文屋

文にまつわるお話。詩・小説・エッセイ・俳句・コピーライティングまで。そして音楽や映画のことも。京都から発信。

■苔玉に埋め込んだ、菫の種からにょっきにょっきと菫が伸びている

2005年11月29日 15時46分26秒 | 日録雑感

いつだったか、今年の春頃にお隣のギャラリーで売っていた
苔玉。

その苔玉には、四つ葉のクローバーが葉をつけていた。
注意していたのだが、四つ葉のクローバーは、やがて
全滅。旅行にでかけていて、みんな枯れてしまった。

それで、菫の花の頃を過ぎて
駐車場の割れたセメントの間に十字の種を
芥子粒みたいにつけていた
その菫の種を苔玉の穴に埋め込んでいたら

にょっきにょっきと健康な双葉がでてきた。

それでいまは、のっぽになってきた。

発芽したのは、二つ。
種は、20、30ぐらいは忍ばせたのだが。

多分この苔玉の菫は、来春には、菫色の花を咲かす。

ぼくは、100円均一で買った観葉植物でも
10年も何年も育てる男です。

いま乗っている自転車は、20年。
リーガルの黒のコンビシューズは、30年はいている。



この菫は、ぼくと同じ音楽を聴いて生きている。
ブルックナーの交響曲、9番などを何度も。

かたわらには、昔買った
セロニアス・モンクのEP(エスカイア盤)もいる。



そうそう、4月の日録に写真をアップしたこれが
この菫の親株です。



http://blog.goo.ne.jp/bunyahagi/e/9abdbb2ca5dfa890efde0fe2a29a0b24

★「銀杏は手品師、老いたピエロ」の「老いた」という歴史的事実

2005年11月28日 18時05分08秒 | 日録雑感

↑ 上の写真は、京都の町なかの公園で撮影してきました。


昨日のテレビで、「銀杏」のものがたりを見た。
銀杏のことを、ドイツではGINKOと言うそうだ。
ゲーテがその昔、恋人に当てた手紙に添えられた二葉の
銀杏の葉の現物が、映し出された。
植物の、いわゆる押し葉は、蝶の標本と同じように
剥製(化石)としてほぼ永遠に残される。
ゲーテ曰く、
「銀杏の葉は、ふたつの葉が寄り添ってひとつになっているのか
それとも、本来ひとつのものが、そう願ってもふたつに別れたままなのか」
と。
そのゲーテの葉は、日本から持ち帰られた種によって
欧州で育ったのだという。

銀杏は、大昔、恐竜とともに地球上で栄えていたが
恐竜とともに一旦は、地球上で滅んだそうだ。
だから現在でも、野生の銀杏はもう存在しない。
中国の山奥には絶滅寸前の野生の銀杏が生きている。

日本に生存する公園の銀杏などもすべて15世紀頃に
中国から持ってこられたものだそうだ。
だから、山には、銀杏は生えていない。

その事実は、はじめて気づいた。
そう言えば、山で銀杏は見かけない。

きょう、東洞院の公園で銀杏を眺めた。
見事な黄金。
前々から、松ヶ崎の工芸繊維大学の構内の銀杏は
見事に、こがねに輝くのを好んで見ていた。

銀杏と書いて、「いちょう」とも「ぎんなん」
とも読むのは、とても特別な例だろうな。

ふだん、なにも感じないが、
彼ら植物は、他生物を摂取もしないのに
よくもこんなに長く生きていられるものだなあと思う。
きっと、動物よりも高等なんだと思う。

カラオケでたまに唄う曲に
フランク永井の「公園の手品師」がある。

♪銀杏は、手品師
  老いた ピエロ♪という歌詞が好き。

●だんだんと暮れていく季節になってきたなあ。

2005年11月18日 18時53分29秒 | 日録雑感


いつだったか、学生時代の最後に倉敷に旅した。
それほど親しくもなかったkと駅前の木賃宿に泊まって
朝、喫茶店に入ったときに
ふいにジョン・コルトレーンの「バラード」が流れてきた。

ジャズのことを思い出すときには、いつも
この日の朝のコルトレーンの優しさが、こみあげてくる。

いま、たまには、などとふと思って
コルトレーンとジョニー・ハートマンの共演盤をかけてみた。

京都は、急に寒さをまして、いよいよ暮れていく季節が訪れた。

うれしいような心持ちがする。

5時には、部屋がブルールームになる。
たまには、ローズルーム。

ここ二三日、通行止めだった、京都御所の東の小道も通行できる。
梨の木神社のあたりは、もう一気に枯葉が舞っている。

最近、うれしいこと。

なかなかぴったりの焼酎が見つからなかったのだけど

「ひむかの くろうま」というのに出会った。
麦の長期熟成。
ずっと、米焼酎を飲んできて、やっと麦が好きになってきた。
黄金色の焼酎。ぐっすりと眠れるようになった。

