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『ジュリー&ジュリア』

2010-04-15 | cinema & drama


去年、UKに行く飛行機の中で、公開されたら観たいなと思っていた映画 『ジュリー&ジュリア』 を観た。
監督・脚本は、映画版 『奥さまは魔女』 のノーラ・エフロン。彼女の作品と言えば、『恋人たちの予感』 や 『めぐり逢えたら』、『ユー・ガット・メール』 と言った王道の恋愛ロマンスが浮かぶが、今回は実話を基にしたコメディ・タッチのテンポのよい作品だ。

これは、料理で人生を変えたふたりの女性の物語。
料理研究家ジュリア・チャイルドが50年前に出版した料理本の全レシピを、1年で制覇しようとする現代のジュリー・パウエル。そのジュリアとジュリーの姿を、第2次大戦後の時代と現代が交差しながら話は進んで行く。実話とは言え、物語の焦点が面白い。
何と言っても、“ボーナペティ!” と大袈裟に言う、ジュリア・チャイルド演じるメリル・ストリープが、とっても可愛らしかった。
外交官の夫の転勤でパリで暮らすことになったジュリアは、フランス料理に魅せられ、好奇心旺盛で食べることが大好きな性格が転じて、名門料理学校コルドン・ブルーのプロ養成クラスに入門する。
その料理修行の過程が面白く、様々な食材に四苦八苦する姿が豪快でユーモアたっぷりに描かれていて、意地になってたまねぎを刻んだりするジュリアの奮闘する姿は、いじらしくて可愛かった。
そして持ち前のバイタリティと理解ある夫に支えられ、見事に料理学校を卒業するジュリア。
その後出版した料理本が話題となり、TVの料理番組で一躍人気を博した。その番組で最後に言うセリフが、“ボーナペティ!”(Bon appetit=フランス語で “召し上がれ”) なのだ。


一方現代のジュリーは、ニューヨークに住む食べることが大好きな働く女性。愛する夫とふたりで幸せな毎日を送っているものの、9.11後の市民相談係の仕事や社会の不満で少々お疲れ気味。何をやっても中途半端の現状から何とか抜け出したいと思っていた時に出会ったのが、半世紀前に出版されたジュリアの料理本。
そこである日、ジュリーは一大決心をした。それは、ジュリアの料理本のレシピに挑戦し、1年で制覇してそれをブログに掲載すること。
何度も失敗しては挫折し、夫に八つ当たりしながらも理解ある夫や応援する友人たちに励まされながら、無謀とも思えるこの挑戦をやり遂げるのだった。


とまあ、あらすじはこんな感じなのだが、ジュリーとジュリアに共通している背景は、ふたりとも素晴らしい夫の献身的な最高の支えがあったということ。
やはり、愛する人からの 「美味しい!」 という言葉は、何事にも変えがたい励みなのだ。


別々の時代で料理に生き甲斐を見出して行くふたりのプロセスが、うまい具合に交互に融合しながら描かれていて、コミカルなスパイスも効かせながら、全く違う時代の違う街での出来事がシンクロして行く映像は、観る側を飽きさせず、とても印象に残っている。
最近は肝っ玉母さん的なイメージが強いメリル・ストリープだが、豪快で無邪気なジュリアのキャラクターにピッタリはまっていた。
偶然にも、同じように “食” が絡む 『恋するベーカリー』 の主演もメリル・ストリープで、パン好きの私にはとても惹かれるタイトルなのだが、予告を観る限りではこの 『ジュリー&ジュリア』 の方が良さそうだった。

さて、そろそろ夕飯にしよう・・・。
Bon Appetit!

『パイレーツ・ロック』

2009-11-08 | cinema & drama


早く観たくて観たくてうずうずしていた映画、『パイレーツ・ロック』(原題:The Boat That Rocked / アメリカではPirate Radio)を観に行ってきた。
笑って泣いて、文句なく私にとって今年のNo.1映画となった。それまでは、『スラムドッグ$ミリオネア』 が今年のNo.1だったが、コレに決まり!
特に音楽好きにはぞくぞくするくらいに琴線触れまくりで、最高に楽しくてステキな映画だった。もう大満足!
監督は、『Mr.ビーン』 『ノッティングヒルの恋人』 『ブリジット・ジョーンズの日記』 『ラヴ・アクチュアリー』 のリチャード・カーティス。

【ストーリー】
1966年イギリス。ブリティッシュ・ロック絶頂期。政府は “ロック=諸悪の根源!” とみなし、BBCでのポピュラー音楽の放送を1日45分以下と規制していた。
しかし厳しい取り締まりなんてどこ吹く風。海賊ラジオ局は、英国の法律が適用されない北海の船上から24時間ロックを流し続け、若者に圧倒的な支持を受けていた。
その北海に浮かぶ船に、高校を退学になったカールがやってくる。更正のため、母親から名付け親のクエンティンに預けられたのだった。
クエンティンは海賊ラジオ局の経営者。アメリカ出身のザ・カウントらクールなDJたちが、24時間ロックを流し続ける一方、政府はこのラジオ局を潰そうと画策しているのだった。
個性豊かなDJたちが送る破天荒でゴキゲンな日々、そんな彼らが贈るメッセージには皮肉もユーモアも愛情も、たくさんのエネルギーが満ち溢れている。
ロックで繋がっていく強い絆は、やがてイギリス中を巻き込み、とんでもない奇跡を巻き起こす!
※goo映画、シネマトゥデイ、HMVから抜粋

冒頭からいきなり、The Kinks(キンクス)の 「All Day And All Of The Night」。もうそれだけで、期待に胸が膨らんだ。
海賊ラジオ局 “Radio Rock” のボス、クエンティン役は、『パイレーツ・オブ・カリビアン』 シリーズのデイヴィ・ジョーンズ(タコ男)役を演じたビル・ナイ。タコ男では顔が分からないが、とっても渋くてステキなおじさま。
 渋い!

