「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

世界最貧国イエメンの泥沼内戦解決へ

2018-12-10 16:27:54 | 2012・1・1

世界最貧国の一つ、イエメンの内戦が2年ぶりに解決しそうだ。人口2500万人の7割が餓えに苦しみ、子供1800万人が栄養失調にあると、テレビのBSニュースが報道していたが、やっと、政府側と反政府側との休戦に向けての話し合いが始まりそうた。人道的になんとかならないかと思っていただけに国際社会をほーっとさせた。

アラビア半島の最南端にあるイエメンは、他のアラビア諸国と違い石油など自然資源に恵まれない世界でも最貧国の一つである。そのうえ、この半世紀以上、間断的に内戦が続いている。1962年(昭和37年)11月、僕が新聞社の中東移動特派員として、アラブ諸国を歴訪した時もイエメンは王政が崩壊したクーデターがの直後だった。イエメンの名前が新聞に出るたびに当時を想い出す。

僕とカメラマンの二人は、当時英国の直轄植民地であったアデンから、空路イエメンの首都サヌアへ向かったが、政情が悪くタイズという町の飛行場で降ろされ。結局、折り返し陸路でアデンに引き返した。写真はその時、砂漠の中の道,ワデイで車がエンコしたときのものだ。

内戦はサウジアラビアが支援するイスラム.スンニ派の政府がとイランと関係が深いシーア派との対立で根が深いようで、一朝一夕での解決は難しそうだが、遠く極東の済州島まで難民が流出してきている。かってはシバの女王時代には栄えた歴史がある。僕が訪れたタイズの町にも往時の遺跡があった。なんとか、今度は解決したいものだ。

 


日ロ平和条約締結交渉を暗示するラブロフ外相の発言

2018-12-10 06:19:32 | 2012・1・1

今日で国会も閉幕し、今年も残り3週間となったが、政局はどうなのか。外交面の最大の課題は、日ロ間の平和条約交渉締結に向けての予備会談ともいうべき河野太郎外相とラブロフ外相との会談が年内にあるのかどうかだ。まだ日程もはっきりしていない。その時期にラブロフ外相が気になるというより、交渉の前途を暗示するような発言をした。

ロシアのメデイアの報道によると、ラブロフ外相は、訪問先のイタリアで”日本は先の大戦の結果を認めることが、交渉のの第一歩である”と発言した。どんな機会にこの発言したのか不明だが、ロシアが日本に戦勝して、北方領土を手に入れたのだという国論の主張である。自分たちは戦争に勝ったのだから当然の戦果品だというのだ。

僕ら一般の日本人はソ連(当時)と戦った意識はない。ソ連の参戦は敗戦まぎわの”火事場どろ坊”だという認識である。事実ソ連が対日参戦してきたのは、敗戦1週間前の8月8日で、広島に原爆が投下されてからである。ソ連は突然、旧満州(中国東北部)の関東軍と旧樺太と千島列島に侵入攻撃をかけてきた。しかも日本が連合軍に降伏した後も9月6日まで戦闘を続けている。その結果、10万人もの死傷者を出し、民間人を含めて20万人が捕虜になり、シベリアへ送られ強制労働をさせられている。

ハバロフ外相の発言について、河野外相との話し合いを前にしての高圧的な牽制だとみる向きもある。一方、日本では会談を前に意識的に国論である四島一括返還には触れず”日ロ新時代”を表面に出している。外交上の駆け引きであり、素人の僕にはわからないが、ロシアには過去に中立条約を一方的に破棄して、戦争を仕掛けてきた歴史があることは忘れてはならない。


六本木変遷 米寿 卒寿の会

2018-12-09 07:38:39 | 2012・1・1

昨日、65年前の昭和28年、同じ新聞社に同期入社した仲間が集まって1年ぶりに会を開いた。昭和28年入社に引っ掛けて毎年、12月8日、大東亜戦争が始まった日に集まっているが、年々参加者がが減り、今年連絡がとれたのは、10人に過ぎず、うち元気に集まったのはたった5人だけだ。無理もない皆、88歳米寿、90歳卒寿を迎えた年齢である。しかし、5人のうち「介護」の認定を受けているのは僕だけ。残り4人は杖の世話にはなっているが、皆,カクシャクとして若者並みに杯を重ねた。

