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売れない作家 高村裕樹の部屋

まだ駆け出しの作家ですが、作品の情報や、内容に関連する写真(作品の舞台)など、掲載していきたいと思います

『ミッキ』第30回

2013-10-22 09:34:39 | 小説
 昨日はパソコンの不調で大変でした。書きかけた新作を、一気に書き進めるつもりでしたが、データのバックアップでほぼ1日費やしてしまいました。
 特にデジカメの画像をDVDにバックアップする作業で、時間がかかりました。
 今日は『ミッキ』第30回です。
 物語もいよいよ大詰めです。


            8

 その後しばらくは何も起こらなかった。二学期の中間テストも無事に終わった。私は一時期、気持ちが落ち込み、勉強も手につかなかったが、心霊会をとりあえず休止するということで、松本さんたちと仲直りもでき、中間テストの直前で私は勉強に集中できるようになった。クラスでの席次は一学期の期末試験から一つ落としたが、それでも気分の落ち込みから立ち直り、よく頑張ったと思った。うかうかしていると宏美に追い抜かれそうだ。
 河村さんは今回も学年トップだった。松本さんもまずまずで、大学受験に自信を取り戻しつつある。
 中間テストのあと、二年生は四泊五日で修学旅行に行った。行き先は中国、四国地方だった。松本さんは、修学旅行の間、宿泊先の旅館から、毎晩携帯で電話をかけてくれた。
 慎二も二泊三日の野外学習に参加した。場所は植物園のすぐ近くの少年自然の家だ。慎二の脚は、西高森山へのハイキングができる程度には回復していた。好天に恵まれ、野外炊事やキャンプファイヤーも十分楽しんできたようだ。

  
 彩花たちが修学旅行で行った? 因島 しまなみ海道


  少年自然の家

  西高森山へのハイキングコース

 しかし、そんなある日に悲劇が起こった。授業中、事務職員が、母から電話だと私を呼びに来てくれた。事務室で電話に出ると、母は「美咲、大変なことになったよ。お父さんがね、階段から落ちて、頭を打って大怪我をしたの。緊急な手術が必要とのことで、これから手術になるよ。病院は水野整形外科、ほら、慎二が入院していた病院だよ」と言った。
 父が頭に大怪我をしたと聞いて、私は一瞬頭の中が真っ白になった。母もかなり焦っているようだった。水野整形外科病院は県知事より救急病院として認可されている。交通事故などの頭部損傷の重体患者を受け入れる設備があり、優秀な脳外科の医師もいる。
「また何かあったら、すぐ連絡するから、今日は早引きして、家に戻っていて」
 そう言って、母は電話を切った。私もすぐ病院に行くと言ったが、今は病院に来ても何もできないので、しばらく寮で待っているようにと言われた。母も入院の準備をするため、夕方には戻るとのことだった。
 最初に電話を受けた事務長はすでに事情を知っていた。事務長は「その電話は間違いなくお母さんからの電話だね」と確認してから、担任の小川先生は授業中なので、僕から事情は伝えておくから、すぐ帰宅しなさい、と指示をした。
 私は教室に戻ると、物理の授業をしている先生に断って早退した。宏美に一言、お父さんが階段から落ちて頭を打ち、重体なので、今から帰ると伝えておいた。宏美はびっくりしていた。
 まさか、これが若林さんが言っていた罰なのだろうか? 私が心霊会を辞めるなんて言い出したので、お父さんがそんなひどい目に遭ったのだろうか? お父さん、死なないで、と私は心の中で必死に叫んでいた。涙が流れ出て、止まらなかった。
 自動車部品工場をやっていたころの父は、工場が忙しくて、あまり家庭を顧みなかった。家のことはほとんど母に任せきりで、父は家族を大切にしていないように、私の目には映っていた。だから家庭より仕事を優先している父が、嫌いというほどではなかったが、いい父親だとは思えなかった。
 しかし、工場が失敗し、寮の仕事に転職してから、父は変わった。家庭を非常に大事にするようになった。もっとも、それまでだって、家族をないがしろにしていたわけではない。父は父なりに、仕事をしっかりやることにより、経済的に家族を幸福にしようと頑張っていたのだ。また、工場が多忙で、従業員たちの面倒もみなければならないので、あまり家庭には配慮ができなかったこともある。父は工場の社長として、従業員や取引相手から人望が厚かった。
 寮に帰ると、ジョンが私に飛びついた。ジョンは母が出かけ、ひとりぼっちにされたのが不安のようだった。ジョンはリードをくわえてきて、散歩に連れて行ってとせがんだ。私はいつ母から電話が来るかわからないので、今日はだめ、とジョンに言い聞かせた。しかし、ジョンには通じない。散歩に連れて行ってとねだるばかりだった。私はジョンをなだめるために、ジョンが好きなおやつを持ってきた。ジョンは喜んでおやつを食べた。それでも、全部食べ終えると、ジョンはまた散歩をねだった。私はやむなく、庭に出てジョンの相手をしてやった。庭なら、電話が鳴れば何とか聞こえる。寮の庭はあまり広くないが、庭を走り回って、ジョンと遊んだ。それでジョンも少しは気分が晴れたようだった。
 私がジョンと庭で遊んでいたら、酒井さんがやってきた。
「お父さん、大変なことになったわね」と酒井さんが声をかけた。これは信仰を退転した罰だと糾弾されるかと思ったが、さすがにそんなひどいことは言わなかった。やはり頭部を強打して危険な状態ということなので、多少は私の気持ちを酌んでくれたのだと思った。酒井さんは今日は風邪で大学を休んでいるそうだ。廊下で大きな音と父の悲鳴が聞こえたので、驚いて部屋から出てきたとのことだった。酒井さんから連絡を受けて駆けつけてきた母と、一一九番に電話をかけ、救急車を呼んだりしてくれた。その話を聞いて、私は酒井さんにお礼を言った。
 酒井さんは「少しだけならジョンを散歩に連れて行ってあげる」と言ってくれた。
「風邪は大丈夫ですか?」と尋ねると、「ずいぶん気分はよくなったので、もう大丈夫よ」と答えた。
 私はまだ昼食を食べていなかったので、酒井さんがジョンを散歩に連れて行ってくれている間に、学校から持ち帰ったお弁当を食べた。
 しばらくして、母から電話があった。手術は無事終わったが、まだ予断を許さない状態だそうだ。今夜が山だとのことである。義姉(あね)に来てもらうようにお願いしたので、慎二が学校から帰ってきたら、家で待つように伝えておいてくれ、もうしばらくしたら、いったん寮に戻る、と母が言った。慎二には、余計な心配をかけないために、小学校には連絡をしていないそうだ。
 パートさんの中でもリーダー格の山川さんが、いつもより早い時間に来てくれた。山川さんは少しジョンの相手をしてくれた。ジョンも山川さんのことをちゃんと覚えていて、山川さんには甘えている。いつも父がやっている食材の運搬などは、しばらく支社の人が代わってくれるそうだ。毎日高蔵寺寮と守山寮に食材を運ぶのも父の仕事だった。
 夕方、母が帰ってきた。伯母も一緒だった。伯母は先に病院に行き、父の容態を聞いていた。私は父の容態について尋ねた。今は集中治療室に入っており、絶対安静で、面会謝絶の状態だ。だから病院に行っても会えるわけではないとのことだ。
「どうしてそんなことになっちゃったの?」
「廊下の掃除をしに四階まで行って、階段を踏み外したみたい。もうちょっと注意して下りてくれればよかったのに」
 そう言う母の目には涙が浮かんでいた。ふだんの父はけっこう注意深いほうだ。階段を踏み外すなんて、そんなうかつな行動をすることはない。やはり私が妙法心霊会の信仰をなおざりにした罰が出たのだろうか? 酒井さんはよほどそう言いたかったに違いない。しかし、私の心情をおもんぱかってくれたのか、そんなことは言わずにいてくれた。
「ところで慎二はまだ学校から帰らないのかしら。きっとまた藤山君たちと遊んでるのね。こんなことなら、慎二にも早く帰れと学校に電話しておきゃあよかった」と母はぼやいた。
 慎二が遅い時間に帰ってきて、母にいつまで遊んでいるの、と叱られた。そして、父のことを聞かされ、慎二も驚いた。
「お父さん、死んじゃうの?」と慎二は泣き出した。それを見て、私も一緒になって涙を流した。
「大丈夫、死にやしないから。お父さんはこれまで、病気一つしたことがないほど丈夫だったんだから。絶対大丈夫」
 母も目に涙をためて、慎二に言い聞かせた。
 伯母は調理着に着替えてから、山川さんたちパートさんに、「またしばらくお世話になります」と挨拶をした。山川さんも「寮長さん、大変でしたね。こちらこそよろしくお願いします」と挨拶を返した。
 六時ごろ、宏美から電話があった。今、春日井駅で、松本さんと河村さんも一緒だから、これから寮まで行こうか? と言ってくれた。それからまもなく三人がやってきた。春日井駅からなら、電車に乗ってしまえば、ほんの五、六分で高蔵寺駅に着く。
「お父さん、大変だったね。宏美から聞いて、びっくりしたよ」と松本さんが口火を切った。
「ひょっとしてミッキ、これも心霊会を辞めた罰だなんて思ってるんじゃないかと、心配してたんだよ」
「大丈夫、そんなことで弱気にならないから」
 宏美の問いかけにそうは答えたものの、私はやはり不安だった。
 そんな話をしていたら、それまで眠っていたジョンが、松本さんたちが来たことを聞きつけ、みんなにじゃれついた。そして、また散歩をねだった。
「あらあらジョン君、また散歩のおねだりね。しばらく見ないうちに大きくなったわね。もう完全におとなの体格ね」
 河村さんがしばらくぶりに見たジョンの成長に驚いた。
「すみません、ジョンは散歩と食べることと寝ることだけが生き甲斐みたいですから。それから、水遊びも」
 食事の後片付けが終わったら、私たちは病院に行くことになっている。まだジョンを散歩に連れて行く時間があるので、散歩に行くことにした。少し早めに帰ればいい。
 三人は歩きながら父の容態を尋ねた。私は母から聞いたことを話した。
「大丈夫。今は医学も発達してるし、きっとお父さん、助かるよ。水野整形外科は、けっこう有名な病院で、医者も設備も優秀だというから。もし気休めに聞こえたら、ごめん」
「いいえ、ありがとう。私もきっと助かると信じています。松本さんにも元気づけられ、嬉しいです」
「私、ミッキに渡したいものがあるので、散歩から帰ったら渡すね。絶対お父さん、よくなるよ」と河村さんが言った。河村さん、何を渡してくれるのだろうか、と私は期待した。
 みんな、本当に父のこと、私のことを心配してくれて、とてもありがたいと思った。心霊会の守護霊より、ずっとありがたい。本当に、素晴らしい仲間だと心から感謝した。
 ジョンとの散歩から帰ると、河村さんは一枚の名刺大のお札を手渡してくれた。そのお札には、金色で〝光〟と書かれていた。
「それは、光のお御霊(みたま)といって、とてもすごい力を持った神様をお鎮めしたお札よ。私の骨折も、このお札に祈ることによって、医者もびっくりするぐらいの早さで快復したの。心霊会の守護霊なんかはインチキだけど、このお札の力は本物よ。事故の後、私はずっと身につけてたの。だから、平田信子にいくら罰で死ぬといわれても、平気だったわ。このお札をお父さんの近くに置いて、何度も光のお御霊のお力をお父さんにお与えください、と祈ればいいわ。お札を病院に置いたままでも、寮から祈れば、ちゃんと届くから。そのときは、この光という字をしっかり心に思い描いてね。そのため、お父さんに渡す前に、この字をよく見て、心の中に刻みつけておいて」
