文屋

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★マイルス・デイビスの破裂・混沌・狂気と侠気を着込んで懐かしく新鮮。

2007年06月29日 17時48分49秒 | 音楽


エネスコの管弦楽の全集を手に入れてからそれを
しばらく聴いて、マーラー、ブルックナーもやっぱり
聴かずにいられず、
とくに、ヤッシャ・ホーレンシュタインという指揮者の
全体に暗く、静かに激しく、とても緻密な
楽団演奏にしびれて、そればかり聴いていたが、
突如として、

マイルス・デイビスの70年前後の音源に浸りだした。

最初に

●「マイルス・イン・ザ・スカイ」1968年。

これは、思い出深い。

1969年、ぼくは高校3年。秋になって、みんな受験勉強
にどっぷり浸っているときに、文化祭で
「ジャズ喫茶」を作った。テーマは「黒人とジャズ」。
ひとりで教室ひと部屋借りて、壁一面に
相倉久人や平岡正明の文章を写して、べたべた貼って

でっかいギターのアンプをスピーカーにして
大、大音量で、この「マイルス・イン・ザ・スカイ」や
コルトレーンの「至上の愛」をかけていた。

校長が入ってきて「こんなやつも、おるんや」というような
つまり訝しさまるだしで、何か感想を言ったように記憶
している。

あのころ、マイルスの凄さやラディカルさは、きっと
わかっていなかった。
“電気”に走って、音を増幅する、ロック色のマイルスが
日和見に見えた。

なんのなんの、いまからこの
70年前後のマイルスを眺めたら、修羅のようではないか。

●「ゲット・アップ・ウィズ・イット」1970年〜

●「アット・フィルモア」1970〜

えっ、もう、37年も前の音源か。

こんなにも前に、ジャズが正しい終末であったのか。
終末を生きて、破裂している。
マイルスは、どの時代もジャズ史の人的ドキュメントで
終末に、破裂していた。

1956年のマラソン・セッション。
ぼくは、中3で、これにいかれた。

1959年の
「カインド・オブ・ブルー」。
高校生のぼくには、何度聴いてもよくわからなかった。
ただ、何度聴いたかわからない。

いまは、ジャズのアルバムのベスト1だと思っている。

昔は、もちろんレコード。

これがCDにはじめてなったときに買った。
国内盤の定価が、3800円だった。

それで、最近、買い換えた、新しいCDでは、
もうかつての音源とは、まったくの別物のように
音の洗練度が違う。

●「ビッチェズ・ブルー」1969年
●「オン・ザ・コーナー」1972年
●「アガルタ」1975年

と聴き続ける。


こんな音楽、破裂・混沌・狂気、侠気、、、、、、、、の
音楽を、どんなやつが聴いているのだろうかと
ふと思う。

くたくたになる。



●久しぶりにカラオケ。さてどんな曲を唄ったでしょうか。

2007年06月15日 20時02分30秒 | 音楽


12日、久々にカラオケ。
唄った歌は、

「プカプカ」西岡恭三
「轟沈」戦時歌謡
「砂に書いたラブレター」パット・ブーン
「スーダラ節」植木等
「裏切りの街」ダウンタウンブギウギバンド
「花の首飾り」井上陽水バージョン
「ヨイトマケの唄」美輪明宏

よくもまあ、長いこと唄ったものだ。
珍しく、ド演歌はなし。

早朝、喉が痛くて目覚める。


いまは、なんだか、

ズービン・メータ指揮 ウィーンフィルで
「マーラーの交響曲2番」
「シュミットの交響曲4番」

それから、ブラームスの交響曲を
ベイヌム指揮 アムステルダムCO
ケンペ指揮  ミュンヘンフィル

で聴き通して、しんみり。

シュミットという作曲家。
ブルックナーにそっくり。

ぼくは、ブラームスの交響曲の2番が好き。
甘くなくて、大きくて、
ずうーと遠い哀しみが見える。

ブルックナーでもそうだが、
自分の幼児期の哀しみが
ノスタルジックに反芻できるような曲が好き。

反芻しながら、心臓のどこかが
空気から遊離して、
「すーと、生に諦観が帯びてくる」
としめたもの。

最近、グルジアの作曲家で
カンチェーリという人がいて
激情を感じている。

◆「ウッドストック」の映像を見て泣くなんて、DVDもなかなかのもんだ。

2007年06月01日 21時32分21秒 | 音楽


なんとなくDVDのソフトばかりが少しばかりたまってきたので
DVDの再生プレイヤーをやっと購入。
事務所のパソコンでも見ることはできるのだけど
それに、自宅の居間にもあることはあるけど
ほとんど家のものに独占されていて、
というよりも、オペラなんかで、長い時間
居間のテレビを専有することもできず
かといって、自分の部屋のテレビは、極小画面だしで
購入は、いつでもいいやと思っていたが、

マゼールの「マーラー9番」
クライバーの「ベートーベン4&7番」
カラヤンの「ブルックナー8番」
ギーレンの「英雄」
ピアソラのライブ

などを手に入れたものだから

「ひょっとしてステレオにつないだら音だけでも
満足できるかも」という考えで買ってしまった。

それで、このごろは、家で電気を消して
よくDVDをかけている。

映像があると、酒が進む。
オーディオの音だけだと、なんとなく居住まいを正して
聴いてしまうけど、映像があると
気をゆるませて、しばしカフェみたいに
だらだらと酔いながら見ることができる。

この前の夜、
クラシックのあとに
「ウッドストック」の映像を長々と見た。
まあ、印象としては、とにかく「甘い」のひとことにつきる
白人の面々が、黒人の模倣をひたすらやってる図が
ぷんぷんする。
ニューポートのジャズ祭のロック(白い)お祭りといった
風情。と思ってみていたら

ザ・フー
ジャニス・ジョプリン
と最後のほうに出てくるに及んで、、、、、
涙ぐんでしまった。

トリのジミ・ヘンドリックスには、
もう、ちと、震えました。

白黒超えてる。

彼の霊感のような、あるいは、トリップから零れ出す
音の創造は、マーラーやブルックナーなどの
音楽よりもある意味で、パーフェクトじゃない。
などと、ジーンときて、
ヴードゥ・チャイルドとパープル・ヘイズに
ただただ殴り倒された。

でも、この映像における、音楽は
ジャニスとジミに尽きる。
彼らがステージでなにをやったかが、はっきりと映っている。
いまから遡上してよ、
ジョー・コッカーなどは、寂しい映像だし、
CSN&Yは、反ブルーアイドソウルで、洗練は
されているんだが、厚い厚いスクエアな西洋音楽は、超えていない。

ジャニスとジミは、ジャズもクラシックも完璧に超えた
至極、まっとうなプロフェッショナルに見えた。
彼ら、ふたりは、観客に音楽以外のことを
微塵たりとも語ろうとしていないことも心が動かされた。
突然、坩堝なわけだ。