会場は偶然だが、12月8日に”ふさわしい”六本木の星条旗通りにある戸隠そば店であった。星条旗通りとは、戦後の占領下時代、ここに米国占領軍の機関紙「星条旗」新聞の本社があったかららしい。東京生まれ、東京育の僕には果たしてここが六本木とは思えないのだが。六本木といえば、昭和29年、俳優座劇場が引っ越してくるまでは、都電がゴトゴトと坂を登りおりするだけの町ぐらいしか僕には印象がない。もともとは武家屋敷が多かった地区だが、戦前は近衛三聯隊の兵舎があった。その一部の建物が国立近代美術館として、星条旗通りに残っている。

15年前に六本木ヒルズの複合商業施設が誕生して以来、どこからどこまでが「六本木」だか、古い東京の人間には判らなくなってきた。星条旗通りの戸隠そば店も住所は六本木ではなく、西麻布である。古い六本木しか知らない、昔の仲間たちから、幹事役の僕は案内状が不親切だとお叱りを受けたが、住所を勝手に変えるわけにはいかない。ここも滄海桑田である。


"欠陥商品" 入管法改正法

2018-12-08 05:21:41 | 2012・1・1

外国人労働者の受け入れ拡大を目的にした入国管理法改正案が8日早朝、大荒れの参院本会議で可決され、来年4月から実施される運びになった。改正案は野党のいうように、内容が明記されておらず、全体像が一般国民には理解できない。年内の閣僚会議で明らかにするそうだが、すべてに後手後手で計画通りの運用できるのだろうか。

改正案は運用を間違えれば、国の将来にもかかわる重要法案である。しかし、国会での審議を見ていると、立憲民主党の有田芳生議員の言葉を借りれば”議論すればするほど多くの問題がでてきて”とても審議がされてたとは思えない。例えば、改正案の下で45%が移行すという技能実習生制度についての杜撰な失踪記録についで、この3年間に69人もの自殺、溺死者があった記録も出てきた。常識では考えられない。

政府は改正法に問題があれば、2年後に見直しをし、あとは省令改正で対応して行くそうだが、例えば現在の「技能実習生機構」(OTIT)はどうするのか、改組して新しい機構にするのか。OTITは、技能実習生受け入れの司令塔存在で、実際に実習生を受け入れる業者(ブローカー)の中核であったが、実習生以外にも対応できるのか。改正案によれば、最初の5年間に最大34万人の入国を計画しているそうだが、新設される入国管理庁で入国の審査から職の斡旋までできるのであろうか。

僕が体験上一番心配しているのは、外国人に職を斡旋する機関である。悪質な業者を監督する政府機関がきちんと機能しないと、技能実習生のようなことになる。


名は千載か「高輪ゲートウェイ」駅

2018-12-07 05:39:54 | 2012・1・1

東京の山手線に半世紀ぶりに新駅が誕生、その名前が「高輪ゲートウェイ」駅と決まった。JR東日本が品川―田町との間にあった車両基地を開発し、ニユ―タウンを建設中だが、駅名はその名前を取ったようだ。東京生まれ、東京育ちの僕でも場所がよくわからない。港区港南2-10-145の住所を頼りにネットの地図で見ると、品川駅から北に800m、名は千載(鉄道唱歌)の泉岳寺から南に300mとあリ、大体の見当はついた。

JR東日本によると、新駅「高輪ゲートウエイ」の名称は公募で決まったそうだが、公募の結果は第一位が「高輪」二位が「芝浦」ついで落語の「芝浦」が三位、駅の近くにあった母校攻玉社の校歌、竹芝の浦は選外。もっとも「高輪ゲートウェイ」は130位とかいう。何のための公募だかわからない。駅名が長すぎるとか、外国語が入っていて解かり難いという以前の問題で不愉快だ。

”蒼(サンズイ)海変じて桑畑となる”-世の変遷の激しい例えだが、新駅の近くには、徳川時代、江戸に入る南門の大木戸があり、その札の辻があった。半世紀ほど前までは、品川から銀座を通って上野まで都電1号線が走っており、泉岳寺、札の辻という停留所名がまだあった。新駅名に「高輪」の名前が残っただけで良しとすべきであろうか。

 

 

 


