文屋

文にまつわるお話。詩・小説・エッセイ・俳句・コピーライティングまで。そして音楽や映画のことも。京都から発信。

■グールドの「ゴルトベルク」の音源を聴きながら書いた詩

2012年10月20日 20時53分48秒 | 詩作品
フッサールは、「伝統とは起源の忘却」と言ったという。
グレン・グールドの「ゴルトベルク変奏曲」の最初の録音を聴いていて
その録音の逸話を思い起こした。
ゴルトベルクは、最初のアリアを30の変奏で連ねていく。
連ねていった後に、冒頭のアリアに戻る。
そして、余情は、ふたたび30の変奏に戻されて
この音楽は、限りもなく反復されそうにも思えてしまう。
それが子守唄として創られた曲の構造なのだろう。
グールドは、この55年の録音のときに、まず
30の変奏を収録してから、あらためて冒頭のアリアを
弾き始めた、そしてそれに納得がいかず
21回も試行を繰り返したという。
この21回の時間を思う。グールドはどんな想像力をめぐらせ
それを捨てていったのか。
捨てられた時間を、ぼくはむしろ愛おしく感じる。

ずっと愛聴してきたグールドの「ゴルトベルク」。
この55年の音源を聴きながら、かつて書いた詩を
掲載します。



ゴルトベルク、
朝顔の骨を見つめて
身を抱えながら
                        萩原健次郎



眠りから覚めた鶴を起こすように、草花の滴から天へ裏返す。朝顔の人を抱
えて世の階下へと降りていく。世の下から天上へと、子供たちを集めてい
っしょに天上へと昇っていく。

          草花の想念は、
早朝起床したときには、おはよと言っていつも天に向かっているのに、夏
の朝は、天上から揺り起こされることもない。だから固まって拘束される。
屈曲された球の子になって、ひょいと軽く抱えられて、球となり抱えられ
ても、もう大人である草花は、蔓を天へ天へと昇らせる以Oに生きていく
方法を知らなかった。

                 丸々と球状の生を、
どこまで転がして、それから地に印をとどめていくのか。地の印は、あな
たが生を享けた印でもあるのに、垂直に、垂直に眠っていたそのときのお
やつを欲して戻らなければよかったのにね。七月という、朝顔の生きた時
間まで、ぼくはゆっくり待って共有の印を恋う。

ひとすじ、球から天空への骨の線を束で、
まるごと抱えて生きた地点まで親子のように、夏時間の坂を越えてゆこう
ね。子守唄、瞬間の昼寝のための、肉の、骨の球を思い出の椅子まで両腕
に抱えて、椅子ごとひとつになって同志くん、ヨハン・セバスチャンくん、
骨は骨を好きになり、種はただ、中空ののぞみへと垂直に去っていュ。

         鶴ごとの、草ごとの、蔓ごとの、椅子ごとの子守唄、
グールドの言う怠惰のことであれば、地面から天上の窮みまで何マイルで
行けたことになるの?少年は、球を彼方まで投げて、責任も負わず、ただ
骨に傷つけたというだけなのかい。合奏していた夏時間のその濃い果汁の
住処で、蜜まみれになったあなたの妹の部分を、蔓性に見立てて涼んでい
る。
一丁、一丁、銃も包丁も豆腐も。
そしてカイザーリンク伯爵も。七月の朝顔はいまだ花をつけず、ただひた
すらに天の寝床へ向かって蔓を伸ばしている。ぼくはそれを固定して少し
天の側へ反り返して、平面にして空の寝床と平行にしてから抱いた。

     骨、飲る。骨、降る里では、
夏だから堅くなった骨がいつまでも覚醒している。その色って、む・ら・
さ・きっていうのかい?自分の色名も知らない朝顔と、幼くして不眠症の
伯爵は、球の愛を祝福するだろう。伸びよ、びろびろと。その朝には、ど
こにも居なかった天使が湧き出して、ぶるぶるとエンジンつきのプロペラ
回して舞い降りる。お互い、好きだった季節の挿話を告白しあっても、そ
の朝の天使たちの粗末な衣装については、ふたりして内緒にしておこうね。
缶々に詰めて。でもね、やってこないよ。朝顔の蔓にとまる天使という名
の虫なんか。だから、グールドよ、バッハよ、そのときに

            つるつるした球状の天使のかたちをしようよ。
夏の時間の無限を測りながらころりと。塊となって、死んでたなんて素敵
じゃないか。間違いなく地上のできごとで、蔓が伸びたとしても、腰のあ
たりに、ふたつやみっつの花を咲かすよ。それならば、骨さがすゲームの
人になろうよ。眠っている間にこの夏は終わってしまい、朝轤フ骨の結実
だけが地に降るだろう。

                                眠
りから覚めた鶴を起こすように、草花の滴から天へ裏返す。朝顔の人を抱
えて世の階下へと降りていく。世の下から天上へと、子供たちを集めてい
っしょに天上へと昇っていく。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