1. ESRで照射食品を見分けるには
放射線、主にγ線を照射すると、物質内に電子とホールが最初に生成する。初期状態では、これらが周囲の物質と反応し、ラジカル化容易な物質に次々と変換されて、より安定なラジカルが蓄積する。たとえば、鉄、マンガン、銅といった遷移金属イオンやビタミン類、ポリフェノール、などの有機化合物ラジカル、さらに、加工に伴うメカノラジカルなどがある。これらの信号源に加えて、放射線照射由来のラジカルによるESR信号が放射線量に比例して現れる。ラジカル種ごとに生成・消滅速度が異なるが、目的に応じ、固体マトリックス中にトラップされたラジカルなどは地質年代測定や線量計さらに、照射食品検知に利用されている。
このようにESR法の計測対象は多岐にわたるが、1)骨の中に生成するヒドロキシアパタイト中のCO2-(CO33-)ラジカル、2)セルロース由来のラジカル、および3)糖質由来のラジカル、の3種が照射食品検知用ラジカルとして採用されている。それぞれのラジカルの対象として今まで計測された食品は
1. 骨の信号: 牛、豚、羊、鶏、蛙の足、マス
2. セルロース由来信号: 黒コショウ、ピスタチオの殻、パプリ力、卵殻、Brown Shrimp、Norway Lobster 、乾燥イチジク、ナツメヤシ、イチゴの苗、オレンジやナシの種子、乾燥マッシュルーム、マカロニ、ゼラチン、生薬、小麦粉
3. 結晶性の糖質 D-フルクトース、D-グルコースに由来する信号: 結晶性糖分を含有する乾燥果物(パパイヤ、ブドウ、マンゴー 、フィグ(イチジク))。
ここではラジカルとはESRとは何かを概説して、以下にそれぞれの代表的な測定例を示す。詳しくはそれぞれの文献を参照されたい。
2. ラジカルとESR
通常、原子・分子内にある電子は2個ずつ対を作って原子同士の結合を形成しているが、高エネルギー照射により、電子が一個弾き出されるか、結合(ボンド)が切断されて、それぞれの分子のかけらに一個ずつ電子を持つということがおこる(図1参照)。このようにしてできた孤立電子を不対電子と呼び、不対電子を持つ分子をラジカルという。不対電子は自ら回転するためスピン角運動量を持ち、そのためにラジカル全体として磁気を帯びる。 また、不対電子は再び対を形成しようとして、再結合か別の分子Rと結合しようとして反応し易い性質を示す。

図1 水分子(H2O)に高エネルギーを照射したとき、結合が切断されて不対電子を持つ水素ラジカルとヒドロキシラジカルが生成・消滅する様子。通常、光を放出して再結合するが、近くに抗酸化剤などの分子(R)があると、水素引き抜き反応などを起こしてR・を生成する。R・は二量体化してラジカルが消滅する。

図2 電子スピン共鳴(ESR)吸収を示す図。
図2に示すように、不対電子を持つ物質を磁場(H)中に置くと、不対電子が作る微小磁石が磁場に平行と反平行の二つの状態に分裂する(量子化)。これに、周波数(ν)のマイクロ波を照射しながら、磁場強度を変化(掃引)させると、物質内にある不対電子は、共鳴条件:
hν=gμH (1)
(h:プランク定数、μ:磁気素量、g:物質に固有の定数)
を満たす位置でマイクロ波エネルギーを吸収し、高いエネルギー順位へと遷移する。この現象を利用して、不対電子を持つ化学種をマイクロ波エネルギーの吸収として検出するのがESR(電子スピン共鳴)である。装置製作上の問題から、一定の周波数のマイクロ波を試料に照射しながら、試料に加える磁場を連続的に変化させる装置が開発されている。
安定な不対電子を持つ試料などでは常温で検出されるが、寿命の短い(緩和時間T1の短い)不対電子の検出(図2参照)には液体窒素(77K)や液体ヘリウム(4.2K)を用いて試料を冷却する温度調節装置(クライオスタット)が用いられる。検出されたシグナルの同定には、照射されたマイクロ波の周波数νと、シグナルが検出された磁場の強度Hから(1)式を用いてg値が算出される。
ESR計測法の特徴は、端的にいえば、信号の”選択性“にある。即ち、1)測定対象に不対電子がなければならない。不対電子を持たない物質はESRと無縁である。2)他の計測法と異なり、周波数と磁場強度という二つのパラメータが(1)式の共鳴条件を満たすとき、初めて信号が観測される。さらに、3)適切な温度、適切な強さのマイクロ波磁場が要求される。このために、計測条件が厳しいが、逆に言えば、計測条件を満たさない対象は計測に係らないといえる。
測定例1. ESR法による照射骨付き鶏肉の線量の推定
(田辺寛子 :食品照射 第32巻 p.2 (1997) より抜粋・編集)
実験法
市販国産の手羽元鶏肉に、コバルト-60(60Co)線源(185TBq)を用いて、線量率0.5~4kGy/hrで室温または低温でγ線照射を行った。その後、これから骨を取り出し、骨幹中央部を切り取った。次に骨髄腔の骨髄及びスポンジ状の海面骨を削り取り、水洗・脱水乾燥させた。これをニンニクつぶし器、乳鉢等を使用して粉砕し、篩にかけ、一定の粒度とし、さらに一昼夜真空乾燥した。その約100mgをX-バンド用ESR試験管に入れ、日本電子(株)製電子スピン共鳴装置RE-2X型によりESR測定を行った。測定条件は、ESRシグナルが飽和しないように、中心磁場:335mT、掃引幅:7.5mT、モジュレーション幅:0.32mT、タイムコンスタント:0.03sec、掃引時間:4min、マイクロ波出力:1mWとした。
線量付加法の試料は、手羽元鶏肉に初期線量として一定線量照射後(3kGy、1kGy、0.5kGy、0.25kGy)、骨の処理をし、ESR測定を行った。その後、同一測定試料に対し、1kGy再照射-ESR測定を繰り返した。または、数個の照射試料を粉砕後、均一に混合・等分し、数段階の線量を同時に照射した。
結果と考察

