「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

   放射能漏れ、曖昧な国の対応と自治体の過剰反応

2011-03-21 07:54:15 | Weblog
福島原発から30㌔の「屋内避難」地域にある飯館村の水道から原子力安全委員会の基準値を越える放射性ヨウ素が検出された。これについて厚労省は”摂取基準の3倍だが、少しぐらい飲んでも大丈夫、が、洗濯水や風呂水のほうがよい”と発表したらしい。この発表をうけてか、飯館村では栃木県鹿沼市へ集団移転など続々県外へ脱出している。

昨日、テレビを見ていたら、昔仕事で何度も行ったことがあるいわき市のJR平駅前の繁華街が今回の福島原発事故の影響で閑古鳥が鳴いていると紹介されていた。普段は日曜日といえば、この当たりは若い人で賑わっていたものだが、混雑しているの長距離バスで県外へ脱出する大きな荷物を持った市民たちだ。

いわき市は福島原発事故による「屋内避難」地区が一部がかかるだけなのだが、先日いわき市は国の配布基準がないのに、万一に備えて放射能もれ用の安定ヨウ素剤を対象の市民15万人に配布した。これが風評を呼んだらしく、外部から物資がいわき市内に入ってこなくなり市民生活にも影響してきたらしい。

福島原発から遠い福島県川俣町で測定した牛乳や茨城県日立市や高萩町で採取したホーレン草から国の基準値をこえる放射性物質が検出された。枝野官房長官は、昨日も一昨日も記者会見で、検出された放射性物質は微量であり、摂取しても健康には影響しないと強調した。WHO(国際保健機構)も今の段階ではまったく影響がないと発表している。僕もこれを信頼している。

しかし、枝野長官は安全だといいながら一方では、地方自治体やJAが、安全を考慮して独自に出荷を控えるという動きに対しては”その必要がない”といわず、厚労省の数値をみた上で判断したいと煮え切らない。人体に安全なら出荷を控える必要はまったくない。この煮え切れなさが、風評が風評を呼びいたずらな混乱を招いている。

             臨時代理総理を提案

2011-03-20 09:25:35 | Weblog
菅総理が電話一本で自民党の谷垣総裁に副総理兼震災復興担当相として入閣してくれと頼んできたという。菅総理はさきに与謝野経済担当相を”三顧の礼”で迎えいれたといっていたが、非常時とはいえ、電話一本では”一顧”にも値しない。これでは谷垣総裁が断るのはあたりまえだ。

菅総理の震災後の対応をみていると、何か動転していて、きちんとした思考のもとで事に当たっているとは思えない。総理としての指導力を喪失している。人命救助と被災地救済が先決なのに、人事ばかりが先行している印象を受ける。人事で物事が解決されるわけではない。極端な言い方をすれば、総理はこの国難といえる非常時に対処できなくなっている。

大正12年9月1日、関東大震災が発生したさい、総理が不在だった。8月24日、加藤友三郎総理が急逝して内田康哉外相が臨時代理総理だったが、地震発生翌2日には山本権兵衛内閣が発足、見事に国難を乗り越えた。

戦後、わが国では3回、現職の総理が脳梗塞や心筋梗塞で倒れて執務不能になり、臨時代理総理が置かれている(昭和31年石橋湛山内閣、44年大平正芳内閣、平成10年小渕恵三内閣)。菅総理は外見的には健康のようだが、僕がみるかぎり、精神的には動揺していて統治能力を失っている。ここは一歩身を引いて、しかるべき方が臨時代理となることを提案する。そして強い指導力を発揮して頂き、そのあと非常時が安定した時、改めて国会を解散、総選挙をしたらどうか。それこそ菅総理は”三顧の礼”をもって臨時代理総理を迎えるべきだ。

         ”司令塔”のない救援活動

2011-03-19 08:05:55 | Weblog
東日本大震災から1週間経過したが、テレビの画面でみていると、何か救援活動が遅々としてもどかしく感ずる。M9・0という超巨大地震で、500㌔の震源域、大津浪の被害地域も広範に渡っている。それに併発した福島原発事故もあって、政府の対応が大変なことは理解しているが、政府に未曽有の非常事態に立ち向かう知恵と姿勢がみられないのは何故だろう。

自然災害ではないが、僕は66年前の昭和20年3月10日の東京大空襲を知っている。下町への無差別爆撃で一夜にして10万人の生命が失われた。犠牲者の数では今回の震災を上回っている。当然、政府の機能も大打撃を受けたはずだが、空襲から一週間後の17日、わが家は、国の命令で家を撤去して疎開せよと命令された。駅や軍需工場の周りは危険だからという有無をいわせぬ命令だった。

