私は全く無知だったのですが、今朝の新聞で青森の六ヶ所村が戊辰戦争に敗れた会津藩が領地替えされた地で会津人1万7千人あまりが移り住んだ土地だったことを知りました。
新たな領地の斗南藩は青森下北半島から岩手県北東部の冷害の常襲地区で移り住んだ人々の生活は凄惨を極めたということです。 核燃料再処理工場の誘致を決めた元県知事は北村氏(故人)は会津藩士の子孫だそうです。
農業では食べていけないと誘致したむつ小河原開発に失敗し、危険と知りつつ仕方なく核燃処理に突き進んだようです。 薩摩藩に敗れた琉球王国もそうですが、どんなに悪いことをしても死ねば仏になるこの国でも敗者はどこまでも辛酸を舐め続けなければならないようです。 私たちのフクシマもそうなのでしょうか。