図3 未照射、及び0.5kGy、1kGy、3kGy照射した骨のESRスペクトル。
未照射、及び0.5kGy、1kGy、3kGy照射した骨のESRスペクトルを図3に示す。照射線量の大小に係わらず、g⊥=2.002 とg//=1.997(g値は不対電子の吸収位置を示す)の付近に主シグナルを持っている。これは骨の無機成分であるヒドロキシアパタイト(Ca10(PO4)6(OH)2)中に電子捕獲によって生じるCO2-(CO33-)ラジカルである。未照射試料にはこのシグナルは見られず、繊維状タンパク質であるコラーゲンのシグナル(g=2.005付近)のみが観測されており、照射でできるスペクトルとは容易に識別できる。したがって、照射食品であるか否かを判定するにはヒドロキシアパタイト中の当信号を観測するだけで十分である。さらに、どれだけ照射されたかを判定するには次の線量付加法を用いる。因みに、当ラジカルトラップは非常に安定で年代測定にも利用されている。

図4 線量付加法による前処理の見積。
骨付き鶏肉に3kGy照射、骨の処理をして、骨の粒子を2区分に分けESR測定をし、その後、その各々に1kGy再度照射及びESR測定を繰り返した線量付加法の結果を図4示す。その結果、外挿法(直線を負の方向に延長し、信号強度ゼロの付加線量)を求めると、3.9kGyおよび2.9kGyとかなり異なった値を示した。これは、照射とESR測定を繰り返し行うために、ESR管から試料を出し入れしている。そのため測定時には、その都度試料位置が異なり、それが測定値の変動の原因になっていると思われる。しかし、鶏肉の場合、照射上限は7kGyと定められており、照射処理がどの程度であるかを大まかに見積もるには十分である。
測定例2: 照射セルロースに特有なラジカルの ESR ピークによる照射イチゴの検知
(後藤典子、田辺寛子:食品照射, 37巻, pp. 12-16(2002)より抜粋・編集)。
種子(イチゴ、胡椒、など)の照射食品の検知法として、照射セルロースに特有なラジカルを ESR で検出する方法が知られている。この原理によるヨーロッパ規格が 2000 年改定され、イチゴから種子を分離する方法についての記述が追加された。この規格では 1.5kGy 照射したイチゴを 3 週間検知可能としている。しかし、イチゴへの照射線量の上限は 3kGy の国もあるが、1kGy とする国が多いので、1kGy 以下の照射の検知が試みられた。

図5 照射イチゴの種子が示すESRスペクトル。主ピーク A と照射セルロースに特有のラジカルによるピーク C1、C2 。
照射イチゴの種子を分離し、ESR を測定すると、図5のようにポリフェノール由来の主ピーク A と照射セルロースに特有のラジカルによるピーク C1、C2 が検出される。高磁場側のピーク C2 はマンガンマーカの影響を受けるので、解析には低磁場側のピーク C1 を用いた。数種類の未照射イチゴについて ESR の測定を行なったところ、照射セルロースに特有なラジカルによるピーク C1 付近に、わずかなピークがあった 。これと照射試料のピークとを区別する方法を検討した。図4のように、マンガンの第 3 番目のピークと g 値 = 2.0046 のピーク A の間をベースラインに接する直線 (?) を引き、この直線からのピーク高さ (S) を求めた。

図6 照射セルロース由来ラジカルの強度(S)の求め方。
0.5kGy 以上照射されたイチゴでは、室温で 3 日後、冷蔵で 21 日後、冷凍で 60 日後までは検知できた。また、電子線照射した場合、電子の透過力が小さいため均一な照射条件の結果ではないが、種子の表面に分布するセルロースに起因する特有のラジカルピークがγ線の場合と同様に検出できた。
測定例3: Foodstuffs - Detection of irradiated food containing crystalline sugar by ESR spectroscopy, EN 13708:2001 (E)
EUにおける特許EN 13708:2001の英語版に、次の図にある乾燥マンゴ、乾燥イチジクのESRスペクトルが掲載されている。これによれば、3種または4種類からなる糖の信号で、いわばパターン認識で判定しようとするものの様である。
外科用メスで試料を50-100mgを切り取り、直接ESR試料管(Suplazil)に移して測定に供する。必要に応じて、試料は乾燥させる。計測条件は上記2例と同様である。

図7 照射した乾燥果物が示す結晶性糖由来のESR信号。
○ 乾燥マンゴーとパパイヤの例:
スペクトルの特徴:
スペクトル幅は7,4 mT-7,8 mTで、g-value (centre of spectrum): 2,0035±0,0010
○乾燥イチジクと干しブドウの例:
スペクトル幅は8,7 mT to 9,l mTで、g-value (centre of spectrum): 2,0035 ±0,0010
ヨーロッパ各地約20箇所に試料を送り、照射検知を実行した結果、数個の例外を除いて、検知に成功してる。
なお、各種糖類由来のラジカルの同定に関してはプラズマ照射による生成ラジカルの解析が詳細に論じられているので、詳細は原著を参照されたい(山内行玄、葛谷昌之、岐阜薬科大学紀要49巻 11-22頁(2000))。