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売れない作家 高村裕樹の部屋

まだ駆け出しの作家ですが、作品の情報や、内容に関連する写真(作品の舞台)など、掲載していきたいと思います

自費出版のトラブル

2013-09-21 00:57:47 | 小説
 昨日のニュースにこういうものがありました。
 http://money.jp.msn.com/news/j-cast/%e8%87%aa%e8%b2%bb%e5%87%ba%e7%89%88%e5%a4%a7%e6%89%8b%e6%82%aa%e8%b3%aa%e6%89%8b%e5%8f%a3%e3%81%ae%e4%b8%80%e9%83%a8%e5%a7%8b%e7%b5%82%e3%80%80%e3%80%8c%e5%8d%b0%e7%a8%8e%e3%81%a7%e6%89%95%e3%81%88%e3%82%8b%e3%80%8d%e3%80%8c%e3%82%ab%e3%83%8d%e3%81%af%e6%88%bb%e3%81%99%e3%80%8d%e3%81%a8%e3%82%a6%e3%82%bd%e9%80%a3%e7%99%ba

 某出版社の自費出版によるトラブルです。
 実は私も6月の下旬に、その出版社から、同様な誘いがありました
 以前、このブログにも書いたことがあります。
 まさにこの記事のとおり、自費出版の費用は63万円だが、最初は21万円だけ払えばいいので、ぜひ“ノベル倶楽部”に入会し、本を出版しないか、というものでした。
 私は今年の初めに、その出版社の短編小説コンテストに応募しました。
 入賞はしなかったものの、非常に印象に残る作品なので、ほかに執筆しないかと誘われました。
 そして原稿用紙4枚のショートショートを書いて寄稿しました。
 その作品は、1600字の中でテーマに沿った“オチ”をつけ、自分としても多少自信がある作品に仕上がりました
 作品を送付して数日後、「非常に優れた作品なので、今度出版する本に掲載するよう、推薦しておきます」と電話がありました。
 そして、「今日は自費出版のお薦めをしたい」と用件を切り出しました。
 私が以前送った作品は、入賞を逃したものの、上位3作品に選ばれたとのことでした。それで、ぜひ本を出版しないか、と“ノベル倶楽部”の説明をされました。
 そのことについては、以前送付してもらった資料にあったので、承知していました。
 費用も私が4冊出版した出版社より、ずっと安いものでした。
 けれども、その出版社より名が通った出版社でも本が売れなかったのに、今回勧められた出版社から本を出してもたぶんだめだろう、と思い、それ以上無駄な出費ができなかったので、丁重に断りました
 母にいちおう相談したら、「それぐらいのお金は出してやるので、出版したらどうか?」と言ってくれました。
 しかし、母のお金を無駄にしたくなかったので、「今度は全額出版社負担で出版してもらえるような作品を書けるように頑張るから」と辞退しました。
 結局は出版を見送って、正解でした
 私も今は金銭的に苦しくなってきましたが、夢を実現するために頑張りたいと思います
 それから、もし作家を目指している方がこのブログを読んでみえるのなら、自費出版を勧められた場合、出版社の甘い言葉には乗らず、よく考えてみることをお薦めします。無名の新人が本を出版しても、売れることはまずありません
 9月16日の私のブログも併せて読んでいただければ、と思います。

『ミッキ』第25回   台風18号後の弥勒山

2013-09-17 09:18:19 | 小説
 昨日は台風18号が上陸し、大雨で各地に大きな被害をもたらしました。
 私の家の付近では、同じ愛知県の豊橋市に上陸したころ、猛烈な雨が降りました。
 幸い、といっては、被害があったところに住んでみえる方には申し訳ないのですが、たいした被害はありませんでした。
 午後、天気が回復したので、弥勒山方面はどうなったのか、様子を見に行きました。
 登りは沢筋の道を通ったので、登山道が川になっていました。

  これは川ではなく、登山道です。

  いつもはわずかしか水が流れていない“幻の滝”ですが、昨日は堂々とした滝になっていました。

  登山口近くの田にあった稲穂です。台風の影響を免れ、稲穂を着けていました。

  1ヶ所のみ、ヒガンバナの花が咲いていました。それ以外の群落はまだ固い蕾です。

 弥勒山の頂上には、台風直後だというのに、大勢の人が登っていました。
 下りに利用した、みろくの森ハイキングコースは台風による影響がなく、特に問題はありませんでした。
 しかし、谷道に関しては、台風による増水で、山に慣れない人が入るには危険な状態でした。台風や大雨のあとに、軽い気持ちで入山するのは慎むべきです。

  カエルの住処の水たまりは、大変なことになっていました。ふだんはチョロチョロ程度の流れですが、滝になっていました。

 今回は『ミッキ』第25回です。


            

 寮に帰ると、ジョンがすぐさま散歩をねだった。夕方の散歩の時間にはまだ早いが、私はジョンを連れて散歩に出た。ジョンと歩きながら、私は今日の出来事を振り返った。あれでよかったのだろうか。
 家の宗教は浄土真宗で、南無阿弥陀仏だ。霊能者が言っていた、親鸞聖人に帰依した武士の先祖がいる、というのは、あながちでたらめとはいえないのかもしれない。うちは分家で、家族からまだ死者を出していないので、仏壇がない。だから、先祖からの宗派が浄土真宗といっても、特に家族でお経をあげるとかいった宗教的なことはやっていない。親戚の家の法事に行ったときに、お寺で参列するぐらいだ。
 そういえば、父が経営していた工場には、商売繁盛の神様が祀ってあり、年に一、二度神主さんがのりと祝詞をあげていた。結局その神様は効果なく、工場は倒産してしまったが。
 母の実家は岡山県の瀬戸内海に浮かぶ小さな島で、遠いので、あまり法事なんかに行った覚えはない。母の実家は確か日蓮宗系で、南無妙法蓮華経だった。毎年正月とお盆に家族で二泊ぐらいしていた。そのとき、母の実家の仏壇に手を合わせた。今年のお盆は父の仕事が変わったばかりだし、慎二の入院もあったので、行っていない。
 私にとっては、宗教は何か遠い世界のもののように思っていた。将来はともかく、今は自分が何か信仰をするなんて、考えたことがなかった。妙法心霊会という宗教団体があることも知らなかった。会長の妙心先生が書いた『絶大なる偉力! 守護霊の奇跡』という本が書店に山積みされているのを見たことはあるが、その本が妙法心霊会の本だとは知らなかった。何となく〝守護霊の奇跡〟というタイトルが記憶に残っていた程度だ。
 私にお経の本なんて読めるかしら。守護霊様を心から信じることができるのかしら。
 以前読んだ本に、人は生まれながらにして、誰もが守護霊を持っていて、その守護霊がその人を守っているということが書いてあった。だからわざわざ守護霊を授けてもらう必要などないと私は思っていたのだが。
 とにかく、守護霊様を信じれば、運がよくなるのなら、しばらくやってみようかな、と私は思った。誰だって運がよくなりたいと思うものだ。
「ジョン、おまえにも犬の守護霊がついているの?」と私はジョンに語りかけた。むろんジョンには通じるはずがない。ジョンを守るのは、私たち家族なのだ。
 以前芳村さんが、小さな赤ちゃんや、犬や猫などの動物には、霊が見えている、という話をしていたことがある。赤ちゃんが誰もいない天井などに向かって、笑ったり声をかけたりしているのは、霊が見えているからだと言っていた。幼い純真なころは霊が見えているけれども、成長して余計な知識を身につけたりして、心に曇りができると、霊が見えなくなってしまうのだ、と芳村さんが解説した。赤ちゃんと同じように、心に不純なフィルターを持っていない動物には、霊が見えているそうだ。また、動物は人間には見えない、聞こえない、感じられない波長、周波数のものを認識する能力があるので、霊などの存在がわかるという。
 ジョンには私に授けてくれたという御守護霊様が見えているのだろうか。しかし、ジョンは私に対しては何の反応も示さない。もし私の背後の御守護霊様が見えれば、何らかの反応を示しそうなものだが。それとも、ジョンは鈍感なのだろうか。

