文屋

文にまつわるお話。詩・小説・エッセイ・俳句・コピーライティングまで。そして音楽や映画のことも。京都から発信。

■「カバー意匠 伊原宇三郎」という本

2005年02月28日 22時24分06秒 | 日録雑感
えーと、これどこで買ったのかなあ。
百万遍知恩寺の夏の古本市かなんかで、500円均一の箱に
入っていたような。

いまは、折口信夫の全集は中公文庫で、固めの装幀だけど
この伊原宇三郎という未知のデザイナーの粋さには驚いた。
日本の伝統的な縞柄を、モダンにアレンジして、端正。

銀ねずのような伝統色も渋い。

昭和三十年、印刷発行 と記されている。

こんな全集ができて、死んでいけたらいいなと思う。

装幀って、本の骨格だし、見た目としては唯一の情報だしね。

中身が、本文で、血だろうけど

考え方によっては、

物としての本ならば、装幀は、血でもあり骨でもあり皮膚でもある。

本文によって、立ちのぼる意味やメタファーなどの目に見えない
内容が大事とつい思ってしまいがちだけど、
その目に見えない、意味やメタファーも
目に見えるようにしてしまう
もうひとつの作品世界だと思う。

けっして二次的なものじゃない。

本そのものでもある。

￿






■ホカヒビト、京・大阪を潜って、ひなケーキを買う

2005年02月27日 22時53分17秒 | 日録雑感



読売文学賞受賞という大きな広告がのっていたものだから
どこの本屋でもあると思っていた。
「余多歩き 菊池山哉の人と学問」前田速夫著。
これがなかなか見つからなかった。
書店というものは、もう、町の書を集めて売っている所ではない
とつくづく思った。
ひどいもんだ。
新聞広告をわざわざ切り抜いて持っていっても
だいたいが、「はいはい私がPC検索の担当です」
「はいはい」という受け応えだけは、手慣れているふりは
しているが、なんども入力に失敗して
途中で、同僚となんだかんだ話しながら
5分ぐらいかかって「品切れです」とくる。
「品切れ」ではなくて、きっと、「晶文社」の本なんて
仕入れてないんじゃないの。
京都の、大垣書店、ブックファースト、ふたば書房全滅。
で、大阪の紀伊国屋書店へ。
また、PC検索。中年のベテランっぽい担当でも
パソコン。まあ、あるかないかを確かめているんだろうね。
で、在庫があったようで棚へ。
棚を何度見ただろうか、このベテラン。
「その棚は、ぼくが穴が開くほど見たあとだよ」と
よっぽど言いたかったが、こいつも穴が開くほど見ている。
おかげで探している間に同じ棚にあった、

●「日本原住民史」八切止夫著
●「神々の闘争 折口信夫論」安藤礼二著

と買うあてのなかった本まで小脇にかかえてしまった。

で、棚の下の引き出しを開けたら、くだんの菊池本がどっさり。

それにしても、八切の本が復刻していたのは驚き。知らなかった。
古本市などで見つけては買っていたが、高価すぎて。

「神々の闘争 折口信夫論」、これはこれは、凄く面白そう。

週末、本を求めて、あっちこっち。
で、思わぬところで、
ニホンの古代の、いい匂いがたちのぼってきた。
もちろん、詩人としての折口のうねうねした、あるいはねばねばした
執念みたいなものが。

重たい本を抱えて、深夜近くに阪急河原町に着いて
なにを思ったか、
不二家の三色ひなケーキを買った。

去年3月3日に亡くなった父のことを考えたか、
きょう、少し早い、一周忌法要があった。

●まだ、この露地は惚けているようだ

2005年02月25日 19時33分52秒 | 日録雑感


露地の角に若者がふたり、べったりと座り込んでいた。
わたしを見通すように、もしくはどこも見ていないそぶりで。
わたしもどこも見ていないような姿勢で過ぎる。
浅い、春やねえ。
きもちの奥底が、冬の最中で
木々の芽だけが騒がしい。
とんと抜ける。
天もまだ、この春の空気を知らない。
いとおしいことも、季節のあいだに挟まれて
身動きとれない。
なんどか出会う、たぶん男の猫も
わたしの、次の空気を知らないのだろう。
もちろん、この露地には
夏も来る、秋も来る。
知らない季節が、幾度も幾度も。
男の猫の、かわいい欲情を
石の面に、露といっしょに
流すだろう。