 確かに河村さんの手首の骨折は、非常に早く快復したと思った。
「こんな大事なお札をもらっちゃっていいんですか? 河村さんの分がなくなっちゃうんじゃないですか?」
「私は大丈夫。さっき言ったように、お札がなくても、ここに書かれてある、光という文字を心にしっかり描いて祈れば、それで光のお御霊に通じるから」
「へえ、彩花、そんなお札を持っていたんだ」
 松本さんがそのお札をのぞき込んだ。宏美も「私にも見せて」と要求した。
 河村さんはお札と一緒に、日本超神会という教団の『霊界の真実』というシリーズの最新作を貸してくれた。たまたま今日持っていたそうだ。日本超神会がそのお札の教団の名称だ。
 三人は母と伯母に挨拶をして、帰っていった。伯母は落ち着いたら会いましょうと言った。私たちはこのあと病院に行かなければならないので、あまりゆっくりはしていられなかった。
 寮生の食事の後片付けは、パートさんたちに頼んで、私たちは伯母の自動車で、水野整形外科病院に駆けつけた。母は運転免許証を取得していない。ジョンも一緒に行きたがったが、留守番しているように、強く言いつけた。ちょっとかわいそうな気がしたけれども、大きなジョンを病院に連れて行くわけにはいかないので、やむを得ない。
 私は河村さんからもらったお札にある〝光〟の文字を、心に焼き付けた。そして、車の中で、河村さんから教わったとおり、「光のお御霊、どうか父が助かるよう、お力をください」と祈った。
 病院では面会謝絶ではあるが、父が眠っている集中治療室への入室を、少しだけ許可してくれた。包帯だらけの父は痛々しかった。私は母に、河村さんからもらったお札のことを話し、父の枕元にそれを置いた。母も祈ると言ってくれた。
 医者は、父が助かる確率は五分五分だが、全力を尽くすと言った。階段から落ちたとき、父は強く頭を叩きつけ、頭蓋骨陥没骨折、脳挫傷が生じた。水野整形外科病院は、交通事故で頭部の損傷がひどい患者も助けているので、何とか救ってほしいと思った。
 私は控え室で、〝光〟の文字をしっかりと心に描き、「光のお御霊、どうか父が助かるように、お力をください。お願いします」と心を込めて祈った。そのとき、父の姿もありありと心に描き、父が神の光で包まれるさまを思い描いた。慎二もお札に興味を示したので、一緒に祈るように言いつけた。ふだんなら馬鹿にしそうなのに、さすがに父の命がかかっているので、慎二も素直に私の指示に従った。
 その夜は、伯母と私がいったん寮に帰り、ジョンの世話をしてから、また病院に戻った。ジョンは父の異変を感じたのか、おとなしくしていた。犬でも、みんなの様子がおかしいということを敏感に察しているのかもしれない。
 結局その夜は病院に一泊した。私は起きている間は、ずっと光のお御霊に祈っていた。私たちは早朝、寮生の食事の準備のため、いったん寮に帰った。私と慎二は、今日一日学校を休むことにした。
 部屋に戻ったら、ジョンが勢いよく飛びついてきた。一晩ひとりぼっちにされたのは初めてなので、よほど寂しかったのだろう。いくら身体が大きくなったとはいえ、ジョンはまだ子供なのだ。
 私は松本さんが高蔵寺駅に着いたころを見計らって、松本さんの携帯電話に電話をかけて、今日学校を休むことを連絡した。
「お父さん、どう?」と松本さんは訊いた。
「助かる可能性は五分五分だそうです」と医者から告げられたことをそのまま伝えた。
「そう。でも、彩花のお札もあることだし、絶対によくなるよ。ミッキと別れてから、彩花もずっと神に祈ると言っていたから。俺も祈っているよ」
「本当にいろいろありがとうございます。河村さんや宏美によろしく伝えておいてください。宏美から担任の小川先生に、今日欠席することを伝えてもらえるよう、言っておいてくれませんか?」
「わかった。なに泣いてるんだよ。しっかりしろよ。俺たち、何も役に立てないかもしれないけど、でもできる限りのことはするからな。じゃあ、電車が来たから。何かあったら、また連絡してくれ」
 電話の向こうで、電車がホームに滑り込む音が聞こえた。松本さんと話しているうちに、つい涙声になってしまったので、泣いていることがわかってしまった。
 朝食の準備が終わってから、私たちは病院に行った。配達された食材の受け入れ等は山川さんが引き受けてくれた。ジョンを一時期自宅に連れ帰り、世話をしてくれるという。山川さんの自宅にはジョンの両親ときょうだいが何頭もいるので、扱いには慣れている。ジョンはうちに来てから、初めて里帰りをすることになる。夕食のレシピはすでに寮のパソコンに送られたものを印刷して、渡してある。父が丁寧に教えたので、母はずいぶんパソコンの扱いに精通してきた。
 病院ではじりじりする思いで、時間を過ごした。医者もまだ予断を許さない状態だと言った。私は真剣に光のお御霊に祈った。また、河村さんから借りた本を読んだ。本には祈り方が詳しく書かれていた。その本を読んで、日本超神会こそ本物だと思えた。心霊会の守護霊のことは、全く心にも浮かばなかった。
 午後三時ごろ、母と伯母は夕食の準備のため、寮に戻っていった。私と慎二は、病院の食堂か近くの店で好きなものを食べなさいといって、夕食代とおやつ代をもらった。そして、何か変化があれば、すぐに電話して、と言い残した。
 母と伯母が出かけてしばらくしてから、担当医から父は助かりそうだという連絡があった。昨夜は絶望感を与えないために、五分五分と言ったが、実は助かる可能性は小さかったそうだ。それが、もう危険な状態を脱したということだ。父の生命力は非常に強いと、医者も驚いていた。これはきっと、河村さんにもらったお札の力だと、私は確信した。
 私はすぐに病院の公衆電話で、寮に電話をかけた。母は調理の仕事をしているのだろう、なかなか電話に出なかった。先生から聞いたことを伝えると、母は大喜びだった。父の姉である伯母も喜んでいた。二人がはしゃぐさまを想像し、私も嬉しくて、涙が出た。
 私は河村さんの携帯に電話をし、父が助かりそうだということ、河村さんからもらったお札のおかげだということを報告した。五分五分と言われたが、実際は助かる可能性のほうがずっと小さかったらしいこと、医者が父の生命力に驚いていたことも伝えた。医者は生命力と表現したが、私はお札の力だと信じている。河村さんも泣きながら、父が助かったことを自分のことのように喜んでくれた。河村さんは、父親が亡くなる悲しみを、私に味わわせたくなかった、と言った。ただ医者は、いのち生命は助かっても、後遺症を心配していた。河村さんは、それも光のお御霊に祈れば、絶対大丈夫だと請け合ってくれた。
 河村さんは歴史研究会の部室にいて、部員のみんなにも私の父が助かりそうだということを伝えた。文化祭が近いので、その準備でみんなは部室に集まっている。松本さんが代わって、「よかったな、ミッキ」と言ってくれた。
 その日の夜、母と伯母が車で迎えに来てくれて、私と慎二も寮に戻った。母は病院の先生に、父のことのお礼を言い、ひとまず戻る旨を告げた。担当の医師も、何かあれば、すぐ連絡するが、生命のほうはもう大丈夫だと太鼓判を押してくれた。帰る前に、私たちは集中治療室の父に会いに行った。父はよく眠っていた。私は父の枕元にあるお札に対して、 「光のお御霊、ありがとうございました。どうか、父をよろしくお願いします」と挨拶をした。
 寮に戻ると、ジョンはいなかった。今はジョンが生まれた山川さんの家に行っている。明日ジョンを連れてきてくれる。久しぶりに両親やきょうだいに会い、ジョンは大はしゃぎしていたそうだ。
「猫は一ヶ月も離れていれば、親きょうだいのことをすっかり忘れてしまうというけれど、犬はちゃんと覚えているものですよ。やはり単独で行動する猫と、集団で生活する犬との違いでしょうね」と山川さんが教えてくれた。
 私の顔を見た波多野さんが、小声で「お父さん、大変だったね。でも、よかったんでしょう?」と声をかけてくれた。私は庭に出て、鈴木さんたちが近くにいないことを確認してから、河村さんからもらった日本超神会のお札のことを話した。
「ああ、超神会ね。私も本を読んで知ってるよ。そうなの。私も心霊会辞めて、超神会に入ろかな。そんなすごい力があるんなら、心霊会の罰が当たるなんていわれても、怖くないから。超神会は心霊会と違って、布教の義務も、ご供養の強制もないそうだし。心霊会よりはずっと小さな教団だけど、私も本物だと思っているよ。私にもその河村さんという人に会わせてくれない? 超神会の話を聞きたいから。ときどき寮に遊びに来てる、赤いメガネをかけた子でしょう」
 河村さんは今は赤いフレームのメガネではなく、私と同じようなメタルフレームのメガネだが。
 波多野さんは『霊界の真実』のシリーズを何冊も持っているそうだ。鈴木さんたちに見つかるとまずいので、本は隠してあるという。私は河村さんもタトゥーに興味を持っていることを話した。波多野さんは「美咲ちゃんが前に言ってたタトゥーに興味がある子って、その子のことなのね」と言った。私はちょっと余計なことまでしゃべりすぎたかな、と反省をした。
「でも、このまま鈴木さんや若林さんがおめおめ引き下がると思えないから、注意したほうがいいよ。私ももし何か情報を聞いたら、教えてあげるね。でも、最近、私が美咲ちゃんにいろいろよからぬことを吹き込んでいると警戒されているみたいで、なかなか私には話してくれないのよ」
「はい。十分注意します。前も無理やり車に押し込められて、若林さんの家に連れて行かれたことがありますから」
「みたいね。私は知らなかったけど、そのことも例の三人組が若林さんやノブちゃんたちと計画していたみたい。ひょっとしたら、また何か企んでいるかもしれないわ。ただ、最近、愛美はあまり元気ないようだけど」
 波多野さんは私のことを心配してくれた。また、三人組の中でも、最も活発な酒井愛美さんが、このところ少し落ち込んでいることも気にかけていた。
 翌日から私と慎二は学校に出た。父はまだ予断を許さないとはいえ、危機的な状態は脱出した。もし何か変化があればすぐ母が学校に連絡してくれることになっていた。
 放課時間にトイレに行こうとしたら、平田さんに呼び止められた。
「お父さんが大怪我したんだって? それは鮎川さんが心霊会の信仰を退転したからよ。若林のおばさんが言ったとおりでしょう? もう一度考え直してみない?」
 平田さんは私に迫った。
「いいえ、私、もっと素晴らしい御守護神様に出会えたんだから、今さら心霊会に戻る気はないわ」
「え? 何、それ? なんか変なものに手を出したの?」
「光のお御霊、というすごい御守護神よ。父も危なかったのが、光のお御霊に祈ったら、奇跡が起こったのよ。平田さんも心霊会なんか辞めちゃって、超神会をやったほうがいいよ」
 私はわざと挑発するような言い方をした。
「え? 光の何? ちょうしん会? そんな訳のわからないものをやってるの? 知らないわよ。罰が当たっても」
「大丈夫。そんな罰なんか、跳ね返しちゃうから、平気よ」
 そこまで言い切ると、平田さんは「今に何かよくないことが起こるわよ。お父さん、死んじゃっても知らないよ」と言い残して、去っていった。

