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文屋

文にまつわるお話。詩・小説・エッセイ・俳句・コピーライティングまで。そして音楽や映画のことも。京都から発信。

■五度目の訪韓。予想通りにソウルは、ぼくの脳裏の「ソウル」じゃなかった。

2009年09月07日 17時47分15秒 | 紀行
先週、ソウルへ旅した。
これで5度目の訪問。
今回は、娘(長女)と二人旅。
87年、89年、それから90年代の初め頃から
久方ぶりで、とまどった。
河南地区のホテルから仁寺洞へ行くのに
地下鉄を利用したのだが
駅名に、漢字表記がない。
ところが、日本のガイドブックは漢字。
「高速バスターミナル」と本には書いてあるが
実際の駅には、ハングル文字とハングル読みの英字表記しかない。
しかも、新線が開通していて
新しいプリペイドカードのシステムにも
みななじんでいない様子で、ホームの人に聞いても
おぼつかない。
昔は、地下鉄もほとんど1、2の路線ぐらいしかなかったのが
今は、8、9路線になってるし。
で、それぞれの駅についている「ナンバー」だけを頼りにする。
つまり「368」駅で降りて「→386」で乗り換えて「391」駅で
降りるといった感じ。「→」を見間違えると、たいへんなのだ。

乗り換えるときは、青色の「3」号線であるとかを頼りにする。

で、鐘路3街で降りて、仁寺洞辻をめざす。
鐘路3街は、「ジョンノサンガー」。おぼえました。

とにかく街に漢字が消えている。
昔は、もう少し漢字があった。
そのころも、「若い人たちは、漢字離れがすすんでいる」
などといっていたが、もはや、消えている。

それから「パゴダ公園」の名前が変わっていた。
これは驚いた。知らなかった。
「タプコル公園」と改称されている。
これもとまどう。

ハングル文字だけのスープの店で朝食。
「ソルロンタン」、ものすごくおいしかったけど
店名は、わからないまま。
キムチを6回ぐらい、おかわりする。

まあ、ソウル。風情がなくなっていた。
明洞は、店頭の呼び込みも日本語で
日本の若い女性とおばちゃんだらけ。

ずっと昔にもそれからも何度も行った
仁寺洞の「山村(サンチョン)」がまだあって、うれしかった。
なんだか、昔は、「旧く懐かしい大阪」のイメージが
あったけど、今はただの「トーキョー」みたいだ。
一昨年に行った「シャンハイ」も似たようなもんだ。
スタバにミスドにファミマにユニクロです。

少しぶらぶらした、河南地区にある
永東市場界隈が、とてもよかった。
露天の市場を抜けて、食品スーパーのレジに並び
それから、「セマウル食堂本店」へ行った。
「セマウルシッタン」ってハングルでしか書いていない
店を探すのに苦労しました。
豚肉が、圧倒的に美味で、驚くべき安価だった。

道に立っているあんちゃんに道を聞いたら
わからない様子。でも
彼は、ぼくのあとを追いかけてきて、親切に
店まで案内してくれた。
彼は、ぼく向かって「アボジー」って叫んだ。

そうそう南大門市場の中に、中古カメラ店ばかりが
並ぶ一角を見つけた。
ローライ35が、3万円ぐらい。
迷ったが、買わなかった。

◆金子光晴の「どくろ杯」を読みながら、久し振りの上海タイムトラベル

2008年01月07日 22時23分10秒 | 紀行
>>>>>この下湿の地が、開化的な今日の都会の姿になったのは、イギリスの植民地主義が、支那東岸に侵略の足場を求めて、この最良の投錨地をさがしあて、湊づくりをはじめて以来のことで、それから今日までまだ、百年ちょっとしか経っていない。>>>>>

4日から、3泊だけの安ツアーで上海に行ってきた。
上海は、1991年と2001年に行っているので今回は、3度目だった。

引用の文章(>>>>>    >>>>>)は、金子光晴の「どくろ杯」。
1930年代の上海のことを書いている。

往き帰りの機内でずっと読んでいた。

>>>>>もうその頃からこのへんは、戦火の巷で、幾度となく瓦礫地にかえり、それ以前には、くり返し、倭寇が荒らしまわっていたものであった。>>>>>

1991年、はじめて上海を訪れてその時見た風景は、
ものの見事にもう無くなっていた。
いままさに瓦礫になろうとしている古い路地の民家の壁には、
おそらく「廃棄」を意味する文字が、乱暴に大書されていて、
一帯の半分は、まさに瓦礫の屑となっている。

17年前に見た上海の光景で、あのときとほとんど変わっていなかったのは、
准海路の通りに架けられた「HITACHI」の飾りアーチだけだったような、気がする。
4日間、とにかくタクシーに乗りっぱなしで上海の町なかを移動しまくった。
どのエリアにも、まるでそれが陣地取りの陣を誇示する旗のように「スタバ」と「KFC」のロゴタイプが、わざと景観からはみでる、あるいは破るがごとくに目立っていた。

>>>>>今日でも上海は、漆喰と煉瓦と、赤甍の屋根とでできた、横ひろがりにひろがっただけの、なんの面白味もない街ではあるが、雑多な風俗の混淆や、世界の屑、ながれものの落ちてあつまるところとしてのやくざな魅力で衆目を寄せ、干いた赤いかさぶたのようにそれはつづいていた。>>>>>