 夜八時に、私は四階の鈴木さんの部屋に行った。寮は四階建てだ。六畳程度のワンルームで広くはないが、一人部屋なので、プライバシーは守られている。各部屋にはトイレがあり、冷暖房完備で、インターネットも使えるが、バス、キッチンはついてない。各階に寮生が自由に使えるキッチンがある。自炊をする場合は、そこで調理ができる。また、シャワー室もあるので、浴場が使えない時間帯でも、シャワーを浴びることができる。シャワー室の外には洗濯機も設置されている。
 鈴木さんの部屋には、三人組のほかにも三人来ていた。左肩に蓮と梵字のタトゥーを入れている波多野麻衣(まい)さんも会員だった。お風呂に入るときは特に隠さないので、波多野さんにタトゥーがあることは、多くの人が知っている。波多野さんはタトゥーを入れているとはいえ、真面目でおとなしい、普通の女子大生だ。私の両親も波多野さんのタトゥーのことは知っているが、色眼鏡で見ることはせず、礼儀正しいいい子だと評している。
 鈴木さんの部屋には、心霊会の御守護神と御守護仏、そして鈴木さん自身の御守護霊のお御霊(みたま)を鎮めた三体のお札が祀られていた。そのお札に向かって、お勤めをするのだ。各会員のお札も、お勤めのとき、一緒にお祀りする。
 私はまず立て替えてもらったお金を鈴木さんに返した。
「管理人さんのところの美咲ちゃん、今日から私たちの同志になったから、紹介するわ。みんな、美咲ちゃんのことは知ってるよね。今日は来てないけど、うちの寮にはあと二人会員がいるの。みんな若林法座会の法友よ」
 ここの寮生は鈴木さんが中心となって導いたそうだ。鈴木さんはそのリーダーで、鈴木班の班長という役職を任じられている。鈴木さんは和歌山県新宮市の出身だ。以前は和歌山地区の所属だったが、春日井市内にある大学に通学するために高蔵寺の寮に入ったので、春日井市で活動をしている中田支部の若林法座会に移籍した。現在四年生で、就職は名古屋市内の会社に内定しているそうだ。
「それじゃあ、お勤めを始めます。私が導師をやるから、美咲ちゃんも一緒についてきて。わからなければ、今日は聞いてるだけでもいいから」
 お勤めは班長の鈴木さんが主導し、それ以外の人たちが鈴木さんに唱和した。最初に南無妙法蓮華経とお題目を三唱してから、お経を読んだ。鈴木さんの声は、ふだん話すときは高い声なのに、唱題や読経のときは、腹の底から響くような低い声になった。漢字にはふりがなが振ってあるが、私は全くついて行けなかった。お経が終わったら、今度は御守護霊と開祖の徳を讃える和讃。これは日本語の文章なので、ある程度はついて行けた。
 初めての私が参加したので、鈴木さんはゆっくりお経を読んだ。四〇分ほどでお勤めは終わった。足がしびれて、しばらく動けなかった。毎日朝夕、三〇分から四〇分もかけてお勤めするのは大変だ。特に朝は学校に行かなければならない。そのことを言うと、鈴木さんが「朝のお勤めは、特に大切だよ。朝、しっかりお勤めをして、御守護霊様にその日一日の幸せ、安全を祈ることによって、御守護がいただけるのだから。朝学校に行くのは、私たちだって一緒なんだよ。でも、みんな、早起きしてきちんとお勤めをやってるよ」と忠告した。
「ところで、美咲ちゃんは心霊会に入ったことは、おじさんたちには話したの?」と鈴木さんが尋ねた。おじさんたちというのは、私の両親のことだ。
「まだです。何となく恥ずかしくて、言いづらいから」と私は答えた。
「ご両親も救ってあげなくちゃあいけないから、ぜひ折を見て話をして、導いてあげてね。それから、学校のお友達も。もし一人でやりにくかったら、私たちも協力してあげるから。みんなに素晴らしい御守護霊様のことを教えてあげましょう」
 平田さんも鈴木さんたちの協力を得て、私に話しかけたのだな、と思った。でも、松本さんや河村さん、宏美たちに宗教に入ったと言うのは、恥ずかしかった。そんなことを言ったら、松本さんに嫌われるのじゃないかしら、と思うと、とても話す勇気は出なかった。
 鈴木さんは『絶大なる偉力! 守護霊の奇跡』など、会長の妙心先生が書いた本を三冊貸してくれた。
 妙心先生の本によると、妙法心霊会は、教義より霊的な実践を重んじる宗教だ。法華経を依経(えきよう)としているとはいえ、内容的には密教にも通じるものがあった。他の教団からは、教義が矛盾だらけだという批判をされることも多いが、歴代会長は非常に優れた霊能者であり、強力な霊能力を誇示することにより、他教団の批判を封じてきたそうだ。信者は授けてもらった守護霊に護られ、宿命転換が図れるので、その感激を他人に語ることにより、教団の勢力を急激に拡張してきた。
 私はそんな教団の一員になってしまったのだ。




 

『ミッキ』第24回

2013-09-10 11:25:58 | 小説
 最近、夜はめっきり涼しくなりました。もう掛け布団がないと、明け方は寒いですね。
 日中はまだ30℃を超えることもありますが、季節は秋へと進みつつあります。
 ツクツクボウシの鳴き声も弱々しくなり、変わって秋の虫の鳴き声の合掌が賑やかになってきました
 今回は『ミッキ』第24回です。
 