『ミッキ』第29回

2013-10-16 15:53:07 | 小説
 昨日まで5日間、仕事で東京に行っていたので、ブログの更新をしばらくできませんでした
 昨日は台風26号が接近し、大雨の中、高速バスで名古屋に戻りました。
 高蔵寺駅到着が夜11時半になり、高蔵寺駅からのバスがなく、大雨の中を傘をさして歩いて帰りました。何とか無事家にたどり着きました。
 東京も好きですが、やはり名古屋に帰ると、ほっとします。適度に都会で、多少田舎っぽいところがいいです。都会としては、神戸や福岡、札幌の中心街のほうが、名古屋より都会と言えるかもしれません。

 今回は『ミッキ』29回目を掲載します。


             7

 季節は秋もたけなわの一〇月になった。慎二はもう退院し、家に戻ってきた。予定より早い退院で、医者も慎二の回復力には驚いていた。鈴木さんは「慎二君が早く退院できたのも、美咲ちゃんの御守護霊様の御守護の賜(たまもの)よ。家族の人たちも救ってあげなきゃあね。家族の幸せは、美咲ちゃんの腹決め一つにかかっているんだから」と私をせき立てた。
 この一ヶ月、私は平田さんに心霊会の奉仕活動に誘われることが多かった。土日は春日井道場や名古屋の大きな東海本部道場で、清掃や場内整理、奉仕者の食事の支度などを手伝った。まだお導きができないなら、道場でご奉仕をして、徳を積みなさい、というのだ。
 毎月の月例祭は、京都の総本山と全国七カ所の本部道場との間で、同時中継される。春日井道場には、同時中継の設備がないので、次の土日にビデオを上映する。九月末の月例祭のとき、私は名古屋の東海本部で場内整理のご奉仕をした。千人を上回る参拝者がいて、その対応に、私は大童(おおわらわ)だった。東海本部道場は、総本山、関東総本部に次ぐ、大きな道場だ。
 奉仕に行くときは、春日井駅まで若林さんが車で迎えに来てくれた。鈴木さんはバイトして貯めたお金で、最近安い中古の軽自動車を買い、三人組はその車で、ご奉仕やお導きに奔走している。三人がときどき決められた食事の時間に遅れるのは、ご奉仕のためだった。
 私はこのところ、松本さんたちと距離を置いている。クラスメートの宏美ともあまりしゃべらなくなり、ほかの友達が「あんなに仲がよかったのに、どうしたの?」と心配した。G組の平田さんと一緒におかしな宗教をやっているということを知っている人もいて、噂になりかけていた。
 平田さんや鈴木さんは、入信を拒み、心霊会を誹謗した河村さんは、今にひどい罰を受けるだろうと予言していたが、まだ何も起こっていないことに、私は安堵している。
 私を導いて以来、平田さんは同級生を中心に、どんどんお導きの話をしかけている。話をしやすい人から声をかけているようだ。女子だけでなく、男子生徒に対してもお導きをしている。十数人もの生徒が妙法心霊会に勧誘され、その強引なやり方が、学校側からも問題にされるようになった。私は積極的に布教活動をしているわけではないが、平田さんに導かれ、心霊会にのめり込んで、一緒に布教活動をしている生徒も何人か出てきた。平田さんは短期間に鳥居松高校の生徒を何人も入信させ、若林法座会の平田班班長を任命された。私も平田班の一員となった。
 強引な布教活動が問題視され、平田さんはとうとう校長室に呼び出された。そして生徒を対象にした宗教活動をいっさいしないように注意をされた。しかし平田さんは「正しいことをやって、なぜいけないのですか」と主張し、布教活動をやめようとはしなかった。
 私の母も呼び出され、私と一緒に注意を受けた。母は私が得体のしれない宗教をやっていたことに驚いた。私は自分の部屋では、お勤めをしていないので、両親も心霊会に入っていることには気づいていなかった。校長室で事情を尋ねられ、私はやむなく、寮にいる学生が、平田さんを通して私を心霊会に入信させたことを話した。
「最近、仲がよかったクラスメートの岡島君とうまくいってないようなので、私としてもおかしいなと思い、注意はしていたのですが」と担任の小川先生が言った。
「それで最近、よく鈴木さんたちの部屋に行っていたんだね。このごろあれだけ仲がよかった松本君や彩花ちゃんには会わず、寮生と会っていることが多いから、おかしいなとは思っていたけど」と母は私を追及した。
「信教の自由は憲法でも保障されているので、宗教をやってはいけないというわけではありませんが、学校内で無理やり多くの人たちに入信を強要するという布教活動だけはやらないでほしいのですよ。もっとも主にやっているのは、平田さんという生徒で、美咲さんはむしろ被害者、というと表現は悪いのですが、押しつけられていたほうですが」
 小川先生が母に説明をした。母はご迷惑をかけ、申し訳ありませんでした、と小川先生にお詫びした。
「いえ、問題があるのは、美咲さんではなく、平田さんという生徒ですから。私ども学校側としては、宗教を辞めろ、とまでは強制できません。ただ、美咲さん自身が強制的に入信させられたのなら、この際、心霊会とかいうところから脱退されたほうがいいかとは思います」
 今度は同席していた教頭先生が言った。
 母は、父とも相談し、寮での中心人物の鈴木さんとも話し合ってみる、と教頭先生と小川先生に答えた。
「また何か問題が出れば、いつでも学校側に相談してください」と小川先生が話をまとめた。

 その夜、両親は仕事を終えてから、寮の応接室に鈴木さんを呼んだ。そして、私を含めて四人で話をした。脱会の話については、「私は美咲ちゃんと班が違うので、いっさいその件には応じられません。責任者の中田支部長や若林法座長と話をつけてください」と受け付けなかった。そして、せっかく素晴らしい信仰に巡り会ったのだから、辞めてはいけませんよ、と私に釘を刺した。逆に両親に対し、絶対に幸福になれる仏法なので、ご両親もこの機会にぜひとも入信してください、と導こうとした。
 父は、うちは先祖代々真宗の信仰をしているので、そんな新興宗教をやるわけにはいかない、と断った。それに対し、鈴木さんは「間違った信仰をすれば、必ず不幸になりますよ。架空の仏である阿弥陀如来に南無阿弥陀仏を唱えても、何の功徳もありません。失礼ですが、寮長さんが仕事に失敗したり、慎二君が交通事故に遭ったのも、その罰ですよ。このままでは、一家全員にまた大変な災厄が降りかかるので、ぜひとも家族全員、御守護霊様をいただき、その御守護を受けてください」と訴えた。
「とにかく美咲はまだ高校生ですからね。宗教に対しても十分な判断ができないと思うから、今は宗教から手を引かせてもらいますよ。もし信仰がしたいのなら、大人になってからにさせてもらいます」
 寮生と事を荒立てたくない父は、穏やかに、しかし毅然とした表情で断った。
 私はこれで心霊会のことで悩まなくてすむと喜んだ。松本さん、河村さん、宏美とも、また元通りの関係に戻れるだろう、と思うと、嬉しかった。三人はこんなことで友情は壊れない、いつまででも待っているから、と言ってくれたのだ。明日にでも三人に謝ろう。今回のことが雨降って地固まるとなり、以前にも増して固い友情で結ばれる仲になれるといいな、と私は楽観した。
 少し前、やむにやまれぬ気持ちから、自分の正直な思いを打ち明けた手紙を河村さんに出した。
 ――私は河村さんや松本さん、宏美から、そんな宗教は辞めちゃって、私たちと一緒に行こう、と言われたとき、心の中ではみんなと一緒についていきたい気持ちでいっぱいでした。でも、もし私を辞めさせれば、みんな罰を受けて、大変なことになる、死ぬことになる、と平田さんたちに脅されていたので、行くに行けませんでした。私は心の中では泣きながら、みんなと行きたい気持ちを思いとどまらせました。宏美が言うように、私はマインドコントロールを受けているのかもしれません。でも、本心はみんなのこと、とても大切な親友だと思っています。そのことだけは伝えておきたい。
 そんなことを訴えた手紙だった。
 すぐに河村さんから返事が来た。
 ――ミッキの苦しい気持ち、よく理解しています。誰よりも辛いのは、ミッキでしょうね。ミッキから手紙をもらい、本心を打ち明けてくれて、とても嬉しかった。今さら言われるまでもなくわかっていたけれど、改めてミッキから打ち明けてもらって、本当に嬉しい気持ちでいっぱいです。松本君も宏美も、ミッキの気持ちはよくわかっていますよ。ミッキも心を強く持って、マインドコントロールを打ち破ってください。私たちはミッキが戻ってくるのをいつまででも待っています。もし、私たちにできることがあれば、何でも言ってください。私は呪いで殺されるようなことはないから、安心してくださいね(笑)。手首の骨折も、すっかりよくなりました。とにかく、私たち四人は親友です。決してミッキを見捨てることはしませんよ。そのこと、忘れないでくださいね。
 私は河村さんの返信を読んで、思わず涙があふれてしまった。私にはこんな素晴らしい親友がいるんだ、と思うと、とても心強かった。明日、みんなに心霊会を辞めたことをまず報告して、謝ろう。
 私はジョンを寝る前の散歩に連れて行った。夜遅い時間は父が散歩に連れて行くことになっているが、今夜はちょっとジョンと歩いてみたかった。慎二もジョンを散歩に連れて行きたがっているが、複雑骨折がよくなったばかりなので、当分無理をしないように言われている。ジョンはときどき気まぐれで走り出したりするので、まだ一緒に散歩に行かないほうがいい。山川さんは、今は腕白盛りで、聞き分けがないところもありますが、二、三歳になれば、ジョンも落ち着いて、急に走り出したりするようなことはなくなりますよ、と言っている。
 私が寮を出て、ジョンと歩いていると、波多野さんが追いかけてきた。ジョンが喜んで波多野さんにじゃれついた。犬好きの波多野さんは、じゃれるジョンの首筋をさすって、 「ジョンジョン、大きくなったね、おまえ」と話しかけた。そして、「鈴木さんから聞いたよ」と今度は私に言った。
「お父さんたちが心霊会、辞めさせると言ってくれたそうね」
「はい。まだ高校生で、十分な判断力もないから、信仰はまださせられない、信仰をしたいのなら、大人になるまで待ちなさい、と言ってくれました」
「でも鈴木さんたち、おいそれとは辞めさせてくれないから、気をつけてね。さっきもいろいろ相談してたみたいだから。若林さんやノブちゃんにも電話していたみたい。私は表立っては力になれないけど、陰ながら応援してるからね。もし美咲ちゃんが辞めることができたら、私も勇気を出して、脱会する」
 波多野さんはわざわざこのことを知らせてくれるために追いかけてきてくれたのだ。力にはなれないと言いながら、このように応援してくれる人がいるだけでも、私には心強かった。

 翌朝、高蔵寺駅のホームで久しぶりに松本さんに会った。今まで、松本さんと顔を合わすのが辛かったので、いつもより早い時間の電車に乗っていた。
「今までごめんなさい。私、ようやく心霊会辞めることができそうなの。教頭先生や担任の小川先生も辞めるように言ってくれましたし。松本さんにはいやな思いをさせて、本当にごめんなさい」とまず謝った。私はそのとき、つい涙がこぼれてしまった。
「いや、よかったよ。ミッキもようやく目が覚めたんだね。昨日、宏美がミッキのお母さんが呼ばれて、校長室で話し合っていると教えてくれたんで、ひょっとしたら、ミッキ、辞めることができるかなって彩花たちと話し合っていたんだ。でも、一番辛かったのは、ミッキだったんだよね。とにかく、お帰りなさい。ほんと、よかったよ」
 松本さんも心から喜んでくれた。私は戻ってきたんだ、と思うと、また涙が流れた。朝の通学時間だというのに泣いていては、周りの人たちに変に思われそうだった。
 春日井駅で河村さんと宏美にも出会った。河村さんは交通事故に遭って以来、電車で通学している。私たちが乗った快速は神領駅に停車しないので、一本早い電車に乗って、春日井駅で待っていてくれた。久しぶりに松本さんと一緒にいる姿を見て、二人は察したようだった。
「ミッキ、松本さんと一緒にいるってことは、辞められたんだね。昨日、お母さんと一緒に校長室に行ったので、ひょっとしたら、と思っていたんだけど。最近、心霊会がかなり激しく布教活動やってたから、学校でも問題になってたもんね。平田のバカも厳しく注意されてたみたい」
 人のことをバカと呼ぶのは、宏美としては珍しかった。よほど憤懣やるかたないのだろう。
「本当にごめんね。いつか、河村さんや宏美が平田さんと話をしたとき、私と一緒に行こう、と言ってくれて、どんなに一緒に行きたかったことか……」
 ここまで言うと、私はまた涙が出て、言葉を続けることができなかった。
「あんなやつに平田さん、なんてさん付けすることないよ。平田のバカで十分」
 宏美はまた平田のバカと繰り返した。
「平田のバカはちょっと言い過ぎじゃないかしら。まあ、私も彼女を擁護する気は全くないけど」と河村さんが宏美をたしなめた。それから、「ねえ、夕方、久しぶりに四人でことぶき家にでも行こうよ。宏美も六時なら、合唱部大丈夫?」と誘ってくれた。
「お祝いにことぶき家のクリームあんみつではちょっとしけてるかな」
「六時、ことぶき家ですね。もし合唱部、終わらなくても、今日はミッキの記念すべき復活の日だから、抜け出します」
 しかしこの会話は平田さんに聞かれていた。

