウンを免れないことは明白に予想できたはずです。
もっとも東電だけを責めるのは不公平かもしれません。 国の監督機関だった「原子力保安委員会」の中村審議官が「メルトダウン」という言葉を言ったためにすぐに更迭?され西山審議官に変更されたことは、その後の西山氏のスキャンダルとともに皆さんの記憶にも残ったことでしょう。 技術者なら誰の目にも明らかな認識を語ったものが更迭され平気でウソを付く者と交代させられたのです。 この国の政府の組織は腐りきっています。 国民の生命が脅かされている時でさえ愚民政策を地で行くのですから。
この「メルトダウン」認定基準の隠ぺいが明らかになったのは新潟県の「原子力発電所の安全管理に関する技術委員会」による調査がきっかけだったようです。 新潟県知事は原発の再稼働の条件として、原発事故原因の検証と事故時の住民の安全確保をあげています。 県民の安全に責任を持つ県知事としては当たり前のことなのですが、事故後につくられた国の原子力規制委員会の審査基準には事故が発生した場合の対策や住民の安全確保は入っていないのですから呆れてしまいます。 安倍総理は「世界一の厳しい基準」とうそぶいていますが、あの大事故後にもかかわらず避難計画さえ絵に描いた餅のままでよしとしているのです。 南相馬市では事故後ガソリンや食料の確保さえ困難でした。 放射能で汚染された場所にトラックで乗り込むことに運転手・会社は躊躇せざるを得なかったのです。 正確な汚染状況や事故の状況が隠ぺいされた中で命の保証ができなかったのですから仕方のない判断だったのでしょう。 「再び事故が起きたら誰がバスやトラックを運転するのか」といった基本的なことさえ決められていないのに避難計画がつくられ、その避難計画さえ机上で可能な人数の範囲でつくられるというありさまですから地域住民の命より「安い電力」(数万年後まで後世に負担させる)のほうが大切なのでしょう。
原発”ゼロ”でも電力は大丈夫なことは証明されてしまいましたし、電力会社は太陽光発電の買い取りに関し需要によって買い取り停止を可能にしました。 電力は余っているのです。 また原発はプルサーマルを拡大しなければなりません。 日本は原発でつくられたプルトニウムを軍事以外の用途(高速増殖炉・プルサーマル発電)で消費することを約束していますが、高速増殖炉や再処理工場は運転の見通しが立たないどころか規制委員会さえ見切りをつけるありさまです。 莫大な血税を日々浪費するこれらの施設はただちに廃止することが最良の選択です。 またプルサーマル燃料(MOX燃料)は高くて危険です。