          2             

 日曜日、私は朝八時半に春日井駅で平田さんと待ち合わせた。駅前のロータリーから、名鉄バスに乗った。バスは市役所を越え、市の体育館の方に向かった。私たちは体育館を少し過ぎたあたりで下車した。バス停から五分ほど歩いて、「あ、ここよ」と平田さんが茶色の建物を指し示した。それは鉄筋二階建てのこぢんまりとした建物だった。私たちは中に入った。入り口に小さい字で何か書いてあったが、そのときはメガネをかけていなかったので、読み取ることができなかった。あとで気がついたことだが、平田さんはその建物の看板が見えない角度から入ったのだった。その看板の大きな文字なら、近視の私にも、メガネなしで何とか読むことができた。〝妙法心霊会 春日井道場〟と。
 受付で、参加者カードに名前を書くように言われた。カードには、地区、支部名などを書くようになっていた。そこに平田さんは、尾張地区、中田支部、若林法座と記入し、氏名欄に私の名前を書くように指示した。何となく宗教のような気がしたが、今さら帰るとは言いにくかった。私は二階の部屋に案内された。
 二階は五〇畳ぐらいの広い部屋になっていた。老若男女、かなりたくさんの人がいる。前の方に祭壇のようなものがある。やはり宗教なんだ、と私は思った。
「あ、美咲ちゃん」といきなり後ろから声をかけられた。振り向くと、私が知っている寮生が三人いた。先日、河村さんと入浴中に浴場に入ってきた人たちだった。
「あら、ノブちゃんが一緒だったのね。ノブちゃんが連れてきてくれたの?」
 これで読めた、と私は思った。平田さんの後ろで糸を引いていたのは、この三人組だったのだ。彼女たちなら、うちの状況は知っている。だからといって、ここから帰る、と言える雰囲気ではなかった。
「もうすぐ始まるよ。すごく感動する話があるから、最後まで参加してね。この辺で座ってましょう」と三人組で最年長の鈴木詩織さんが言った。私たち五人は固まって腰を下ろした。
 広い部屋がいっぱいになった。カーンという大きな鈴(りん)の音がした。そして、「南無妙法蓮華経」というお題目を全員が唱えた。その後、読経。私はどうしていいのかわからず、ただ手を合わせていた。読経は四〇分ほど続いた。正座をしていたので、足がしびれて我慢できなくなり、何度も足を崩した。
 読経が終わると、大きなスクリーンに映像が映し出された。先週の日曜日に、京都の総本山で行われた、月例祭(げつれいさい)での体験発表のビデオだった。
 最初は五〇歳ぐらいの男性の話だ。
「私はこれまで、これといったこともなく平穏無事な人生を歩んでこられました。仕事も順調で、家族にも恵まれ、幸福のただ中にいました。ところが、一年前から便秘や下痢を繰り返し、下腹部が張ったような不快感が続きました。はやりの過敏性腸症候群かと思い、胃腸科で診てもらったところ、大腸癌で、もうかなり進行していると聞かされました。私は絶望感で目の前が真っ暗になりました。もう自分の人生もおしまいだと、覚悟しました。そんな折、会社の同僚のお導きを受け、藁にもすがる思いで入信し、守護霊様を出していただき、一心に祈ると、なんといつの間にか末期の大腸癌が消えていたのです。これには医者もびっくりしていました。命を救っていただき、守護霊様、会長先生には、ただただ感謝あるのみです。この報恩、感謝の念は、ほかにも困っている人たち、苦しんでいる人たちに、御守護霊様の素晴らしさをお伝えすることで、お応えしたいと思います」
 次は三〇代の女性の体験談が続いた。
「私は交通事故により、下半身不随となり、車椅子の生活を余儀なくされておりました。こんな片輪者になり、――片輪という言葉は差別語なので、使ってはいけないのですが、私は自虐的に、自分のことを敢えてこう言っておりました。身体が不自由になり、仕事はできず、結婚も諦めていました。そして、ついには自殺を考えました。そんなときに、妙法心霊会のお導きを受け、御守護霊を授けていただきました。そして朝夕のお勤めをして、一心に御守護霊様に祈ると、なんと車椅子から立って、歩けるようになったのです。そして、今では車椅子が必要なくなりました。諦めていた結婚ですが、私を心霊会に導いてくれた導きの親が、現在の夫です。今日もこのように、自分の足で歩き、京都の地まで来て、壇上に立ち、こうして体験を語らせていただいています。本当になんと素晴らしい、ありがたい御守護霊様のお力。本当に会長先生、ありがとうございました」
 その人は途中から涙をこらえることができず、泣きながらの功徳の体験発表だった。会場の多くの人がハンカチで目を拭っていた。私もつい涙を流してしまった。
 三人目は女子高校生だった。
「私は去年の四月、希望に胸を膨らませて高校に入学しました。でも、バラ色のはずの高校生活は、すぐにどす黒く染まってしまいました。そうです。私はいじめに遭ってしまったのです。自分ではなぜいじめの標的にされたのかわかりませんが、周りの子たちは私のことを臭いと言って、仲間はずれにしました。お母さんに聞いても別に臭いなんてことはないと言いますし、お風呂に入るときはきれいに身体を洗い、制汗剤などもきちんとスプレーし、着替えも毎日ちゃんとしました。それでも学校では臭い臭いと言われ、仲間はずれにされました。そのうち、仲間はずれだけじゃなく、教科書や靴を隠されたり、お弁当箱の中に汚いものを入れられたり、やってもいないことを告げ口され、先生に叱られたりしました。校舎裏で裸にされ、携帯で写真を写され、メールでその写真をばらまかれる、なんてひどい仕打ちも受けました。私は不登校になり、もう死のうと思いました。そんな折、私は同級生に導かれました。御守護霊様をいただき、導きの親の同級生に励まされながら、一心にお祈りしました。そしたら、いじめがぱたっと止まったのです。今までいじめていた子も、ひどいことをしたと謝ってくれました。本当に御守護霊様のお力はすごいです。今、私は導きの親の同級生と一緒に、学校の中で、自分と同じようにいじめられていた子を中心に、御守護霊様の素晴らしさを教えてあげています」
 私より一歳年上の高校生の話だが、いじめという身近な体験談に、身につまされる思いで聞いていた。幸い私のクラスでは、まだいじめの話は聞いていないとはいえ、私が知らないところで、いじめが行われているかもしれない。私自身がいじめの標的にされないとも限らないのだ。
 そんな体験発表がいくつも続いた後、最後に会長先生のご講演となった。その教団は妙法心霊会といった。会長は四〇歳ぐらいの、大教団の会長としてはまだ若いといえる女性で、妙心という。その人は開祖妙山、二代目妙観、三代目の妙賢に続く四代目会長で、心霊会では初の女性会長だ。二年ほど前、先代会長の妙賢が、亡くなる少し前に、何人かいる副会長の中から、「霊能力、人徳、知力すべてにおいてこの私を凌駕している」と、後継者に妙心を指名し、相承(そうじよう)した。妙法心霊会の歴代会長の法名(ほうみょう)には「妙」という字がついている。
 妙法心霊会というのは、昭和の初期に、法華経信仰をしていた開祖妙山が、霊的能力で築いた教団だ。あるとき妙山が突然神がかりの状態になり、御守護霊の御霊示(ごれいじ)を受けた。開祖を守護していた守護霊を法華経により供養することで、守護霊とのつながりを強化して、信者を守護していただくという信仰だ。最初は妙山の守護霊を教団、信者の守護霊としていたが、やがて信者一人ひとりに、その人の先祖霊から特に徳が高い霊を探し出し、その霊を守護霊として授けるという儀式を行うようになった。
 妙心は会長に就任してから、矢継ぎ早に三冊の守護霊シリーズの書籍を刊行し、新たな守護霊ブームを巻き起こした。心霊会の入信者も、それらの本のおかげで、かなり増えた。
 信者には保守系の大物代議士、財界人から芸能人、スポーツ選手、果ては暴力団の親分衆までいる。
「人の幸不幸は守護霊の力により決まります。力のない信仰、神仏では、幸福を得ることはできません。妙法心霊会では、会長の私や、高い霊能力を身につけた霊能者が、先祖の中から力のある霊を見つけ、信者の守護をお願いし、併せて朝夕のお勤めで法華経を読み上げ、供養することにより、さらに守護霊としての力を高め、大きな力、御守護をいただけるようにします。そして臨終を迎えるときには、守護霊に導かれ、輝かしい天上の霊界に往生できます。つまり、生きているときは、この世で救われ、死後も霊界で救われるのです。それが心霊会の根本の教えです。
 今、世の中が乱れているのは、悪霊、悪魔により、人々の心が荒廃しているからです。一人でも多くの人に正しい守護霊と縁をつけてあげ、悪霊を浄化し、人の心を浄化し、世の中を浄化しなければなりません。今、日本ばかりではなく、世界中がかつてない危機に瀕しています。人類の危機を救えるのは、絶対的な御守護霊を持つ妙法心霊会しかありません。いもしない架空の神や仏を崇めている他の宗教では、決して人々を幸福にし、人類を救うことができないのです。皆さんも一人でも多くの人たちに、正しい御守護霊を授けてあげられるよう、お導きに励んでください」
 会長先生はそんなようなことを言っていた。
 ビデオ終了後は、一〇人から二〇人ぐらいのグループに分かれて、法座会が開かれた。法座会に参加した人たちの功徳や御守護の話が、次々に発表された。中には、お勤めをサボったら、こんな罰(ばち)を受けました、という話も出た。先ほど見たビデオの体験談についても、感想を語り合った。
 話に一区切りがつくと、平田さんが「今日は新しい人が来てくれました。私と同じ学校の、鮎川美咲さんです」と私を紹介した。法座会の人たちみんなが拍手をした。突然大勢の前で紹介され、私はどぎまぎした。
「鮎川さんでしたか。どうですか? 参加してみて」
 そのグループをまとめている黒縁のメガネをかけた、五〇歳ぐらいの女性が尋ねた。グループの若い人たちからは、おばさんと呼ばれて、慕われているようだった。
「そうですね。交通事故で車椅子生活を強いられていた人が歩けるようになったとか、いじめがなくなったという話、とても感動しました」
 やむなく私はこう答えた。話に感動したのは事実だが。
「そうですね。本当に素晴らしい奇跡です。でも、心霊会では、このような奇跡は、日常茶飯事ですよ。現代医学では治らない病気がよくなったとか、仕事が失敗して、経済苦にあえぎ、自殺しようとしていた人が、御守護霊をいただいたとたん、仕事がうまくいくようになり、救われた、という事例がいくらでもあります」
 そのおばさんは妙法心霊会の守護霊の素晴らしさを説いた。
「ねえ、美咲ちゃん、どう? 私たちと一緒にやらない?」と寮生の鈴木さんが勧めた。
「そうよ。本当に素晴らしい御守護霊様をいただけるのよ。絶対にいいから、一緒にやりましょう」
 平田さんも私に迫った。周りの何人かの人たちからも、一緒にやろう、一緒にやろうと勧誘された。何となく平田さんや三人の寮生たちにはめられたような感じだった。
「でも、まだこの会のこと、よくわかりませんし、もう少し考えてみてからじゃないと……」
 私は何とかこの場をすり抜けたいと思った。
「あなた、もし重い病気になったとき、医者からもらったお薬に、この薬の成分をもっと研究してからじゃないと飲めません、って言うんですか? 苦しいときはすぐに飲むでしょう? 心霊会の教えは、お薬と一緒ですよ。お薬はすぐに飲まなければいけません」
まとめ役のおばさんが私に決断を迫った。
「美咲ちゃん、さっきの体験談聞いてて、泣いてたでしょう? 感動したでしょう? 素晴らしいと思わない? まんじゅうは食べてみないと、おいしいかまずいかわからないよ。まず、御守護霊様をいただいてみたら?」
 以前「くそばばあ」発言をした酒井愛美(まなみ)さんが追い打ちをかけた。
「美咲ちゃんのお父さん、会社、つぶれちゃったんでしょう? 弟も交通事故に遭ったし。このままでは、美咲ちゃんの家族、もっととんでもない災難に見舞われるわよ。早く守護霊様をいただいて、家族を守らなくては」
 三人目の寮生の、丸っこいしゃれたメガネをかけている永井莉子(りこ)さんが脅した。
「今心霊会は、日本全国に二〇〇万人以上の会員がいます。高校生、大学生の若い子たちも、御守護霊をいただきたい、と次々と入信していますよ。会長先生のご著書、『絶大なる偉力! 守護霊の奇跡』という本を見たことがありませんか?」
 おばさんが再度迫った。その本は書店にたくさん積んであったのを見たことがある。
