文屋

文にまつわるお話。詩・小説・エッセイ・俳句・コピーライティングまで。そして音楽や映画のことも。京都から発信。

■同志社大学で詩のリーディングをやります。

2007年09月26日 10時52分30秒 | 文学全部

久しぶりに詩のリーディングをやります。
メインは、大野一雄さんの舞踏を記録したビデオの上映なのですが
その放映のあとに、少し読みます。

場所は、同志社大学です。

詳細は、次の通り。



大野一雄 百歳記念 ビデオ上映


同志社大学 寒梅館ハーディーホール
2007年10月11日(木曜日)18:30 より

入場無料



上映映像:「宮田國男への鎮魂の舞踏」


解説:ジョン・ソルト博士
   (ハーバード大学 エドゥイン・O・ライシャワー日本研究所)

詩朗読:萩原健次郎



主催: highmoonoon
    同志社大学学生支援センター
    同志社大学文化情報学会


興味のある方は、ぜひ。
大野さんの舞踏は、凄いです。
身体と時間が融和した、奇跡の芸術。
自然に、詩が湧出してきます。
その音まで聞こえてきます。



■「浄夜」というが、うつうつだ。オーネット的に速く破裂したいよ。

2007年09月11日 19時44分13秒 | 音楽


昨晩、ヤッシャ・ホーレンシュタイン指揮の
シェーベルクの「浄夜」を聴いてから、事務所の外に出ると
ちょっと、涼しい夜風が、、、、。
なんだか、薄情な空気が充満して、ソリッドに
パッケージされ、それが戸外で一気に破裂した快感を
浴びた。
家へ帰って、ラサールSQの弦楽六重奏版。
朝からは、事務所で、
ブーレーズの弦楽六重奏版と弦楽合奏版。
それから、シノーポリ指揮のものと
「浄夜」5連発。
うつうつうつ、、、、。ソリッドに充満したのは、
古くさい、ロマンかもしれないし、破裂寸前の
何かかもしれない。鈍重だあ。

で、昼ごはん食べて、確実に飽きた、嫌になった。

オーネット・コールマンの「ロンリー・ウーマン」を聴く。
なにが違うって、速度が違う、とにかく突き抜けて
それは、「かっこいい!!」。
シェーンベルク兄
オーネット兄、
どちらがかっこいいかといえば、、、、、。
この昼飯後の時間では、オーネットが破裂して群を抜いていた。

「浄夜」1899年
「ロンリー・ウーマン」1959年 作

たった、60年の差。

で、ついでにオーネットがジェリー・ガルシアのギターと
共演した作品も聴く。これは、1988年。
これまた、速さが違う。「かっこいい!!」

一昨日聴いたブーレーズ指揮の「フランク・ザッパ集」
(そんなんあるんよ)では、
鬱積、屈曲なのに、鈍重が感じられて
破裂もなにも、突破不可能だった。



秋ももうすぐそこで、秋咲きの朝顔もやっと
開花しそうだし(自宅の朝顔は、6月から今までずっと
毎日開花している)

この騒々として、音楽の気配、ほんと嫌。

この嫌さを、一編の詩に昇華できたらなあ、
と思いながら、蒸し暑い事務所で、シューマンを聴いている。

■この夏は、たくさん詩を書いた。流茫、退却する蟻の図が浮かんでは消えて。

2007年09月06日 10時27分06秒 | 日録雑感


きのう、昼飯時に
心のどこかに、武満徹の音楽が鳴って
都市の溝に、無数の蟻たちが流茫、退散、消去される
ようなことをイメージ。
自転車で、京の小路を走っているときだ。

詩は、いつもこんな感じで書きはじめられる。

すっと行くときは、ほぼ20分ぐらいで
50行ぐらいに草稿があがる。

この夏、8月締め切りの詩作品が7件もあった。

みな、水にまつわる作品ばかりだった。

蟻が流された、豪雨、あるいは驟雨。

その雨は、この世界を描く、素描の主体で
夏の人々は、その蟻よりも淡い、主や身で
受動的に構成され、描かれている
と思った。

連作進行中の「双児の艸」でも
似たようなことを考えている。

右耳の上のこめかみあたりがずっと痛く
湿布をしたりしているが、調べる必要があるかも。

7作も書いて、雑誌に送って
その間に、通販カタログなどのコピーも仕上げる。
湿布を貼りながら
ゴルフの月例競技にもでる。
祇園に行くような生業関連の日常もある。

詩を書く、その「書くこと」を日録になど
しるしたことはほとんどないが
疲れた、夏だなあと思う。



ステレオではなくて、
50年代のモノラルの音源に親しんできた。

8月から9月にかけて
ウィリアム・カペルというピアニストの音。

これも、なぜだか
「水」を感じて聞いている。
ミケランジェリの音も。
ピアノの音、「風」よりも少し、少しだけ
ソリッドな粘りのある「水」がいい。

それは、すぐに、退却して、流茫して消える。

この夏は、そんな夏だった。