文屋

文にまつわるお話。詩・小説・エッセイ・俳句・コピーライティングまで。そして音楽や映画のことも。京都から発信。

■ブックオフ、おそるべしと今日も今日とて痛感してしまった。

2011年09月23日 20時28分16秒 | 音楽
なんとなくいつものブックオフ宝が池店へ。
すごく混んでいた。

それでいつもの500円のCD棚へ。

まあ、そんなに期待していなかったけど、
あまりにうれしい収穫だったので、書きたくなりました。

この宝が池店の500円棚は、驚く品がよく見つかる。

■リー・モーガン「コーン・ブレッド」

65年の録音。ジャズはもうこの時代には、青息吐息だが、それはそれで
楽しい散らばり方。逃げ道を探しているかのようだが、アルバムとしては
一定の定着をみせている。こういうジャズがぼくの学生時代の定番みたいなもの。
あの時代、70年代初めの梅田界隈の「ファンキー」などのジャズ喫茶を
思い出す。ジャズ喫茶の闇から出てきて、そこに射す昼間の太陽、陽光の暴力。
なんだか、漂流している青春のBGMみたいで、軽いなあ。

■ジョニー・グリフィン「リトル・ジャイアンツ」

多分、アナログ盤でも持っていたように思う。聞き直して、ちょっと驚いた。
最近、クレモンティーヌのバックでちらっとゲストで吹いていたグリフィンを
聞いて、あれっと見直したりしていた。59年録音。サイドにブルー・ミッチェル
ウィントン・ケリーなど。ばっと、ソリッドに飛び出す。飛び出すジャズ。
べースのサム・ジョーンズの緩み、弛緩ぶりが好き。高校生の時に、
オスカー・ピーターソンのベーシストとして来日していた彼に、握手を
してもらったことを思い出した。神戸国際会館。ピーターソンは楽屋で。
サム・ジョーンズは、楽屋もなく、舞台に上がって握手した。
昔は、そんな気楽さがあった。ぼくは学生服着ていた。ライブが終わったら
さあ、楽屋へ。そんなことができた。

■ジョルディ・サヴァール指揮「アリアーガの交響曲」

アリアーガって、知らなかった。でもサヴァール指揮ということで、思い切って
買った。500円だから、そう深刻でもないが。でもこれが今回の大収穫。
アリアーガって、19歳で死んだスペインの作曲家なんだ。
没年は、1826年。なのに近代的な憂愁が色濃い。モダンだ。ベートーベンまで
すぐそこ。サヴァールはピリオド楽団を率いているけど、古楽的な匂いは
まったくない。
昨日、車で帰宅するときに、ブルックナーの交響曲6番を大音響でかけていた。
朝に、第一楽章。そのままスイッチきったから、夜は、2楽章のアダージョ。
川端通りの丸太町を左折して、北へ。正面に北山の峰。
この奇跡的な悲しみの回路。死出の音楽だ。凍りつくような美しさに
寒々と硬直した。このアリアーガも少しそんな感じ。

■ホプキンソン・スミスのリュートで「バッハ集」2CD

演奏者はバロック・リュートの研究者のようだ。淡々。実に淡々。
枯れている。それが、なんだかバッハの底の底を見せているようで、
オルガン曲だってそうだよね。ある意味で、バッハにとっては
聴衆というのは、意識外だったのではと、強く感じさせる。だから
バッハのとくに、器楽曲は、バッハの本質をつくようで。
リュートのつまびきならばさらに。レオンハルトのチェンバロなども
リュートの音の流れに近い。ほんとにこのリュートすばらしい。
セゴビアのギターなどは、あれは、聴衆を向いて披歴する音楽。
それはそれでいいのだが。

■ブリテンとリヒテルの「シューベルトのピアノデュオ集」2CD

冒頭の「ファンタジー」作品D940がいい。4楽章の幻想曲。まあ、
リヒテルと指揮者でもあるブリテン、この曲を冒頭にもってきているのが、いいなあ。
多分ふたりとも、この寂しさを共有しているのだろう。歌謡的。
いいなあ。滅んでいくような伯父さんふたりの道行。

こんなCDが、500円。おそるべし。

ついでに、105円の文庫本2冊。

■小林秀雄「無常ということ」

■吉村昭「破獄」

昨日、広辞苑で「無常」と「無情」の字義の違いを調べた。
まったく違う意味のようで似ている。死んだ、つまりは
滅んでしまえば同じでも、生きているうちは違う。

いま、ブリテンとリヒテルの最終楽章。
まったくその意味は違うと、さらに思った。