周りの男女十数人が、やりなさい、やりなさいと圧力をかけた。これじゃあ、脅迫じゃないの、と言いたかったが、言葉が出なかった。私は圧力に屈し、「やります」と答えてしまった。
 法座会は終了となった。そして、全体のまとめのとき、おばさんが「中田支部、若林法座、報告します」と手を上げた。若林というのは、法座グループをまとめているおばさんの姓だ。この若林貴美子さんは法座長という役職だった。若くはないけど、気持ちだけは若者です、と先ほど自己紹介してくれた。
「ここにいる鳥居松高校の鮎川美咲さん、入信決定(けつじょう)しました。これからは、法友としてよろしくお願いします」
 若林さんが報告すると、会場全体から大きな拍手が起こった。他の法座グループでも入信の報告が続き、そのたびに拍手がなされた。私はついやりますと言ってしまったことに、後悔の念が湧き起こった。
会が終わった後、入信の手続きが行われた。入信申出書に名前、生年月日、住所、電話番号などを記入させられた。そして、〝私は御守護霊様を敬い、会長先生に忠誠を誓います〟というところに、署名をして、拇印を押すように指示された。〝会長先生に忠誠を誓います〟というところが、非常に気になった。しかし、署名せざるを得ない雰囲気だった。またしても後悔の念がこみ上げた。
 入会金一五〇〇円と一ヶ月分の会費、高校生は六〇〇円を支払うように請求された。しかし持ち合わせが一〇〇〇円ちょっとしかなかったので、同じ寮に住む鈴木さんが立て替えてくれた。
「心霊会では、会員同士の金銭の貸し借りは禁止されているけど、今回だけは一時立て替えてあげます。お金ができたら、払ってくださいね」と鈴木さんが言った。毎月のお小遣いから、会費を六〇〇円も払うのは痛いな、と思った。毎日二〇円ずつ貯めておこう。
 具足として、お数珠とお袈裟(けさ)、経巻(きようかん)をもらった。一五〇〇円の入会金は、具足代に充てられるのだそうだ。朝夕、この経巻を一読する。内容は法華経の方便品(ほうべんぼん)、堤婆達多品(だいばだったほん)、如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)、観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぼん)の偈(げ)の部分、いわゆる観音経(かんのんぎよう)を読むことになっている。読み方は日本語の書き下しではなく、そのまま漢字を音(おん)で読む。ふりがなが振ってあるとはいえ、慣れないうちは時間がかかりそうだ。さらに、守護霊と開祖の功徳を賛嘆する和讃(わさん)があった。
「具足を裸のまま持ち歩くのはいけないから、袋をあげますね」と若林さんが淡いピンク色の手作りの袋をくれた。キルトのしゃれた袋だった。そのキルトが、皮肉にもカルトを連想させた。
「具足は直接床や畳の上に置くことはいけないので、置くときは必ずこの袋の上に置いてください。それから、トイレなど不浄な場所には、袋に入れない、むき出しの状態では持っていかないように。必ず袋に入れてくださいね。この袋はお浄めをしてありますから」と具足の取り扱いの注意をした。
「おめでとうございます。これで、鮎川さんは正式に妙法心霊会の会員となりました。これからは、守護霊様を敬い、頑張ってください」と若林さんが祝福した。
「それで、さっそくですが、御守護霊受持(じゅじ)の儀式を申し込まなければいけません」
「何ですか? それ」
「私たち心霊会の、他の宗教にない優れた点は、絶対的な守護霊様を持てることなの。だから、その守護霊様出現のための儀式を申し込まなければならないのよ」
 鈴木さんが若林さんに代わって、説明した。
 妙法心霊会の御守護霊受持の儀式は、声聞(しょうもん)、縁覚(えんがく)、菩薩(ぼさつ)、如来(にょらい)の四つの段階に分かれていて、それぞれの段階により、供養料が違う。声聞は一〇万円、縁覚は三〇万円、菩薩は五〇万円、如来だと一〇〇万円のご供養が必要になる。如来は会長が直々に守護霊を出現させ、菩薩、縁覚、声聞は修行を積んだ霊能者が儀式を行う。菩薩は副会長クラスの幹部霊能者が行うそうだ。東海・北陸地区で菩薩の儀式ができるのは、東海本部長だけだ。金額を聞いた私は、とてもそんなの無理です、と断った。
「でもね、せっかく尊い信仰の道に入ったのに、守護霊様がいらっしゃらないと、功徳は半減ですよ。もちろん日々のお勤めでも先祖供養ができ、ご先祖様の素晴らしい御守護はいただけるけど、守護霊様が出現なさるのとなさらないのとでは、天地の差があります。大丈夫ですよ。すぐにはご供養できない人も大勢いるので、その場合は、守護霊様へ、お金ができたときに支払いますとお誓い申し上げることで、やってもらえますからね。もちろん守護霊様との誓約なので、法的な拘束力はいっさいありません。もし退会なんかで、払わなかった場合でも、法的に請求措置がされることはありませんよ。第一、高校生に対して、そんなことはできないから。ちょうど今日はこの道場に声聞の儀式ができる霊能者が来ていますから、すぐやってもらえますよ」
 若林さんは熱心に勧めた。
「私だって高校生なので、とても一〇万円だなんてご供養料払えないから、誓約書を書いて、守護霊様を出してもらったんだから。大丈夫。守護霊様が出現されれば、運がすごくよくなるから、お金なんか、全然問題にならないよ」と平田さんも続いた。
「そうだよ。私たちだって、大学生だけど、そうそうお金があるわけじゃない。でも、御守護でみんなバイトもうまくいってるので、みんなもう支払いできちゃって、今度は縁覚、菩薩のご供養をしようって話してるんだから」
 永井さんが諭すように言った。私は頷くしかなかった。
 私はやむなく御守護霊受持の儀式の申し込みをした。もちろんいちばん下の段階の声聞だ。ご供養料の支払いに関する誓約書にも記入し、拇印を押した。その日はすでに三人が申し込んでおり、私は四番目の受付となった。一人二〇分ぐらい時間がかかるので、儀式の開始は午後二時からとなった。待ち時間の間に食事に行こうと法座会の人たちに誘われた。今日は入信のお祝いで、昼食をごちそうしてくれるという。若林法座会八人で近くのうどん屋に行った。若林さんと三人の寮生、平田さん、男性二人、そして私だった。若林法座会は約三〇名で、男性メンバーもいるが、主婦や学生などの女性が主体だ。
 心霊会は地域ごとに支部があり、その下にお導きの親子関係を重視した法座会を組織している。愛知県は名古屋、尾張、三河の三地区に分かれており、尾張地区に中田支部がある。中田支部の下にある、いくつかの法座会の一つが若林法座会だ。女子部、男子部などという分け方はしておらず、法座会では女性も男性も一緒に活動をする。別に大学生、高校生を中心とした〝若葉会〟という組織もあり、私はその〝若葉会〟にも編入されることになる。
 食事のとき、私は気になっていたことを若林さんに尋ねた。それは、入信申出書の〝私は御守護霊様を敬い、会長先生に忠誠を誓います〟というところだった。〝御守護霊様を敬い〟という部分に関しては納得できるが、〝会長先生に忠誠を誓います〟というところが今ひとつ引っかかった。会長先生に忠誠を誓うということは、会長先生には絶対服従、ということなのだろうか。
 それに対し、若林さんは「忠誠を誓う、ということは、何でも会長先生の命令通りになれ、ということではないですよ。信仰上の問題です。会長先生は私たち信徒に信仰のことでいろいろご指導くださいますが、そのご指導を尊びなさい、ということです。信仰上のことでは、先生は絶対に間違ったことは言いません。何しろ、凡夫(ぼんぷ)が言うのではなく、開祖先生の霊である御守護仏のお言葉をそのまま伝えてくださるのですからね。だから、先生のご指導には、決して異議を唱えてはいけないということなのよ。救済のためになら、人の命を犠牲にしてもよい、なんて間違ったことは決して言わないから、大丈夫ですよ」と、私がまだ小さな子供のころに起きた、某教団の事件を引き合いに出して、答えてくれた。
 いよいよ儀式の時間となった。霊能者というのは、二〇歳代と思われる、若い男性だった。一見、こんな若い人で力があるのかしら、と心配になった。そんな私の気持ちを見透かしたのか、「霊能者の先生は、厳しい修行で絶大な霊力を身につけているので、何の不安もありませんよ」と若林さんが耳打ちした。
 いよいよ儀式が始まった。私はひどく緊張した。若林さん、平田さん、そして三人の寮生が同席して、私の儀式を見守った。
 私は霊能者の前で正座し、目を閉じて合掌するように指示された。霊能者は何度も「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えた。そして、大きく深呼吸をする音が聞こえた。その後、うん、と大きな声で気合いを入れた。何か九字(くじ)のようなものを切っている気配がしたが、目を閉じている私には、よくわからなかった。えい、とか、うん、というかけ声が何度も聞こえた。一五分ぐらいが経過した。
「終了です。目を開けてください」と霊能者が言った。
「あなたには、鎌倉時代、親鸞聖人(しんらんしょうにん)に帰依(きえ)していた武士の先祖がいます。その方が最も高い徳をお持ちになっていたので、あなたの御守護霊になっていただけるようにお願いしました。ただ、その霊は念仏に執着していたので、念仏を捨て、心霊会の作法に則って向上の道を歩むように説得するのに、少し手間取りましたが、開祖様と心霊会の御守護神様の偉大なるエネルギーを送り、浄化し、改心させました。これで、あなたは高き御守護霊の御守護をいただけるようになりました」
 霊能者はそんな説明をしてくれた。だが、私にはよくわからなかった。あとで、若林さんが「開祖妙山先生はご入滅後、私たちの御守護仏となっています。そして妙山先生を守護していたご守護霊は、今は心霊会全体の御守護神となられています。霊能者が御守護霊を出現させるとき、心霊会の御守護神と御守護仏の御二人(ごににん)の聖なるエネルギーを先祖霊に浴びせ、浄化して御守護霊になっていただくのです」と説明してくれた。しかしそれでも私は十分には理解できなかった。
 ただ、開祖妙山先生がご入滅後に守護仏となり、妙山先生の生前の守護霊が今は守護神として、共に心霊会を守護しているということは、何となく理解することができた。
 霊能者は、私の御守護霊の御霊(おみたま)を鎮めたというお札をくれ、このお札に向かって毎日のお勤めをするように指示をした。
 儀式が終わり、私たちは道場を出た。帰りは若林さんが車で送ってくれた。八人乗りのミニバンなので、平田さんと三人の寮生も同乗した。車の中で、私は「平田さんもどなたかに導かれて入信したのですか?」と尋ねた。
「私は会長先生のご著書を読んで、自分も守護霊を持ちたいな、と思ってたのよ。インターネットで調べたら、学校の近くに道場があったので、訪ねてそのまま入会したの。ちょうど道場に来ていた若林法座長がいろいろ説明してくれたので、導きの親となってくれ、私も若林さんの法座会に入ったのよ。鮎川さんは私に導かれたのだから、私は鮎川さんの導きの親、ということになるわね。心霊会では、導いた人と導かれた人は、法の上での親子という関係になるの」と平田さんが教えてくれた。
「私たちも同じ若林法座会で、ノブちゃんが美咲ちゃんと同じ学校だと知ったので、ぜひ美咲ちゃんを救ってあげて、と私が頼んだのよ」
 鈴木さんが言った。やはり首謀者は鈴木さんだったのか、と私は思った。
 方向が逆の平田さんを春日井駅で降ろし、三人の寮生と私を、若林さんは寮まで送ってくれた。若林さんは心霊会のご奉仕活動で、この車で走り回っているそうだ。
「あなたたちは、鮎川さんと同じ寮に住んでいるんでしょう? 鮎川さんはまだ何もわからないから、いろいろ教えてあげてくださいね。もちろん導きの親はノブちゃんなので、基本的にはノブちゃんが教えなきゃあいけないけど、でもあなたたちはすぐ近くにいるのだからね。それに同じ若林法座会のメンバーなんだから」
 若林さんが三人に依頼した。私を導いたのは、実質的には鈴木さんらしかった。平田さんは鈴木さんに指図されて動いたにすぎない。
「寮には、ほかにも信者がいるのですか?」と私は訊いた。
「ええ、うちの寮には、私たちを含めて八人いるよ。ほかの間違った邪教をやっている人が何人かいるから、その人たちも何とか救ってあげないとね。心霊会の絶対の御守護霊こそが最高なのよ」と鈴木さんはまくし立てた。そして、「さっそく夕方のお勤め、一緒にやろうね。夜八時になったら、具足を持って私の部屋に来て。やり方、教えてあげるから」と言った。

『ミッキ』第23回

2013-09-03 00:05:00 | 小説
 もう9月。暑かった今年の夏も終わりを告げ、最近はぐずついた天気が続きます。
 昨日は関東地方で竜巻が起こり、大きな被害がありました
 台風17号も九州に近づきつつあります。
 今年の世界的な異常気象の原因は、大西洋の海水温が上がり、その影響がグローバルに現れたことにある、という話を聞きました。
 地球的な規模で、気候の異変が起こっているのでしょうか?
 この前の土日はNHKで巨大地震の特集を見ました。
 首都圏直下地震や南海トラフ地震が近いのではないか、と言われています。
 日本は、そして地球はどうなるのでしょうか?

 今回は『ミッキ』第23回です。
 いよいよ最終章です。
 美咲が同学年の見知らぬ女生徒から勧誘された新興宗教に断り切れず、つい入信してしまいますが……。


     

       第五章 妙法心霊会


            1

 二学期が始まった。
 夏休み中ずっとつけていたピアスは、母との約束通り外した。ピアスホールはすっかり治癒しているので、ピアスでおしゃれをしたいときはいつでもつけられる。母は土日や祝日で学校が休みのときはつけることを許してくれた。学校ではホールがわかりにくいように隠しておかなければいけない。
 始業式の朝、高蔵寺駅で松本さんと待ち合わせ、一緒に登校した。春日井駅で宏美と落ち合い、三人で学校まで歩いた。
 宏美は最近、合唱部の同学年の男の子と仲よくしている。夏休みには連日合唱部の練習があり、そのときに話をして意気投合したのだそうだ。合唱部は大部分が女の子で、希少な男子部員の一人を射止めたと言っていた。
「これでミッキに当てつけられずにすむわ」
「いつ私が宏美に当てつけたのよ」
「あ、ごめん。当てつけられたんじゃなかった。堂々と見せつけられたんだった」と言って、宏美が逃げていった。
「こら、宏美」
 私は笑いながら宏美を追いかけていった。松本さんはあきれながら私たちの追いかけっこを眺めていた。
始業式の日は、午後は何も行事がない。部活動に参加する人以外は、帰宅する。歴史研究会は、来週から活動を始めるので、今日は特に予定がなかった。でも、松本さんや河村さん、芳村さんが部室に行っていると思うので、私は部室に向かおうとした。
 すると正面から、「あなた、一年D組の鮎川さんですね」と、見知らぬ女の子から声をかけられた。
「初めまして。私は一年G組の平田信子といいます」と自己紹介をした。同年代の女の子の名前で「子」がつくのは、珍しいなと私は思った。以前は「子」がつく名前の人はたくさんいた。母の名も真智子だ。
「あの、どういうご用件でしょうか?」
 見知らぬ人から声をかけられ、私は少し身構えた。
「私、中学校は徳川中学校なの。鮎川さんは、上野中でしょう。お隣同士だったのよ。それで、前からちょっとお話したいな、って思っていたの」
 確かに私の出身校の上野中学校と、徳川中学校は、千種区と東区で区は違うが、中学校ブロックは隣り合っていた。でも、私は徳川中学校には知り合いは一人もいなかった。
「私、ちょっと部室に行こうと思ってるんですけど」
「歴史研究会ですね。それじゃあ、私、近くのマックで待ってるので、お話が済んだら、来てくれない?」
「でも、長くなるかもしれませんよ」
「といっても、今日はお弁当持ってきてないでしょう? お昼食べずに、そんなに長くなることはないと思うけど」
 何となく強引な気持ちもしたが、断り切れず、私は「それなら、あとでちょっとだけ顔を出します」と答えておいた。
「お願いね。鮎川さんとはいろいろ話をしてみたいの。今までは知らなかったんで、声もかけなかったけど、たまたま鮎川さんが隣の中学校の出身だと聞いたんで、友達になりたくなったのよ」
 新学期早々、知らない人から友達になりたいと声をかけられるとは、思ってもみなかった。ただ、平田さんも真面目そうな感じの子なので、話だけは聞いてあげようと思った。
 歴史研究会の部室には、山崎君、中川さんのカップルも来ていた。
「おう、ミッキ、久しぶり。弟が事故で大変だったってな。せっかくの古墳巡り、来られなくて、残念だったね」と山崎君が話しかけた。
「はい。楽しみにしてたのに、弟のことでドタバタしちゃって。でももうだいぶよくなったみたいよ。松葉杖で歩いてるから」
「ミッキが来れなかったから、松本さん、寂しそうだったよ」と今度は中川さんが混ぜ返した。
「おいおい、いらんこと言うなよ」と松本さんが言った。
「今回は山川カップルの熱々を見せつけられたよ。ただでさえ暑かったのに」
 彼女いない歴一六年、と以前松本さんと言い合っていた芳村さんが、大げさな言い方をした。芳村さんは七月で一七歳になったので、彼女いない歴一七年と格上げ(?)された。芳村さんは夏休みの間に髪を短くカットして、さっぱりした髪型になっていた。
 話は自然、夏休みの古墳巡りや古都奈良市の見学の話題となった。私は参加できなかったものの、みんなの話を聞いているだけで楽しかった。ただ、松本さんと一緒に行けなかったのは残念だった。
「三国時代の次は、邪馬台国をテーマにしてみましょうか? 今まで、邪馬台国論争はけっこういろいろ研究されてるから、今さら私たちの出る幕はない、って避けてきたけど、古代のロマンもなかなかおもしろそうね」
 河村さんが新しいテーマを提案した。 今回、近くまで行った箸墓古墳は、卑弥呼の墓ではないか、という説がある。一方、卑弥呼の死期より五〇年から一〇〇年後に作られたものであり、年代がずれているので、卑弥呼の墓である可能性は小さいとも言われている。年代の確定はまだ正確にはできていないようなので、何ともいえないが、古代日本の壮大なロマンではある。
 みんなは河村さんが写した古墳巡りや古都の旅の写真を見せてもらった。お父さんの形見のカメラで写した写真で、きれいに写っている。山崎君と中川さんの仲むつまじい写真もあった。
「よし、次のテーマは邪馬台国にしよう。邪馬台国論争なら、文化祭も盛り上がりそうだし。カメさんに報告しとくよ」
 部長の芳村さんが決断した。みんなはそれに賛成した。