24時間放送の中で、いろんなDJが番組を担当している。トップDJはアメリカからやってきたザ・カウント(伯爵)で、自身が製作総指揮も手がけた 『カポーティ』 でオスカーを受賞したフィリップ・シーモア・ホフマンが演じている。ザ・カウントは、“Fワード”(いわゆるF**Kの四文字言葉)を初めて電波に乗せようとしたりして盛り上げ、仲間からの信頼もリスナーからの支持も厚い、どんな時でも音楽を愛しているタフ・ガイ。
 Big DJ!

政府のもくろみでスポンサーから締め出しを食らいそうになり、スポンサーの支援を得るために、クエンティンは英国を離れていた伝説の人気No.1DJギャヴィンを呼び戻す。
ギャヴィン役は、『ノッティングヒルの恋人』 でヒュー・グラント演じるウィリアムの同居人、スパイクを演じたリス・エヴァンス。あのブリーフ一丁で歩き回っていたひょうきん者のスパイクが、ここでは超渋くてカッコいいダンディな男に変身。
The Rolling Stones(ローリング・ストーンズ)の 「Jumpin' Jack Flash」 をバックに初登場するシーンでは、キザなんだけど思わずキャーッと叫びたくなるほどカッコ良くてキメキメで、DJする姿もイカしていた。ずっと、Tom Petty(トム・ペティ)に似てるな~と思いながら観ていたのだったが・・・。(笑)
 これがその初登場シーン     キザなのに嫌味がない

そして、高校を退学になったカール。この青年が本当に可愛かった。典型的なイングリッシュ・ボーイって感じで、役柄も好青年。
演じているのは、トム・スターリッジ。ちょこちょこ映画に出演しているみたいだが、初めてお目にかかる。父親は劇作家兼プロデューサー、母親は女優で、名門パブリック・スクール出身のお坊ちゃまのようだ。
煙草とマリファナで退学になって更生のために乗せられた船だったのに、そこで彼を待っていたのは、更生する場所にしては全くかけ離れた世界だったから、最初は戸惑う毎日。
でも周りの大人たちはみんな気のいい奴らばかりで可愛がられ、気ままな行動に引っ張り回されながらも、すぐにその空気に溶け込んで行った。
 クエンティンの姪っ子マリアンにひと目惚れしてチェリー・ボーイを卒業するカール

愛すべきキャラクター揃いで、全登場人物を写真付きで紹介したいくらいだ。私もこの船の一員になりたいな~とマジで思った。
良過ぎるくらいにいい人ゆえ、愛する人に裏切られてどん底まで落ち込んでいる時もマイクの前では明るく振舞うサイモン、デブデブなのに何故かセクシー・キャラでモテモテなデイヴ、どんなことでもニュースにしてしまうニュースと天気予報に命を賭けるニュース・ジョン、言葉を発せず女性を夢中にさせる翳りのあるマーク、早朝の担当番組の時以外は部屋にこもってレコードを聴いているヒッピーなボブ、男ばかりの中で唯一の女性だけどレズビアンの料理人フェリシティなどなど。
海賊ラジオ局を潰そうともくろむ政府側の大臣と側近、秘書も忘れてはならないキャラクターたち。大臣役は、『ハリーポッターと秘密の部屋』 でギルデロイ・ロックハート先生を演じたケネス・ブラナー。嫌味でねちっこいけど、何故か憎めない大臣役を好演。
そして、冒頭のThe Kinksを始め、The Rolling Stones、The Who(ザ・フー)、The Beach Boys(ビーチ・ボーイズ)、The Yardbirds(ヤードバーズ)、Cream(クリーム)、Jimi Hendrix(ジミ・ヘンドリックス)、Donovan(ドノヴァン)、The Turtles(タートルズ)、Dusty Springfield(ダスティン・スプリングフィールド)などなど、究極のロック・アンセムが常にバックに流れ、要所要所でストーリーを盛り上げ、登場人物をフィーチャリングして行く。
中でも印象的だったのは、カールが失恋した時に流れるLeonard Cohen(レナード・コーエン)の 「So Long Marianne」、後半で船がタイタニック状態になった時、“YAAAAAA~!” の雄叫びと同時に鉄砲水が襲うThe Whoの 「Won't Get Fooled Again」(無法の世界)、ラジオ局のその後の行方に涙を誘ったProcol Harum(プロコル・ハルム)の 「A Whiter Shade of Pale」(青い影)。
エンド・ロールでは、David Bowieの 「Let's Dance」 に乗って、甲板で出演者全員がインド映画並みに踊るのだが、クエンティン演じるビル・ナイのステップの何と見事だったこと!
 Let's Dance!

いつもの映画レビューと違い、かなり力の入った記事になったが、UKロックとは言わず、ロック&ポップスを愛する全ての人に是非観てもらいたい作品、いや、絶対観るべき。
楽しくて気持ち良くてスカッとして、それでいてホロっとさせられる、シンプルながらしっかりしたストーリーで、本当にゴキゲンな作品だった。
あぁぁ、音楽ってなんて素晴らしいんだろう!!!


★公式サイトはこちら

★この予告を見たら、絶対に観に行きたくなる!?


