幕末掃苔屋 公式ブログ

幕末掃苔屋のブログです。掃苔録不定期更新中。ご意見、ご感想はご自由にどうぞ。

京都に行ってきました

2011年10月10日 | 掃苔録

まず向かったのは石清水八幡宮です。
鳥羽伏見の戦いでは、この一帯も戦場となりました。
読売新聞によると、川路利良もここで戦い、「馬追いのごとく」突撃したそうです。
川路が郷里へ送った手紙には、「世の中に戦ほど面白いものはない。戦も上手になったので討ち死にすることはないから心配しないでほしい」「江戸城へ乗りこみ徳川慶喜の首をとる」などと記されているそうです。
私はこの手紙の全文を知らないので、いつか読んでみたいと願っています。

石清水八幡宮をお参りした後、近くにある飛行神社にも寄り、お参りしました。
飛行神社は、日本で最初に飛行原理を発見した二宮忠八が創建した神社です。
二宮忠八のことは、二宮敬作の掃苔の際に愛媛県八幡浜市を訪れたときにはじめて知りました。

次に京都御苑に向かい、川路が禁門の変の際に篠原秀太郎を討ち取った醍醐邸付近と、部下に命じて来嶋又兵衛を撃たせたといわれる 清水谷家の椋付近を撮影しました。

次にくろ谷さんに向かい、会津墓地で窪田伴治を掃苔しました。
窪田伴治は禁門の変の際に一番槍の手柄を立てて戦死した会津藩士です。
息子の重太は巡査となって西南戦争に出征し、殉職しています。
会津若松市の愛宕神社には、窪田親子の墓があります。

その後、真如堂墓地に移動して、堀河紀子と石田英吉を掃苔しました。
石田英吉は神奈川県の初代邏卒総長心得で、明治五年に上海、香港の警察の運営状況を視察しています。
日本の警察史を語る上で欠かせない人物だと思います。

くろ谷さんを訪れたら、いつも栄摂院の木家の墓にもお参りします。
墓前では、先日杉浦様と出会ったことを報告しました。

次に霊山歴史館に向かいました。
霊山護国神社は何度も訪れていますが、霊山歴史館を訪れるのは十数年ぶりだと思います。
目的は霊山歴史館が発刊する『紀要』を購入するためです。
「西南戦争糾問録」が掲載されている第17号と、森重さんの執筆記事「坂本龍馬の妻・おりょうさんといわれる写真の真実」が掲載されている第20号を購入しました。
「川路利良 警察制度関係資料」が掲載されている第2号は品切とのことでしたが、コピーをとっていただけました。
そのまま霊山護国神社に移動し、掃苔していなかった海賀宮門と所郁太郎を掃苔しました。
所の墓は岐阜と山口だけだと思っており、以前当ブログでもそう書いてしまったと思います。
その後、篠原秀太郎と来島又兵衛の掃苔もしました。
霊山に来たら、この2人はいつもお参りすることにしています。

次に大谷本廟に向かい、司馬遼太郎先生のお墓参りをしました。
川路の存在を一般に知らしめたのは、私は司馬遼太郎先生と山田風太郎先生だと思っています。

その後、京都駅に戻り、兵庫県の小野に向かいました。
目的は光明寺にある小野藩主・一柳末延の掃苔です。
一柳末延は、私の調べている幕末の丹南藩主・高木正坦の妻の父なので、前から掃苔をしたいと思っていました。
待ち時間や乗り換えの時間も含めると、京都から小野までは3時間近くかかりました。
せっかく小野市まで来たのですが、近くに訪れたい史跡がなかったので、一柳末延の掃苔のあとはすぐにUターンしました。
これでこの日の掃苔は終わりにしました。

この後は神戸に向かい、三宮の夜を楽しみました。


つづく

※写真は窪田伴治の墓

最新の画像もっと見る

コメントを投稿