 歴史研究会の話が終わり、めしでも食いに行こうか、と芳村さんが言った。私はちょっとG組の女の子と待ち合わせをしているから、と松本さんたちに断り、平田信子さんと約束した店に駆けつけた。
 店に入ると、平田さんが先に私を見つけて、手を上げた。平田さんはハンバーガーを食べ始めたところだった。
「ごめんなさい、遅くなっちゃって」
「いいえ、私も少し前に来たとこ。たぶん歴史研究会の話もちょっとかかるだろうと思って、ゆっくり来たの。先にオーダー済ませてきたら?」
「じゃあ、先に何か買ってきます」
 私はハンバーガーとストロベリーシェイクを注文して、席に戻った。
「今日は突然声をかけてごめんなさいね。鮎川さん、隣の上野中の出身だということを聞いたんで、一度お話したいと思ってたの。私、東区の古出来町(こできまち)に住んでるの。すぐ近くにA高校があるけど、とても私じゃ合格しそうになかったんで、鳥居松に入ったの。大曽根駅から、中央線一本で来れるから、通学も便利だし」
平田さんは隣の中学校ということを強調した。でも、鳥居松高校がA高校よりレベルが低いと言われているようで、少し引っかかった。確かにA高校は私立高校を含めても、県下屈指の名門校ではあるが。
「私、上野中に通っていたけど、今はそっちには住んでなくて、高蔵寺なの」
「お父さんの仕事がうまくいかなくなって、高蔵寺に転居したそうね」
 え、そんなことまで知ってるの? と私は内心驚いた。私にとっては、平田さんのことは、先ほど声をかけられるまで、全く知らなかったのだ。同じ中学校から進学した子は、いちおう全員知っているとはいえ、隣の中学校の人は、一人も知らない。
「私のこと、誰から聞いたんですか?」と私は尋ねてみた。
「え、それは何人かの人からよ。鮎川さんのクラスに、阿部智美って子がいるでしょう。彼女からも聞いているし。とにかく鮎川さんが隣の学校だった、ということを聞いたので、ちょっと話してみたいと思って」
 阿部さんは出席番号が私より一つ前で、よく話をする。最初の自己紹介のとき、出身中学校のことを言ったので、私が上野中学校を卒業しているということを阿部さんが知っていても、不思議ではなかった。確か阿部さんも名古屋市北区の中学校出身だと記憶している。
 平田さんは、バレーボール部に入っていたが、夏休みの合宿の厳しさについて行けず、二学期は別の部に移ろうかと考えていることを話した。そして、鮎川さんは部活動、うまくいってる? と訊いた。
 私は、歴史研究会ではいい友達がたくさんできて、とても楽しくやっている、と答えた。
「いいなあ。私も歴史研究会に入ろうかな。でも、今ひとつ歴史は苦手だから」
 それから、平田さんは音楽、特にロックが大好きだ、と語った。バンドをやっている友人がいて、素人コンサートだが、ときどき聴きに行くそうだ。ときには一緒になって歌ったり、楽器を演奏したりする。鮎川さんも一緒に行かないか、と誘われた。
「私、どうもロックのような騒々しい音楽が苦手で」と言うと、「一度本物のロックを体験してみなさいよ。すごいわよ。音楽の洪水の中に身を任せてると、とても幸福感で満ちあふれるの。あの陶酔感がたまらないわ。食わず嫌いじゃなくて、一度行こうよ。絶対すごいよ」と熱心にコンサートに誘われた。
 私は音楽は、クラシックが好きだった。バロックから古典派、ロマン派などの音楽をよく聴いている。近代、現代音楽はやや苦手だ。
 私たちは二時間近く話し合った。どちらかと言えば、平田さんが一人でしゃべりまくり、それに私が相づちを打つ、ということが多かった。私は平田さんの勢いに押され続けていた。
「ところで、明後日、日曜日だけど、空いてない?」と平田さんが尋ねた。
「日曜日はちょっと」
 私は言いよどんだ。特に約束をしているわけではないが、土日は松本さんと会うことが多い。河村さんや宏美に会うこともある。
「ちょっと、何なの?」
 平田さんは突っ込んできた。
「ちょっと人に会うかもしれないので」
 もう約束がある、と言ってしまえばよかったのだが、私はつい中途半端な言い方をした。すると、平田さんは「まだはっきりしてないんでしょう? それなら、私に付き合ってくれない? 人生を左右しかねない、とても大事な話をしたいの」とたたみかけてきた。ひょっとしたら、宗教の勧誘かしら、と私は身構えた。
「実は、私、あるサークルに入っているの。そこのサークルの人は、悩みを持った人たちが集まっているところで、真剣にどう生きるかを話し合っているところなの。話を聞いて、絶対損はしないわ。鮎川さんにも、ぜひ一度どんなところか見てもらいたいのよ」
 平田さんの表情は、真剣そのものだった。私はその迫力に圧倒された。
「ひょっとして、宗教のようなものですか?」と私は訊いた。
「いえ、宗教じゃなくて、サークルなの。ある意味、ボランティアのようなもの。悩んでいる人たちが集まって、みんなで話し合い、悩みを打ち破る勇気のようなものを得ることができるところよ。鮎川さんも、お父さんの工場が倒産したり、弟さんが事故に遭ったりして、大変でしょう? そういう悩み事などを打ち明けて、みんなと話し合うと、とても元気がもらえるわよ」
 父の仕事のことや、慎二の交通事故のことなど、知っているようだが、全く面識がなかったのに、どうしてそんなことを知っているのだろうか、と私は不審に思った。宗教ではないと言うが、どうなのだろうか。私には何となくやめておいたほうがいいように思われた。しかし、平田さんは真剣に何度も誘ってくれた。
 結局私は、平田さんの熱意に気圧されて、「それじゃあ、行くだけは行ってみます」と約束した。

『ミッキ』第22回

2013-08-27 10:55:29 | 小説
 昨日、一昨日と涼しい夜で、気持ちよく眠れました
 今日は久しぶりの晴天で、布団干しと洗濯です。

 今回は『ミッキ』第22回です。



            

 八月も下旬となり、夏休みもあと一週間を残すのみとなった。今年の夏休みは、慎二の交通事故で、家族で旅行には行けなかった。父が会社の車を借りて、私とジョンを連れ、日帰りで近いところをドライブしたことはあったが。海や山中のきれいな川に連れて行ってもらい、ジョンは水遊びを満喫した。
 歴史研究会は、八月上旬、小林先生に率いられて、奈良県の桜井市、橿原(かしはら)市、明日香村方面に古墳の見学に行った。奈良市に一泊して、翌日は市内を見物した。宿泊費が安いユースホステルを利用した。
 本来なら夏の研修旅行は、そのときの研究のテーマに沿ったところに行くことが多い。しかし新しいテーマは松本さんの意見が通って、中国の魏呉蜀(ぎごしよく)の三国時代の研究となった。河村さん、芳村さん、私が賛成したので、松本さんのかねてからの希望が通ったのだった。しかしさすがに中国には行けない。新しい研究テーマの三国時代の『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に、邪馬台国(やまたいこく)のことが描かれている。それで、卑弥呼(ひみこ)の墓ではないか、といわれている箸(はし)墓(はか)古墳を始めとした、纒向(まきむく)遺跡などの古墳群を見に行こう、ということになったのである。
 だが、残念ながら、私は慎二の交通事故などで落ち着かず、今回の一泊の研修旅行には参加できなかった。私はまだユースホステルには泊まったことがない。宿泊者の交流などの行事があるそうで、一度体験してみたいと思っている。その意味でも、今回参加できなかったことは残念だった。でも、最も心残りなことは、松本さんと一緒に行けなかったことだ。
 伯母は最初の予定通り、盆休み前まで仕事を手伝って、帰っていった。
 私は伯母と楽しい一〇日間を過ごした。今は夏休みなので、伯母と一緒にいる時間を十分に取ることができた。伯母からいろいろな話を聞き、私は高校を卒業したら、就職するのではなく、教育大学に進み、先生になることを決意した。そのことを話すと、父は非常に喜んだ。学費のことは心配しなくてもいいから、先生になれるよう、頑張りなさいと父は励ましてくれた。伯母と過ごした一〇日間は、ある意味では、私に非常に大きな影響を与えたのだった。
 伯母が帰る前に、松本さんと河村さんが会いに来た。そのときは宏美も一緒だった。そして、またぜひとも名東区のマンションに遊びに行きます、と伯母に約束した。
 今は母が仕事に復帰している。調理の仕事がない昼間のみ、母は病院に行っている。寮長寮母の仕事は、昼間は全くない、というわけではないので、その間の仕事は父がやっている。掃除など、雑用もけっこう多いものだ。私もときどき掃除を手伝わされる。
 慎二はもう松葉杖で少し歩けるまで回復した。担当医が驚くほどの回復力だった。ヤジロベーにゲーム機と幾つかのソフトを買ってもらい、毎日ゲームで遊んでいる。

