もりのぼたもち

釣り、健康ランニングとお城巡りを楽しむアラ還おじさんです。
何事にもドンマイ!の気持ちであちこち出かけています。

カンボジア旅行記 一ノ瀬泰造さん (12/3)

2012年12月12日 | 旅行

いよいよカンボジア旅行記も最終章となります。

最終日の午後です。

お昼ご飯を終えてから、トゥクトゥクは田園地帯を進みます。

こちらの田んぼは収穫はまだまだ先。

こちらの田んぼは、穂が垂れてきています。

こちらは、ニ期作。

こんな穂が実っています。

稲の背高は、コシヒカリよりひょろっと高い感じ。

それと近くには大きなアリ塚が至る所にありました。

見ると強そうなアリが忙しそうに動いています。

途中、とても古い遺跡が見えましたが、私たちは素通り。

私たちの目的は、こちらでした。

ちっちゃな看板が立っているだけで、うっかりしていると通り過ぎてしまうところ。

1973年、今から40年ほど前に20代で亡くなった戦場カメラマン 一ノ瀬泰造さんのお墓です。

とてもとても辺鄙なところにあります。

トゥクトゥクを降りて、最後は徒歩で進みます。

地元の子供たちが水遊びを楽しんでいました。

そして、しばらく歩くと、実に簡単な橋がかかっていました。

この橋は、ここを訪れる方用に最近HIS(旅行社)が架けられたそうです。

と言うことで、その前はもっと簡単な橋だったとのこと。(昨年も来たま~とん談)

橋を渡り、田んぼ道を進むとお墓がありました。

今回のカンボジア行きに際して、泰造さんの映画を見てきていたので、感慨深く合掌です。

ただ、この写真で拝んでいるY隊長。

ここに着いた途端、何と強烈に便意が・・・。

しか~し、こんなところにトイレなんてありません。

もちろん紙も・・・。

そこで、手を拭くように持っていたウエットティッシュを片手に、このお墓の裏手の草むらへと一目散。

しばらくして、安堵の表情をしたY隊長は、何も無かったように戻り、お墓にお参りをしていました。

草むらで何をしてきたかは、ヒ・ミ・ツ・・・。

 

こんなところにお墓があるなんて?

と言うようなところですが、墓守の方がおられます。

コォン・トゥンさんだったかな?

不思議なことに、この方は私たちが来た時には姿はどこにも見え無かったのですが、気が付けばいつの間にか、すぐ横におられました。

服装は、何故か軍服です。

この付近で見かけた男性の方は、軍服姿の方が多かったです。

実に不思議な方ですが、とても誠実な印象でした。

そして、たどだとしい日本語で説明をされます。

お墓の前には、ちっちゃな資料館がありました。

ノートが置かれていて、私たちも本日訪れた気持ちを記すことにしました。

この日、私たちが来る前に二人の方が訪ねて来られていました。

男性と女性です。

一人旅のようですが、泰造さんへの思いでこの地まで来られたのでしょう。

周りはのどかな風景。

泰造さんも当時こんな風景を眺めておられたのでしょうかな?

写真などを見ていると、農作業中のおばちゃんたちが近寄って来られました。

稲刈り鎌の説明などを聴きながら、日本のコンバインを勧めておきました。

初対面のそれも外国人の私たちと、とても気さくに接して頂きました。

ありがとうございました。

お墓を後にして、途中にあった農家を訪ねました。

このおばさんも、とても気さくな方でした。

刈り取ったもみを干されています。

日本の援助で作られた井戸です。

家の敷地内には、ヤシの実。

そして、マンゴー。

それとバナナ。

突然お邪魔をさせていただき、申し訳ございませんでした。

それから、トゥクトゥクは相変わらずの田園地帯を走り抜けていきます。

そして、辿りついたのが、地雷博物館。

その前にちょっと休憩です。

サムライと言う飲み物ですが、ネーミングはカッコよさと言うことだけらしいです。

お味は、まぁまぁ。

ちなみにここのレストランで調理をされていた女性は、片足を地雷で失われていました。

それでは、喉も潤したので入場です。

地雷博物館は、6年前に訪れた時は、もっと違うところにあり、とても小さく粗末な手作り感あふれるところでした。

それが今では、とても近代的に変わっていました。

そのため、入場料3ドルが必要になっていましたが・・・。

この博物館は、元クメール・ルージュの少年兵で、現在は地雷撤去人として活動されているアキー・ラー氏によって建てられました。

カンボジア各地から撤去されてきた地雷・爆弾などが展示されています。

私たちが行った時に、日本の若者たちの姿もありました。

地雷の恐ろしさが伝わってきますが、まだカンボジア各地には数多くの地雷が放置されたままです。

 

地雷博物館を後にして、またまた田園風景の中、街へとトゥクトゥクは進みます。

途中、事故現場を通りました。

カンボジアは、右側通行。

バイクは免許の必要無し。

道路交通法も????

そして、シェリムアップの街には、信号が5つしかありません。

実のところ、トゥクトゥクで移動中、とても怖い目を何度もしています。

よく事故が起こらないものだと不思議に思っていたのですが。

 

それから訪れたところは、一ノ瀬泰造さんがとてもお世話になったと言う食堂です。

今は、当時の場所から移り、とても大きくそしてきれいな店になっています。

中に入るとお店の一室に泰造さんのコーナーがありました。

そこで私たちは、泰造さんが好きだったメニューのスープを頂きました。

実にあっさりスープです。

そろそろ日も暮れてきた時に、現地のインターネットカフェへ。

初めての体験です。

そこで、「もりのぼたもち」を開けて見ることができ、ちょっと感激。

それから、いよいよカンボジア最後の晩餐です。

ここで、三日間お世話になったドライバーさんとお別れ。

色々とわがままなコースに付き合っていただき、本当にありがとうございました。

また、いつか機会があれば・・・。さようなら。

私たちは、洒落たレストランで夕食です。

と言いましても、こんなカンボジア料理は苦手な私。

結局、ピザだけを頂きました。

段々とカンボジアを離れる時刻が近づいてきました。

夕食後に、最後のマッサージ。

またまた、60分5ドルのコースです。

相変わらずの安さですが、内容は抜群。

お姉さんありがとうございました。

マッサージを終えて、私たちは一旦チェックアウトしたホテルに戻り、シャワーをお借りし、カンボジアの汗とほこりを洗い流しました。

そして、いよいよ空港へ。

あっという間のカンボジアでしたが、なかなかツアーでは行けないところを巡り、色々な人にお会いしました。

それと、何とか終えることができたハーフマラソン。

とても辛いレースでしたが、大きな感動です。

それに何と言っても、素敵なガイドさん、ソフィア。

私たちのニーズをしっかり遂行して頂き、貴重な体験、素敵な出会い、楽しく思い出に残る旅のサポートをありがとうございました。

元気であの時語っていた夢に向かって、がんばってください。

ソフィアとのお別れを惜しみながら、深夜カンボジアを後にしました。

寒い日本に戻ります。

 

 

 

 

 

 

コメント
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