海鳴記

歴史一般

大河平事件再考(8)

2010-09-18 08:02:33 | 歴史
 これを知った鷹丸は、嫉妬にかられ、妻を離縁した。当然、理由は内密にしただろう。これが表沙汰になれば、自分の不名誉ともなるし、ともに成長した「信頼ニ足ル」家臣も失ってしまうことにもなりかねない。
 おそらく、離縁の理由は、どうとでもなった。たとえば、大河平家になじまないとか、跡取りの男児が生まれないとか。
 あるいは、これらとはまた違った筋立ても可能かもしれない。それというのも、後添えに入った歌(子)の素性が今一つはっきりしないからだ。大河平家の家格にあった城下士の娘だという痕跡が見えないのである。
 それゆえ、もし歌(子)が大河平近辺の地方武士の娘、また大河平出身の娘だったとしたら、どうだろう。これなら、また幾通りかの筋立てが可能だろう。ひょっとして、川野道貫だけでなく、清藤泰助や他の若者たちも巻き込んだ「恨み」まで発展した「騒動」でもあったのかもしれない。
 もちろん、こんなことは、隆芳の「山林原野御下戻願」には一切書かれていない。隆芳が、一家斬殺の原因に挙げているのは、川野が主家の財産である山林を盗伐し、それらを売り払うという不正を働き、それを鷹丸に追及され、これを「恨み」に思ったからだとしている。
 しかし、考えてみれば、これだって奇妙なことのように思える。聡明で「信頼ニ足ル」川野に、大河平家の管理を任せたのに、数年を経ずして、裏切ったのである。もともと、川野が面従服背(ふくはい)の徒で、それを鷹芳や鷹丸が見抜けなかったとしたらともかく、もしそうでなかったとしたら、川野が不正を働くに至った動機もあったはずだろう。
おまけに、川野と清藤が共謀したのかどうかわからないが、「山林原野御下戻願」のある項には、清藤泰助も、「明治九年中、・・・檪(くぬぎ)樹ヲ伐採シ櫓(ろ=やぐら)木ヲ製造シ、人吉ノ商人藤田某ニ売却シ」たりもしているのだ。たとえ、かれらが面従腹背の悪漢だとしても、そして、それが周囲の人達にわかってきたら、主家殺しに十数人も従(つ)いて行くだろうか。
 つまり、川野や清藤には、不正を働く動機があったと考えたほうが、納得がいくのである。だが、それが単に鷹丸の妻にまつわる「私怨」だとしても、またそのことで不正を働いたとしても、獄中で漢詩まで作る大人まで巻き込み、それも赤ん坊まで殺す「動機」足りうるかというと、はなはだ疑問に思えるのである。
 言い方を変えれば、単に、「私怨」が発端だとしたら、鷹丸一人をあるいは鷹丸夫妻を殺害するだけで充分なように思える。十数人で子供(跡取り)まで殺害するというのは、主家を断絶させたいという意味合いまで含まれているのだから。