撮り旅・ヨーロッパ

ハンガリーを拠点にカメラ片手に古い教会を主に写真撮影の旅を楽しみ、そこで拾った生活、文化情報を紹介します。

Szigetvar (シゲトヴァール)の教会

2013-03-18 13:18:06 | 海外生活

 Szigetvár の町は、トルコ帝国(オスマン・トルコ)の西方への統治政策での重要な拠点に

したい町であった。 その最大の理由として城があったからでもある。

1566年、トルコ皇帝スレーマン・スルタン率いる80,000人に包囲され、迎え撃つハンガリー軍は

Zrinyi Miklós を長とする2500人の兵士であった。 20日間の攻防の後、9月7日に城は墜ちた。

その後、1601年までトルコ帝国のBudin 州の、1601~1689年まで Kanije 州の町となった。

ここはヨーロッパの中で、最もオリジナルな形のトルコ住居、文化が残っている所のひとつであろう。

町の郊外に、Magyar-Török (ハンガリー・トルコ)友好公園が1994年に出来た。

町の人口は、12,000人(2011年)である。

 

 Szigetvár 市街地                  ハンガリー・トルコ友好公園内、両英雄の碑

 

 

 <百十三番札所; Szent Rókus (聖ロークス)ローマ・カトリック教会>

  1589年に、Ali pasa (アリ・パシャ)は町中にモスクを建てた。 トルコ帝国の占領時代に、長い間

 イスラム教会として使われていたが、1788年に聖ロークスを祀るために改築し、カトリック教会となった。

 教会は改修されたが、基本的には、イスラム教のモスク構造。 ドーム天井にはDorffmeister István

  がフレスコ画で、テーマ「落城と開放」を描いている。

  昔、イスラム教で使っていた洗礼用の手水鉢が内部に保管されている。

                  Ali pasa ; オスマン・トルコ軍、ルーマニア西部地区統治者

 

                    ドーム型天井のフレスコ画

  

 

 祭壇                 内陣(入口側)       イスラム教時代からの手水鉢  

  

 

 <百十四番札所; Bogdása Szt. Péter es Pál (ボグダーシャ)カトリック教会>

  教会は、15世紀にゴシック様式に建立。 この地方(Ormánság オルマーンシャーグ地方)で

 最も古い教会と云われている。 建物は1749年に改築され、この時にバロック様式の内陣と塔

 を作った。 残念ながら、内部は拝観できなかった。

 

 

 

 

 <百十五番札所; Drávaiványi (ドラーヴァイヴァーニィ) カルビン派教会>

  教会は、1792年に後期バロック様式で建てられた。 特徴としては、絵板(正方形パネル)を

 使った教会(ハンガリーの東部には多い)としては、国内で最も美しいという評判の教会である。

 教会の内陣天井には、167枚の絵板が使われている。 絵板の手法は天井だけでなく、聖歌隊席

 にも使われており、教会全体が非常にカラフルで華やかである。

 

 

 

  美しい尖塔              内陣、祭壇は真ん中にある。

 

 

 内陣(入口側)                           説教台

 

 

 天井からぶら下がった飾り物      信者席(聖歌隊席) 

 

 

 ロココ風のベンチ

 

 天井

 

  これで、「Szigetvár (シゲトヴァール)の教会」はお終いです。

 

 

「バラトン遍路の旅」

 

 

 

 

  

 

 


Pecs(ペーチ)郊外の教会(1)

2013-03-16 16:37:49 | 海外生活

 Pécs (ペーチ)の市街地郊外の教会を訪ねてみます。

 <百十番札所; Mánfa (マーンファ)ローマ・カトリック教会>

    右に左に美しいMecsek (メチェック)高原を眺めながらペーチの市街地より国道66号線を10kmほど

    北上すると国道沿いに、アールパード王朝時代からの小さい教会がある。

  教会は、12世紀にロマネスク様式で建立され、オスマントルコ軍の襲撃により破壊したが、15世紀より

  逐次、再建された。

                                   塔の横の入口門と北側の支壁を14世紀

                                   の後半にゴシック様式で拡張した。

   

 

 西側入口門            塔(三つの相似形の窓)    南門

  

 

 東側からの教会

 

 聖母マリアを祀った祭壇                    洗礼用の手水鉢

 

 

 四角い石の祭壇                         内陣(入口側)

 

 