 その日、私は教室の掃除当番だった。掃除が終わり、歴史研究会の部室に向かおうとしたら、平田さんから声をかけられた。
「鮎川さん、心霊会、辞めるつもり?」
「ええ。両親にも昨日辞めるように言われたし。鈴木さんとも話をしたわ。もっとも鈴木さんにはせっかく巡り会った尊い教えなので、辞めないように強く言われたけど」
「そう。辞めちゃうの。残念だけど、仕方ないわね。私も教頭や担任から、学校では布教活動をするなときつく言われちゃったし。でも、高校卒業したら、ぜひともまた考え直してみて」
 平田さんはやけにあっさりしているなと思った。絶対辞めちゃあいけない、と引き留められるものと思っていたのだが。
「それで、辞めるなら退会届など書かないといけないので、ちょっとついてきて。校内で宗教活動をするのは固く禁じられているから、近くのクレープの店で、クレープ食べながら話そう」
 平田さんはそう指示をした。私は平田さんに続いて、校門を出た。すると、後ろから車が近づいてきた。白い大きなミニバンだった。私たちの前でミニバンが停まって、スライド式のドアが開いた。
「鮎川さん、さあ、乗って」と平田さんが言った。私は危険を感じ、逃げようとした。しかし中から男の人が出てきて、素早く私を車の中に引き入れた。その男の人は若林法座会のメンバーだった。口を塞がれ、声を出す間もなかった。平田さんも一緒に車に乗った。運転しているのは若林さんだった。助手席には鈴木さんも乗っていた。それで少しは安心した。
 私は心霊会の春日井道場に連れて行かれるものと思ったら、ミニバンは若林さんの家に向かった。道場には大勢の参拝者がいるので、拉致同然に車に押し込んだ私を連れて行くのは、まずいのだろう。
「さあ、降りて。別に取って食おうというんじゃないから、心配しなくても大丈夫だよ」と若林さんが言った。
 若林さんの自宅に着いて、私は車から降ろされた。私を車の中に引き込んだ男の人も一緒に家の中に入った。若林さんの家の前には、鈴木さんの青いミニカが停めてあった。若林さんの家には何度か行っている。道場ほどではないが、若林さんの自宅にも、八畳ほどの礼拝室が作ってある。祭壇には妙法心霊会の御守護神と御守護仏、そして若林家の御守護霊のお札が祀られている。若林法座会のメンバーで法座会を開催するときは、ここを使用する。
 礼拝室には法座会のメンバーが何人か来ていた。まだ四時頃なので、勤めている人たちはいないが、主に近所の主婦の会員が来ていた。寮生の酒井さんと永井さんも来ていた。平田さんは退会の手続きをすると言っていたのに、そんな雰囲気ではなさそうだ。昨夜、ジョンの散歩をしたとき、波多野さんが気をつけるよう耳打ちしてくれたので、私はもう少し用心するべきだった。
「私、部室でみんなが待っているので、早く学校に戻りたいんですけど」
「学校よりもっと大事な話があります」と若林さんが言った。来たな、と私は思った。
「今、鳥居松高校では、ノブちゃんがお導きに頑張っているのですが、学校側からいろいろな雑音や妨害が出ているようですね。鮎川さんはどう思いますか?」
 若林さんは私に感想を求めた。いつもの美咲ちゃんではなく、鮎川さんと改まった言い方をした。
「はい、平田さんは一生懸命頑張っていると思います。でも、やっぱり私たちは高校生なんですから、あまり宗教活動をやり過ぎるのもどうかと思いますが」
 私は思ったままを正直に答えた。
「本当にそう思うんですか? ノブちゃんは非常に尊いこと、素晴らしいことをやっているんですよ。それなのにやり過ぎだなんて言うのですか?」
 若林さんは私を叱責するような口調で咎めた。
「ノブちゃんは今年の六月に入信したばかりで、まだ四ヶ月しか経っていないのに、今では一生懸命お導きに励んでいます。それなのに、鮎川さんはまだ一人もお導きがないのですよ。恥ずかしいと思わないの?」
「いいえ。平田さんが心霊会の信仰に一生懸命になっている姿勢は尊いと思います。でも、私たちはまだ高校生ですから、宗教より勉学に打ち込むべきだと思っています。昨日、担任の先生や教頭先生からも言われました」
 私は臆しながらもこう答えた。私はまだやっと入信から一ヶ月が経ったばかりだし、今ひとつ御守護霊の御守護を感じたことがない。朝のお勤めをほとんどやっていないせいだと非難されそうだが。
「鮎川さんは尊い心霊会の教えより、凡夫、俗世間の言うことのほうを優先するのですか? 信仰のことを何も知らない凡夫の言うことなど、聞く必要はありません。開祖様や妙心先生が言われることこそが最も大切なのですよ。鮎川さんも、先生が書かれた本を何冊も読んだでしょう?」
 若林さんが私をなじるような口調で言った。すると、寮生の酒井さんが「私は今まで寮長のおじさんの娘だからと遠慮していたんだけど、美咲ちゃん、ちっとも家族や友達をお導きしようとしないんだからね。もう少し真面目にやってもらいたい、といつも思ってたんだよ。そんなことだから信心もぐらついて、ちょっと周りから雑音が入ると、もう辞めます、なんてことになるんだよ。それじゃあ、御守護霊様の御守護もいただけず、死んだら無間地獄行きは間違いないね」と厳しく咎めた。そして、その場に来ていた法座会の人たちも私のことを厳しく責め立てた。
 私はしばらく、法座会の人たちから責められ続けた。私はもういやだ、なぜこんなにひどいことを言われなければならないのだろうか、と泣きたい気持ちだった。
「鮎川さん、みんなひどいことを言っているようだけど、みんなは鮎川さんに無間地獄に堕ちてもらいたくない、何としてでも信仰の道を捨ててほしくない、御守護霊様に救っていただきたい、という慈悲の心から言っているんですよ。みんな鮎川さんのことを同じ信仰をする若林法座会の法友として、心から大切に思っているからこそ、心を鬼にして言っているんです。みんなの気持ちを無駄にしないでください」
 若林さんが一喝した。それに続いて、そこにいる一同が異口同音にそうだそうだと同調した。
 鈴木さんも「こんなことで辞めたりせず、もう一度頑張ろうよ。絶対幸せになれるから。私たちは美咲ちゃんが無間地獄に堕ちるのを、黙って見ていられないよ」と私に言った。平田さんも「鮎川さんは私の初めての導きの子だもん。絶対辞めないでよ。辞めたら、承知しないから」と泣きついた。
 私はここで情に負けてはいけないと思った。心霊会に入会したときも、周りからいろいろ言われ、つい断り切れず、「やります」と答えてしまったことがいけなかった。今度は絶対に妥協しないようにしなければ、と心を鬼にした。
 すると若林さんが「まだわからないの? それじゃあ、とりあえず辞めるのではなく、一時活動休止ということにしたら? 一度辞めてしまったら、大変な罰を受けることになるから。命に関わることになるかもしれませんよ。休止でも罰は出るけど、その罰は気づかせてもらえるための慈悲ですからね」と提案した。
 私はやむを得ず、それで同意することにした。活動休止から、そのままなし崩し的に退会に持って行こうと思った。
「でもね、私が感じた霊感では、近いうちに鮎川さんのお父さんかお母さんが、大変なことになりますよ。それで気づいても、手遅れになっても知りませんよ」
 若林さんは恐ろしい予言をした。しかし、そんな脅しには屈しないようにしなければならないと心を強く持った。
 私は鈴木さんのミニカで、学校の近くまで送ってもらった。鈴木さんの車に乗るのは、初めてだった。もう六時近かった。急いで部室に駆けつけると、河村さんが待っていた。部室に来ないので、どうしたのか心配していたと言った。今、松本さんが校内を探しているそうだ。河村さんは携帯電話で、私が部室に来たことを連絡した。松本さんもすぐに部室に戻ってきた。
 私は二人に、車に押し込められ、若林さんの家まで連れて行かれたことを話した。
「ひどいわね。それじゃあ、拉致じゃないの」と河村さんが憤った。
「よく無事に帰してくれたな。下手すると、どっかの地下室にでも閉じ込められて、洗脳されてまうんじゃないか?」
 松本さんも憤慨して言った。
「まさか。いくら何でも、そんな誘拐みたいなことまで」
 私はちょっと不安になった。しかし、それが本当のことになってしまうとは、思ってもみなかった。
「でも、一時休止ということなんでしょう? またしつこく言ってくるわよ」と河村さんが懸念した。
「はい。でも、絶対もう戻るつもりはありません。もう松本さんや河村さん、宏美に辛い思いをさせたくないですから。私には、守護霊より、みんなのほうがずっと大事です」
「そうそう。その意気だ。俺たちが絶対ミッキを守ってやるから」と松本さんが頼もしい発言をしてくれた。まもなく約束の時刻なので、私たちはことぶき家に急いだ。
 ことぶき家にはもう宏美が来ていた。宏美は合唱部の練習はまもなく終わるところだったので、早めに抜け出し、ついさっき着いたばかりだとのことだった。
 まず各々好みのものの食券を買い、オーダーをした。注文品ができるまでの間に、私は宏美に、さっきまで心霊会の人たちに拉致同然に連れ去られ、心霊会を辞めないように脅されていたことを話した。
「え、マジで? 昔テレビではなんとかいう教団がそんなようなことをしていたという特集番組を見たことあるけど、実際身近でそんなことが起こっただなんて、嘘みたい。また平田のバカがやったのね。もう絶対あんなの、相手にしないでよ」
 宏美も信じられないといったふうだった。今日は私が心霊会と縁を切ったことを祝うささやかな会のはずだったが、重苦しい雰囲気に包まれてしまった。気をつけないとまた無理やり車に押し込められて、拉致されるかもしれないよ、とみんなが心配した。私は最後に若林さんが「近いうちに鮎川さんのお父さんかお母さんが、大変なことになりますよ」と不気味な予言をしたことが不安だった。
「そんなの単なる脅しだよ。まともに考えるだけ損だから、無視してればいい」と松本さんが言った。
「そうよ。力のない宗教ほど、そうやって信者の恐怖心を煽り立てて、縛り付けようとするんだから、相手にする必要はないわ。私だって死ぬと言われたのに、まだピンピンしてるじゃない」と河村さんが相づちを打った。宏美もそうだそうだと賛成した。
「とにかく私たちは高校生なんだから、宗教よりもまだまだやるべきことがたくさんあるわよ。高校生だから信仰は必要ない、というつもりはないけど、まだ正邪も判断できないうちに、危険な宗教にのめり込むのは問題よね」と河村さんが結論づけた。
 ことぶき家を出たころには、雨が降り出していた。天気予報では午後の降水確率が高かったので、みんな傘を持ってきていた。雨の中、ジョンを散歩に連れて行くのはおっくうだなと思った。夕方のジョンの散歩は、私の係になっている。以前は慎二と交代でやっていたのだが、慎二は運動するのは、もう少し待ったほうがいいと医者から止められている。ジョンは体力があり、走り出したりするので、散歩に連れて行くのはけっこう大変だ。昼間と寝る前の散歩は、父が担当している。

『ミッキ』第28回

2013-10-08 13:11:46 | 小説
 10月に入っても30℃を超える日があり、日中はまだ暑い日が続きます。朝晩は気温が下がり、1日の気温の差が大きく、体調を崩しがちです。
 今年は名古屋市で30℃以上の真夏日が87日となり、80年ぶりに最多記録を更新したそうです
 明日は台風24号が接近しそうですが、今年は台風の発生も多いとか。
 気候がだんだん狂ってきているのかもしれません。

 今日は『ミッキ』第28回です。美咲は新興宗教の深みにどんどん引き込まれてしまいます。



            