かつては、ホテルの窓からは、この「かさぶた然」は見えていた。
いまは、それすら見えない。
7年前に訪れた、昔ながらの緑地公園を探しても見当たらず、なんだか、整然と管理された味も素っ気もない「都市公園」になっていた。
唯一、今回はじめて行ってみた「魯迅公園」だけは、「昔然」としていた。
なんだか、ほっとした。
闇がどこかへ隠然と消え去り、ぼこぼこに掘り返されて、
瓦礫化されつつありそこにグローバリズムのいびつな大波が襲っている。
ところが、この闇は、きっと消えてはいない。
当たり前だよね。
タクシードライバーの、鬱屈したダンディズムがそれを正直に語っていた。
あるいは、魯迅公園で自然発生的に歌いだして力強く叫んでいた「にわか民衆合唱団」のひとりひとりの怒声が、瓦礫の下の地層をあらわにしていた。

町全体が、ある種の「理想都市」としての鋳型となって整備され、
それが2、3年で形骸化し、形骸化する尻から次の鋳型が作られている。
まるで、近代都市の映画セットかテーマパークであり、
そこに、「さあ入ろう」という掛声で許容量ぎりぎりの民が放たれているという感じだ。

いいも、悪いもない。手遅れだ。

金子光晴が書いていた、戦前の上海。歴史的な地層とその鉱脈、
そこにある何かは、むしろひとつも変わっていないのかもしれない。
狂熱と覚醒そして、
どこか遠くを見据えつつ諦念を抱えた気骨だけは、
いまも生きていると信じたい。

■何年ふりだろうか。香港の今を見てきた。

2007年05月16日 17時04分30秒 | 紀行


15年ぶりだろうか。仕事で香港へ行ってきた。
香港はあの街のままだったが、人の多さがまるで違っていた。
かつては、携帯電話が出だしたころで、日本ではまだ
ほとんど普及していなかった。街ゆく香港人たちが、ただただ
路上でもどこでも電話している光景が異常で、気持ち悪かったが
そういう人たちは、もうあまり目立たなかった。
逆に、日本が遅れてそうなっている。
先週見た香港では、地下鉄内でもどこでも
抱擁しあっている男女と、携帯端末PCを眺めている人の多さが
目立った。かつてはあんなに人前でいちゃいちゃしていなかった。
それから、観光客の多さ。かつては、韓国人や中国人は、見ただけで
判別できたが、いまは、日本人との区別がつかない。
そこに西洋人も混ざって、あの混雑は、パンク寸前みたい。
女人街の横に、スニーカー街というのができていて
スニーカーばかりが並んで、混雑している。
どこもかしこも混雑している。
香港島のセントラルあたりは、もっとのんびりしていたけど
ここも人と車だらけ。多分、中国からの観光客が、どっと来て
混ざっているのだろう。
また、高層ビルがやたら増えているようだ。
あのブレードランナーの映像より進化しているかもしれない。
異国感というような言葉があるかないかしらないけども
そういうのんびりとした感覚は、ほとんど感じられないほど
尖端的な混雑ぶりが、異様に目立った。

去年の思い出

2005年01月31日 17時48分58秒 | 紀行
いやあ、何度でも思い出す。思い出しては吹き出す。プフッ。
去年のこと。パリの「詩のマルシェ」で朗読したんだけど、それが終わった後のこと。
男三人が、「どこか行こう」ということになった。
一応、旅だけど、リーディングという仕事があったわけだから、0FFに
日帰りで、どこかまで。そういうことになった。
ガイドブックなどもあまりない。日帰りで行けるとなると限られる。
ロンドンという案もあった、リヨンというのも。
夜中まで考えて、まあとにかく「マルセーユ」ということになった。
突然、マルセーユ。
マルセーユに関しては、ほとんど情報なし。
朝、駅に行った。切符を買うのが一苦労。なんとか買えた。
一応、改札のようなものがあるが、ややこしかった。
とにかく4時間ぐらいかかって、マルセーユ駅についた。
そこからが奇跡のような体験。
なんのガイドブックももってない。駅の前にツーリストの案内書があったので
地下鉄が走っていることがわかる。駅は、山のてっぺんみたいなところ。
そんなことろから地下鉄走ってるのか、という疑問があったが
どんどん地下に降りると確かに地下鉄の駅があった。
それで、「えっ、どこへ行けばいいの」てな感じで
なんとなく、ターミナルっぽい「なんとかポート」というところまで行く。
観光の中心のような匂いがあった。駅名に。
さあ、今度は、その「なんとかポート駅」からどんどん上がって
地上に出た。
そしたら「絵に書いたようなマルセーユ」だった。一堂感激。
港へ出た。そしたら、「お猿の電車」みたいなのが停まっていた。
おもちゃのような連結された遊覧電車みたいなやつ。500円ぐらいだった。
とにかく乗ってみようということで乗った。
それがそれがびっくり電車。市内の道路をわがもの顔で猛スピードで走る。
おもちゃのくせに。30分ぐらい走った。そしたらなんと山の頂上の教会へ。
「マルセーユ一望」。
山の上からなにやら、白っぽい小島が見える。港から異様に近い。
変な島。で、売店で絵はがきを見たら、どうやらあの島は
昔本かなにかで読んだ「厳窟王」の島らしい。
「行こう」ということになって、今度は、普通のバスに乗って
あの「なんとかポート」という名のみを頼りにまたまた猛スピードで下る。
それから、とにかく船、ということで1500円ぐらい払って
船に乗る。どこ行きかもなにもわからない。
で、厳窟王の島へ。地中海だよ、感激だよなどといいながら
1時間ぐらい。で、また「なんとかポート」へ戻ってきて
こんどは、食事。名物の「ブイヤベース」。
これが名物かなにかももちろん知らず。
で、友は、地中海で海水浴。ぼくは、ワインとビールたらふく。
で、パリに帰って、夜十時から、また、酒。

これが去年の思い出。