文屋

文にまつわるお話。詩・小説・エッセイ・俳句・コピーライティングまで。そして音楽や映画のことも。京都から発信。

★鏑木清方の画集を買って、カフェ「猫町」にはじめて座った。

2005年06月27日 17時48分42秒 | 日録雑感

白川通りの少し西に「猫町」というカフェがあるのを知っていた。
知っていたけども、行ったことはなかった。
きのう、文庫堂の入口にあった、太宰の全集のかたわれ
一冊200円を三冊と、「鏑木清方」の画集、300円を買って
この店にはじめて入った。
名前は、萩原朔太郎の小説のタイトル「猫町」にちなんでいる
ようだが、それ以外は、普通のカフェだった。
朔太郎の何か、空気でもあるかなあ、と思ったのだが
それは、さっぱりなかった。

鏑木清方の絵。
画集でじっくり見たのは、はじめて。

でっかい画集をカウンターでひろげて、まずは、ここちよかった。

鏑木は、随筆集の「こしかたの記」「続こしかたの記」で
なじんでいたが、
こうしてじっくり眺めていると、衣服に対する
繊維といったらいいか、それは、黒髪などもふくめた
密なるものへの、フェティッシュが凄かった。

見つめていることの愉悦が、密に充満している。

『鰯』という作品の、点的な景物に
記憶すら、エロティックに内包させてしまい、茫洋とする
創作者の笑みが匂うようだ。

●太宰の短編を読んで、ニューヨークを愛し直した。楽観するような馬鹿は滅んでいい。

2005年06月26日 21時31分59秒 | 日録雑感
焼酎は、二階堂がうまい。
そば。そばは邪道で、焼酎は、芋でしょ。
などという人がいるけれど、そばと米が好き。

飲みながら、だんだんと、ニューヨーク
を思い出してきている。あの町は、あんな町ではないと。

90年ごろに3度たてつづけにニューヨークに行った。
そのころは、ラウシェンバークのアトリエに行く機会があったり
カリやドクタージョンや、ジャンポールブレリーのライブを聴いた。

旅がつまらなくても、少し時間が経つと、逆旅愁が訪れる。

順旅愁とは、まっとうな旅の思い出だが
逆旅愁とは、愛のない、旅の記憶。
愛がないからこそ、旅愁は、クールに恋しくなる。

今回のニューヨークの白眉は、
アムステルダムアベニューだった。

昼下がり、歩きつかれて行った、アムステルダムアベニューの
店。そこでただじっとして、食事をした時間。

ああいう時間が、旅の白眉になる。
きょう、白川通りの文庫堂で、200円の古本を買った。

昭和15年前後の太宰治の全集。

闊達な文章だ。パンクだ。太宰というやつは。


ニューヨークのジャズ、あるいは、ジャズはもう終わっていた。

それは悲しかった。俺の歳が、もう、この町の
だるい素敵にもうあわなくなったのか。
そう思っていた。でもこのだるさ、
2005年のアムステルダムアベニュニューにはまだあった。

昔、セントラルアベニューの「歪んだ松」を見た時に
この町の底力を感じた。

この自然の腰力が、ポップアートや現代美術の力を支えていると
思った。ラウシェンバーグの諦念もそれは、
戦中に溺死のように死んだ太宰治のように
美しく、人の美感性をやわに殺していた。

アムステルダムアベニューのイタリアンレストランの昼下がり
その前にいまもあった、歪んだ松。

そりゃ、歪んだ松はあるよね。

あれは、メトロポリタン美術館を後方から見ただけの
ただの諦念の光景であったにすぎず
ぼくの死の願望をただ正確に写していた。

どこかの都市の生きても死んでもどっちでもいい
諦念の午後など、だれが弁解できるものか。

それを思い出させた。

さすがだよ。ニューヨーク。
オポチュニストをただ殺したい昼下がりならば
この街だね。それを思い出させた。

太宰の力かもしれない。
腐ったオポチュニスト。腐れ。

ニューヨーク、愛してる。

昨日、ライカのポジを見直して、涙した。

■パリもNYも均質化して、なんだか普通の都会になっている。

2005年06月21日 13時17分45秒 | 世間批評



去年のパリと今年のニューヨーク。どちらかといえば
パリは、あまり好きでなくニューヨークは、とても好きな町だったが
印象が逆転した。なんだろうなあ、煙草かなあ。
パリでは、まったく遠慮なくどこでも煙草が吸える。
女性でも平気でくわえ煙草で歩いている。
カフェでは、そのままテーブルの下の地面に吸い殻を捨ててよかったりする。
煙草は、吸いたいときに吸いたい。
テロの影響なのか、NYは町全体が緊張しているような感じ。
10年ぐらい前は、まだチャイナタウンとリトルイタリーが
きれいに二分されていたのに、イタリーが中華に浸食されて、
中華パワーに押しまくられていた。
ヴィレッジは、昔のようなのんびりした界隈ではなくなっていた。
すしバーがやたら目につく。そこらじゅうのカフェに、醤油瓶がおいてある。
変だ。パリは、パリで、イタリアンの店が多くなっている。
10年前に比べて、町全体が開放されていた。
ユーロという大陸的なロケーションが満ちている。
NY、普通のビルの中に入るのに、いちいち写真を撮られる。
荷物は、X線検査。
駅構内は、写真撮影も禁止。
パリもNYもまあ、あんまり異国という気がしなくなっている。
アジアへの旅が人気なのがよくわかる。


●ただいま、メールが読めません。ごめんなさい。みなさん。

2005年06月04日 22時02分47秒 | 日録雑感
京都アイネットが突然メール受信できなくなった。
もともとは、三セクだったが、最近、民営になった。
土曜日夕方からずっとメールが不通になっている。

全会員メールが受信できないのだから大混乱しているだろう。

ぼくも理由がわからず、このためだけで
事務所に出社した。ウイルス感染したと思ったから。

それで、アイネットのHPを見たら
緊急メンテナンスなどと言っている。


大変な迷惑。

仕事上の損害も多々ある。

どうなるのだろうか。

この一件で、解体するんじゃないだろうか。

あと24時間ぐらいすれば、「金返せ」と
みんな叫ぶだろう。

緊急の要件の場合、公開されても可ならば
ここにコメントを書き込んでください。

まるで、停電で、ろうそくに火をともすみたいな気分です。

■別にファンでもなかったけれど貴ノ花という、団塊男は、いい男だった。

2005年06月02日 16時50分16秒 | 日録雑感


元大関の貴ノ花は、団塊の星だったのかもしれない。
昨夜のNHKの再放送を見ていてそう思った。
70年代の活躍と、苦闘。けっして強い力士ではなかった。
そのころの勝負の模様は、いまとくらべものにならないぐらい
スピーディで気迫に満ちていた。死にものぐるいの闘いだったんだ。
いまさらながら、そう思う。いまの相撲は、いったいどうなってんだと。
引退を決意した当時の貴ノ花の素顔の表情も映し出されていた。
貴ノ花って、虚無の人だったんだと感じた。
すねている、人生に。捨てている、ある、固定された誇りのようなものを。
男らしく見えた。
それにひきかえ、ふたりの子の、虚無すらも知らぬ「ヌケ」具合が
とても気にさわる。相撲は、職業であり、それが稼業であろうが
身を投じたのであれば、投じたことに、虚無であるべきだ。
ただ、ひたすらでいい。すねていようがシニカルだろうが。
その道に、なんの「有」もない。意味すらもない。
団塊の人だったんだ。
いい男だった。