 私は朝は寝坊して、なかなかお勤めができなかったが、夜は鈴木さんたちに誘われ、一緒にお勤めをするようになった。鈴木さんたち三人組は、お導きなど、心霊会のご奉仕で寮に帰るのが遅くなることもあり、毎晩お勤めを一緒にするわけではなかったが。
 学校でも平田さんと一緒にいる時間が増え、その分、宏美と話したり、歴史研究会の部室に行くことが少なくなった。
 松本さんは心霊会のことで私と話をしたがったが、私は言葉を濁して、あまり話さなかった。
 河村さんは三日入院しただけで、退院した。退院翌日からは、左腕を三角巾で吊った状態で登校した。赤いフレームのメガネは事故に遭ったとき、破損してしまったので、メタルフレームのものを新調した。メガネが変わり、これまでかわいいという印象だったのが、凛々しく見えた。河村さんは私のことをとても心配してくれたが、私は自分から積極的に河村さんに会おうとはしなかった。というより、会えなかった。
 私は鈴木さんや平田さんから、何度も親しい友人を導きなさいと強要されていた。学校では、平田さんがいつも私の近くにいた。
 一度、宏美が平田さんに話をつけると言って、三人で喫茶店で話をしたことがある。そのとき、平田さんは心霊会のこと、御守護霊の素晴らしさを宏美に延々と語り、入信を勧めた。宏美はいっさい聞く耳を持たないという姿勢で、平田さんに挑みかかった。
「ミッキは私の大切な親友よ。そのミッキを、怪しげな宗教なんかに取られてなるものですか。あんたこそミッキに近づかないでほしいわ」と宏美は言い切った。平田さんがいくら心霊会の素晴らしさを語っても、無駄だった。
「ミッキ、もうこんな人と付き合うのはよしなさいよ。松本さんや河村さんが、どれだけ心配しているか、わかってるの? そんなことがわからないミッキじゃないでしょう?」
 宏美は私に心霊会を辞めるように、強く迫った。
「鮎川さん、この人、救いようがないわね。せっかく幸せになれる方法を教えてあげてるのに。かわいそうな人」と平田さんはさじを投げた。
「誰もあんたなんかに救ってもらいたいとは思ってないわ。さ、行きましょう、ミッキ。ミッキはマインドコントロールされてるのよ。いい加減に目を覚ましなさい」
 宏美は私の腕を取り、席を立たせようとした。
 私はこのとき、どれほど宏美と一緒に行きたいと思ったことか。松本さんの胸の中に飛び込みたい。河村さんとまた一緒に山に登りたい。この三人が、私の最も大切な親友なんだから。しかし、私は宏美と一緒に立てなかった。
「鮎川さん、そんな人たち、ほっときなさいよ。私たちは、法の上で結ばれた法友なのよ。仏法での関係こそ、最も大切なの。俗世間の友情なんて、すぐ裏切られるけど、私たち心霊会の法友の結びつきは、この世だけではなく、霊界までずっと続く、最も大切な関係なの。私たちの仲間こそ大切にしないといけないのよ」
 平田さんは私の肩を強く押さえた。私は宏美と行きたい、と心の中で叫びながらも、動けなかった。
「ミッキのバカ。これほど言ってもわからないの? 松本さんや河村さんが、どれだけミッキのことを心配していると思ってるの? もう知らない!」
 宏美はテーブルの上に、コーヒー代を置いて、涙を流しながら出て行った。私は涙こそ流していなかったが、心の中では泣いていた。宏美、力ずくででも私を連れてって、と心の底から叫んでいた。
 私が宏美と一緒に立ち去れなかったのは、鈴木さんから「もし心霊会を辞めさせようとする人がいれば、その人はひどい罰を受けることになる。本当に辞めてしまった場合、辞めるように働きかけた人は、命を落とすことも多い。これは脅しではなく、私も実際にその事例を聞いたり、自分の目で見たことがあるので、断言できる。それほど心霊会の御守護霊の偉力はすごいのだ」ということを聞いていたからだった。
 事実、河村さんは、鈴木さんが罰が当たると予言した翌日、交通事故に遭った。もちろん偶然だとは思いたいが、万が一本当に御守護霊の力により引き起こされた事故だったら、恐ろしい。もし私が仲間の言葉に従って、心霊会を脱会したことにより、大切な人たちの身に何かが起こっては、取り返しがつかないことになる。たとえ、私がどんなに嫌われようとも、三人の友を私は罰による災厄から護らなければならない。
 落ち着いて考えれば、本当にばかばかしいことなのだが、恐怖に縛られていた私は、冷静な判断ができない状態だった。
 それに、鈴木さんには他人の心を読む能力があるように思われた。私が信仰に関して、消極的に思っていることがあると、その都度ずばずば指摘された。あまりに的確に言われるので、恐ろしいほどだった。これも、人の表情や顔色をよく観察し、心理的な洞察を加えれば、できることかもしれなかったが、私はてっきり鈴木さんはテレパシーのような霊能力で、私の心を自在に読んでいるものと思い込んでいた。私はある意味、宏美が言ったように、マインドコントロールをされていたのかもしれない。
 平田さんはその後、松本さん、河村さんも呼び出して、私と二人でお導きをした。私はいやだったのだが、鈴木さんの指示には逆らえなかった。松本さんと河村さんは、なんとしても私に心霊会を辞めさせようとして、話し合いに応じた。
 話し合いは当然平行線に終わった。河村さんは宗教についての知識も豊富で、何度も平田さんを追い詰めた。論理的には、河村さんが平田さんを圧倒していた。しかし平田さんは「本当の御守護霊様のお力を知らない人が何を言ってるのですか? 私は御守護霊様の絶大な偉力を、身をもって体験してるからこそ、言えるのです。御守護霊様の力の前では、どんなに優れた宗教論でも、単なる机上の空論に過ぎません」と逃げるばかりだった。
「その守護霊でも、心霊会は間違っているわ。心霊会には何百人、何千人もの霊能者がいると聞いたけど、そんなに大量生産した霊能者が、本当に守護霊を呼び出すことができるほどの力を持ってるのかしら。ミッキの守護霊といっても、本当に守護霊が出現したのかどうか、わかったもんじゃないわ。守護霊というものは、にわか仕立ての霊能者がそう簡単に授けられるものじゃあないのよ」
 河村さんはそう挑みかかった。河村さんは、守護霊を出現させるためには、先祖霊の中から特に高い徳を持つ霊を探し出し、釈迦の成仏法による増益供養(ぞうえきくよう)を修する必要がある。そのためには、仏法僧の三宝が正しく揃っていなければならないのだけれど、心霊会には、釈迦の御真骨である仏舎利があるの? 在家の集団である心霊会には、正しい意味での僧侶は存在しないはず。また、南無妙法蓮華経を唱えるなら、日蓮大聖人のご本尊に対してでなくてはならないはずよ、守護霊や先祖霊に対して唱えるのは、間違ってるわ、などと立て続けに問い質した。
 それに対しては、平田さんは全く答えることができなかった。というより、河村さんの言っていること自体、理解できないようだった。ただ、心霊会を誹謗すると御守護霊様の罰で大変なことになる、としか反論できなかった。
「なんという失礼な言い方をするんですか? いくら上級生でも、心霊会の霊能者や御守護霊様を侮辱するのは許せません。河村さんでしたね、この前は御守護霊様のご慈悲で軽傷ですんだけど、今度は本当に命を落とすことになりますよ」
「できるなら、やってみなさい。私は脅しには屈しない。罰で脅すのは、守護霊じゃなくて、悪霊、悪魔よ。ミッキ、もし何ヶ月か経っても、私がぴんぴんしてたら、心霊会を辞めなさい。私たちの友情はこんなことでは壊れないわ。いつでもミッキが戻るのを待ってるからね。マッタク君、ミッキもきっといつかは気づいてくれる。それまで、待とうね。宏美と三人で」
「俺も腹を決めた。最初はもうミッキなんか知らん、どうなろうと勝手にしろ、という気持ちだったけど、俺も彩花や宏美と一緒に、待ってるよ。いつでも戻ってこい」
 こう言って二人は去っていった。私は断腸の思いで見送った。本当に素晴らしい親友だと思ったら、涙があふれてきた。河村さん、あんなことを言い切って、罰でおかしなことにならなければいいがと、そればかりが心配だった。
「私は知らないよ。きっとあの二人、罰で死ぬことになる」
 平田さんは河村さんに完全に言い負かされ、悔しさがにじみ出ていた。

 その夜、平田さんも寮の鈴木さんの部屋に来て、私を含めて七人で今日のお導きの総括をした。
「河村という子が一番の難敵のようね。ノブちゃんが完全に言い負かされただなんて。私も一緒について行くべきだったな。高校生は高校生同士でと考えてたのは、甘かったようね。今度会う機会があったら、私が応援について、完膚なきまでに破折(はしやく)してやるわ」
 鈴木さんは河村さんのことを、これだけ心霊会や御守護霊のことをひどく誹謗した以上、もう罰で無間地獄行きは確定したようなものだ、気の毒だが、何ともしようがないと言った。そして、もう過去の友達のことは忘れて、私たちを仲間として、信仰の道を進みなさい、それが最も幸せになれる道なのだ、と私に決意を促した。
 でも、松本さんや河村さんたちをそんなに簡単に見限れるものではない。鈴木さんは私の心を見て取って、いつまでも悪魔のことに未練を持っていてはいけない、と一喝した。河村さんたちが悪魔だなんて、ひどいと思った。河村さんは、罰で脅す心霊会こそが悪魔だと言っていた。
 お勤めの後、私は集まった人たちから、心霊会、御守護霊様の素晴らしさをくどくどと聞かされた。そして、これからは多くの人に、御守護霊様の絶大な偉力のことを教えてあげて、救っていこう、と誓わされた。しかし、私は上の空だった。
 話が終わり、私たちは平田さんを高蔵寺駅まで送りに行った。私はついでに、ジョンを散歩に連れて行った。初めてジョンを見た平田さんが、びっくりして怖がった。みんなが「ジョン君はおとなしいから、大丈夫だよ」と平田さんを安心させた。平田さんは犬はあまり好きではないようだ。
 ジョンを散歩に連れて行くとき、波多野麻衣さんが一緒についてきた。ジョンは波多野さんにはなついている。波多野さんはお勤めなどで鈴木さんの部屋に来ても、発言を求められたとき以外は、めったに話すことをしない。二人でしばらく雑談をしながら歩いた。波多野さんは富山県の出身だと、このとき初めて聞いた。故郷からは立山や剣岳などの北アルプスの山々がよく見えるそうだ。波多野さんは大学卒業後は、雪深い故郷には戻らず、名古屋で就職し、こちらで暮らしたいと言った。波多野さんは三年生なので、就職活動も忙しくなる。
「波多野さんの肩のタトゥー、すてきですね。かっこいいです。私の友達の女の子も、タトゥーをしてみたいと言っているのですけど」と私は話しかけた。
 それを機に、波多野さんはタトゥーのことを話し出した。入れたのは、一年ほど前の夏のことだった。高校生のころからファッションとしてのタトゥーに興味を持ち、いつかは入れてみたいと思っていた。大学に入学してから、入れるかどうかを一年以上熟慮した上で、決意した。
最初は背中一面に、丑(うし)年生まれの護り本尊である虚空蔵菩薩を彫るつもりだったそうだ。だが、さすがにそこまで大きなものを入れてしまっては、これからの人生に支障が出そうなので、よく考えたほうがいい、と卑美子さんという女性アーティストに助言された。卑美子さんと相談した上で、虚空蔵菩薩を表す梵字の図柄をデザインしてもらったという。卑美子さんの名前は、私もメビウスの輪のアキコさんから聞いたことがある。有名なタトゥーアーティストだ。私が卑美子さんの名前を知っていたので、波多野さんは意外そうだった。
 波多野さんは、タトゥーを入れる以上は、一生後悔しない、消すぐらいなら、最初から入れないほうがいい、という覚悟を持って臨んだのだそうだ。自分の守護仏の梵字だから、お守りとして大切にしたいという。就職したら、勤務先にはタトゥーを入れていることは隠し、見つからないように気をつけるつもりだと言った。結婚相手は、タトゥーに寛容な男性を探したいとのことだ。
「でも、友達がタトゥーをしたいと言ってるのなら、タトゥーをした場合のデメリットなんかも、よく教えてあげてね。私も彫り師の先生に、いろいろアドバイスされて、小さいのにしたんだけど、今では背中一面にやらなくてよかったと思ってるの。かっこいいとかきれいだとか、そのときの勢いで入れちゃうと、後々苦労することも多いから。私は覚悟の上で入れたんだけど」と忠告もしてくれた。
 寮からかなり離れたところで、波多野さんは「美咲ちゃん、本当はどう思うの? 心霊会のこと」と尋ねた。私はすぐには返事ができなかった。
「ひょっとして、うまいこと言われて道場に連れてこられ、周りから一緒にやろう、としつこく誘われて、無理やり入信させられたんじゃない?」
 私は波多野さんに図星を指された。
「実は私がそうなのよ。本当は辞めたいけど、怖くて言い出せないの。守護霊の儀式の借金で縛られてもいるし。法的な返済義務はないといいながら、守護霊に誓約したのだから、辞めるのならすぐ三〇万円払わないと罰が当たると脅されて。結局はお金儲けだわ。霊能者養成講座を受けるには、何十万、何百万ものお金が必要と聞いてるわ。美咲ちゃんも無理やり入信させられたんじゃないの? 私はみんなに告げ口したりしないから、正直な気持ちを教えてくれない?」
 波多野さんはこのことを話したくて、わざわざジョンの散歩についてきたのだなと思った。波多野さんになら、話しても大丈夫だと思った。それで私の本当の気持ちを波多野さんに話した。それにしても、霊能者になるためには何百万円ものお金が必要だということには驚いた。
「私、高校の同学年の平田さんに誘われて、心霊会だなんて知らずに道場に連れて行かれたんです。ビデオ見て、感動しちゃったし、周りの人からしつこく一緒にやろう、と勧められ、やると言わないと帰してくれそうになかったので、やります、と答えてしまったんですけど」
「そうよね。私、知ってるけど、鈴木さんたち、何とか美咲ちゃんを入信させようと、夏休みのうちから、計画を練っていたのよ。ノブちゃんは同じ学校だから、うまく利用されたのね」
 そのことは私も気づいていた。
「私の場合は、肩にタトゥーを入れたので、鈴木さんに、身体に自分の意思で傷をつけたのは、自分の魂に傷をつけたのと同じで、非常に大きな罪業を積んだことになり、死後、仏罰で無間地獄に堕とされる。そうならないためには、守護霊様を出してもらい、一生懸命祈って、許しを請いなさいって脅かされ、入信したのよ。守護霊出現の儀式も、私は入れ墨をして罪障が深いからと、最初から縁覚の供養を要求されたの。供養金の額で守護霊の格を決めるのって、変よね。今から考えると、何となくはめられたように思えて、悔しいけど」
「私の友達も、罰で脅すのは、守護霊というより、悪霊か悪魔だと言っていました。平田さんはその人のこと、罰で死ぬ、なんて怖いこと言ってるんで、私、ちょっと不安なんですが」
「でも、確かに罰はあるみたい。私が知っているだけでも、入信を断ってひどい目にあった人、何人もいるから。ひどい中傷をした人の中には、本当に病気や交通事故で死んじゃった人もいるそうだから、私、怖くて脱会できないの。偶然だと思いたいんだけど、やっぱり、もしということがあると、怖いから。私は罰というより、人間の念の力だと思うの。心霊会を誹謗した人に対し、みんなでその人に罰が当たるよう念ずることによって、そんなことになると思うのよ。黒魔術や呪いの藁人形みたいなものよね。でも、こんなこと、鈴木さんや若林のおばさんには絶対言わないでね。こんなこと考えていることが知れたら、何をされるかわからないから」
「もちろん言いません。でも、こうやって聞いてると、なんかひどいですね。お金のこともびっくりです。ただ、私の友達は本当に交通事故に遭ってしまったし、さっきも言ったけど、今度は死ぬと言われて、私、すごく心配なのです」
 波多野さんの話を聞いて、また河村さんのことが不安になった。本当に大丈夫なのだろうか。どうか、河村さんたちには罰が出ませんように、と私は守護霊に祈りたかった。本当に守護霊が出ているのなら。
「うちの寮にはもう一人、腰に何輪もの牡丹の花と蝶を入れている山田さんって人がいるけど、彼女はお導きされても、ひどく反発しているよ。ブラジル人のマリアはクリスチャンだから、最初から話を聞こうともしないしね。でも、この二人には罰はまだ出ていないみたい。さすがの鈴木さんも手こずっているようよ」
 このときは波多野さんは小気味よさそうにクスリと笑った。私は山田さんのタトゥーは、しゃがんで背中がはだけたとき、一部を見ただけだった。牡丹と蝶の図柄だということを、初めて知った。そんな話をしているうちに、もう寮の近くまで戻ってきた。
「それじゃあね。何かあったら、また話しよう。このことは、二人だけの秘密よ。これから、私たちは仲間よ。友達」
 波多野さんは小声で言って一足先に寮の中に入っていった。
 波多野さんはみんなが集まったとき、あまり発言しないのは、心霊会に批判的だからなのだ。波多野さんなら、私の気持ちをわかってくれる。これから、心霊会のことで何かいやなことがあったら、波多野さんに話をしてみよう。仲間、友達だと言ってくれたのだから。解決はできないまでも、話を聞いてもらえるだけで、多少は気が楽になりそうだ。