★「セントジェームス病院」という唄は、もう何年も聴いている

2005年02月24日 21時19分24秒 | 日録雑感

悲しい歌、「セントジェームス病院」。
昔は、浅川マキだったなあ。
かすれた声。それにからむ南里文雄のトランペット。
そのころ京都に「地獄の季節」という名の飲み屋があって、
「コットンクラブ」→「みかどや」→「レオ」→「とり一」
この辺で夜が明けて、朝になってもあいてる→「上海」までいって
この「上海」は、朝の酔っぱらいばっかりがたむろして
ケンカが花盛りで、よくぼくらは「きょうも、上海事件」なんて
よく言っていた。
「コットンクラブ」でよく聴いた「セントジェームス病院」は
アール・ハインズ。
「FATHA」というアルバムで、この老練のピアニストが
泣きながら歌うの。ほんとに最後、嗚咽する声がはいってる。

それからいま、
タワーで買ってきた、

●ジャック・ティーガーデンの4枚組に入っていた。

「セントジェームス病院」。

一曲で、ぼくのある人生の一脈は語れる。

●鯉の恋。春よぶ、小梅小路を歩く

2005年02月24日 18時54分55秒 | 日録雑感

露地、京都では、「ろーじ」と言う。
中心部の寺町三条あたりでも、まだ、京都らしい露地がある。
最近、思いがけなくも発見した小道。
行き止まりとばかり思っていて入っていかなかった道が
あみだくじみたいに、かっくんかっくんと曲がって
三条に出る。
通りに出る角の店は、和風のジーンズの店で
いつも50年代のジャズがかかっている。
それがいつも新鮮に鳴っている。
ロリンズのテナーなんて、断片で聴いたほうが
より鋭角に刺さってここちよい。
うねうねとアドリブをしたあとに
トミー・フラナガンだろうか、可愛くスイングする。
小刻みの断片。
ふと、眼の下をのぞけば、つくりものの鯉が、
「い」の字になっている。
「こ」の字にもなる。
この鉢、ふたつあれば、「こ」「い」になる。
鯉の恋。
あるいは、鯉の濃い恋。
店に「来い」か、店に「恋い」のまじないか。
露地には、植え込みがあって、梅の花がこぼれている。
はる
うめ
こい

ちょっと、うれしい季節である。



■「ただ、詩を書いたひと」なんだろうな。幸せだったんだろうな。

2005年02月22日 20時04分01秒 | 
「伊東静雄論5」、16枚。
編集工房ノアに送る。
なんだかずっと、他のことは何もできなかったから、解放された気分。
他のこと、いっぱい想像力がひろがってもいいんだけど
結局は、「一杯やりたい」とおきまりの欲望が目覚める。

伊東の詩は、保田与重郎や萩原朔太郎などに手放しで激賞されていたわけだけど
その評価の仕方が、とっても前時代的だった。
伊東の中にも、自我を超越したようなメタな部分があって、
透徹した自我から透徹した自我まで、ぐるりと一周してくる過程で
まるで、痕跡を残すように
作品が記された。

