文屋

文にまつわるお話。詩・小説・エッセイ・俳句・コピーライティングまで。そして音楽や映画のことも。京都から発信。

■イギリスのホルン奏者、バリー・タックウェルのジャズアルバム。ああおぼろ、おぼろ。

2009年04月15日 14時52分12秒 | 音楽
こんなCDがあるとは知らなかった。
先日の日曜日、なにげなくヤフーオークションで
見つけた。

ぼくは、ずっと前から
ホルンは、イギリスのバリー・タックウェルという人の音が
大好きだった。

張りがあって、しかも柔らかい。

中でも、ブラームスのホルントリオは一等の愛聴盤。

その彼が、ジャズピアニストのジョージ・シアリングと
コール・ポーターの曲を吹いている。

8曲目の「So in Love」。

この曲は、昔、日曜洋画劇場という番組の
エンディングで流れていた。
あの淀川長治さんが、「さよなら、さよなら」と言った後に。

バリー・タックウェルのジャズ。

なんと、柔らかいことか。

伴奏のシアリングは、伴奏でも名人。

ナットキングコール
ペギー・リー
ナンシー・ウィルソン

の共演盤も昔から聴いている。

やがて、春宵。

ああ、タックウェルのホルンよ。


昨日、紙子の詩作品の中に突如浮かんで挿入した俳句。


 たまたまに霧の死するや朝の畦

お粗末。



●高野川沿いの桜並木は、花の崖のようになっている。

2009年04月12日 00時24分47秒 | 日録雑感
晴れ渡った、土曜日なのに
朝から出勤して、ひたすら仕事。
6時間、ぶっ通しで文章を書く。
もう30年ぐらい続けていることだから
慣れてはいるが、書きながら
資料を見て、ところどころ見出しを創作しながら
伝えたい人と伝える人の間に立って書く。
目で追いながら、声を出して読みながら
文法をととのえて、正しい文に整えていく。
推敲もほぼリアルタイム。
目の筋肉が痙攣するほど。疲れる。
電話もほとんどなく、予定の夕刻に完了。

朝もそうだったが
高野川沿いの川端通の桜並木を
行きは、西岸から
帰りは、東岸から眺めつつ、車を走らせる。

何本桜の木が並んでいるのだろうか。
4キロか5キロぐらいあるだろうか。
車の窓を全開。
花吹雪が、車内にも入ってくる。
道路の端は、花屑が舞っている。

ラヴェルのピアノ協奏曲、第二楽章を
大きなボリュームで鳴らしながら
永遠へ向かっているようだった。

ピアノは、セシル・ウーセ。
伴奏の指揮は、ケーゲル。
はかない調べなのに、どうして
こんなに強い悲しみを奏でられるのだろうか。
自分の、淡くなる生をかかえるように
北へ、北の峰に向かいいつもよりゆっくりと帰宅する。

紅ふぶくいちめんの遺棄とおい鍵

ラヴェルのこの曲、
イヴォンヌ・レフェビュールとパレー指揮のものも好きだ。
第二楽章はとくに、女性のピアノが良い。


■「ボン書店」の鳥羽茂という男の空気にふれた。一瞬に光るそれは喜びだった。

2009年04月03日 16時31分56秒 | 文学全部
内堀弘著『ボン書店の幻』(ちくま文庫)を読んだ。
以前に、白地社から出ていたことは記憶していたが、文庫になっていた。
私自身、詩や詩書、同人誌の発行などに関わってきたことが
この本を読んで、喜びとなった。
あるいは、励みにもなった。
あやうさや、はかなさ。でもこのまたたくような、あやうさは、
そうなのだなあ、輝きでもあると思った。
戦前の一時期、昭和初期に詩の潮流としてあった
モダニズム詩の詩書を、個の情熱で出版しつづけた
鳥羽茂という人の幻を追った書物。
史実をつづれば、そこには、鳥羽の無情が浮き彫りにされるが
読後、じっくりと鳥羽という人物の情熱を反芻、味読していけば
そこに、強い意志が見えてくる。
「詩という象(かたち)を愛していたのだろうな」と。
詩の精神や、詩のこころなどといったそんなもんじゃない。
詩が、文字になり行になり頁になり、意匠され
書物になる。その時間は、詩が象になっていく時間なのだ。
人は、別にそんなことはしなくてもいい。
でもそれをしなければ、詩はどこにも痕跡すら残らない。
この時間の齟齬や、矛盾のうちに、喜びはある。
本書は、まさに齟齬や矛盾を浮き上がらせている。
あとがきに描かれた「梨の墓標」が泣かせる。
でも私にはなぜか、VANの石津謙介氏との軽い交差の
くだりが強く印象に残った。
詩を身に抱き、それを象にしようと意志することは
献身的なダンディズムやディレッタンティズムなのだと。