『ミッキ』第27回

2013-10-01 01:09:28 | 小説
 今日から10月。いよいよ秋本番です。しかし最近、精神的にドタバタした感じです
 もう少し収入を得る道を考えなければ。
 いい作品を書けば、本が売れて、収入も多くなる、なんていう考え方は甘かったようです。
 やはり世間に名を知られていない作家は、どこまで行っても売れないのが、この世界。
 しかしそれでも負けずに頑張るつもりです

 今回は『ミッキ』第27回です。地獄について、出版した本より、少し詳しく説明を追加しました。



            

 翌朝、松本さんと宏美に、どうだった? と訊かれた。私は、いろいろ話してみたけれど、軽く一蹴され、辞めさせてくれなかったと答えた。とても私程度の知識では、班長職を拝命している鈴木さんには歯が立たなかったことを話した。
「そうか。敵はやっぱり手強いな。また彩花とも相談して、対策を練ろう。まだまだ始まったばかりだから、そう落ち込むなよ」と松本さんが慰めてくれた。
 放課後に部室に寄った。今日から午後の授業がある。松本さんと芳村さんがいたが、河村さんは来ていなかった。
「彩花、今日休んでいるようだよ。彩花が学校を休むなんて、珍しいよ。携帯で電話しても出ないから、ちょっと心配だな。たぶん風邪か腹痛(はらいた)だろうと思うけど。案外下痢でトイレから出られないのかもしれないな」
 松本さんが冗談めかして言ったが、私は何となくいやな予感がした。
 しばらくすると、河村さんの担任の守山先生が部室にやってきた。守山先生は音楽が専門で、宏美が所属している合唱部の顧問をしている。それが歴史研究会の部室に来たので、何だろうかと思った。
「あ、みんな、ちょっと聞いて」と守山先生が言った。
「みんな、歴史研究会の仲間として、河村彩花さんと仲がいいから、伝えるけど、河村さんね、今朝登校途中で、交通事故に遭って、入院したのよ」
 守山先生の言葉に、私たちはびっくりした。
「大丈夫。怪我そのものはそれほどひどいものじゃなくて、命には別状がないから、安心して。左手首を骨折していて、しばらくは左手が使えなくなるけど。今から先生は、河村さんが入院している病院に行くけど、みんなも一緒に行きますか? 行くなら、私の車に乗せてってあげる。三人ならちょうど乗れるわ」
 私たちは守山先生が通勤に使っている軽自動車で、河村さんが入院している病院に行った。病院は篠木町の方にある深谷外科病院というところだった。途中の洋菓子店で、みんなでお金を出し合って、お見舞いのケーキやシュークリーム、プリンを買っていった。河村さんは甘いものが大好きだ。
 守山先生はナースステーションで河村さんの病室を尋ねた。病室に入ると、河村さんのお母さんと大井さんが来ていた。そこは四人部屋だった。
「よう、みんな。よく来てくれたな」と大井さんが挨拶をした。そういえば大井さんの家は、この近くだと聞いていた。まだ新学期三日目で、大井さんが受けなければならない授業がなかったので、大井さんはお父さんの工場を手伝っていたそうだ。そこに河村さんが交通事故に遭ったという連絡が入り、着替えをして駆けつけたとのことだ。今日の大井さんは、スーツを着ていた。颯爽としていて、凛々しかった。不良の面影はみじんもなかった。
「先生、わざわざ来てくださって、ありがとうございます。ご迷惑をかけて、申し訳ありません。皆さんもありがとうございます。美咲ちゃん、いつぞやはお世話になりました」
 河村さんのお母さんが挨拶をした。私には家出事件のことでお礼を言ってくれ、恐縮してしまった。
「大井君、立派になったわね。見違えたわ。去年までの大井君とは大違いよ。先生も、本当に嬉しいわ」
 守山先生に褒められ、大井さんは照れくさそうだった。あとで聞いた話では、大井さんは、生徒たちから、鳥居松高校の職員のうちで最も美人だと評されている守山先生に、密かに憧れていたそうだ。
「もちろん、今は彩花一筋だぜ」とフォローも忘れなかった。
 河村さんは意識もはっきりしており、元気そうだった。まだ骨折した左手が少し痛むと言った。メガネを事故のときに破損してしまい、かけていなかった。自転車通学には、ヘルメット着用が義務づけられているので、頭を打ったが、検査では異常がなく、不幸中の幸いといえた。念のため三日ほど入院をしなければならないが、退院をすれば、登校できるそうだ。
 河村さんにぶつかったローズピンクの軽自動車は、そのまま逃げていった。事故を起こし、気が動転して、つい逃げてしまったのだろう。運転手は若い女性で、車種と色、ナンバーの最初の二桁を河村さんが記憶していたので、ほかには目撃者がいなかったものの、加害者は直(じき)に見つかるだろうと交通課の警察官は話している。
「しばらく左腕を吊らなくちゃあいけないから、ちょっと不便だけどね。でも、慎ちゃんのことを考えると、こんな程度の怪我で文句言っちゃあ、罰が当たるわね」
 この罰という河村さんの言葉に、私は不安になった。まさか、河村さんの交通事故が、心霊会を誹謗したことによる罰だとは思いたくなかった。そういえば、昨夜はジョンと散歩しているとき、私も危うく車に轢かれそうになった。あれも心霊会を辞めようとしたことへの警告で、助かったのは御守護霊の御守護なのだろうか。いや、単なる偶然だ、と私は思いたかった。もしそれらのことが偶然ではなく、御守護霊の働きによるものだとしたら、私は恐ろしくて、もう一生心霊会から抜けられなくなってしまうかもしれない。これ以上罰として、松本さんや宏美に何か災厄があったら、とても申し訳ないという思いに駆られた。
「ミッキ、どうしたの? なんか考え込んじゃったりして」
 私が考え事をしていたのを見て、芳村さんが問いかけた。
「あ、いえ、大丈夫です。河村さんがちょっと気の毒だと思って」
 私は不安な気持ちを、適当にごまかしておいた。
「せっかくみんなが持ってきてくれたケーキだけど、まだ食欲がなくて一人で食べきれないから、みんなで分けて。さっきも大井さんのお見舞いのケーキをいただいたの」と河村さんが言った。大井さんが持ってきたものを合わせれば、全員に行き渡る。河村さんが片手でも食べやすいシュークリームを取り、他のものをみんなで分け合った。
「ミッキはケーキにしろよ」と松本さんが言った。
「私も呼ばれちゃっていいの?」と守山先生が訊いた。
「実は、俺も甘いものは好物なんだ」と大井さんが照れくさそうに言った。
 あまり長居しても河村さんに負担がかかるので、私たちは頃合いを見て引き上げることにした。お母さんと大井さんはまだ病院に残るそうだ。大井さんは本当に河村さんのことを大切に考えているのだな、と思うと、心が温かくなった。病院では心霊会のことを話す気にはなれなかった。しかしきっと河村さんは気にかけているだろう。
 松本さんと私は病院から近い神領駅で車を降ろしてもらった。芳村さんは自転車を学校に置いてあるので、守山先生の車で学校に戻った。もし宏美がまだ合唱部に残っていたら、河村さんのことを伝えてもらえるよう、守山先生にお願いをした。
「ヨッチンも自転車だから、気をつけてくれよな」と松本さんが芳村さんを気遣った。
 高蔵寺駅に着くと、駅のミスタードーナツに入って松本さんと話をした。
「彩花があの状態じゃあ、しばらく話ができないな。こういうときは彩花が頼りになるんだけどな。俺は宗教のこと、全然知識がないから、あまりアドバイスしてやれないし。いつも彩花ばかり当てにして、ちょっと情けなくて、申し訳ないけど」
「いいえ、松本さん、いつも私のことで、一生懸命になってくれるんで、とても感謝してます。今回は私が面倒なことを起こしてしまって、ごめんなさい」
「いや、それは仕方がないよ。寮にいる人が、ミッキのこと、何とか心霊会に引き入れようと、計画を練っていたんだろう? 平田という子まで利用して」
 松本さんは優しく慰めてくれた。
「でも、私、怖いんです。昨日、鈴木さんというリーダーの人が、河村さんのこと、きっと罰が当たると言ったんです。そしたら、今朝、河村さんが交通事故に遭ってしまって。私も昨日の夜、ジョンと散歩しているとき、危うく車にはねられそうになったし。もしこれが罰だったら、万一、松本さんや宏美にも何か災厄が起こると思うと……」
「そんなの偶然だよ。もしそれが本当に罰だったら、その教団は悪魔だよ。罰というより、悪魔の呪いだ」
「本当に悪魔だったら、私怖い。しばらくは鈴木さんの言うとおりにして、様子を見てみようと思います。もし守護霊のおかげで、運がよくなれば、それに越したことはないし」
「そうだな。ミッキがそんなに怖いなら、彩花がよくなるまでは、しばらく様子見といこうか。それまでにミッキも気持ちを落ち着けて。すぐに一〇万円払え、なんてこともないんだろうし。だけど、もし何かあれば、すぐに言ってくれよな。彩花だけじゃなくて、先生たちとも相談するほうがいいかもしれないから。でもこういうことには、学校はあまり当てにならないかもしれないな。むしろ、ミッキの伯母さんの、杉下先生の方が親身になってくれるかもしれないね。ミッキには、いつだって俺が、そして彩花だって、宏美だって、ヨッチンだってついているんだからな。大井さんだって頼りになる兄貴だし」
 そう。私は一人じゃないんだ。こんなに素晴らしい仲間がいるんだ。私は心からそう思った。