とりとめもないけど

ジョニー・ハートマンの歌声。
うれしい。

●期待していたのに、たけしの「座頭市」は、見本市みたいだった。

2005年11月08日 19時23分27秒 | 世間批評


北野武の「座頭市」をテレビで見た。
スタイリッシュに切られていて、ああリメイクなんだなあと
思った。それとも、勝新が永年かかって積み上げてきた
演技術へのオマージュなのかもしれない。
それを満身で、演出したわけで
その意味で、「演出映画」みたいなものだった。
役者は、勝新と比較されるわけで
とても恥ずかしくなるぐらいに無惨だった。
演技よりも、演出の手際が浮き上がって見てられなかった。
「いやあ、エンタだよ」と考え直して見た場合、
これじゃ、日本のテレビ時代劇の典型を
シニカルに追随(オマージュ含みで)しただけになってしまっている。
日本のテレビ時代劇ともうひとつは、東映のやくざ映画。
とくに加藤泰などの手際。

ではないだろと思った。

たけしの映画は、冷たいけども情念がある。
それがよかったんじゃないの。
「暴力」をあんな典型におとしめては、だめ。
情念だったら、勝新が監督した「座頭市」の中での
温泉の入浴シーン(露天風呂)のほうが
よほど、立ちのぼる映画のロマンがあった。

それと、ジャパンな色、事、形、姿を
ああまで、いやみったらしく描かれては
もう、うんざりしてしまう。

まあ「世界市場に出ていく時代劇」という
図式の中では、限界なのだろうなとも思った。

姉妹が踊るシーンの多さは、いったいなんなんだ。
それから、柄本明に課せた、演出の薄さも
唖然とした。

★吉田秀和の本で、中也と吉田一穂に出会った。すごい交友があったもんだ。よくぞ。

2005年11月07日 19時17分56秒 | 文学全部

ベートーヴェンのことが書いてある本を探していて
吉田秀和の「ソロモンの歌」を手に入れる。

ぼくは、クラシックのレコードを買うときにずっと
座右に置いてきた、吉田秀和の「LP300選」。
そうした音楽の情報を読もうと思ったのだが
思いがけず、

中原中也と吉田一穂に出会った。

吉田秀和という人は、いまでこそ、クラシック随想の大家ではあるが
その昔は、中原中也や大岡昇平や小林秀雄と交友があったことは
知っていた。

でもこの「ソロモンの歌」で書かれている「中原中也像」こそが
ぼくが先年よりいろいろ耳にしてきた中原の生な姿だったんだ
と、くいいるように、しかもじっくり味わって読んだ。

冒頭の散文が
・中原中也について
次が
・吉田一穂のこと
次が
・小林秀雄、伊藤整、大岡昇平
である。

音楽に出会おうと意図していたのに、詩人に会った。

それにしても吉田秀和は、なんとめぐまれた人との交友機会を
もっていたのだろう!驚いた。

中也については、その破滅と天才について畏怖しつつも不思議であった像が
くっきりと描かれている。
当時17歳だった、吉田が年上の中原に無理に酒をおごらされるに
至ったことが書かれていて、とても生な体験記述だった。

伊藤整は、中学まで英語を習っていたという。
小林秀雄が大岡昇平の家に行き、シベリウスのヴァイオリン協奏曲
をかけるところもよかった。楽しい記述だ。



とても驚いたのは、吉田一穂との交友。
ひたすら私淑した、この詩人のことは、美しく絶賛している。
一穂の住まいの情景をとくに称えている。

そして一穂が書いた、詩の定義めいた言葉を要約して
こう記している。



引いてみる

「詩人」吉田一穂についていえば、だから青春の「詩の泉」は去ったが
より広い人間的なものへの関心を通じての転身の機会も、向うの方から
離脱していった。
『だから詩を書くのだ。私は詩人であり、ほかの何者でもない』
『だが詩とは何か?』

そして次の言葉を注視した。

『詩とは自分の内外にある虚無に向って、火を放つものだ』
『詩は、もう一つの宇宙を創る天を低めて自らを神とする術である』
こういう裸かの思想を、何度私たちは、きいたことだろう。
『明日は詩をつくるだろう!』

しかし、その明日、氏を訪ねてみると、机の上には、ただ白い原稿紙
とペンとパイプがあるだけで、その白い紙には何も書かれていない。
『昨夜は何も書けなかった。今日は一つ歩いて、金をつくって来なけ
ればならない』



ここに詩人がいる。ほんとうにだ。

ぼくは、この文に接して、生気を頂戴したように嬉しい。


『自分の内外にある』『虚無に火を』『放つ』
『もう一つの宇宙を創る』『天を低めて』

含意熾烈。

詩の血も骨も、一旦は笑う凄みがありながらも
それがひとつの生存にかかわる、はぐれた生であることを
諦観している。

吉田一穂の詩論的散文を昨夜から、貪るように読んでいる。

すべてが、メタファー論であり
生存と非存の領野をいったりきたりする

それはそれは、強いメタファー観であった。



吉田一穂の年譜を見ると

秀和と一穂の出会いは、昭和6年

一穂、33歳。吉田秀和は、高校二年。
そのころ、中也とも交友があったことになる。

年譜にはさらに、

「吉田秀和らは」
『一穂のすべての生活の協力者となる』

と記されている。