『地下鉄のザジ』

2009-10-19 | cinema & drama


50年前のフランス映画 『地下鉄のザジ』 が、完全修復ニュープリント版で公開されているのを観に行ってきた。
『地下鉄のザジ』 というのは、原田知世に提供した大貫妙子作の曲のタイトルで知っていて、それが小説と映画のタイトルと同じということも知っていたが、実際に作品を観たのは今回が初めて。一度は観たいと思っていたので、今回の公開は嬉しかった。
ザジという田舎からパリに遊びに来た女の子の、束の間のパリでの冒険を描いたコメディ。フランス映画のコメディを初めて観たが、ドタバタではあるものの、とってもシュールでポップな作品だった。
50年前の映像だが、ファッションや車以外、パリの街の風景は今とさほど変わらない。エッフェル塔や凱旋門、サン・シュルピス教会、パッサージュなど、ステキなパリの街の風景を楽しむこともできた。
監督は、『死刑台のエレベーター』 のルイ・マル監督。おてんば少女ザジを演じたカトリーヌ・ドモンジョは、12歳でこの作品でデビューし、その後ゴダールの映画に同じザジ役で出演した後、2本の映画出演をしただけで引退したらしい。

母親がパリで新しい恋人と2日間過ごすため、その間親戚のガブリエルおじさんに預けられるザジ。
彼女の目的は、唯一地下鉄(メトロ)に乗ることだったのだが、肝心の地下鉄はスト中。果たしてザジは、目的の地下鉄に乗ることができるのか?
おじさんの元を抜け出して、街に繰り出したザジが出会う奇妙な大人たちとの騒動が、ドタバタ&ハチャメチャにスラップスティック・タッチで描かれて行く。
口が達者でちょっぴり生意気で、おてんばなザジ。正体不明な大人たちを、無邪気にスルリと交わして行くのが愉快だった。
オレンジ色のセーターを着たパッツン前髪のザジが、コケティッシュないたずらっぽい笑顔でパリの街を駆け巡る。早回しやコマ落としの映像で疾走感と躍動感を与え、観る者を一緒にドタバタに巻き込むかのように楽しませてくれた。
夜になるとザジもやはり子供。大人のドタバタはそっちのけで、大騒動の中ザジは爆睡してしまうのだが、ザジを巻き込まない騒動を観ているのはちょっと退屈だったかな。
いささかやり過ぎ感がぬぐえないドタバタな一夜が明け、地下鉄のストも終わり、母親の待つ鉄道駅までおじさんとおばさん(このおばさんがすごい存在感でステキだった)が送って行く時にやっと地下鉄に乗れたのに、ザジは熟睡中。
母親に “地下鉄には乗った?” と聞かて答えた時の、最後のザジの寂しそうな表情が、それまでの小生意気な笑顔とは対照的で、印象深かった。
ストーリーはあるようなないような不思議な内容だったが、ザジのイタズラが巻き起こすハチャメチャな大騒動は、有り得ない内容なのになんだが憎めなくて愛らしく、テンポ良く流れて行く映像も良かった。
50年前の作品とは思えないくらいの斬新さがあり、アメリカン・コメディにはないシュールさを感じることができた。


※スラップスティックとは = チャップリンの映画等に見られる、映画が言葉を持たなかったサイレント時代に広く流行した、叩いたり叩かれたり、追いかけたり追いかけられたり、あるいはパイを投げ合ったりといった体を張った演技のこと。(Wikipedia)


★10月30日(金)まで、新宿武蔵野館で上映。



『縞模様のパジャマの少年』

2009-09-07 | cinema & drama


非常に重い映画だった。悲劇なのだが、悲しい・・・というよりも、とにかく重かった。深くて考えさせられる内容だったが、とても素晴らしい作品だった。
奇しくも、先日観た 『愛を読むひと』 と同様、第二次大戦下のナチス・ドイツとホロコーストに絡む内容の英米合作の作品で、日本ではPG-12指定とされている。
公開中なのであらすじには触れないが、“縞模様のパジャマ” とは・・・、それは強制収容所にいるユダヤ人たちの服装のこと。
探検家を夢見る純真無垢な8歳の少年ブルーノにとって、ナチスの軍人である父親は偉い人で憧れだった。母もそんな夫を誇りに思い、12歳の姉も父親を尊敬していた。
父親の栄転で友達と離れ離れになり、見知らぬ田舎町でひとりぼっちだったブルーノ。退屈な日々を送りながら、窓から見えるずっと気になっていた “農場” にある日探検に出かけ、有刺鉄線が巻かれた巨大なフェンス越しに、縞模様のパジャマを着た同い年の少年シュムエルと出会う。
“農場” に近付くことは固く禁じられていたので、唯一の友達が出来たことも言えず、黙ってこっそり家を抜け出してはシュムエルに会いに行き、ふたりは友情を育んで行くのだった。
“どうしてずっとパジャマを着ているの?” “どうしてずっとその中にいるの?” と不思議に思うブルーノ。シュムエルの胸に張られた番号を見て、“数字遊びのゲームをしているんでしょ?” と屈託のない疑問を投げかける。
ブルーノの家のキッチンでいつも芋の皮をむいている下働きのパヴェルも、いつも縞模様のパジャマを着ていた。“どうして昼間もパジャマを着ているの?” とブルーノの純粋な疑問は消えない。
シュムエルは、ブルーノに自分がユダヤ人だからと言うが、ブルーノにはそれが何を意味するのかわからない。
大人や姉は皆、“ユダヤ人は有害な存在”、“我々の敵” と言うが、どうして有害なのか、何故敵なのか、8歳の少年が理解するには幼すぎた。
そして、そんなふたりの友情が、やがてブルーノの運命を変えてしまうのだった。
12歳の姉は、父親の部下に淡い恋心を抱き、何の疑問もなくナチスの精神を受け入れて変わって行く。そんな娘の様子に戸惑いを隠せない母親。
そして母親は、夫を誇りに思ってはいるが、実際に夫が何をしているのかは知らなかった。ところが、ある日夫の部下が口を滑らせてしまい、真実を知ってしまう。それ以来、夫を受け入れなくなる。私は、そんな母親に安堵を抱いた。