 夜、宏美に電話すると、「河村さんが交通事故に遭ったことを守山先生から聞いて、びっくりしたわ。ちょうど私からミッキに電話しようと思ってたところよ」と言った。宏美まで不安がらせてはいけないので、罰の話はしなかった。心霊会のことは、しばらく様子を見てみようと松本さんと話し合ったことを告げた。宏美も「何かあったら教えてね。私ではあまり役に立たないかもしれないけど、ミッキと一緒になって考えてあげるから」と気遣ってくれた。
 その後、河村さんから、ひき逃げした加害者が警察に出頭したとの報告があった。ぶつけたとき、動転してそのまま逃げてしまったが、自分が犯してしまったことで良心の呵責にさいなまれ、父親に付き添われて、出頭したとのことだ。まだ免許を取って間もない若い女性だそうだ。たいした怪我ではなかったので、逃げさえしなければ軽い処罰ですんだものを、逃げたために罪が大きくなってしまった。
 夜のジョンの散歩から戻ると、鈴木さんが私を見つけて、近づいてきた。
「あら、美咲ちゃん。今日は八時から来なかったのね。自分でお勤め、大丈夫?」
「あ、はい。大丈夫です。何とか頑張ります」
「そう。頑張ってね。お勤めサボると、御守護霊様の戒めで、罰が出ることがあるから。でも、罰は間違っていることに気づかせてくれる、御守護霊様からの、ありがたいご慈悲だからね。もし罰だと思ったら、素直に反省して、御守護霊様にお詫びをして、改めてね。そうすれば、必ずよくなるから」
 それだけ言うと、鈴木さんは自分の部屋に戻ろうとした。
「あ、鈴木さん、すみません。ちょっとお話したいことがあるんで、あとでお部屋まで行っていいですか?」
「かまわないよ。みんな集まっているから、また話しましょう」
 鈴木さんは階段を上っていった。私はジョンを部屋に戻してから、鈴木さんの部屋に行った。部屋には昨日と同じメンバーがいた。
「話したいことって、なあに?」と鈴木さんが促した。
「実は、昨日、鈴木さんが言ってた罰のことなんですが。鈴木さんの言ったとおり、私の先輩が今朝、交通事故に遭ったんです。幸い怪我は軽くすんだのでよかったんですが、やっぱりこれって、罰なんですか?」
 私は恐る恐る尋ねた。
「そうですよ。心霊会のことを誹謗中傷して、辞めさせようとすれば、必ず罰が出ます。でも、怪我が軽かったのは、御守護霊様のご慈悲ですよ。その人には、そのことをよくお話してあげて、導いてあげてくださいね。もしそれでも反発するようなら、さらにひどい罰を受けて、気の毒ですが、死後無間地獄に堕ちなければなりません」
 鈴木さんはそのとき、年下の私に対して、丁寧な言葉遣いをした。それがかえって、私に恐怖感をあおった。
「無限地獄って、どういう地獄なんですか?」
 私は恐ろしかったが、訊いてみた。
「無間地獄とは、字のごとく間断なき苦しみを強いられる地獄です。八大地獄の中でも、最も恐ろしくて苦しい地獄で、それ以外の地獄の苦しみが天国に思えてしまうほどのものすごい苦しみを、何兆年、何百兆年、いや何京年と受け続けなければなりません」
 私は〝無限〟ではなく、〝無間〟という字を使用することを知った。しかし、心霊会のことをわるく言っただけで、そんなひどい地獄に堕ちなければならないことが、納得できなかった。京なんて数字は、めったに使わない。それこそ無限に長い間、地獄に堕ちなければならないように感じられた。それに対して、鈴木さんは、正しい宗教、御守護霊に逆らったり、誹謗中傷することは、他のどんな罪、たとえば殺人罪よりもはるかに重い罪業を犯すことになるのだと説明した。
 八大地獄の中でいちばん軽い等活(とうかつ)地獄ですら、五〇〇年間苦痛を受け続けなければならない。五〇〇年といっても、等活地獄の一日は九一二万五〇〇〇年に相当するという。地獄の一年は三六〇日だから、人間界の時間の尺度でいえば、一兆六四二五億年出られないことになる。一つ深い地獄に移行するたびに、刑期は八倍、苦しみは一〇倍になる。しかし、無間地獄はこの約束事には当てはまらず、苦痛も刑期も比較にならないほど恐ろしいのだそうだ。
「地獄なんて、迷信じゃあないんですか?」
「いいえ、地獄は迷信なんかではなく、厳然として存在しますよ。心霊会は単なる教えだけの宗教ではなく、実際に霊を扱う、実践の宗教です。多くの優れた霊能者がいて、霊の存在、霊界の存在を目で見、耳で聞き、肌身で感じていますよ。霊界というのは、異次元の世界で、確実に存在しています。その霊界の、最も苦しい残酷な世界が地獄なんですよ」
「そうなんですか。でも、ビッグバンで宇宙ができてから一三七億年といいますが、すると、地獄に堕ちた人はまだ一人も出てこれてないわけですか?」
 私はその辺が腑に落ちなくて、尋ねた。
「いいえ、人間界と地獄では、次元が違うので、時間の流れも違うのよ。たとえば、竜宮城では、浦島太郎が数日過ごしただけで、人間界では何百年も過ぎていたでしょう? 今の子にもっとわかりやすく言うなら、人気アニメで、人間界ではたった一日しか経っていなくても、時間の流れ方が違う異次元の部屋では一年間もみっちり修行できて、すごいパワーを身につけた、なんてのがあったでしょう。それと同じで、地獄で何兆年も過ごしても、人間界では数十年、数百年しか経っていなくて、またこの世に生まれ変わってくる、ということがいくらでもあるのよ。美咲ちゃんも過去世では、地獄で何億年、何兆年も苦しんだのかもしれないよ。もっとも経典にある刑期、というのかな、とても長い期間を比喩的に表現したものかもしれないけど。それでも、とてつもなく長い時間苦しむことに変わりはないわ」
 鈴木さんのたとえはわかりやすかった。そのアニメは私も好きで、再放送をよく見ていた。圧倒的な強さを誇る人造人間や魔人と戦うために、主人公たちはその異次元の部屋で修行したのだ。異次元の部屋で一年間厳しい修行をするのならともかく、何兆年も地獄で苦しみ続けなければならないのは、まっぴらだった。私は鈴木さんの話を聞いていて、恐ろしくなってきた。こんなことを質問しなければよかったと後悔した。
「でも、大丈夫だよ。美咲ちゃんも、もう御守護霊が出ているんだから、心霊会を辞めたりしない限り、護られて、幸せな生涯を送れます。そして、臨終のときには御守護霊様が迎えに来てくださり、安らかな境地で霊界に旅立つことができるので、死は怖いものではなくなります。御守護霊様が天上の霊界へと導いてくださるのですよ。こんなありがたい教えなんて、ほかでは絶対あり得ないんだから。こんな素晴らしい教えだからこそ、私たちは多くの人に教えてあげたいと思って、皆一生懸命お導きをしているのよ。私も美咲ちゃんを救ってあげたいと思って、同じ高校のノブちゃんと相談して、道場に連れてきてもらったんだよ。ノブちゃんにも徳を積ませてあげたかったし。人を導くということは、すごい功徳がいただけるものなのよ。美咲ちゃんもこれからどんどんお導きをしてあげなさい。まず、交通事故に遭ったその先輩を救ってあげましょう」
 余計なお世話だと私は思った。まだ私は宗教に人生を縛られたくない。もっと年を取ってからなら、素直に受け入れられるかもしれないけれども、今の私は、これからずっとお導きをしなさいと強要され続けるのがいやだった。
「今、否定的な感情を持ちましたね。私もある程度、霊能の修行をしているので、他人(ひと)の心ぐらいは読めるようになっているから、隠し事をしても、すぐわかりますよ。それより、素直に御守護霊様のお力を信じなさい。そうすれば、絶対に幸せになれるんだから」
 その場は私は頷くしかなかった。大変なところに入信してしまったと後悔したが、どうすることもできなかった。辞めるなんて言うことは、恐ろしくてとてもできなかった。

 

『ミッキ』第26回

2013-09-24 10:17:12 | 小説
 最近、日中はまだ30℃を超えることも多いですが、朝晩はぐっと涼しくなりました。
 いよいよ秋だな、という感じです。
 後ほど、道樹山の登山口に群生しているヒガンバナでも撮影に行こうかと考えています。
 連載小説の執筆が終わり、いよいよ新作に取りかかろうと思いながら、ここ数日、まだ書けません
 最初の数行を書き始めれば、一気に進んでいくと思うので、ちょっと気分転換してから書いてみようと思っています。


            

