夕方の映画館に入るのはいいもんだ、という、さとなおのエッセイを読んだからでもないけれど、
17時10分に、新宿ピカデリーで、なぜか京王線でのつり広告が印象的な「ライフ」を
見てまいりました。
行数に制限の無いブログで、こんな婉曲な書き出しをするのは、お察しのとおり、
私の心には深く刺さらず、とはいえ反発をよぶでもない、なんとも中途半端に形跡がのこる
映画だったからです。
上のライフの文字にリンクを埋めたので、公式hpを見てくださったらわかるのですが、
生きることの押し売りを、これだけ堂々と声高にできるのは、
誰にも反対ができず、反対したって相手にされない「自然」が対象だからです。
そう、なぜ生きるのか、どうして愛するのか?小説なら、ただそれだけでもあまりに壮大なテーマで、
答えを見つけることは放棄して、その一断面を描こうとするのがせいぜいでしょう。
でもね、動物が(少しだけ食虫植物も出てきますが)相手だと、人は勝手に、都合のいいところだけを投影して
生きる意味をわかったようにしゃべってしまう。
映画についている日本語のコメントは、ほぼずっとそんなトーン。
下手に動物の心を代弁するような台詞になると、ほんまにわかるんか?とつっこんでしまいたくなります。
あまたの大ヒットハリウッド映画でも平気で最初から寝てしまうことがある私が、
90分の自然映像をずっと目覚まし状態でいられたのは、なんのことはない、
ずっとコメントに一人つっこみをしていたからなのでした。
映像がとても手の込んだ、時間をかけた物だと言うことは良くわかります。
プラネットアースで売り物にした、空からの超望遠を可能にしたスタビライザーはもはや当たり前。
超ハイスピードに、超クローズアップ。
自由自在に視点が変わる多彩な絵作りも、目覚まし効果に役立ってくれました。
でも、どこにもストーリーがない。
生態の一断面だけ。
もちろん、南極、日本、アメリカ、マダガスカル・・・・あまたの地を旅して、
ハキリアリからヤドクガエル、コモドドラゴンにイワシやマッコウクジラにウェッデルアザラシ、
チーターに西ローランドゴリラに、そうフサオマキザルも登場して、
多くの命が地球全体に生きていて、それが生物多様性でというメッセージのためのストーリーなき
ストーリーだと言うことは、あまりに図式的なので簡単にわかります。
でも、ストーリーと言うとき、いやしくも自分以外の人に語るとき、「次はどうなるの。どういうお話がひろがるの」
という気持ちを引き起こさないものをストーリーとはあまり呼びたくありません。
それでも、今日で公開1週間がたつにもかかわらず、100ほどの席はほぼ埋まり、
それも自腹で来館したに違いない20代~30代のカップルがほとんどでしたから、
私が通念で考えている映画とストーリー以外の価値がこの映画にはあるというところが、
今日の最大の刺激でありました。
そして、自然映像でつむぐ映画には、まだまだ可能性があるはずだと
すこし頭を働かせ始めるのであります。
あれ、つまり久しぶりに、「終わったあと、誰かと話したくなる映画」だったと
いうこと???
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