ホロコーストの実行者である父親も、捕らえられたユダヤ人も皆同じ人間。戦争がもたらした残酷な人間の罪を、少年たちの純粋な友情を通して描き、悲劇が二度と起きないよう戒めとする “負の遺産” を伝えようとしているのだが、その点はさほど残虐に描かれず、あくまでも抽象的に描写することで、想像させようとしていたのか・・・? その辺の意図はわからないが、人間が犯した残酷な罪を伝えるのであれば、もう少し現実的な部分があっても良かったのかも知れない。
リアルに描いていないことで、ただただ衝撃すぎる結末には重い気持ちとやるせない気持ちが一緒に押し寄せ、観終わった後は暫く席を立てなかった。
この作品も、ドイツが舞台なのに全編英語だった。なのに、「ハイル ヒトラー!」 と唱えるところだけドイツ語ってどうよ?と思う。
まあ、今作は原作もアイルランド人の作家が書いたものなので、元々が英語だったのだろうが、やはり違和感があった。
オーディションで、多数の中から抜擢されたというふたりの少年。ブルーノ役の少年は、大きくて綺麗な瞳で訴える上流家庭のお坊ちゃまを、前歯がないシュムエル役の少年は、ナチスの犠牲となっている痛々しいユダヤ人の少年を、それぞれ見事に演じていた。




★日本版公式サイトはこちら

『愛を読むひと』

2009-09-02 | cinema & drama


もう2週間ほど経つが、『愛を読むひと』 を観に行ってきた。何とも言えない、深く沁みる切ない作品だった。
友達や同僚にその話をすると、みんな声を揃えて “まだやってたの?” と言った。そう、まだやっていたのだ。日本での公開が6月だったから、かなりのロングランだ。
原作は、ドイツの小説家ベルンハルト・シュリンク氏の 「朗読者」[原題:Der Vorleser(独)/ The Reader(英)] 、監督は 『めぐりあう時間たち』 のスティーブン・ダルドリー監督、主演は 『タイタニック』 のケイト・ウィンスレットで、この作品で第81回アカデミー賞主演女優賞を受賞した。
私は原作を読んでいない。原作があるものの映画化というのは、とかく原作ファンから批判を浴びることが多いが、この作品はほぼ原作に忠実に描かれていたらしい。

これは、原作者の少年時代を題材とした物語。15歳の少年マイケルが、21歳年上の女性ハンナと出会い、恋に落ち、いつしか男女の関係になる。やがれ、別れがきて・・・という展開なのだが、これだけだと単なるよくある切ないラヴ・ストーリー。でもこの作品は、そうではなかった。
ふたりで過ごしている時、ハンナはマイケルに本の朗読を頼み、いつしかそれが日課になって行くのだが、ハンナはある日突然マイケルの前から去って行った。
訳がわからないまま、ハンナのことを想い続けながら大学生になったマイケルは、ある日予想もしなかった場所で、ハンナの姿を見ることに・・・。
ここで背景となるのが、ホロコースト。とは言っても、それが中心の話ではないのだが、社会的な部分を丁寧に描くことで、奥深く重い内容になっている。
マイケルの元を去ったハンナは、ユダヤ人の強制収容所の看守となり、やがて裁判にかけられる。法律を勉学中のマイケルが、その裁判を見学に行ってハンナと再会(見ていただけだが・・・)するのだ。
実際にちゃんと向き合って再会する機会はあったのだが、マイケルは間際で面会をやめ、そのまままた時が流れる。
マイケルは結婚し、娘も授かるが、離婚し、娘とも疎遠になっていた。彼の心の中には常にハンナが居たのだった。
裁判でやっていない罪を認めてしまうハンナには、この物語のキーになる重大な “秘密” があり、その秘密は何かということが間接的に描かれて行くのがとても切なく、それはまたとても考えさせられる部分でもあった。
その秘密をひたすら隠し、そして深く恥じているハンナ。その秘密を知っていても、その事実を言えずに彼女を罪人にしてしまったことを、その先ずっと抱えて行くマイケル。
やがてあるきっかけで、少年の頃ハンナに読んで聞かせた話を、テープに録音して刑務所にいるハンナに送るマイケル。ハンナがチェーホフの 「犬を連れた奥さん」 を耳にした時は、涙が溢れた。
一度だけの再会。でもマイケルは、ハンナの差し出した手を握ることはなかった。誤解とすれ違いが生んだふたりの運命。
再会に喜び溢れる抱擁・・・という展開だと、この映画がとても陳腐になっていただろう。
親子の絆を取り戻そうとしているマイケルが、自分がずっと心を閉ざしてきたことを話すと言って、娘にハンナとのことを語り始めるところで終わるのだが、どうもそれがある意味 “罪の告白” のように思えて仕方なかった。娘は果たして理解してくれるだろうか・・・。

この作品はアメリカとドイツの合作で、舞台はドイツ。しかし、残念というかちょっと違うかなと思ったのが、英語製作だったこと。
特に少年時代のMichaelが、“ミヒャエル” ではなく “マイケル” だったのには、原作を知らない私でさえ、ドイツやポーランドやチェコの景色に対して違和感が少しあった。
結局ハリウッド映画なので仕方ないが、第2次世界大戦後のドイツで英語が流暢に飛び交っているというのは、やはり変な感じだった。
チェコの田舎町の風景や、昔の路面電車が行き交うヨーロッパの街並や建物はとても美しかったが、ハンナの人生を辿るかのように、マイケルが強制収用所(恐らくアウシュヴィッツ強制収容所)を訪れるシーンでは、山積みにされた靴や簡素なベッド、狭くて汚いシャワー室などがとても痛々しく描写されていた。
戦争の爪あとを目の当たりに見るマイケルの表情は、何とも言えない苦しみが溢れ、青年時代のマイケルを演じたダフィット・クロスの少しぎこちない演技は、逆に戸惑う若者の感情が出ていてとても良かった。
ケイト・ウィンスレットは、芯の強いハンナを自分のものにし、その力強い演技はアカデミー賞受賞も納得の演技だったと思う。難役を見事に演じていた。
しかし、最後の最後までマドンナとオーバーラップしていたのは、私だけだろうか・・・。

