
もう2週間ほど経つが、『愛を読むひと』 を観に行ってきた。何とも言えない、深く沁みる切ない作品だった。
友達や同僚にその話をすると、みんな声を揃えて “まだやってたの?” と言った。そう、まだやっていたのだ。日本での公開が6月だったから、かなりのロングランだ。
原作は、ドイツの小説家ベルンハルト・シュリンク氏の 「朗読者」[原題:Der Vorleser(独)/ The Reader(英)] 、監督は 『めぐりあう時間たち』 のスティーブン・ダルドリー監督、主演は 『タイタニック』 のケイト・ウィンスレットで、この作品で第81回アカデミー賞主演女優賞を受賞した。
私は原作を読んでいない。原作があるものの映画化というのは、とかく原作ファンから批判を浴びることが多いが、この作品はほぼ原作に忠実に描かれていたらしい。
これは、原作者の少年時代を題材とした物語。15歳の少年マイケルが、21歳年上の女性ハンナと出会い、恋に落ち、いつしか男女の関係になる。やがれ、別れがきて・・・という展開なのだが、これだけだと単なるよくある切ないラヴ・ストーリー。でもこの作品は、そうではなかった。
ふたりで過ごしている時、ハンナはマイケルに本の朗読を頼み、いつしかそれが日課になって行くのだが、ハンナはある日突然マイケルの前から去って行った。
訳がわからないまま、ハンナのことを想い続けながら大学生になったマイケルは、ある日予想もしなかった場所で、ハンナの姿を見ることに・・・。
ここで背景となるのが、ホロコースト。とは言っても、それが中心の話ではないのだが、社会的な部分を丁寧に描くことで、奥深く重い内容になっている。
マイケルの元を去ったハンナは、ユダヤ人の強制収容所の看守となり、やがて裁判にかけられる。法律を勉学中のマイケルが、その裁判を見学に行ってハンナと再会(見ていただけだが・・・)するのだ。
実際にちゃんと向き合って再会する機会はあったのだが、マイケルは間際で面会をやめ、そのまままた時が流れる。
マイケルは結婚し、娘も授かるが、離婚し、娘とも疎遠になっていた。彼の心の中には常にハンナが居たのだった。
裁判でやっていない罪を認めてしまうハンナには、この物語のキーになる重大な “秘密” があり、その秘密は何かということが間接的に描かれて行くのがとても切なく、それはまたとても考えさせられる部分でもあった。
その秘密をひたすら隠し、そして深く恥じているハンナ。その秘密を知っていても、その事実を言えずに彼女を罪人にしてしまったことを、その先ずっと抱えて行くマイケル。
やがてあるきっかけで、少年の頃ハンナに読んで聞かせた話を、テープに録音して刑務所にいるハンナに送るマイケル。ハンナがチェーホフの 「犬を連れた奥さん」 を耳にした時は、涙が溢れた。
一度だけの再会。でもマイケルは、ハンナの差し出した手を握ることはなかった。誤解とすれ違いが生んだふたりの運命。
再会に喜び溢れる抱擁・・・という展開だと、この映画がとても陳腐になっていただろう。
親子の絆を取り戻そうとしているマイケルが、自分がずっと心を閉ざしてきたことを話すと言って、娘にハンナとのことを語り始めるところで終わるのだが、どうもそれがある意味 “罪の告白” のように思えて仕方なかった。娘は果たして理解してくれるだろうか・・・。
この作品はアメリカとドイツの合作で、舞台はドイツ。しかし、残念というかちょっと違うかなと思ったのが、英語製作だったこと。
特に少年時代のMichaelが、“ミヒャエル” ではなく “マイケル” だったのには、原作を知らない私でさえ、ドイツやポーランドやチェコの景色に対して違和感が少しあった。
結局ハリウッド映画なので仕方ないが、第2次世界大戦後のドイツで英語が流暢に飛び交っているというのは、やはり変な感じだった。
チェコの田舎町の風景や、昔の路面電車が行き交うヨーロッパの街並や建物はとても美しかったが、ハンナの人生を辿るかのように、マイケルが強制収用所(恐らくアウシュヴィッツ強制収容所)を訪れるシーンでは、山積みにされた靴や簡素なベッド、狭くて汚いシャワー室などがとても痛々しく描写されていた。
戦争の爪あとを目の当たりに見るマイケルの表情は、何とも言えない苦しみが溢れ、青年時代のマイケルを演じたダフィット・クロスの少しぎこちない演技は、逆に戸惑う若者の感情が出ていてとても良かった。
ケイト・ウィンスレットは、芯の強いハンナを自分のものにし、その力強い演技はアカデミー賞受賞も納得の演技だったと思う。難役を見事に演じていた。
しかし、最後の最後までマドンナとオーバーラップしていたのは、私だけだろうか・・・。