”どうしておなかがへるのかな” 大正世代への弔辞

2018-12-06 06:30:07 | 2012・1・1

 

”金八先生””おしん”などテレビドラマで名わき役だった赤木春恵さんについで同じ大正生まれの童謡「犬のおまわりさん」「サッちゃん」の作曲家、大中恩(おおなか.めぐみ)さんが94歳で亡くなられた。僕ら昭和1ケタ世代より少し上の先輩で、青春時代、戦争の影響をもろに受けた世代である。

大中さんが従兄の作曲家、阪田寛夫さん(大正15年ー平成15年)とコンビで作曲した童謡に「どうしておなかがすくのかな」がある。

♯ どうしておなかがへるのかな けんかをするとへるのかな なかよしになるとへるのかな   かあちゃん かあちやん おなかとせなかがくっくぞ "    昭和 37年   、NHK のテレビ童謡で発表された歌だ。すでに食糧難の時代ではなかったが、あの時代を体験した世代ででなくてはわからない発想だ。

戦後の食糧難のピークだった昭和21年の亡父の日記の年末の記の一節「6月から7月にかけて遂に一握りの米も麦も配給がなかった。進駐軍お救いの小麦粉や缶詰がなかったら、餓死者も出ていただろう」。おなかと背中がくっつく体験世代が減ってきた。今は飽食の時代、どうしておなかがすかないか、良い時代である。

 

 

 

 

 

 

 


日系人就労の先例をみても継続審議が望ましい入管法改正案

2018-12-05 05:31:31 | 2012・1・1

日本の将来にかかわる入管法改正案の参院審議が大詰めに来ているが、政府案の実態がここにきてもはっきりしない。多分、政府与党は強引に採択し、来年4月から実施に移す意向のようだが、拙速では将来に禍根を残すだけだ。過去に日系日本人二世、三世の日本ででの就労を可能にするためにだけ行った1990年の入管法改正案の悪例がある。バブル景気による人出不足解消のため、中南米に移民した日系人に目をつけて、日本にいる親族訪問を目的に長期ビザを発行、就労を可能にさせた改正案だ。

日系二世、三世並びにその家族は今、全国で35万人いる。技能実習生と並んで、国内の単純労働の一大担い手になっているが、30年たった今でも問題が起きている。先日、新聞の社会面にシャープ亀山工場の下請け企業で、3000人の日系ブラジル人就労者に対して1000人を雇止めにしたため、ブラジル人が、組合をつくり問題になっているという記事があった。30年たって一見、日系人問題は定着したかに見えるがそうではない。数年前には日系ペルー人が埼玉県熊谷で6人も刺殺する事件もあった。

1990年の入管法改正の直後、インドネシアからも二世、三世(戦後残留した日本兵の子弟)も大挙して来日した。その支援運動をボランティアでしたが、入管法改正はまったく無責任で、政府は,二世、三世が入国後の手当てについては何も考えていなかった。技能実習制度も失踪聴き取り文書を見る限り同じである。極度の人出不足は理解しているが、受け皿をきちんと整備してから実施しても遅くない。


”靖国神社にご親拝を” 桜井よしこさんの提言に賛意

2018-12-04 06:45:51 | 2012・1・1

秋篠宮殿下が53歳の誕生日の記者会見で、来年の新天皇ご即位のお祀り、大嘗祭(だいじょうさい)について”身の丈に会った天皇家の活動費(宮廷費)範囲で賄うべきであったと発言、国家予算で実施することに決定した宮内庁への批判ともとれる異例の発言をし話題になっている。

明年のカレンダーが、そろそろ出回ってきたが、それを見ると、4月30日の今上天皇ご退位、5月1日の新天皇ご即位を挟んで10連休で日本列島は喜び一色に包まれる。その国家的なお祀りまで半年を切ったが、昨日の産経新聞で、ジャナーリストの桜井よしこさんが随筆欄「美しき脛機(つよき)国へ」の中で、今上天皇にご退位までに靖国神社を是非ご親拝されていただきたいと提案されている。僕もこの秋の靖国神社秋の大祭に当たり、小ブログで同じような提案をしており桜井さんのご意見に賛同だ。