 出会いはここから・・・

『天使と悪魔』 とロケーション

2009-06-08 | cinema & drama


先週、ダン・ブラウン原作のベストセラー、『天使と悪魔 / Angels & Demons』 の映画を観て来た。
『ダ・ヴィンチ・コード』 と同じ作者で、主演はトム・ハンクス、監督がロン・ハワードと、引き続き前作と同じチーム。
主演が同じなのは、ロバート・ラングドンというハーヴァード大学の教授が事件を解決するという物語だからなのだが、小説は 『天使と悪魔』 の方が先である。
しかし、映画では 『ダ・ヴィンチ・コード』 のあとの出来事というようなくだりの台詞があり、続編のようになっていた。
原作を読んだのはもうずいぶん前なので、ストーリーはほとんど忘れかけていたが、映画を観ている内にだんだん思い出してきた。
『ダ・ヴィンチ・コード』 は原作の面白さに比べると、150分の作品の中で描くにはムリがあって、人物背景やイエス・キリストの歴史的な構築があまり描かれていなかったので、原作を知らない人はちんぷんかんぷんだっただろうし、原作を読んでいても各シーンの繋がりは端折りすぎていて、ハッキリ言ってつまらなかった。
今回もさほど期待はしていなかったが、前評判では 『ダ・ヴィンチ・コード』 よりも全然面白いということだったのと、去年実際に自分の目で見てきたバチカンやローマが舞台ということで、どっちかと言うとそっちの方(映像)が楽しみだった。

物語は、ローマ教皇の死によって、新しいローマ教皇が選出されるコンクラーベを機に起こる事件。
それは、現存するはずのない、約400年前にガリレオ・ガリレイを中心とする科学者たちで結成されていた秘密結社リルミナティが復活し、ローマにあるの4つの場所で、教皇選挙権を持つ枢機卿を1時間にひとりずつ殺して行くという殺害予告。
カトリックの総本山であるバチカンは、かつて科学者たちの研究や発表は神の存在を脅かすとして、彼らを弾圧していた。つまり、バチカンへの復習である。
その4つの場所を探し当てる鍵は、ガリレオの著書に隠された暗号にあり、ラングドン教授が暗号解読のためにバチカンから救いを求められる。
また物語の冒頭で、スイスの原子核研究所セルンで反物質が盗まれる。そこで殺された科学者の胸に残されていた焼印がイルミナティのものとわかり、手がかりを求めてローマへと向かったヴィットリアと共に、バチカンに仕掛けられたことが分かった反物質を発見すべく、ラングドンは枢機卿殺害の場所を追跡しながら、ガリレオの暗号から導かれた 「土・風・火・水」 の手がかりを元に奔走する。
『ダ・ヴィンチ・コード』 よりもドラマ性があり、事件の伏線や表裏、最後のどんでん返しなどは上手く描かれていて、ミステリー映画としてはよく出来ていた。だがやはり今回も、イルミナティの歴史的背景などは省かれていた。
ラングドン教授の原作からのイメージが、どうもトム・ハンクスだと違ってしまうのだが、鍵を握る重要なキャラクター、教皇の秘書長カメルレンゴ役のユアン・マクレガーが良かった。
『天使と悪魔』 という相反する言葉のこのタイトルが示す意味、それがユアン演じるカメルレンゴに隠されていて、後半から最後にかけて物語を盛り上げて行くところは、息をもつかせぬ迫力ある展開で面白かった。
ラングドンの推理、犯人とのスリリングな駆け引きや追跡、怪しい人物の心理描写など、スピード感があってドラマティックに描かれていて見応えがあった。
ただ、コンクラーベって何?枢機卿って?カメルレンゴってカメレオンみたい(笑)・・・という人は、映画を観る前に公式サイト等で予習して行った方がより楽しめるだろう。

バチカンのサンピエトロ大聖堂やサン・ピエトロ広場、システィーナ礼拝堂、スイス衛兵、ローマのパンテオン、サンタ・マリア・デル・ポポロ教会、サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会、ナヴォーナ広場、サンタンジェロ城などなど、映画に出てくる場所はどこも全部行ってきたところだったので、例えセットと言えど、私にとっては旅の思い出を振り返りながら楽しんで観ることができた。


★舞台は、カトリックの総本山バチカン市国。反物質が爆発すると、このサン・ピエトロ大聖堂を中心に、バチカンが吹っ飛ぶ。


★サン・ピエトロ大聖堂の前に広がる楕円形のサン・ピエトロ広場では、次の教皇の決定を待つ、事件のことなど何も知らない人々で溢れ返っていた。
ラングドン教授は、このオベリスクの足元にある天使の顔のレリーフから、殺害現場を推理する。
 

★教皇のコンクラーベは、ミケランジェロが手がけた天井画と彼の最高傑作 「最後の審判」 で飾られた、システィーナ礼拝堂で行なわれる。スイス衛兵は、バチカン市国の警備隊。派手なコスチュームは、ミケランジェロのデザインによるもの。


★ラングドンの推理で、最初に行き着くのがパンテオン。ローマ最古のカトリック教会堂で、ラファエロの棺が収められている。


★ラングドンは、このクーポラの穴を “悪魔の穴” と勘違いするが、ラファエロの棺(写真右)に刻まれたラストネームから、重要な手がかりを発見する。


★次に向かったのは、オベリスクがそびえ立つポポロ広場にある、サンタ・マリア・デル・ポポロ教会。ここでイルミナティの第一の殺人が行なわれる。映画では教会内は修復工事中という設定。
教会内のキージ礼拝堂(写真右)に、礼拝堂を建築した者としてラファエロの名前が刻み込まれていた。そして、内装を手がけたベルニーニの名に、ラングドンはヒントを得る。