これは、モダニズムの継承から始まった、戦後詩の
ある種の混濁した倒覚(倒立)と質としては同じなんだと思った。

朔太郎は、察知はしていたが、伊東の倒覚からははぐれていた。

じゃあ、透徹した自己などというものを
詩を書く者として、肯定するか、否定するか、まだそこがはっきりしない。

昔、大阪まではるばる訪ねてきた三島由紀夫を「凡人」とだけ
評した伊東。

出版記念会で東京へ出て、歴々の人々と飲み
結局は、中原中也の家に一宿一飯の恩義をさずかった。
でも、その夜のことは、日記などでもあまり書かれていない。

多分、よっぽど荒々しい一夜だったろうな。

それとも、ひとこともしゃべらなかったか。

伊東は、「ただ、詩を書いた人」なんだろうな。
美しい、そして激烈な。

それだけなのかもしれない。

幸福なことだと思う。

◆三月書房さんは、永遠書店なんだなあ。

2005年02月21日 16時33分56秒 | 文学全部
久しぶりに「三月書房」さんにおじゃました。
宍戸恭一さんにお会いするのは、何年ぶりだろう。
何年、といって、いつもつい最近にもお会いしたような気になって、
ジャズの話や喫茶店の話をしたりする。
5年ぶりぐらいだったかなあ、でも昨日も会って話していたような錯覚がする。
不思議な時間感覚。
書店なのだが、あの空間は、ぼくにとって、お店ではなくて
物を書いている自分が、純白に漂白されるような
禊ぎの場所になっている。
二十代の後半に、始めた同人誌「ガルシア」を
まったくなにもわからないままにお願いをして
置いてもらったり、いろいろな、ある意味でまっとうな躾をしていただいた記憶が
はっきりとよみがえってくる。
書棚の雰囲気は、昔とひとつも変わっていない。
昔、第一詩集の「セルロイド界隈」が置かれていたところに
いまは、最新の「冬白」があった。
ああ、あのまま売れずに「そこにあってよ」と心の中で叫んだ。
永遠なども考える。
宍戸さんとぼくとのちょっとした言葉の交流という永遠。
詩人という、細道の、か細い、流通の時間のさなかで出会い
ただ会釈をしてというだけでなく、
生死の永い歳月の細道で、親密に出会っているような尊さ。
ぼくの本が、ぼくの手許でないどこかにある。
それが三月書房という場所ならば、ぼくには生涯の幸福である
ような気がする。

「短歌ヴァーサス7号」
熊谷守一のクロッキー集「鳥獣虫魚」
    素描・水墨画集「虫時雨」

を買う。

「庭園」と「紙子」を置いていただく。

★伊東静雄論を書くこと、考えることの悲しさ特急

2005年02月19日 00時15分56秒 | 
朝からずっと、思い悩んで
「伊東静雄論」を書きつづける。
いまは、もう、12時をすぎてしまった。
いろんな文献を読むが、どの論も結局は、「伊東の詩はわからない」
と言っているようだ。

むしろ萩原朔太郎の「べた褒め」の賛辞が妙な信憑性があり
暢気ではあるが、よほど伊東の本質をついているように思えてきた。

もう、何時間、書いているのだろう。

「自我のウロボロス」。
ぽっかり浮かんだ、贋の陣地から贋の自然観照をへて
ふたたび、ぽっかり浮かんだ、贋の陣地に円還してくることの
空しさ、悲しさ。

伊東の本質って、探れば探るほどに悲しさが増してくる。

子規について書かれた、彼の卒論の
宙に浮いた論が、実は、ほんとの彼のようで

ぼくの頭も、ぽっかり贋におぼろ。
しんどいよー。

●言葉は京でつづられた。 編集して書いた本の紹介

2005年02月17日 15時46分42秒 | 文学全部
ちょっと前だけど、『言葉は京でつづられた。』という本を編集執筆した。
京都モザイクという、軽装なMook本。(青幻舎刊)
遅ればせながらPRしておきます。多分全国の書店でもとめられると思います。

普通の「京都文学散歩」みたいにしたくなくて、ちょっと変わった著者も選んだ。

たとえば、西東三鬼。三鬼といえば、神戸を想起しますが、
京大俳句事件との関連から、きっと京都との関連はあるはずと、調べた。

昔、角川から出ていた、「西東三鬼読本」で、自句自解を見つけて
ある句を、京都でのできごとを材に書かれたことを特定することができ
掲載した。三鬼のことは、まだまだ謎が多い。
昨年、近しい句友、鈴木六林男も亡くなって、もう、真相を語る人が
ほとんどいなくなった。
それから、九鬼周造もとりあげた。九鬼も調べれば調べるほど、深く、
また、一時期、詩を書いていたことを知る。
この仕事で、いろんな作家の文にふれ、とても新鮮に思ったのは、
漱石と子規の絆。漱石などは「京都といえば、大きな赤提灯である」
などと言っている。なぜ、提灯?と考えて
調べてみれば、どうも、子規と来た京の思い出に根差していたことがわかった。

中也と富永太郎とのことは、前々からよく知っていたのでおどろかなかった。

もっともおもしろかったのは、
「黒髪」の作者、近松秋江。めめしき恋情が、むしろ男の男たる強さでもあるなどと
サディスティックな倒錯を感じた。
これを読んだ以後、私小説を撫でるように読みつづけて、
宇野浩二という異彩に、出会う。
「蔵の中」は、スラップスティックで落語的で
悲惨さに、笑えたほど。