 翌日、登校前にはお勤めをしなかった。いつもどおりの時刻に起きたので、やる時間もなかったし、私の意識の中にも、お勤めをやらねば、という気持ちが湧いてこなかった。
 高蔵寺の駅で松本さんと会ったが、心霊会のことを話すことができなかった。私自身、まだ守護霊についての実感が湧かない。それに、変な宗教を始めたといって、松本さんに嫌われるのがいやだった。
 春日井駅で宏美に出会った。
「おはよう。相変わらずお熱いお二人ですね。残暑はまだ厳しいようで」
 宏美こそ相変わらずの減らず口だ。
「そういう宏美だって、すてきな彼氏見つけたんでしょう。明男さん、どうしたの?」と私も言ってやった。
 宏美の彼氏は野中明男といって、合唱部の一年生だ。
「明男君、名鉄バスだからね。駅では会えないのよ。残念。家は市民病院の方なの」
 同学年なので、宏美は彼氏を君付けで呼んでいる。市民病院の近くということは、妙法心霊会の春日井道場にも近いんだ、と私は心の中で呟いた。
 三人で話しながら学校に向かっていると、後ろの方から「鮎川さーん」と私を呼ぶ声が聞こえた。あの声は平田さんだとすぐに気づいた。平田さんを松本さんや宏美に会わせるのが、ちょっとためらわれた。二人の前で心霊会の話をしてほしくない。少なくとも、今はいやだった。まだ心の準備ができていない。
 宏美が「あの子、誰?」と小声で尋ねた。
「昨日はどうもご苦労様。お勤め、ちゃんとできた?」
 平田さんは今ここでは言ってほしくないことを訊いてきた。
「昨日、何かあったの? お勤めって、何のこと?」とさっそく宏美が尋ねた。好奇心が人一倍旺盛な宏美はもちろん、松本さんも突然現れて意味不明なことを言う平田さんに、胡散臭いものを感じたようだった。
「ううん、何でもないの。こちらは一年G組の平田信子さん。たまたま出身中学校が隣同士だったということで、声をかけられたの」
 私はその場を言い繕った。平田さんは私の慌てた素振りを見て、それ以上は続けず、「私、一年G組の平田信子です」と自己紹介をした。
「ああ、始業式の日に会うと言ってた人だね」と松本さんが言った。それから、松本さんと宏美がクラスと名前を言って挨拶をした。
 その場はもうそれ以上話はせず、学校に向かった。でも、あとで二人にみっちり追及されそうだ、と私は覚悟した。
 今日もまだ午後の授業はなく、午前中のみで日課は終了となった。
「今朝の平田信子って子、いったい何なの? お勤めって、何? 新学期早々、なんか変な宗教にでも誘われたんじゃない? あとで話聞きたいから、三時にことぶき家に来て。もしよかったら、松本さんと河村さんも一緒に来てくれるといいけどな」
 宏美はそう言い残して、合唱部の練習場になっている音楽室に向かった。やっぱり今朝のこと、こだわってるな、と思った。少し心が重かった。宏美が行ったら、入れ違いに平田さんが声をかけてきた。その絶妙なタイミングに、何となく平田さんに見張られているような気がした。
「ねえ、昨日はあれからどうだったの?」と平田さんが尋ねた。
「夜は、鈴木さんや寮の会員さんたちと、一緒にお勤めをしたわ。わからないこと、いろいろ教えてくれた」
「鮎川さんは身近に先輩がいていいね。いろいろ教えてもらえるから。鈴木さんはもう六年ぐらいやってる大先達だから、何でも訊くといいよ。たいていのことは知ってるから。今朝はどうだった?」
 鈴木さんは大学四年生で二二歳だから、高校一年か二年のころからやっていたことになる。
「今朝はお勤め、できなかったわ。いつもと同じ時間に起きちゃったので、お勤めしてたら、学校遅刻しちゃうから」と私は正直に答えた。
「あらあら、だめねえ。でも、最初だから仕方ないか。私も最初はそうだったから。少しずつでも早起きできるように慣らしていくといいよ。やっぱり朝のお勤めができると、一日が全然違うから。今朝会った二人、ぜひともお導きしてあげましょう。私も手伝ってあげるからさ」
 このままだと、鈴木さんたちも加わって、松本さんたちを導きなさいと強要されそうな気がする。まだ心霊会のこともよくわからないし、いきなりお導きせよと言われても、とてもできそうにない。私は「ごめんなさい、今から部室に行かなきゃいけないから」と断って、その場を立ち去った。
「歴史研究会の人たちも導いてあげようね」と平田さんは後ろから声をかけた。
 部室には常連の松本さん、芳村さん、河村さん、竹島さん、山崎君、中川さんと私の七人が集まった。芳村さんが、次のテーマは邪馬台国ということで、顧問のカメさんの了承を得た、と報告をした。佐賀県の吉野ヶ里(よしのがり)遺跡と並んで、邪馬台国ではないかといわれている纒向遺跡に行ったので、次のテーマが邪馬台国になるということは、小林先生も予想していたそうだ。
 現在やっている魏呉蜀の三国時代の研究はなるべく早くまとめ、一一月上旬の文化祭に間に合うように、邪馬台国の研究の態勢を整えよう、ということを話し合った。三国時代の研究は、夏休みの間に、ほとんどできている。私も松本さん、河村さんと図書館に行き、勉強した。
 文化祭はアジア太平洋戦争、中国の三国時代、そして邪馬台国という多彩なテーマだ。古墳や奈良の寺社巡りの写真も展示する。
 会合は今後の方針を確認し、二時間余りで解散になった。芳村さんと竹島さんは今日は家に帰ると言った。山崎君、中川さんのペアも帰って行った。松本さん、河村さん、私の三人が残った。
「ああ、おなか減っちゃった。なんか食べに行こうよ」と河村さんが誘った。
「ミッキ、ちょっと話したいことがあるから」と松本さんが言った。来たかな、と私は思った。平田さんが「お勤め、ちゃんとできた?」なんて言うから、不審がられるのだ。
「あら、二人だけの秘密の話?」
 河村さんが興味深げに尋ねた。
「ちょうどいいや。彩花にも一緒に来てもらったほうがいいかな。彩花なら信頼できるから。というか、彩花じゃないと相談できないよ。いいだろ、ミッキ」
「何か深刻な話みたいね」
「実は、宏美が三時にことぶき家で待ってる、と言ってるんです。できれば松本さんや河村さんも一緒に来てもらいたいって」と、私はやむなく二人に言った。
「ああ、やっぱり宏美も怪しいと感じたんだ。それじゃあ、ことぶき家に行こう。三時まで、まだ少し時間があるな」
 松本さんが携帯電話のディスプレイに表示された時計を見て言った。
「ねえ、怪しいって何のこと? 気になるわねえ。そういえば、今日のミッキ、何となくおかしな感じがする」
「うん。歩きながらではなんだから、そこの公園のベンチで話そう」
 私たちは学校の近くの公園に行った。公園では小学生の子供たちが数人、走り回って遊んでいた。ベンチの近くには、人はいなかった。私たちはベンチの汚れを払って、腰掛けた。私が真ん中で、左右に松本さん、河村さんが腰を下ろした。
「ミッキ、何か宗教でも始めたの? 今朝会った子、お勤めがどうのこうのって言ってたね」
 単刀直入に松本さんが尋ねた。
「宗教?」と河村さんがいぶかしがった。
「俺は宗教には関心ないから、よくわからないけど、ミッキ、今朝会ったときから、なんかそわそわしてたし、平田とかいう子が現れたとたん、固まっちゃったみたいだったから、なんかあるな、と思ってね。宏美と馬鹿やってても、何となくおかしかった」
「そうね。今日のミッキ、いつもと様子が違うな、ってことは、私も感じてた」
 私はこの際、最も信頼しているこの二人には打ち明けるべきだと考えた。
「はい、実は、昨日、一年G組の平田さんという子に、妙法心霊会の道場に連れて行かれ、半ば強制的に入信させられたんです」
「やっぱりそんなことだと思った」
 松本さんはさらに詳しい事情を訊こうとしたが、河村さんが「まもなく三時だから、ことぶき家に行かない? どうせ宏美にも話すんだから、みんなが集まってからの方が、手間が省けるでしょう。それに、おなかもすいたし」と提案した。私たちはことぶき家に向かった。
 まだ三時少し前だったので、宏美は来ていなかった。三時という中途半端な時間なので、店は空いていた。ことぶき家はお昼や夕方になると、かなり込み合ってくる。私たちはラーメンのサラダセットの食券を買った。松本さんは大盛りだ。女性二人はいつものようにスイーツも注文した。ことぶき家のラーメンは安いので、それだけ注文しても、他のラーメン屋の、ラーメンだけの値段とたいして違わない。
 しばらくして宏美もやってきた。
「ごめんなさい、遅くなっちゃって。お昼食べたのに、合唱部でしごかれてたんで、おなかぺこぺこ」
 そう謝りながら、宏美もサラダセットとクリームあんみつを頼んだ。
「女性陣は太る太ると気にしながら、結局いつも甘いものも頼むんだね」
「女の子は甘いものの誘惑には、弱いのよ。体重は気になってるんだけどね」
河村さんがいかにも残念そうに答えた。
 私たちはラーメンを食べ終えて、いよいよ本題に入った。
「こうして四人が集まったのは、今日のミッキの様子が変なので、そのことが気になったから、だよね」
 まず松本さんが端緒を開いた。いつもはこういう場合、河村さんが口火を切るので、松本さんは慣れていないのか、少ししどろもどろだった。
「そうなの。今朝のミッキ、平田とかいう子が現れてから、途端におかしくなったから、何かあるな、と思ったわけ。だから、今日ここに来てもらって、話を聞こうと思ったんです。松本さんと河村さんにも来てもらって、どうもすみません」
 宏美は二人の上級生に足を運んでもらったことを詫びた。
「いえ、私たちも、大切な親友の様子がおかしいなと感じて、話をしなきゃいけないと思ったんだから、宏美が申し訳ないなんて思う必要、全然ないよ」と河村さんが宏美に応えた。
「問題は、その平田さんとかいう子に、ミッキが妙法心霊会という宗教に無理やり入信させられた、ということね」
「え、やっぱりミッキ、変な宗教に入れられたわけですか?」
「無理やり、ってことでもないですけど。私も病気が治ったとか、いじめられて自殺しようとしていたところから救われた、なんて話を聞いて、つい感動してしまい、うっかり入ります、なんて言っちゃったんです。確かに周りから一緒にやろう、やろうと圧力はかけられたんですけど」
 私はなぜか、少し鈴木さんたちを擁護したいという気持ちもあり、表現をやや和らげた。
「でも、それが宗教勧誘の手なのよ。妙法心霊会って、守護霊が持てる、なんていって、今、強引な勧誘でけっこう問題になっている教団でしょう? 特に、高校生とか大学生のような若い人たちを誘っているそうよ」と河村さんが説明した。
「妙法心霊会って、ひょっとしたら、最近守護霊がどうのこうの、って本をたくさん出しているところ?」
 松本さんが尋ねた。松本さんも本屋に心霊会の会長が書いた守護霊関連の本が並んでいることを知っていた。
「そう。実は私、お父さんが死んで、心の空洞を何とか埋めようと、一時期宗教の研究をしたことがあるの。その中で、妙法心霊会は、すごく強引な勧誘をするから、要注意、なんていうことをよく聞いたわ。まあ、インターネットなんかにある被害者の会、なんていうのは、敵対する教団が意図的にでっち上げたものもあるそうだから、あまり信用しないほうがいいかもしれないけど」
 河村さんの話を聞いて、心霊会ってそんな問題になっている教団なのか、ということを私は初めて知った。若林さんや鈴木さんの話では、かなり良さそうな感じだったし、集会で見たビデオの体験談には、本当に心から感動したのだった。
「俺もちょっとだけ話を聞いたことがあるけど、守護霊を出してもらうのに、すごく金がかかるんだって? ミッキ、そんな話は聞かなかったの?」
「確かにお金はかかるんですが。私、いちばん安いコースの守護霊を出してもらったんですが、一〇万円と言われました」
「え? 一〇万円?」
 三人は驚いて口々に言った。
「それで、ミッキ、お金払ったの?」と宏美があきれ顔で尋ねた。
「いえ、まだ高校生で、払えないことがわかっているから、将来お金ができたときに払います、って誓約書を書かされたの」
「それって、ちょっとひどいんじゃない? 私たち高校生はまだ未成年よ。未成年に対する金銭上の誓約書って、法的には無効じゃないかしら?」と河村さんが疑問を口にした。
「はい。心霊会の人も、法的な拘束力がないから、払えなくてもなんら心配しなくてもいい、ただ、守護霊様に形の上で誓約するだけだ、と言ってました」
「それならいいけど。でも、守護霊に誓約したのだから、払えなかった場合は、罰(ばち)が当たる、なんて心理的な圧力が加えられるんじゃないか、ちょっと心配ね」
「とにかく、そんな宗教、辞めちゃったほうがいいんじゃない? よく考えたけど、やっぱり辞めさせてもらいます、ってその宗教の人にはっきり言うべきだと俺は思うな」
「そうよ。松本さんの言うとおりよ。その平田って子に、辞めるってはっきり言うほうがいいわ」
 宏美も松本さんに賛成した。
「私もそう思うな。もしミッキ一人では言いにくいようなら、私たちも一緒に行ったげるから」
「そうだよ。ミッキには俺たちがついているんだから」
 私はみんなの気持ちが非常に嬉しかった。一度、鈴木さんと話し合ってみようと思った。
「はい。たぶん平田さんでは話が進まないと思うから、鈴木さんという、うちの寮にいる大学生に話してみます。鈴木さんという人が班長というか、責任者みたいですから。その人が平田さんにいろいろ指示してたみたいです。それとも、若林さんという五〇歳ぐらいのおばさんに話すか」
 とりあえず鈴木さんに辞めるという話をしてみるということになった。その結果、もし辞めさせてもらえないようならまた相談すればいい。
「さっき言ったように、私、お父さんのことがあって、宗教のことを研究してみたけど、妙法心霊会というのは、あまりよくないと思うの。確か、守護霊や先祖に対して南無妙法蓮華経を唱える宗教だと思ったけど、南無妙法蓮華経を唱えるのは、日蓮大聖人が顕されたご本尊に対してのみで、それ以外に向かって唱えるのは、間違った信仰なの。だから辞めたほうがいいと思うわ」
 河村さんがそう勧めた。河村さんはお父さんが亡くなったことが契機となり、いろいろな宗教を調べたが、その中で河村さんがいいと思った宗教は、日蓮大聖人への信仰を忠実に実践している団体と、本来の釈迦の教えを捧持、実践している教団、そして、実在する神霊に祈りを捧げる教団の三つだそうだ。
 けれども、河村さんはそのうちのどれを選ぶかはまだ結論を出していないという。とにかく亡くなったお父さんが、成仏できるような信仰をしたいとのことだ。
「へえ、彩花は無神論者かなと思っていたのに、意外だな。何となく理詰めでものを考えるみたいに見えるから、信仰を考えてるだなんて、全然思わなかった」
「私も河村さんは宗教をやるようなタイプだとは思わなかったから、ちょっとびっくりです。でも亡くなったお父さんのために、信仰の道に入ろうというのは、河村さんの優しさですね。お父さんも喜んでいると思います」
 松本さんも宏美も、信仰のことを考えている河村さんのことが、少し意外そうだった。
 この日の話は、私が妙法心霊会を辞めることを、鈴木さんに伝えるということで結論となった。もし簡単に辞めさせてもらえないようなら、また相談し、みんなと一緒に法座長の若林さんに訴えることになった。

 その日の夜、私は夕食を終えた鈴木さん、酒井さん、永井さんの三人組に声をかけられた。私からも話をしようと思っていたところなので、ちょうどよかった。私たちは鈴木さんの部屋に行った。その後、波多野さんも加わった。
「どう? 今朝のお勤め、ちゃんとできた? 何か変わったと感じたことはあった?」
 さっそく鈴木さんが尋ねた。
「実は、そのことなんですが」
 私は少し言いづらかったが、勇気を出して、今日松本さんたちと話をしたことを報告し、心霊会を辞めたいと申し出た。
「そうなの。ノブちゃんが友達の前で、そんなこと言っちゃったのね。それはちょっとノブちゃんの勇み足だったわね。美咲ちゃん、入信したばかりで、心霊会の素晴らしさがまだ十分実感できてないのに、友達の前でそんなこと言っちゃうだなんて」
「でも、私の仲間がみんな辞めたほうがいい、と言いますから」
「だめよ。そんな凡夫の言うことなんかに惑わされちゃ。みんな、本当の信仰の素晴らしさを知らないから、無責任なこと言うのよ。せっかく素晴らしい御守護霊様に巡り会えたのに、今辞めたら、無間(むげん)地獄への道を突き進むことになるわよ」
 私には凡夫とか無限地獄という意味がよくわからなかった。無限地獄とは、無限に続く地獄とか、無限に恐ろしい地獄かと想像した。
「でも、私の先輩は、とてもよく宗教のことを勉強していて、南無妙法蓮華経は日蓮大聖人のご本尊に対して唱える以外は、間違ってると言ってました」
 私は河村さんから教えてもらったことを、できるだけ正確に話した。
「ふうん。その子もなかなかよく勉強してるのね。でも、でたらめだわ。日蓮大聖人のお題目と言いながら、なぜ釈迦仏法や他の神のことも言ってるの? 日蓮大聖人の仏法を信仰するのなら、他の宗教は謗法(ほうぼう)として、決して許さないはずなのにね。いい加減な証拠だわ」
「でも、その人はまだ一つの宗教に決めたわけではなく、今もどの教えがいちばんいいのか、考えているところだそうです」
「そんないい加減なことしか言えないような人に惑わされてはだめ。心霊会の御守護霊様は、本当にすごいお力があるんだから。それは、実感した人じゃないとわからないわ。私たち、みんなそれを実感してるのよ。だから、そんな何も知らないような人にだまされちゃあ、だめ。本当に、今ここで辞めれば、美咲ちゃんも無間地獄に堕ちることになるのよ。それじゃあかわいそうだから、私たちは美咲ちゃんのためを思って言ってあげてるのよ」
 今度は永井さんが引き継いだ。そして、酒井さんも「そうよ」と相づちを打った。
 せっかく河村さんにいろいろ教えてもらったのに、私の知識では全く鈴木さんには歯が立たなかった。
「その人って、ときどきこの寮に遊びに来る、メガネかけてて、髪をリボンでポニーテールにしている女の子でしょう? この前もお風呂で会った。それとも、もう一人の女の子?」
 鈴木さんに訊かれたが、私は返事ができなかった。鈴木さんは河村さんと宏美のことを言っていた。はい、そうですと答えると、なぜか、河村さんや宏美に何かわるいことが起きそうな予感がした。それにしても、鈴木さんは私の友達のことも、よく見ているのだなと思った。たぶん松本さんのことも知っているのだろう。
「そんなひどいことを言うような子は、きっと近いうちに御守護霊様の罰が当たるわよ。見ていてごらんなさい」
 鈴木さんは恐ろしいことを予言した。私は怖くなって、もうそれ以上何も言えなくなった。そのあと、五人でお勤めをして、それから少しみんなの話を聞いてから、私は自分の部屋に戻った。母から「最近よく寮生の部屋に遊びに行ってるね。まあ、女の子同士で仲よくすることはわるいことじゃないけど」と言われた。
 ジョンを夜の散歩に連れて行ったが、何となく上の空だった。一度ジョンが駆け出したとき、私も左右を確認せずに走り、危うく自動車に轢かれそうになり、ひやっとしたことがあった。これも罰なのだろうか。それとも轢かれなかったのは、御守護霊様の御守護だったのだろうか。ジョンはまだ交通事故の恐ろしさを知らないのか、平然としていた。