★ベルニーニの名前に導かれてやってきた、ベルニーニの見事な彫刻 「聖テレーザの法悦」 がある、サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会。燃え盛る炎に包まれた 「聖テレーザの法悦」 は、より一層エロティックだった。


★4つ目の場所は、ベルニーニが作ったバロック彫刻の傑作 「四大河の噴水」 があるナボーナ広場。このオベリスクの下に 「四大河の噴水」 があるのだが、私が行った時は修復中で、フェンスで囲まれていた。写真の後ろにあるのは、サンタ・ニェーゼ・イン・アゴーネ教会。
映画では、同じくナボーナ広場にある 「ネプチューンの噴水」(写真右)も映る。サン・ピエトロ広場をナボーナ広場に作り変えるのに、6週間かかったそうだ。


★イルミナティのアジトで、誘拐された枢機卿が監禁されていたのがここ、サンタンジェロ城。バチカンに通じる秘密の通路があり、教皇の非難場所として、また実際に牢獄として使用されていた時代もあった。城内の通路は薄暗く、牢獄の跡も残されている。


★映画では、塔の上にそびえ立つ大天使ミカエルの像に、上空からカメラが迫ってくる映像が印象的だった。ラングドンとヴィットリアは、この城壁の上を通ってバチカンへと向かう。
 

※公式サイトのプロダクション・ノーツによると、教会内部や一部を除く外観は、忠実に再現されたセットとCGによるもので、その内サンタンジェロ城は、外も中も実際に使用して撮影されたとのこと。

『MILK』

2009-05-22 | cinema & drama


2008年度の第81回アカデミー賞主演男優賞とオリジナル脚本賞を受賞した作品、『MILK』 を観に行ってきた。
同性愛者であることを公表し、ゲイの権利活動家・政治活動家としてアメリカ史上初の公職任務に就いた実在の人物ハーヴィ・ミルクの半生を描いた、ショーン・ペン主演、ガス・ ヴァン・サント監督の作品である。
実話ということもあり、ドキュメンタリー・タッチでところどころに当時の映像を織り込め、とても活気ある素晴らしい作品だった。
何と言ってもショーン・ペン、彼が見事だった。スクリーンの中の彼は、正にハーヴィ・ミルクそのものだった。

時は70年代、舞台は合衆国におけるヒッピー・ムーブメントの中心地、サンフランシスコ。
サンフランシスコは、私が唯一好きなアメリカ西海岸の街で何回か行っているが、実際に行ったことのある場所や地名が出てきたことも、この作品を楽しませてくれた要素のひとつだった。
同性愛者というマイノリティが、社会で生きて行くのがどれだけ厳しいかということ。そしてそんな逆風に屈することなく、バイタリティ溢れる精神で社会と向き合って行く、希望に満ちたハーヴィの姿はとても前向きで勇敢で、そんな彼を支持する人がどんどん増えて行ったのは、とても自然なことだったということがわかる。
物語は、ハーヴィが “もしものために” と題し、暗殺された時だけ公開してほしいとメモを残し、自分の半生をテープに録音しながら語って行く。そしてそれと同時に、映像が展開して行く。
ニューヨークで同性愛者であることを隠して暮らしていたハーヴィは、ひと目惚れしてナンパしたスコット・スミスと共にサンフランシスコに移住し、カストロ地区で暮らし始める。今でもここにはゲイのコミュニティーがある。
そこで小さな店を構え、やがてゲイ・コミュニティーの代表としてリーダーシップを取り、“カストロ通りの市長” と呼ばれるようになるハーヴィ。
サンフランシスコ市議会に立候補し、2度落選したが、その度に支持者をどんどん増やして行き、3度目にして当選。そして彼は、ゲイであることを公表した上で、合衆国の大都市の公職に選ばれた最初の人物となったのだった。
在職中はサンフランシスコ市の同性愛者権利法案を後援し、“条例6” という同性愛者という理由で職を解雇できるとする法条例の破棄運動に精力を費やしたのだったが、辞職した議員ダン・ホワイトによって、ハーヴィの功績を支持した市長と共に、市庁舎で射殺されてしまう。
辞職を無効にしようと躍起になったホワイトだったが、市長の判断で再任命されず、それによって精神的に追い詰められた結果取った行動だった。
ハーヴィの葬儀の夜、多くの人々が彼の功績をたたえ、死を悼み、キャンドル・ライトを手に行進する様子は、圧倒的な感動のシーンだった。この行進は、自然発生したものだったそうだ。
一般庶民との連帯はなかったと言われる彼だが、それでも多くの人に愛され、敬われていたのは、彼のチャーミングなその人間性であろう。
そのことは、大通りの遥か彼方まで埋め尽くされたキャンドル・ライトの灯が物語っていた。

当選パーティの場面で流れたSly & The Family Stone(スライ&ファミリー・ストーン)の 「Everyday People」 が、そのシーンにピッタリで、自分も一緒に当選のお祝いをしているような気分になり、とても心踊らされた。
エンド・ロールでは、ハーヴィと彼の傍で一緒に戦い、支えた仲間たちの実際の写真が出たのだが、ハーヴィ本人はもちろん、みんな本人と瓜ふたつというくらい似ていた。
途中、活動家として大きくなって行くハーヴィの元を去って行くスコットだったが、最後までハーヴィを愛していたんだということがヒシヒシと伝わってくる、スコット役のジェームズ・フランコ(『スパンダーマン』 の主人公のピーターの友人で敵のハリー役)も好演だったし、ハーヴィの側近のひとり、グリーヴ・ジョーンズ役のエミール・ハーシュは、最後にクレジットが出るまで誰だかわからなかった。ショーン・ペン監督の 『イン・トゥ・ザ・ワイルド』 とは全く違い、本当にグリーヴ・ジョーンズ本人そっくりだった。
ハーヴィ・ミルクというひとりの人物をちゃんと知ることができ、そして、ショーン・ペンとハーヴィ・ミルクのふたりの魅力に触れることのできる、素晴らしい作品だった。



