会場には35名ほどの日本人、日系人が席を埋めていた。説明会の後、横田滋氏と10分ほど立ち話をし、会場に来ていた何人かを紹介した。説明を聞いた後、横田氏にEunice Sato女史を紹介し、彼女も政府関係者を紹介し、協力を約束してくれた。私も会場で署名協力をみなさんにお願いした。
後日、私は積極的に600名の手書き署名を個人で集めた。その内、200名分は母がシニアセンターや婦人団体から集めたものだ。同じ頃、台湾正名運動でも600名分集めたものだ。仕事の後、休みの日は署名活動に追われていた記憶が思い出される。何しろ、当時はいろんな組織、団体、施設、お寺、教会、会合などを訪ねて、署名を集めた。あの当時のエネルギーはなんだったのだろう。今ではその5分の1も集める体力はない。
その後、アメリカでは大統領にも説明する機会もでき、拉致被害者の実態がアメリカで知られることができた。だが、残念なのは、当事国である日本政府が、何もできなかったことである。ほとんど、何の進展もなく、今日を迎えた。残念という思いと悔しさで一杯だ。
現在、盟友の野伏翔監督の映画「めぐみへの誓い」が上映間近である。横田滋氏もきっとこの作品を観たかったに違いない。みなさんの支援によって完成したこの作品を、一人でも多くの日本人に観ていただき、改めて拉致被害の実態を社会に訴えていただきたい。一枚でも多くのチケットを買い求め、みなさんの身近な人たちもこの映画を知らせていただき、問題を共有していただけたらありがたい。
日本人の生命と財産を守れない日本政府。分担金が多い日本は国連に利用されているだけで、彼らが拉致被害者を奪還するためにどういう協力をしてくれたのか、我々は考えていかなくてはいけない。
日本政府がぐずぐずしている間に、私の盟友の故・三宅博元衆議院議員もこの世からいなくなった。多くの拉致被害者の会の関係者が高齢化していく。もう時間的猶予はない。
日本政府は日本がどんなに経済的に発展しようが、国民を守り、助け出せないことが主権国家として恥ずかしいことだとどこまで認識しているのだろうか。責任感と使命感を失った日本はどこに向かおうとしているのだろうか。(以上)

★ ブログ主より クリス三宅氏をはじめてお見かけしたのは故三宅博先生が参加・講演された大阪である。
新年明けてまもなくだった。私は方向音痴でやっと会場に到着し、すでに満員だったので一番後ろの座席についた。
しばらくして司会者の方が「アメリカからクリス三宅さんがいらっしゃいました」と言うと
後ろの扉から大柄な紳士が満面の笑顔で右手を高くあげて登場され、そして三宅先生たちがいらっしゃった前の席に大拍手の中を進まれた。
私はその「後ろの扉」の横の座席だったので、すぐ近くにクリス三宅氏を目にしたのだった。
「三宅博先生の義兄弟」と司会者から紹介されていた。その理由は三宅博先生亡きあと、クリス三宅氏の講演を東京まで二度聴きに行った時にわかった。・・・国を思う「信頼しあう同志」であり、(血縁関係はない)「盟友」であったことも伺った。
そしてクリス三宅氏の著書を読んで素晴らしかったので知り合いにも紹介し、また三宅博先生の夫人にもその本をお贈りした。クライン孝子女史をはじめ、ドイツ音楽・文化関係の方、「日本文学」出身の友人、そして長年アメリカで国連関係の仕事をされていた経験を持つ友人ご夫妻にもお勧めして、大好評だった。
クライン女史は「今の日本にはクリス三宅氏のようなしっかりした考えを持つ人は稀だ」と仰った。
また「台湾」への取り組みも特筆すべきものでクリス三宅氏の著作をぜひお勧めします。
私はクリス氏の本に初めて接した時、迫力ある文にほとんど内容が一度で頭に入ってきたこと(これは名演奏が一度に頭に入ってくるのと同じ経験だった)、その後何度も読み返しその危険と隣り合わせの実践のご苦労を思った。
横田ご夫妻の講演は関西で何度か聴きに行き、また拉致被害家族の方々のお話も伺い、想像を絶する苦しみであることを痛いほど感じ、日本人拉致問題解決を願いました。
横田氏の訃報を伺った時は、何もそのことが書けず、今回のクリス三宅氏の実践を知って深く敬意を表しここに転載をお願いした次第です。
クリス三宅さま、ありがとうございました。


向かって左側が故三宅博元衆議院議員、右側がクリス三宅氏です。