7月3日、ようやく被災地に行くことができました。最近は、持病のヘルニアが悪化し、左足が痛くて歩くのも辛かったのです。
しびれは残っていますが、なんとか歩けるようになりました。
仙台のお客さんの自動車保険の手続きもあり、昨日、仙台、仙台港、亘理町とまわってきました。
「これでもか、これでもか」と言わんばかりの惨状に、本当に心が挫けてしまいそうでした。震災直後は、「地獄絵もこれほどまでに酷くはないのでは・・・」と思わせるものではなかったでしょうか。
津波の残骸に覆われたであろう田んぼが、大分片付いているところも多かったです。
でも、まったく手つかずの田んぼもありました。
こんな瓦礫や残骸の片づけが個人の負担になっているからでは、と思いました。私だったらとてもできない、否、続けられない!
まず第一義的には、国の責任だと痛感する。個人の努力云々の前に、まず国が働かなければならない。そうしてこそ、個人が頑張る勇気を持てるのではないか!
津波で無残に壊された鉄工所(?)の中がきれいに掃き清められていました。再建の見通しも立ってない(?)状態の元で、掃き清める工場の経営者や従業員の姿が浮かび、胸が詰まるようでした。
残骸の山の中に、「ペコちゃん」の描かれたクッションがありました。
仔馬のおもちゃもありました。
子どもや親たちの笑い声が聞こえてくるようでした。
第一回目の訪問で痛感したのは、こんなにも酷い仕打ちに立ち向かおうとしている被災地の皆さんの努力に、ただ、ただ、声もなく立ちつくす他なかったということです。