「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

47都道府県「住んだ町」「旅した町」 喜多方 蔵とラーメン

2021-02-24 07:12:54 | 2012・1・1

昭和44年(1964年)から46年にかけて僕は民放の仕事の関係で会津喜多方市を度々訪れた。酒蔵、米蔵,繭蔵に始まって普通の民家まで蔵が多い。明治大正時代、大火が多かったため街ぐるみで蔵造りを推進したからだという。レンガ造りもあってレトロの感じが街の風景に調和している。

もう一つ忘れられないはJR喜多方駅前の「源来軒」という中華料理店のシナソバの味だった。中国人のコックが料理していると聞き、なるほどと思い、喜多方出張の際はここで昼食をとることにしていたが、まさか半世紀後,喜多方が札幌、博多と並んで日本の三大ラーメン地となるとは思いも及ばなった。今や人口3万2千人の町なのに市内に120軒も店がある繁盛ぶりだ。

喜多方出張の際は熱塩温泉に宿をとった。もう廃線になってしまったが会津若松から熱塩までJRの日中線というローカル鉄道に乗って出かけた文字通り”熱い”、塩分の濃い湯質の温泉でよく温まった。600年ほど前、古刹、示現寺の源翁和尚が発見した温泉だそうだが、境内には日本のナイチンゲールといわれるこの町出身の瓜生岩子の胸像が建っている。戦前、修身教育を学んだ世代には懐かしい。

 


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