 八月下旬のある日の夜、河村さんが「ミッキ、わるいけど、泊めてくれない?」と突然訪ねてきた。遅い時間だったので、両親も突然の河村さんの訪問に驚いた。ただ、深刻そうな顔をしていたので、父は何か事情がありそうだと察し、河村さんを部屋に入れた。河村さんは突然夜遅い時間に訪問した非礼を詫び、「実は私、家出をしてきたんです」と打ち明けた。家出という言葉に、両親は戸惑った。
 河村さんが事情を話そうとすると、それまで寝ていたジョンが河村さんの訪問に気づき、じゃれついて散歩をねだった。身体が大きくなったジョンがしつこく河村さんにじゃれるので、先にジョンを少し散歩させることにした。
「夜遅いから、気をつけるんだよ」と母は心配そうに言った。
「大丈夫。こんな頼もしい用心棒がいるから、痴漢も近づけないわ。早めに切り上げてくるから」と私は答えた。頼もしい用心棒とは、ジョンのことだ。
 ジョンを散歩させながら、河村さんは、お母さんの〝浮気〟で、家にいるのがいやになったと話した。
「お父さんが死んで、まだ半年ちょっとしか経ってないのに、お母さん、もうほかの男の人といちゃいちゃするだなんて、許せない」
 ファザコンといえるほどのお父さんっ子だった河村さんは、最近のお母さんの様子がおかしいなと感じていた。このところ、何度か家の近くで、男の人の車から降りる母親を見かけた。それだけならまだいいが、車から降りてから、男の人が母親を抱擁したり、口づけをしたりすることがある。それで河村さんは、家に帰った母親を問い詰めた。
 最初はその男性は単なる職場の同僚で、仕事上付き合っているだけだ、仕事の関係で遅くなったので、車で家の近くまで送ってもらったのだと弁明した。河村さんは「仕事だけの関係なら、なぜ抱かれたり、キスされたりするの?」としつこく尋ねた。母親はやむを得ず、親しく付き合っていることを打ち明けた。その人は奥さんと離婚しており、再婚を視野に入れた付き合いをしているという。その男性の二人の子供は、母親が引き取ったそうだ。
「私だってまだ四四なのよ。これからずっと独身でいるわけにもいかないじゃないの」とお母さんは開き直った。
「それはそうだけど、でもまだお父さんが死んで、半年しか経っていないのよ。せめて一年ぐらいは、ほかの男の人とは仲よくしてほしくなかった。お母さん、不潔よ」
 河村さんは、そんな母親を許せなかった。泣きながら母をなじった。
「まだ子供のくせに、生意気なこと言うんじゃないの! 大人には大人の事情があるんだから」
 そう怒鳴られて、河村さんは「もうお母さんとなんか、一緒にいたくない。こんな家、出てってやる!」と、着替えなど、身の回りのものを登山用のザックに詰め、自転車で家を出た。
「最初は大井さんのところに行こうかと思ったけど、大井さんのところに行ったら、今日のむしゃくしゃした気持ちのままだと、きっとエッチなことしちゃいそうなので、ミッキのところに来たの。お母さんの手前、私もそんなことしたくないから」
 河村さんは大胆なことを言った。やはり河村さんは処女ではなかったのかな、と私は思った。
「でも私、まだバージンなのよ。大井さんにもまだ捧げてないんだから」
 私の心を読んだのか、河村さんは念を押した。
 ジョンの散歩はいつもの半分ぐらいの時間で切り上げた。もう夜の散歩は済ましているので、ジョンもおとなしく従った。
 私は知らなかったが、ジョンと散歩しているうちに、父は河村さんのお母さんに電話をかけて、事情を聞いていた。お母さんには「彩花さんのことは、うちで責任持って預かるので、心配しないでください。なに、優秀な家庭教師が来てくれたので、うちも助かりますよ」というような話をしていたらしい。
 河村さんのお母さんは、娘にひどいことを言ってしまったことを後悔した。もう少し言い方を考えればよかったと悔やんだ。娘が父親のことを忘れられずにいることは、よく承知していたはずなのに。娘の携帯に電話をかけても出ないし、メールを送っても、返信がなかった。ひょっとして動転した状態で自転車で走っていて、交通事故にでも遭ったのではないか、というような心配事ばかりが先に立った。そんな矢先に、父から電話があり、安堵したのだろう。
「くれぐれもお願いします。彩花とは、近いうちに話をして、理解を得られるように最善を尽くします。それまで、ご迷惑でしょうが、彩花を預かってください。このお礼、必ずさせていただきます」
「いえ、お礼だなんて。そんなに気になさらないでください。今、弟が交通事故で入院しているので、美咲も寂しがっているところに彩花さんが来てくれて、うちとしても彩花さんを歓迎しますよ」
 二つの家族の親同士で、このような会話が交わされ、事態はすでに了承されていた。
 寮に戻ると、母は河村さんに「彩花ちゃん、晩ご飯、もう食べた?」と尋ねた。河村さんがまだですと答えると、「晩ご飯、外食してきて、食べなかった寮生の分が残っているから、それを温めてあげる。全然手をつけてないのだから、大丈夫よ。先にお風呂に入ってきなさい」と優しく話しかけた。
 お風呂は寮生用の大浴場とは別に、管理人用の風呂があるが、管理人用の風呂は狭いので、私たちは大浴場に入った。河村さんとお風呂に入るのは初めてだ。大浴場のほうが広くて気持ちがいい。ただ、たくさんの寮生が入るから、遅い時間に入ると、お湯が少し汚れているかもしれない。上がる前には、シャワーを浴びるほうがいい。
 必要なときにしかメガネを使用しない私と違って、河村さんは常時メガネをかけているので、外したところはほとんど見たことがない。いつも髪を束ねているリボンもほどき、ロングヘアをそのまま肩に垂らした。それも初めて見た河村さんの姿だった。素顔の河村さんは、とてもきれいだと思った。メガネを外したらすごい美人だった、というのは、マンガによくありそうなパターンだけれど。
 河村さんは私より少し小柄だが、ボリュームがある魅力的な体つきだ。おへそに赤い飾りがあるピアスを着けている。私はさすがにおへそにまでピアスをしてみようという勇気はない。右の下腹には、小さな手術痕がある。中学生のとき、虫垂炎になったと教えてくれた。
「私、アキコさんのタトゥーを見て、自分の身体にも小さいのをしてみようかな、と思ってたけど、この前の杉下先生の話を聞いて、ちょっと考えちゃった。盲腸の手術の痕に赤いバラのタトゥーなんかを入れて、傷痕を隠したいな、なんて思ってたのよ」
「そうですね。一度しちゃったら、もう消せないみたいだから、よく考えたほうがいいですよ」
「そうね。作家になれればそんなに問題ないけど、もし先生になるんじゃ、やっぱりタトゥーはNGだから。アキコさんはアクセサリーのお店やってるんで、派手にタトゥーしてても、仕事の面では平気だけど。メビウスでは、アキコさんのタトゥーはお客さんに受け入れられて、トレードマークになっているもんね。この前会った木原未来さん、タトゥーが会社にばれてクビ同然で退社して、今風俗のお店に勤めてるんだって。でも、作家になろうと頑張っているんだ。家はこの近くだそうだから、一度訪ねてみようよ。公休日ならいいよ、って言ってたから」
 私が河村さんに憧れているように、河村さんはすっかり木原さんに憧れてしまったようだ。
 お風呂でふと思い出したけれども、一〇〇人近くいる寮生の中で、タトゥーを入れている女の子が、私が知っているだけでも三人いる。最近、仲よくしている寮生に誘われて、一緒に大浴場に入ったら、左の肩胛骨のあたりに、手のひらぐらいの大きさの蓮の花と、その上に梵字の図柄を入れている人を見かけた。きれいな紫色の蓮の上に、炎をあしらった黄色の宝珠があり、その宝珠の中に梵字が描いてあった。その梵字は生まれ年の護り本尊、虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)を表しているのだそうだ。その人はジョンをかわいがってくれ、私もよく話をする。
 もう一人は、日系ブラジル人のマリアさんという留学生で、左右の上腕部に、かなり大きく、自分の名前と同じ聖母マリアと、キリストのような絵を入れている。胸にはクルスをデザインした図柄が入っていた。たぶん、カトリックの信者なのだろう。マリアさんは色白なので、タトゥーがよく映える。おへそにきれいな飾りがついたピアスをしていた。彼女は日本語が流暢で、私も何度か話をしたことがある。祖母が日本人とのことだ。半袖になると、絵のようなものがちらちら覗いているので、この人、タトゥーをしているのだなと思っていた。お風呂に入ったとき、初めて全容を見せてもらった。ブラジルではタトゥーは普通のファッションで、男も女も、多くの人が気軽に入れているのだそうだ。彼女は大学を卒業したら、祖母の祖国日本で就職したいという。しかし、タトゥーがあると、日本で働くには大きなマイナスになるかもしれない。外資系の、タトゥーに寛容な企業に就職できればいいのだが。うちの寮には、中国人や韓国人など、外国からの留学生が何人かいる。
 三人目は、お風呂ではなく、普通に服を着ているときに見たのだった。その人がしゃがんで、背中が少しはだけたときに、腰のあたりに絵が描いてあったのが見えた。見えたのはほんの一部だったので、どんな図柄かよくわからなかったが、花のような絵だった。けっこう大きなタトゥーのようだ。
 その三人以外にも、入れている人がいるかもしれない。
 河村さんにそのことを話すと、「ふうん。この寮の寮生は大学生と専門学校の学生さんなんだよね。今は大学生でも、タトゥーを入れている人、意外と多いかもしれないね」と言った。
 私たちが身体を洗っていると、三人の寮生が入ってきた。ジョンが来た日に、「うるせー、くそばばあ」と言った人を含めた三人組だった。私が挨拶すると、鈴木さんというリーダー格の人が、「あら、美咲ちゃん、お友達? あなた、ときどき遊びに来てるわね」と言った。河村さんは「お邪魔してます。美咲さんの友達の河村彩花です」と挨拶をした。
 お風呂上がりの河村さんは、石けんの香りに加えて、微かに甘酸っぱい匂いがあり、嗅覚的にも、とても色っぽい感じがする。男性にとっては、このほのかな匂いが、異性を惹きつけるフェロモンのように思えるのだろうと私は想像した。
 お風呂に入っているうちに、母は来客用の布団に、布団乾燥機をかけていてくれた。その布団は伯母が来たときに使ったものだ。夏だから、布団乾燥機をかけると、かえって暑くて寝苦しいのだが、しばらく伯母が使っていたので、改めて乾燥機をかけたのだった。シーツはきれいにクリーニングしてある。乾燥機をかけたままでは熱いので、かけ終わった後は扇風機で冷ましていた。
 布団は私と慎二が使っている部屋に、私の布団と並べて敷いた。今慎二は入院しているので、部屋は河村さんと二人で使うことができる。
 お風呂から出て、河村さんは寮生の食堂で晩ご飯を食べた。その間、ジョンが河村さんの足下(あしもと)で寝そべっていた。河村さんもジョンのお気に入りだ。
 その夜は、遅くまで河村さんと話をしていた。
 私の部屋に入ると、河村さんは「ソフビの怪獣がいっぱいね」と驚いた。私と慎二の部屋には、怪獣の人形(?)が二〇個近く飾ってある。壁には車やオートバイ、そしてヤンキースの松井選手の大きなポスター。ゴジラというニックネームに憧れ、慎二は松井選手の大ファンだ。部屋は慎二の趣味で飾られている。女の子らしい装飾はほとんどない。わずかに私の机の横に、小さなぬいぐるみと、私が好きなアイドル歌手の写真が飾ってあるぐらいだ。
「まだジョンが小さかったころ、慎二がいちばん気に入っていたソフビの怪獣がジョンにかじられてボロボロにされてしまい、とても怒ってましたよ」と、私が笑いながら言った。
「慎二にとっては、笑い事じゃなかったようですけど。そのときは本気になってジョンに殴りかかろうとしたけど、お父さんが止めたので、事なきを得ました。その後、お父さんが、リサイクルショップで同じ怪獣のソフビを見つけてくれたから、慎二も機嫌を直しました。今では状態がいい怪獣のソフビはなかなか手に入らないそうですね」
「さすがの怪獣も、ジョン君にかかっては形無しね」と河村さんも笑った。
 それから、「ミッキはマッタク君とはどこまで進んでいるの?」と訊かれた。私は、河村さんには隠し事がしにくく、入道ヶ岳登山の打ち合わせの日、不良に絡まれたときに見せた松本さんの勇敢な行動に改めて惹かれ、河村さんたちと別れた後、唇を許し合ったことを白状してしまった。
「わぁ、ミッキもやるぅ。私も大井さんとは、Aまでなのよ。彼、意外と紳士で、無理に奪おうとはしないの。でも、ミッキと私、どっちが先にCまで行っちゃうかな。今日、もし大井さんのところに行ってたら、私、たぶん行っちゃってたと思うけど」
「実は、私も松本さんの部屋に行ったとき、もし松本さんが求めてきたら、あげちゃってもいいと思ってたんです。松本さんは何もしなかったけど。ああ、恥ずかしいわ」
「マッタク君は自分からはできないわよ。あれで、けっこうナイーヴで気が小さいから。ミッキのほうから積極的に行かないと」
「いやだ、恥ずかしい」
 もし両親にこんな会話が聞こえていたらどうしようかと思った。もちろん、二人とも小声で話していたが。女の子同士というのは、意外と大胆な話もしてしまうものだ。
 また、河村さんはお父さんのこともいろいろ話してくれた。山歩きなど、アウトドアの楽しさを教えてくれたお父さんが大好きだったという。家族で登った山の数を数え、こんな山にも登った、あそこも歩いた、などという思い出を話した。北アルプスや八ヶ岳のような高山は登ったけれども、富士山と南アルプスには一度も一緒に登れなかったのが残念だと言った。去年の夏にお父さんと一緒に中央アルプスに登ったとき、来年は南アルプスの甲斐駒、仙丈か、白峰三山に登ろうと約束していたそうだ。私も日本アルプスや八ヶ岳連峰の主要な山なら、どの辺にあるのかがわかるようになった。
 河村さんはお父さんのことを話すと、いつも目が潤む。そんなに大好きだったお父さんが亡くなって、まだ半年ちょっとしか経っていないというのに、もうほかの男性と親しくし、抱き合って口づけまでしていた母を見て、許せないと思った、と河村さんは訴えた。
「でも、そのときは頭に来て、私は家を出てきちゃったけど、夜遅かったし、お母さん、心配してるだろうな。電話やメールも無視しちゃったし。ミッキのところにいるから、心配しないで、と連絡ぐらい、しとけばよかった」
 もうすでに父が電話して、親同士で了承されている、ということを知らない河村さんは、眠る前にお母さんの携帯電話に、メールを入れた。もうお母さんは眠っているのか、返信はなかった。
「お母さんったら、娘が家出したというのに、もう安気(あんき)に寝ちゃったのかしら」
 河村さんはちょっと不満そうだった。すでに父から連絡があり、娘の安否を気遣う必要がなくなったので、安心して眠っていたのだろうか。
 河村さんといろいろなことを話していたので、私はその夜はなかなか寝付けなかった。
 ジョンは自分の板の間ではなく、私たちの部屋に来て、河村さんの近くで眠った。初めて河村さんが泊まったことが、珍しく思われたのだろう。