天皇陛下の靖国神社ご親拝は昭和50年(1975年)11月21日の昭和天皇を最後に途絶えている。平成になってから今まで一度も行われていない。理由は元宮内庁長官、富田朝彦氏のメモによると、靖国神社がいわゆるA級戦犯の方々の合祀を決定したことに対する天皇陛下のご不満,によるものだとされている。

ご譲位まで半年を切り、今上陛下は公式の行幸行事は終えられたが、最後まで国民にふれたいお気持ちから私的な行幸にお忙しい日々だが、桜井よしこさんの表現を借りれば、”天皇皇后両陛下の動静からすっぽり抜けていることがある。大東亜戦争で戦って命を落とした英霊を祀る靖国神社へのご親拝である".具体的に提案したい。来年4月21ー23日の春の例大祭に、ぜひ平和な平成も無事終えた旨、英霊に報告し、次の天皇陛下のご親拝復活への道を開いて頂きたい。


 


歴史の皮肉 祖父一郎氏に次ぐ河野太郎外相の日露交渉

2018-12-03 06:15:06 | 2012・1・1

 ブエノアイレスのG20会議に出席した安倍晋三総理がプーチン.ロシア首相と個別に会い、日ロ平和条約締結交渉について新たに河野太郎外相とラブロフ外相を責任者とする話し合いの枠組みをつくることで一致した。これによって、来年1月に予定されている安倍総理のロシア訪問を前に、両国外相が話し合い、解決に向け加速度を増そうというものだ。

日ロ平和条約締結への動きについては、両国とも1956年の「日ソ共同宣言」を基礎にして行う点は合意しているが、引き渡された後の歯舞、色丹の主権でさえはっきりしない。交渉事だから秘密裏に行われているのは理解できるが、気になるのは、日本国内の国論である”四島一括返還”ではなく”歯舞、色丹二島返還プラスα”に向けての世論つくりへの動きだ。

安倍.プーチン首脳会談がった1日、東京では,元島民や北海道の自治関係者約500人が集まって都心をデモ行進した。デモの出動式には宮越光寛北方領土担当相も出席”領土交渉の本格的な時期が来た”と挨拶した。デモ隊のプラカードも”日露新時代を築こう”というものが多く、”国論の”四島一括返還”はなかった。毎年2月7日の「北方領土の日」の集まりとは違っていたという。

政府が平和条約締結に向けて世論づくりに入っているのだろうか。気になるのは河野太郎外相が交渉の表舞台に出てきたことだ。1956年の「日ソ共同宣言」交渉の時も祖父の一郎農相(当時)がフルフチョフ第一書記との間の交渉に当たっている。孫の太郎氏が祖父の一郎氏の後始末をするとはまさに歴史の皮肉である。


都心でも駅から国立病院行きのバスが1時間に1本

2018-12-02 06:28:38 | 2012・1・1

NHKテレビの金曜夜7時半からの首都圏だけの情報番組「ネタドリ」で先日、”あなたの知らぬ間に都心のバスが減便している”という長いタイトルの番組を見た。たしかに、わが家近くの目黒通りを走る私鉄路線バスの本数が減ってきた。調べてみたら東京駅行きが9時から3時まで日中なのに1時間3本、12時台は2本しかなかった。

東京都では、石原慎太郎知事時代さと思うが、70歳以上の高齢者で住民税非課税者は、年間1000円支払えば、都内を走るバスは一切無料という”シルバーパス“制度がある。このおかげで、僕みたいな年金生活者でも、経済的負担なしに社会参加できて感謝している。しかし、いくら時間を持て余す老人でも、バスの減便は不便である。我が家の近くの私鉄駅から、僕が通院している国立医療センターまでは2路線あるが、どちらも朝の通院に便利な時間帯には1時間に1本から2本しかない。1路線に至っては初発が9時32分である。

地方の山の中の過疎の町ではない。東京の都心での話である。番組の「ネタドリ」によれば、この異常な現象は運転士不足からきているのだという。東京では他の業種に比べて勤務が厳しいという理由から希望者が不足しているのが原因だという。このため、黒字路線であってもダイヤが組めない状態なのだそうだ。

東京都心の公共交通機関は世界一だといわれている。確かにそうだと思うが、場所によってはバスを利用しなければならない地域もある。東京五輪.パラリンピックを前に都心のバス事情を再検討してもらいたいものだ。