先週末に「ファミリーツリー」を見ました。
ハワイが舞台で、家族の物語。
この二つで、見たいと思いました。
ホノカアボーイに足を運んだのと同じでしょう。
あの映画には蒼井 優ちゃんが出演している3ポイント目もありました。
しかし、この映画は良い意味で私のポイントをはずしたところで印象に残りました。
私にとってこの映画の主人公は、ジョージ・クルーニー演じる夫にして父親でもなく、
オアフの実家を出てハワイ島の高校で寄宿舎生活を送る姉娘でもなく、
母の病をもてあます妹でもありません。
満面の笑顔がワンシーン、その後はずっと延命装置につながれ、少しだけ口をあけて
瞳は閉じたままでいる母であり妻である女性です。
意志も感情もなくなって、しかし肉体は生きている無表情の有意は、
少し開いた口から雄弁に語られていくのです。
事故の経緯を探り、浮気相手を探し、その気持ちに達しようとするジョージクルーニーの
とろうとも思えるやり場のない旅への共感は、その生じるところの妻への想像力を
かき立てるのでした。
この彫刻によって平面から浮かび上がる影で語らせようという手法は、
見ている私の心に転写されました。
ストーリーよりも役者よりも、語り口によってはまりこまさる監督の手腕に、
ひときわ創造力の可能性を考え直す映画だったのです。
上映後、映画館を出いていく観客の口が重かったのは、
ストーリーのあり方とともに、こんな内面へ向かせるたびに誘った手口に
多くの人々がマジックをかけられたからだと確信するのでした。
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