 <百十一番札所; Kővágószőlős (クーヴァーゴーソロシェ)ローマ・カトリック教会>

  教会は、13世紀に聖母マリアを祀り、ロマネスク様式で建立。

  塔の下部にアールパード王朝時代のロマネスク様式の相似窓とバスケット形状の門が残っている。

  塔の上部と内陣の建屋は、16世紀にゴシック様式で、その後、18世紀にはバロック様式で

  再建されている。

                        ロマネスク様式の相似窓

 

 

 塔下部はアールパード時代の門

 

 

 後ろからの教会

 

 19世紀のペーチ大聖堂修復時に移設したバロックの

 説教台と懺悔ブース(左壁脇)                  石作りの十字架

 

 

 <百十二番札所; Cserkút (チェルクート)ローマ・カトリック教会>

  教会は、聖ヤーノシを祀るために、12~13世紀の間にロマネスク様式でオリジナルのもの

  は建てられた。 小さな三つの窓を持つ塔は、14世紀のものである。

  内陣や祭壇の壁には、当時のフレスコ画が、かなり程度の良い状態で保存されている。

  非常に貴重な宝物(必見)。 この絵を書いた時期は13世紀頃で、ペストに住むビザンチン

  聖堂画家のものだと云われている。

 

 

 

 東側(祭壇側)

 

 

 南東側からの教会                         南門

 

 

 内陣(祭壇側)

 

 北壁面にあるフレスコ画は、上の列には、使者達が3人のエンジェルの導きで、聖母マリアが

 子供の為に祈りを捧げている(右のアーチ壁に)のを見守っている場面。

 

 

 下の列には聖ミハーイが、剣を持って、悪魔と苦しむ人々とを天秤に測っている様子。

 右側に立っているのが聖ミクロシ。

 

                                     馬に乗っているのは助っ人?

 

 

 内陣(祭壇の反対側)

 

  これで、「Pécs (ペーチ)郊外の教会(1)」はお終いです。

 

 「バラトン遍路の旅」 

 

 

 


Pecs (ペーチ)の教会

2013-03-14 15:21:02 | 海外生活

 私の「ハンガリー教会巡り(遍路の旅)」も、とうとう、百八番札所まで来てしまった。 仏教的観念から云えば、

108という数字は大切にしたい気がするのは、やはり日本人だからだろうか?

そこで108番に相応しい教会をと思い、Pecs (ペーチ)を選んだみました。 理由? とにかく好きな街で、

おそらく、いままで訪ねた数では、一番多かったでしょう。

Pecs は、

 1. ローマ帝国の領土であった4世紀に、すでに、「Sopiane (ソピアネ)」と呼ばれていたキリスト教の中心地

    であった。 街の中心に眠る初期キリスト教霊園が、2000年12月にユネスコ世界遺産に登録をされた。

 2. 人口156,000人(2012年)は国内第5位の都市。

 3. 1009年に聖イシュトヴァーン1世によって司教区となり、1367年には Nagy Lajos によって国内最初の

    大学が創立され、ハンガリーにおいて文化と芸術の中心として位置付けられてきた。

 4. 2000年間の歴史の中で、Pecs はいつも、多民族(ケルト、ローマ、マジャール、クロアチア、ドイツ等)が一緒

    に暮らし合い、異なった文化と価値観が融合しあった町であった。 加えて、オスマントルコの占領時代の150

    年間は、ビザンチン文化の影響も色濃く、まさに国際都市として歩んできた。

    このことは、2010年に Pecs はエッセン(ドイツ)、イスタンブール(トルコ)と共に、“European Capital of

        Culture” に選ばれた所以である。 Pecs の街のモットーは、“The Borderless City”  だそうである。

               Nagy Lajos 1 世 : (1326-1382) 1342年より王位に付き、1370年からポーランドも支配、名君。

 

 街の裏山からのペーチの街

 

街の中心セーチェニ広場                    初期キリスト教霊園(世界遺産)

 

 

 <百八番札所; DÓM 大聖堂>

  11世紀に、聖イシュトヴァーン王は広い三層内陣構造、地下霊廟、オルガンの聖歌隊席、そして

  2つの西側の尖塔を創設した。 当然、これ以前にも4~6世紀には教会はあったと推定されている

  が残っている詳細な記録はない。

  14世紀のオスマントルコの攻撃により、地下霊廟を除いて、ほとんど、すべて破壊されてしまった。

  トルコ軍が撤退した後、1805~1807年に、Pollack Mihály の設計で、ネオロマネスク様式で再建

  された。 現在、見ることのできるものは、1882~1891年に改修されたものである。

   Pollack Mihály ; 1773-1855 ウィーン生まれのクラシック様式の建築家で数多くの聖堂の建築を手掛けた。

 

