海鳴記

歴史一般

大河平事件再考(2)

2010-09-12 08:20:16 | 歴史
 私は今、まだ真新しい郷土史である、平成6年刊行の『えびの市史』(上下2巻)の下巻を開いている。まだ真新しいというのは、6,7年前、最初にえびの市の図書館を訪れた際、図書館と隣接した「郷土資料館」で「まっさら」なものを購入していたからである。おまけに、『西南之役異聞』で利用したほか、あまり見開くことがなかったからでもある。そしてその時点で、いい出来の郷土史だとは思っていたが、前回、いろいろな地域の郷土史を紐解き、それらと比較すると、さらにいっそうその感を強くした。
 「大河平事件」は当然のことながら、西南戦争中、鹿児島の郷土史ではほとんど記載のなかった2度目の隊編制の詳細、それぞれの配置や周辺の戦闘状況と、余すことなく伝えてくれている。それも、適切で明確な資料の提示も怠りなく、文章も非常に読みやすいときている。文章の読みやすさという点では、あの『姶良町郷土誌』にも充分に優っている。
 ところで今回、大河平一族の歴史も再確認しようと中世編から目を通して見た。すると、近世編とは違う執筆者が担当していることはわかるものの、資料提示の的確さや解説の明解さ、さらにかなり多くの人の目を通したと思われる校正の厳格さという点でも「出色」の郷土史だということがわかった。
 
 話は少し脱線するが、こういう郷土史を読むのは楽しい。こんな経験は初めてだった。今までは、必要のためだけ、半ばいやいや目を通していたが、この郷土史だけは、そういう気がしなかった。部分部分の項目を何気なく読んでいても新しい知見が頭に飛び込んできて、いわばワクワクさせられたのである。 
 そういう知見の中で最大の収穫は、巻末に掲げてある史料集を眺めているときに出遭った。そこにあったのである。私が目を通した限り、鹿児島の郷土史にはなかった籾高表示の史料が。
 「(日向<ひゅうが>諸県<もろかた>郡)飯野郷池嶋村門別<かどべつ>田畑」という史料に、それぞれ等級分けされた田畑の収穫(目安高)量がすべて籾(高)となっていたのである。以前、このような明確な史料が『縣史』を含めて鹿児島の郷土史では見出せなかったため、苦労して私なりの推論を展開した。が、何のことはない、ここにあったのである。
 日向国内の史料とはいえ、島津支配下にあった土地柄なのだから、何の問題もない。島津氏は、薩摩、大隅、日向(諸県郡)という三州の支配者であり、その威令通達は、琉球や島嶼群を除けば、2,3日で隅々まで浸透したはずである。
 だから、ここが例外であるという批判は的外れであろう。たとえ、本文で70数万石という公式数字を挙げていたとしても。