文屋

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■久しぶりに流れる協奏交響曲。モーツァルトの哀調にとろける。

2006年11月27日 19時08分16秒 | 音楽


お久しぶりの更新。

ずっとずっと、ブルックナーばかり聴いてきて
この一年が暮れようとしている。

先日

クリストファー・ホグウッド指揮の
モーツァルトの「協奏交響曲」を手に入れた。
ARTE NOVAの新譜。
ほやほやの新譜なのに廉価な690円也。

実は、90年代の始め頃の私は、モーツァルトばかり
聴いていた。

なかでも特に好きだったのが

アーノンクール指揮
クレーメルのヴァイオリンと
キム・カシュカシュアンのヴィオラの「協奏交響曲」だった。

古くは、ワルター・バリリのヴァイオリンのものも好きだった。

ずっと、流れて、流れて、潮のように満ちてくる
優雅な悲哀、侘びしさ。
果てまでも透けて、美しい、音楽。

この音楽が、「あること」それに憧れていられるほどの
幸福。

ホグウッドは、古楽で、美しく枯れていて
渇望の滑らかさで、キラキラと流れる。



このCDには、うれしいことに
三人の音楽家の「協奏交響曲」が納められている。

モーツァルトのほかに
ハイドンとマルティヌー。

モーツァルトのみ、弦楽六重奏版。

弦六でやった、同じ曲で
ぼくは、ラルキブレッリというビルスマをリーダーにした
盤も長く愛聴している。

マルティヌーは、20世紀の作曲家だから
終始、擬古典形式で、美がよじれる。

ああ、きれいな音楽だ。