『ベルサイユの子』

2009-05-18 | cinema & drama


昨年秋に、急性肺炎のため37歳の若さで亡くなったフランスの俳優、ギョーム・ドパルデュー主演の 『ベルサイユの子』 を観てきた。
観光客で賑わう華やかなパリとは裏腹な、フランス社会の抱える現実問題を題材に描いた、2008年度カンヌ国際映画祭 “ある視点” 部門にも出品された作品。
小さな子供エンゾと共に路上生活を送る若い母親ニーナが、ある日ホームレス支援隊員に保護されて、パリ郊外のベルサイユにある施設で一夜を過ごす。
翌日、仕事を求めるためにパリに戻る駅へ向かう途中、ふたりはベルサイユ宮殿の森に迷い込んでしまい、その森に住む社会からドロップ・アウトした男ダミアンと出会う。
しかし、ニーナは翌朝エンゾを残して去ってしまった。置き去りにされたエンゾと一緒にいることを余儀なくされたダミアンは、最初はエンゾをうっとうしく思っていたが、やがて情が移り、父親を知らないエンゾにとってもダミアンとの森での生活は新鮮で、すぐに順応して行く。
その後、一度は森に戻ったニーナだったが、その時は既にダミアンの小屋は火事にあってふたりは別の場所に移動していたため会えずじまい。
やがて病気になったダミアンは、ベルサイユ宮殿に救いを求めに走ったエンゾのお陰で一命を取り止め、それを機に長年疎遠になっていた父親の元に戻る。
母親ニーナは、いつか必ずエンゾを迎えに行くという強い意志を持って介護の仕事に励み、一方ダミアンもエンゾの親権を得るために、社会に復帰する。
晴れて法律上の親子となったダミアンとエンゾ、これでふたりは幸せになるのか・・・。そして母親は・・・。

エンゾの母親と、エンゾとは何の縁もないダミアンが、それぞれ子供のために変わろうとして行く姿。そして、母親に置き去りにされても泣いたりしないで現実を受け止め、その場に順応して行く芯の強いエンゾ。
大人の身勝手さに振り回されながらも、必死で生きて行こうとするエンゾの姿には、心打たれるものがあった。
これが映画初出演というエンゾ役の子役は、クリクリした大きな瞳で訴えかけ、ほとんど台詞はないのに、その目としぐさでその時々の気持ちを伝える見事な演技。
ギョーム・ドパルデューは義足ということをあとで知ったが、そんなことは全く感じさせない演技で、突然一緒に暮らすことになった子供に対して、やがて芽生えた愛情に対する不器用な表現や、反発しながらも父親との確執を乗り越えて、エンゾのために人間らしさを取り戻して行こうとする姿を見事に演じていた。
ベルサイユ宮殿という華やかな舞台裏にある目には見えない現実、フランス社会が抱える深刻な問題、そしてその社会に対する制度などがわかり易く描かれていて、ちょっと重い内容だったが、考えさせられることも多分にあり、いい作品だった。
ただ、結末には納得できないが・・・。

 この大きな瞳で訴えかけるいたいけな表情がたまらない!
 次第に芽生える父性愛

『スラムドッグ$ミリオネア』

2009-04-24 | cinema & drama


2008年度の米アカデミー賞で、最多8部門を受賞した話題の映画、『スラムドッグ$ミリオネア』 を観てきた。
インドを舞台にしたイギリス映画で、監督は 『トレインスポッティング』 のダニー・ボイル監督。
アカデミー賞で話題になる以前に、カナダのトロント国際映画祭で初上映されて大絶賛され、その映画祭の最高峰である “The People's Choice Award”(いわゆる最優秀作品賞で、文字どおりみんなが選んだ賞)に選ばれ、アカデミー賞までをも制したというわけだ。
賞を受賞したからいい作品と言う訳では決してないが、いろんな賞を受賞するのは当然・・・と納得できる作品だった。
とにかく飽きさせない。それに、何と言っても、スピード感溢れる映像。これがいちばんだった。走るシーンが多く使われているというのも、そのスピード感がより一層体感的で、テンポ良く進んで行くのが気持ち良かった。
今年は例年になく映画をよく観ているが、今のところ今年のNo.1とも言えるほど、心に響く傑作だった。

インド、ムンバイのスラム街で生まれ育った若者ジャマールは、出演した 「クイズ・ミリオネア」 で次から次へと正解を続けて、ついにあと一歩で最高額獲得というところまで辿り着いたのだが、そこで運悪く時間切れとなり、翌日放送となる。どうやら生放送のようだ。
でも、スラム街で育ち、学校はもちろん、ロクに教育を受けていない彼に正解できるはずがない、きっと詐欺だと疑われ、司会者の告発で逮捕されてしまう。そして、警察での尋問で、その真実がだんだんと明かされていくというストーリー。
クイズ番組とジャマールの過去が交錯しながら展開して行くのだが、そこにはピュアな愛の物語があったのだった。
ジャマールが幼年期に出会ったひとりの少女ラティカ。運命のいたずらのように、ふたりは離れ離れになり、ラティカをずっと忘れられないジャマールは彼女を探し、ついに再会する。でも、またそこでふたりの出会いを引き裂く出来事が起こってしまう。
ジャマールは、お金が欲しくて番組に出たのではなく、多くの人が見ているこの番組に出れば、きっとラティカも見ているに違いない。そして、自分のことを見つけてくれるはずだと信じていたのだった。
そして、そのクイズの解答は、全て彼が生きてきた人生とリンクしていたのだった。そのいきさつの映像と組み立て方が、見事だった。
とても爽やかで輝きのある感動的なラスト・シーンでは、涙と笑顔が同時にこぼれた。
エンド・ロール前半の駅のホームでのダンス・シーンは突拍子もなかったけど、それが妙にハマっていてとても微笑ましく、最後まで楽しませてくれた。
奇跡や運命、ラティカに対する愛や兄への愛憎、友情を織り交ぜながら、貧しい人々の過酷な厳しい現実もしっかり伝えていた。生きるためにいろんな知恵を身に付けて成長して行くジャマールの姿を、切なさも笑いも交えて丁寧に描き、効果的に入る音楽と街の雑踏音が臨場感を与える、素晴らしい映画だった。
カメラ・ワークも素晴らしかった。スラム街を走り回る(逃げ回る)子供たちの足元を映す映像や、子供の目線からの映像はとても躍動感があり、だんだんとカメラがパーンして行って、上空から映された密集した錆びたトタン屋根のバラックが隙間なく続く映像は、とても印象に残っている。
監督は、スラム街で本当に暮らす子供たちを起用したそうで、フィルムではなくデジタル・カメラで撮影したらしい。それによって、このようにより自然で生きた映像が生まれたのだろう。

最後に余談を・・・。私だけがそう思ったのかも知れないが、幼年期のジャマールがoasis(オアシス)のNoel(ノエル)兄さんに何となく似ていて、成長したジャマールの兄サリームが、KAT-TUNの田中聖に見えて仕方なかった。
そして、世界共通の 「クイズ・ミリオネア」 のあの音楽が流れると、どうしてもみのもんんたの顔がちらついた。フジテレビ系で流れている、この映画のCMのせいもあるかな・・・。(苦笑)



『チェンジリング』

2009-04-06 | cinema & drama


パリからの帰りの機内では途中までしか観ることができなくて、やはり結末が気になり、『チェンジリング』 を観てきた。
クリント・イーストウッド監督、アンジェリーナ・ジョリー主演の、実話に基づいた作品。
子を持つ母親の心理と、権力だけで圧力をかけ、何もかも腐りきった警察の体制、善意だけの純粋な気持ちで母親を全面的に支える牧師と周囲の人たちの姿が、それぞれ丁寧に描かれていた。
舞台は、1920~1930年代のロサンゼルス。当時はLAでもケーブルカーが走っていたようで、レトロなケーブルカーが走る当時の街並を再現したセットは、ヨーロッパのような趣きが感じられた。
時代を象徴するかのように、セピア色とモノクロとカラーを混ぜたようなダークな映像の中で、アンジーのぶ厚い唇に引かれた真っ赤なルージュと、淡いピンクやグリーンのつばのないフェルトっぽい素材の鐘のような形をした帽子の色が、とても映えてアクセントとなっているのが印象的だった。
こういう色彩面においても、イーストウッド監督のセンスと才能だろう。

電話交換手のチーフをしながら生計を立て、息子ウォルターとふたりで幸せに暮らす母親クリスティン。父親は息子が生まれた時に家を出て行ってしまい、最愛の息子は彼女の生きがいだった。
ところが、その愛する息子がある日突然居なくなり、やがて見つかった子供は全くの別人で我が子ではなかったという悲劇から、ミステリー・タッチにストーリーは展開して行く。
自分の息子ではないと必死で訴えるクリスティンを、異常だとして精神病院に矯正入院までさせる、威圧的で有無を言わせないロス市警。
有り得ないことが次々とクリスティンを襲い、彼女は身も心もボロボロに傷付いて行く。
かねてから警察を批判していた牧師が立ち上がり、彼を信頼する人たちが一丸となってクリスティンを何とか救おうとして警察と戦って行く。
傲慢で何もかも都合の良いように丸め込み、陰険で体裁しか頭にない警部が、本当に嫌な奴で見ていてムカついた。
でも、そんな腐敗しきった警察の中にも、正義感を忘れていない刑事がいて、彼によって様々な真実が明らかになって行くのだった。
そこには、見るも無残な真実が待っていた。それは、ひとりの異常者による子供の誘拐と惨殺だった。果たしてウォルターもその犠牲になった子供たちの中のひとりだったのか?
やがて裁判になり、ロス市警には勝ったものの、結局クリスティンが最愛の息子を再びその手で抱きしめることははなく、切なくて哀しく時が過ぎて行くだけだった。
どんな状況がクリスティンを襲っても、“息子は必ず生きている” と信じて決してひるまずに立ち向かう姿は、母親の強さを物語っていた。
同じように息子が行方不明になり、やがて見つかった家族に対して、自分のことのように喜び涙を流すクリスティンの笑顔は、痛々しいほどに哀しい笑顔だった。
そして、その見つかった少年が刑事に事件の顛末を語り出す。その話の中で、息子の勇士を知り、我が子に対する誇りと同時に更なる哀しみが押し寄せ、やるせない気持ちになるのだった。

多少は変えているのかも知れないが、これが実話というのが衝撃的だった。今、同じようなことが起こったとしても、DNA鑑定をすればすぐに解決する問題が、この時代には当然そんな科学は存在しないのだから、他にも似たような事件は多数あったのではないだろうかと思う。そして、背後に隠された、当時のロス市警の狂気とも言える恐るべき実態にも注目したい。
非常に重くて苦しい内容だったが、最後の最後まで切なく、胸を打たれる映画だった。