4隅に建つ塔の高さ60m、建物の長さ70m、幅22m。   西側からの大聖堂

 

 

 東側(祭壇側)からの大聖堂

 

 塔の下に飾られた彫刻

 

 北側の高台にある “哲学の道” からの大聖堂

 

内外から著名な画家、彫刻家、職人を集めた内部装飾品は輝かくものばかり。

 主内陣祭壇側             主内陣入口側

 

 

 翼内陣天井のフレスコ画                   説教台

 

 

 地下霊廟入口          地下祭壇

 

 

<百九番札所; Gázi Kaszim Pasa Dzsámi (ガーズィ・カスィム・パシャ・ムスク)>

  13世紀中期に、ここに建てられていた聖Bartalan 教会を壊して、1543~1546年に、Gázi Kaszim の

 命令によりオスマントルコのモスク(イスラム教会)が建立された。 

 南東側の壁に設置されている手水鉢と建物の窓形状はトルコ建築を代表するものである。

 オスマントルコ軍の撤退後は、カトリック教会として現在も使われており、1702年と1766年に改修施工し、

 1939~1942年には北側半分を増築したので、南側が当時のイスラム教のものである。

 

 セーチェニ広場に佇むモスク                窓はイスラム建築の典型

 

 

祭壇の位置は真ん中で、信者の席は向こうと手前。   イスラム教の聖具(くるくる回る筈)

 

 

 円形劇場のような信者の席                  南東の壁にある手水鉢

 

 

 内陣の天井に描かれたフレスコ画 (大分、カトリックとは趣が異なる)

 

 

  これで、「Pecs (ペーチ)の教会」はお終いです。

 

  本ブログでは、「ハンガリーの教会巡り」の五十七番札所から掲載しております。

  五十六番札所までは、「バラトン遍路の旅」と称して、下記、ホームページに記載しております

  ので、興味ありましたら、ご覧下さい。    http://invitelweb.hu/otsuka

 

 

・ 「バラトン遍路の旅」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Nograd (ノーグラード)県の教会

2013-03-13 05:05:45 | 海外生活

 今回は、前回に引き続き、ブダペストの北方(真上) Nógrád 県にある教会を訪ねます。

 

 <百五番札所; Tereske (テレシュケ) ローマ・カトリック教会>

  ロケーション; 高速道路M2(上記地図では2Aになっているが、今はM2になった)を北上し、

          高速道路が終わると、国道2号線になるのでそれを更に北上すること18km、

          そこで国道22号線に入る。 国道22号線の約4kmのところに、教会はある。

    教会は、13~14世紀の間にロマネスク様式で建てられたものを、15世紀にゴシック様式で

   拡張した。 18世紀にはバロック様式で再建築した。 ルネサンス風の説教台は15世紀の

   ものであり、内陣はシングルで、内部の壁を14~15世紀の美しいフレスコ画で飾っていたが、

   今日では北側の壁に、部分的に残っているのみである。 

   昔、この教会をローマ・カトリックとプロテスタントの間で共通で使っていたが、プロテスタント

   教徒が刻んだと思われるカルビン派聖書の中からの引用文が壁に残っている。 

   いつの事か詳しい歴史はよく判らないが興味ある事象である。

 

 

 

 外壁の窓(ロマネスク様式を保存)        祭壇の外側窓(ゴシック様式)

 

 

 内陣(祭壇側)              祭壇の内側窓(ステンドグラスはバロックから)

 

 

 北側壁に残るフレスコ画 (絵のテーマは聖ラスローの伝説)

 

 カルビン派の聖書の引用文

 

 <百六番札所; Alsópetény (アルショーペテーニィ) ローマカトリック教会>

  ロケーション; 前出の Tereske の教会より、国道2号線の分岐点まで戻り、県道に進路をとる

           (Bánk の方向へ)。 Bánk から再び山道を10kmほど行ったところにある。  

   教会は、15世紀にゴシック様式で建てられ、内陣は1725年にバロック様式で改築された。

  隣に離れている塔は、18世紀にバロック様式で追加された。 残念ながら、日没のため内部に

  入ることを断念した。 (次回の再拝観を期す)

 

   ゴシック様式の窓を残して、上からバロック窓を作っている。

  

 

 <百七番札所; Nógrádsáp (ノーグラードシャープ)ローマ・カトリック教会>

  ロケーション; 前出の Alsópetény から道なりに南下する。 掲示板に従い、8Km で教会に

          着く。

    教会は、14世紀の終わりにゴシック様式で建立。 以後、改修はあったが、形としては、

   ほとんど変化なく、今日に至っている。

   内陣はシングルで、西側の塔の上面にゴシック様式の窓を有し、「騎兵の塔」という愛称で

   呼ばれており、玉葱型の尖塔は絵になる。 

   15世紀の教会復元中に内陣壁のフレスコ画も描いたと云われている。

 

 西側からの教会                  塔は、下段4角形、上段八角形、Zsindely 屋根 

 

                     Zsindely 屋根とは、中世の教会で流行った木を重ねたような作風。

 

 ユニークな形の尖塔     祭壇側外壁

 

 

 内陣(祭壇側)

 

 

 祭壇の北側壁のフレスコ画

 

 絵のテーマ「聖イシュトヴァーンの聖母マリアへの宣誓」

 

 キリストの磔の絵(左)     聖マドンナのガウン姿(右)

 

 

 これで、「Nógrád (ノーグラード)県の教会」はお終い。

 

 

 

    

 

    

 

 

 

 

 

 

    

 


Borzsony (ブルジュニィ)の教会

2013-03-12 06:50:04 | 海外生活

 本日は、ブダペストから北上し、スロバキア国境に接した Börzsöny (ブルジュニィ)地方の

 教会を訪ねます。

 

 <百二番札所; Szokolya (ソコリャ) カルビン派教会>

 ロケーション; ブダペストから高速道路M3からM2に乗り換えます。 M2の終点で国道12号線

         に入ります。 北上すること、約7kmで県道に入ります。 掲示板に従う。 

                              約8kmで Szokolya の村に着きます。  県道沿いに教会はあります。

  教会は、15世紀にゴシック様式で建てられ、19世紀からプロテスタントのカルビン派が使い始め、

 現在に至っている。 教会の特徴は、2つ対称に向かいあった聖歌隊席。

 1673年に、ここで生まれた Mányoki Ádám はハンガリーで有名な画家で、村の中の公園に

 彼の彫像 (Stróbl Zsigmond 作)が佇んでいる。 彼は教会の隣の家で生まれた。

 

 南側教会の入り口    北東からの教会

 

 

 東側聖歌隊席(祭壇は左壁横に有る)      西側聖歌隊席

 

 

 Mányoki Ádám の胸像

 

 <百三番札所; Nagybörzsöny (ナージブルジュニィ)ローマ・カトリック教会>

 ロケーション; 前出の Szokolya から国道12号線に戻り、国道に沿って西に向かう。 道路からは

         「ドナウの曲がり角」が望め、絶景の眺望が続く。 そのまま、約35kmまで進む。

         そこから、県道を右に入る(掲示板に従う) もう2kmくらいで教会がある。

  国道12号線から見たドナウ対岸の Visegrád の要塞

 

  教会の正式名称は、「聖イシュトヴァーン教会」であり、13世紀の初めに Börzsöny の丘に、

  建てられた石作りの小さいものである。

  アールパード王朝時代の代表的な石垣で囲った教会建築の貴重なひとつである。

  今も、オリジナルとして残っている。

 

 

 

 教会祭壇側外観         教会南側入り口門

 

 

 祭壇                       南門   

 

 

 祭壇側の外壁に、12個の人、犬の顔彫刻(レリーフ)を飾っており、伝説に依れば、モンゴル人

の襲撃を防ぐために、モンゴル人を処刑した印を示して、彼らを近づけないようにしたらしい。

顔は大概、鼻が削ぎ落とされているが、人を威嚇する時の習慣だったらしい。

  

 

 <百四番札所; Bányász (バーニャース)教会>

  ロケーション; 前出の教会と同じ村の中に有る。

   教会は、1417年にゴシック様式で建てられた。 塔は教会とは離れており、木製で小さい鐘が

   吊るされているのは、なんとも田舎ぽく、癒される。

   Nagybörzsöny は、大昔には、ちょっと有名な鉱山の村であった。

   ここの鉱山は、金、銅、鉄、イオウであったが、今はもう枯渇してしまい、夢のアトと化している。

 

              塔と言うより鐘突き場

 

 

 内陣天井(ゴシック様式)            内陣祭壇側

 

 

 聖具室への通用門               時代もののオルガン

 

 

 村の中には水車小屋があり、今日ではミュージアムとして公開されているのみ。

 

 

 これで、「Börzsöny (ブルジュニィ) の教会」 はお終い。