文屋

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★伊東静雄論を書くこと、考えることの悲しさ特急

2005年02月19日 00時15分56秒 | 
朝からずっと、思い悩んで
「伊東静雄論」を書きつづける。
いまは、もう、12時をすぎてしまった。
いろんな文献を読むが、どの論も結局は、「伊東の詩はわからない」
と言っているようだ。

むしろ萩原朔太郎の「べた褒め」の賛辞が妙な信憑性があり
暢気ではあるが、よほど伊東の本質をついているように思えてきた。

もう、何時間、書いているのだろう。

「自我のウロボロス」。
ぽっかり浮かんだ、贋の陣地から贋の自然観照をへて
ふたたび、ぽっかり浮かんだ、贋の陣地に円還してくることの
空しさ、悲しさ。

伊東の本質って、探れば探るほどに悲しさが増してくる。

子規について書かれた、彼の卒論の
宙に浮いた論が、実は、ほんとの彼のようで

ぼくの頭も、ぽっかり贋におぼろ。
しんどいよー。

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