Szigetvár の町は、トルコ帝国(オスマン・トルコ)の西方への統治政策での重要な拠点に
したい町であった。 その最大の理由として城があったからでもある。
1566年、トルコ皇帝スレーマン・スルタン率いる80,000人に包囲され、迎え撃つハンガリー軍は
Zrinyi Miklós を長とする2500人の兵士であった。 20日間の攻防の後、9月7日に城は墜ちた。
その後、1601年までトルコ帝国のBudin 州の、1601~1689年まで Kanije 州の町となった。
ここはヨーロッパの中で、最もオリジナルな形のトルコ住居、文化が残っている所のひとつであろう。
町の郊外に、Magyar-Török (ハンガリー・トルコ)友好公園が1994年に出来た。
町の人口は、12,000人(2011年)である。
Szigetvár 市街地 ハンガリー・トルコ友好公園内、両英雄の碑
<百十三番札所; Szent Rókus (聖ロークス)ローマ・カトリック教会>
1589年に、Ali pasa (アリ・パシャ)は町中にモスクを建てた。 トルコ帝国の占領時代に、長い間
イスラム教会として使われていたが、1788年に聖ロークスを祀るために改築し、カトリック教会となった。
教会は改修されたが、基本的には、イスラム教のモスク構造。 ドーム天井にはDorffmeister István
がフレスコ画で、テーマ「落城と開放」を描いている。
昔、イスラム教で使っていた洗礼用の手水鉢が内部に保管されている。
Ali pasa ; オスマン・トルコ軍、ルーマニア西部地区統治者
ドーム型天井のフレスコ画
祭壇 内陣(入口側) イスラム教時代からの手水鉢
<百十四番札所; Bogdása Szt. Péter es Pál (ボグダーシャ)カトリック教会>
教会は、15世紀にゴシック様式に建立。 この地方(Ormánság オルマーンシャーグ地方)で
最も古い教会と云われている。 建物は1749年に改築され、この時にバロック様式の内陣と塔
を作った。 残念ながら、内部は拝観できなかった。
<百十五番札所; Drávaiványi (ドラーヴァイヴァーニィ) カルビン派教会>
教会は、1792年に後期バロック様式で建てられた。 特徴としては、絵板(正方形パネル)を
使った教会(ハンガリーの東部には多い)としては、国内で最も美しいという評判の教会である。
教会の内陣天井には、167枚の絵板が使われている。 絵板の手法は天井だけでなく、聖歌隊席
にも使われており、教会全体が非常にカラフルで華やかである。
美しい尖塔 内陣、祭壇は真ん中にある。
内陣(入口側) 説教台
天井からぶら下がった飾り物 信者席(聖歌隊席)
ロココ風のベンチ
天井
これで、「Szigetvár (シゲトヴァール)の教会」はお終いです。