以前,紹介したことがありますが(→リンク),別役実の『私家版悪魔の辞典』の「貧乏」には,こう書かれている。
びんぼう【貧乏】
家族でうな丼を食べに行き、注文を取りにきた店員に「特上と上と並がありますが」と言われ、父親と母親が一瞬不安そうに目くばせをして、それから父親がほとんどさり気なく「今日は、並でいいよ」と言った時、はじめて子供は、貧乏というもののデリカシーを知るのである。つまり貧乏というのは、きわめてデリケートなものなのだ。
これを読んだとき,ある思い出が蘇りました。
大学時代,テニスサークルの合宿だったか,長野県に行きました。ちょうど同級生の一人が長野県出身で,帰りに数人で実家にお邪魔したときのことです。
お宅では,高校の先生をしているお父さんをはじめ,家族みなで歓迎してくれました。夕食は,お母さんが手料理に腕を振るい,それこそ「食卓の脚が折れんばかりに」(韓国式表現)たくさんのごちそうが並びました。
友人は長男で,夏休みだったので大学生の妹に,少し年の離れた弟(小学生?),そしてもちろんご両親もいっしょに卓を囲みました。
心尽くしの手料理に混じって,御飯がわりということでしょうか,近所のお寿司屋さんから出前をとったとおぼしきにぎり寿司も出た。
すると,それを見たいちばん下の弟が小狡そうな目つきで,
「お母さん,これ,並だね」
と言ったのです。
(そのぐらいボクにだってわかるんだよ。騙されないよ…)
そのときのお母さんの,ばつの悪そうだったこと…。
(ったく空気の読めねえガキだなあ)
びんぼう【貧乏】
家族でうな丼を食べに行き、注文を取りにきた店員に「特上と上と並がありますが」と言われ、父親と母親が一瞬不安そうに目くばせをして、それから父親がほとんどさり気なく「今日は、並でいいよ」と言った時、はじめて子供は、貧乏というもののデリカシーを知るのである。つまり貧乏というのは、きわめてデリケートなものなのだ。
これを読んだとき,ある思い出が蘇りました。
大学時代,テニスサークルの合宿だったか,長野県に行きました。ちょうど同級生の一人が長野県出身で,帰りに数人で実家にお邪魔したときのことです。
お宅では,高校の先生をしているお父さんをはじめ,家族みなで歓迎してくれました。夕食は,お母さんが手料理に腕を振るい,それこそ「食卓の脚が折れんばかりに」(韓国式表現)たくさんのごちそうが並びました。
友人は長男で,夏休みだったので大学生の妹に,少し年の離れた弟(小学生?),そしてもちろんご両親もいっしょに卓を囲みました。
心尽くしの手料理に混じって,御飯がわりということでしょうか,近所のお寿司屋さんから出前をとったとおぼしきにぎり寿司も出た。
すると,それを見たいちばん下の弟が小狡そうな目つきで,
「お母さん,これ,並だね」
と言ったのです。
(そのぐらいボクにだってわかるんだよ。騙されないよ…)
そのときのお母さんの,ばつの悪そうだったこと…。
(ったく空気の読めねえガキだなあ)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます