朝からずっと、思い悩んで
「伊東静雄論」を書きつづける。
いまは、もう、12時をすぎてしまった。
いろんな文献を読むが、どの論も結局は、「伊東の詩はわからない」
と言っているようだ。
むしろ萩原朔太郎の「べた褒め」の賛辞が妙な信憑性があり
暢気ではあるが、よほど伊東の本質をついているように思えてきた。
もう、何時間、書いているのだろう。
「自我のウロボロス」。
ぽっかり浮かんだ、贋の陣地から贋の自然観照をへて
ふたたび、ぽっかり浮かんだ、贋の陣地に円還してくることの
空しさ、悲しさ。
伊東の本質って、探れば探るほどに悲しさが増してくる。
子規について書かれた、彼の卒論の
宙に浮いた論が、実は、ほんとの彼のようで
ぼくの頭も、ぽっかり贋におぼろ。
しんどいよー。
「伊東静雄論」を書きつづける。
いまは、もう、12時をすぎてしまった。
いろんな文献を読むが、どの論も結局は、「伊東の詩はわからない」
と言っているようだ。
むしろ萩原朔太郎の「べた褒め」の賛辞が妙な信憑性があり
暢気ではあるが、よほど伊東の本質をついているように思えてきた。
もう、何時間、書いているのだろう。
「自我のウロボロス」。
ぽっかり浮かんだ、贋の陣地から贋の自然観照をへて
ふたたび、ぽっかり浮かんだ、贋の陣地に円還してくることの
空しさ、悲しさ。
伊東の本質って、探れば探るほどに悲しさが増してくる。
子規について書かれた、彼の卒論の
宙に浮いた論が、実は、ほんとの彼のようで
ぼくの頭も、ぽっかり贋におぼろ。
しんどいよー。
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