文屋

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●2008年から2009年をまたぐ時間に、ふと覚えたこと。

2008年12月31日 23時43分37秒 | 日録雑感

いま、2008年の12月31日、午後11時45分。
NHK教育テレビでは、
ブルックナーの交響曲第7番のアダージョの演奏の模様が流れています。
思いがけない選曲。
指揮は、顔を見て、多分、ヤルヴィでしょうか。
このアダージョは、今年、ピアノ独奏版で何度か聴いた曲。
年末にかける音楽が、どうして「第9」になったのか。
意味のないことです。
  で、いまチャイコフスキーの交響曲5番が演奏されています。

年をしめくくる、そのときにどんな音楽がよいか。
そんなものはなんでもいいでしょう。
でも、「第9」と決めつけているのが、いかにも
西洋へのコンプレックスで誰かにねじ伏せられているようで
あわれ。
好きな音楽は、聴くたびにどんどん変わる。
最近は、ニールセンやオネゲルやヴォーン・ウィリアムスに
まいっていたが、ふと、年の暮れにあう音楽は何かと
考えときに、ドボルザークの9番がいいのと
思った。
チャイコフスキーの6番で、悲嘆の底をのぞんでもいいし
となると、ほんとの佳曲は、その有名曲のかたわらにあって
ぼくは、ドボルザークの8番
チャイコフスキーの5番がとても好きだ。

ああ、年をまたいで、チャイコフスキーの5番だ。
ムーティの指揮。

いい感じで2009年の年が明けました。

みなさん、明けましておめでとうございます。

今年は、ニールセンのこと、あるいは、ジョン・アダムスのこと
あるいは、またジャズ狂いに戻るかもしれない。
年末のNHKテレビのルポ番組で
新宿の歌舞伎町をドキュメントしていたのがあって
そこで、菊池成孔が吹いていた
「ユー・ドン・ノウ・ホワット・ラヴ・イズ」は
よかった。「君は、愛を知らない」という邦題の曲。
この曲、ロリンズとコルトレーンの両極端のような
演奏があるけど、菊池の無情は、とてもよかった。

詩において、「無情」をどう定着させるか。
難しいことだけど、マイルスだって、ずっとそうしてていた
じゃないか。
「クール」って言ってたけど、詩においては、もちろん
そんな甘い言葉ではないだろう。

「ユー・ドン・ノウ・ホワット・ラヴ・イズ」と言われて
それは、どこかの町のどこかのビルの屋上で
夜空に向けて奏される。
その「奏でられる主体」となること。
「奏でる主体」ではない。
それから、「在ったこと」を認める。
「在ること」を認めるのではない。

五感への不信。脳への不信。身体への不信。
「愛を知らない者同士」の不信の交響。
ほら、そうすれば、無情の信が現れる。
無辜ですね。

これをぼくは、写真を撮ることでは
自然観照のただなかでできているような気になっている。
 写真は、無情の装置だ。


新しい詩集を出したいとずっと願っているが
いつまでたっても連作が終わらない。
まだまだ「無情の信」もわからず、いつまでも
「有情の不信」が、わが身から染み出してしまう。
とても不快。

ああ、さっき聴いた、ブルックナー7番の第二楽章の
無辜。

2008年、ジャズで最も染みたのは
フィニアス・ニューボーンのピアノでした。

みなさまにとって、2009がいい年でありますよう。

今年もよろしくお願いします。