「言葉は京でつづられた。」

ぜひ、読んでください。

◆詩は、世の中に必要か

2005年02月16日 14時56分24秒 | 
現代詩のことを書く。現代詩のことは時々考える。
「詩」のこととは、まったく違った次元で。
先日、聞いた話。新しく詩集を出した人が、京都の書店に自分の詩集を持ち込んだら
即座に、納品を断られた。「現代詩ねえ」「売れないでしょ」「そもそもいまの世の中『現代詩』
必要ないでしょ」と言われたそうだ。京都でも全国的にも、詩歌の分野をしっかりおいている
この書店ですらこうなのだ。しかもその詩集は、詩書出版では日本を代表するような版元なのに。
彼女は、賞もとっている詩人。
いろいろ複雑な状況だろうけども、ぼくは、仕方がないとしか思えない。
店主の言うことは、どれも否定することはできない。
たとえば、韓国などでは、詩集は小説なんかよりもメジャーだ。
売り上げベスト10なんかやってると、先端の詩集が幾冊か入っている。
教保書店などソウルの大きな書店へ行けば、詩集コーナーには若い人がいっぱいいて、
書棚の詩集から気に入った詩句を書き写している光景にお目にかかる。
それはどうしてかというと、韓国では、手紙を書くときに
詩の一節をよく引用するからだとか。
それから、韓国では、詩の朗読が普通の文化として浸透している。前にソウルへ行ったとき、
「この人は、正月の朗読コンクールで優勝した人です」などと、紹介する。
すると、その店で、普通に朗読を始める。
もっと詳しく事情を聞けば、昔から韓国では、「時調」
という風習があって、各家々では、「詩ぐらい朗々と詠めないでどうすんだ」というような
ならわしがあったという。一種の生活文化の中のスタンダードだったのです。
もうひとつ、政治的に不安定で、教養の吸収や怒りや不安の平準的な感覚を「詩」という世評的な
テキストに求めざるを得なかったのでしょう。
民族の怒りや悲しみも、詩が吸収していたりしていたのだと
思う。やりきれなさの鏡として。
さて、日本では、「そもそもいまの世の中『現代詩』必要ないでしょ」ですから。
ぼくは、まったくそう思う。少なくとも本屋の嘆きとしては、十分理解できる。
たとえば自分が「悲惨」だとしよう。悲惨を書いた詩集ができあがる。それが、状況的な悲惨
なのか、詩集を書いた人だけの悲惨なのか考えてみよう。書いた人だけの悲惨ならば
この世の中、悲惨だらけである。悲惨の度合いなんて別だけど。ところが、国情の違いなどに
よっては、世情を象徴するような悲惨が詩集としてしるされて出版されることがある。
悲惨な国の悲惨な人の悲惨な言葉。悲惨な国のベストセラーになるだろう。
ところが、いまに日本で、それでも詩が
「その国の時代の気分」みたいなものの象徴だとしたら、もちろん詩集にとっては、とても
暢気なスタンスなのだが、それでも詩集が日々出版されるのだから暢気な詩集もある。
そう考えると、悲惨というテーマは、いまの日本では個的にならざるをえない。世情の象徴などと
言い出すと、その創作の回路は、どうしても散文的か小説的にならざるをえない。
それでも詩がなりたつのは、たとえば、かわいさやクールさや、慰められるとか、癒されるとか
ちょっとだけポジティブな空気がありさえすればことたりる。
本屋に並んでいる詩集を思い起こしてみよう。そんなのばっかりでしょ。
相田みつおや銀色夏生や谷川俊太郎なども含めて。それから
近代詩人たちは、ただ近代の空気の象徴だったりもするわけで。
しかし、この日本でも、とっても不条理で理不尽で、さっぱりわけのわからい不安や
死んでしまいたいほどの嫌なことや狂うほどのおかしな空気だってある。個的ではなくね。公的に。
「まったくひとつも面白くない日本」とか。
そうしたときに、詩が言葉の前衛、あるいは言葉の冒険としてとらえられなくもない。
だからほんとうは、いまの現代詩は、もっともっと、素っ頓狂な前衛が実は求められている
ような気がする。言葉の冒険家が。
もちろん、そのときに、流通も含めた、関与者すべてに素っ頓狂な前衛が求められる。
旧態の方法ならば、くだんの書店の店主の嘆きにただ同調してしまうだけ。
自分がこんなに前衛で、孤絶の先端で瀕死なのに、流通は、いまだに
「売れる本」しか「売れない」と考えている。
ちょっと待ってよ。「売れないもの」を「売るようにする」。それも書店の勤めだろ。
文化の前衛なんて、はなから「売れている」わけがない。
「売れる」ようにするためには、血汗にじむプロデュースやプロモートがあってはじめて
真っ当なんだろと叫びたい。
そんな状況なのに、書き手が「売れる詩」を「売りたい本屋」のニーズに添ってたらおじゃんである。
「売れない前衛」だけど「前衛の意気」を「売れ!」と説く以外に方法はない。





-------------------たぶんつづく