 次の日、早朝のジョンの散歩を済ませてから、私は河村さんに、家庭教師をしてもらった。伯母も勉強を見てくれたので、この夏休みは、けっこう学習がはかどった。伯母は国語が専門ではあるが、社会や英語も得意だった。理数系は専門外とはいえ、伯母と一緒に教科書や参考書を勉強することで、理解が進んだ。二学期は、河村さんにはとても及ばなくても、多少は成績が伸びそうだ。
 その日の夜、河村さんのお母さんが寮に来た。すでにお母さんには連絡してあることを、父から聞いて知っていたとはいえ、お母さんの姿を見て、河村さんはびっくりした。けれども、もう反発することはせず、「お母さん、心配かけて、ごめんなさい」と素直に謝った。二人だけでしばらく応接室で話をしていた。
 河村さんは今夜もう一晩泊まり、明日帰ることにした。
 お母さんは、娘の気持ちも考えずに、ほかの男の人と親しく付き合っていることを詫びたが、「彩花も私の気持ちを理解してほしい」と懇願した。
 河村さんは、自分自身ももし大井さんとの交際を、「あんな不良とは絶対に許さない」と言われ、認めてもらえなければ、家出をして大井さんのところに行ってしまおうとまで考えていたことがあったので、お母さんの気持ちは多少は理解できた。幸いお父さんは大井さんのことを、「おまえが選んだ人だから」と、反対しなかったのでよかったが。お父さんは「彩花のために生まれ変わって、真面目になります」と決意した大井さんの気概を買っていた。しかしその頃のお父さんは、見えないところでもう病魔に蝕まれていたのだった。
 河村さんは私の家で一日過ごしたので、気分も多少落ち着いていた。
 お母さんは、その男性との交際を隠すのではなく、正式に紹介し、一緒に食事でもしようと提案した。しかし、河村さんはまだこだわりは完全に消えていないので、紹介してもらうのは、お父さんの一周忌が済んでからにしてほしいと断った。
「でも、一周忌が済めば、私はもうわがままを言わない」とお母さんに約束した。
 お母さんとはそんな会話をしたそうだ。
 翌日、河村さんは父に寮の車で送ってもらい、帰っていった。自転車は車の荷室に積んだ。私とジョンも河村さんの家まで、一緒について行った。