1999年の台湾中部大地震のさい、陣頭指揮した台湾の李登輝・元台湾総統は、今回の震災に対して、日本政府は非常事態宣言を発布して、政府、地方自治体が超法規的に震災救援と復興に総力を結集せよ、と提案している。石原慎太郎都知事が、政府に対して”節電には強制力が必要”と要望した。李登輝元総統も石原知事もだいたい僕と同世代で、あの戦争の時代を体験している。

官総理が非常時に際して野党に緊急内閣を提案し、自民党の谷垣総裁や大島副総裁の入閣を求めたが、断られたという。仙谷前官房長官を副長官に起用して緊急災害対策専任にしたり、連舫大臣を突如節電担当にしたり、まるで日替わり人事だ。李登輝・元総統は”軍隊(自衛隊)の命令指揮系統を活用して救出復興事業にあてるべきだ”と言っているが、その通りだ。人事をいじっても何も効果はない。今必要なのは”司令塔”だ。自衛隊の司令塔は誰なのか。



     何故今、仙石前官房長官を起用するのか

2011-03-18 07:29:42 | Weblog
わが家の新聞の折込広告がこの数日めっきり減ってきた。今朝などは墓苑の分譲広告の一枚だけだ。スーパーや量販店でも何も売物がなければ、あえて宣伝する必要もないわけだ。それにしても首都圏での風評による若い人の買いだめ現象は異常としか思えない。また、これに歯止めをかけられない政府の無策も嘆かわしい。

福島原発事故対策専任の枝野官房長官が昨日の記者会見で初めて首都圏での買いだめ現象に言及し被災地への救援物資にも影響するから国民は冷静に対応してくれと訴えた。消費者担当の連舫大臣もとってつけたような作業服で都内のコンビニ店をやっと視察した。都内の小学校では給食の牛乳が姿を消してしまったのをご存知なのだろうか。

国をあげてのこういった非常時である。政府の悪口を言いたくはないが、菅総理は昨日、あの「自衛隊は暴力装置」の仙谷前官房長官を”副長官”に任命した。藤井副長官が高齢(78)で任に耐えないという理由もあるそうだが、この人は鳩山内閣で財務大臣を辞めた時の理由も同じだった。昔でいう”敵前逃亡みたいなものだ。藤井氏は総理補佐官に迎えたそうだが、大丈夫か。

海江田経済産業相が昨日突如記者会見して”首都圏に大停電の恐れがある”と発言していたが、閣僚としての見識がとわれる。東電の無計画な「計画停電」で国民は、連日ひっぱりまわされている。それでも被災地のことを考え協力している。本来ならば東電が「計画停電」を実施する前に担当の海江田大臣が電力の事情を国民に丁寧に説明すべきであった。

福島原発の深刻な情勢を見て、改めて政府の統治能力に不安を感じる。”自衛隊は暴力装置”などと思っている人物より、例えば石原都知事のような人を”三顧の礼”で迎えてはどうだろうか。

       田老のスーパー堤防もダメだったのか!

2011-03-17 07:19:05 | Weblog
今回の大津波で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町の佐藤仁町長(59)が津波にあいながら高さ11mの防災庁舎の3階の鉄手すりに必死にしがみつき、九死に一生をえた体験をテレビで知った。南三陸町は人口18,000人のうち、まだ8,000人の安否が不明の三陸海岸のリアス式の美しい町だった。

南三陸町は過去にも明治三陸津浪(明治29年)を始め何回も大津波の被害なっており、沿岸には高さ8mの水門や防波堤で固めてある。町長が一命をとりとめた防災庁舎も高さが11mもあった。町長も子供だった頃、1960年(昭和35年)のチリ津浪を体験していて、住民の津浪に対する防災意識が高い町だった。

岩手県宮古市田老町は昭和8年の昭和三陸大津波で、ほぼ村(当時)が壊滅した体験から海岸に高さ10m、総延長2・5kというスーパー堤防で厳重で固めた。この効果があってチリ津波の時にはほとんど被害がなかったという。その後も全国で唯一「津波防災の町」を宣言し、今回の大津波があった8日前の3月3日に町をあげての避難訓練があったばかりであった。

昨日テレビの中継番組を見て、僕ははじめてこの田老町ですら今回の大津波には勝てなかったことを知った。大津波は軽く10mのスーパー堤防を乗り越え、町が住民の避難場所に指定していた階段の上の建物まで被害を受けていた。被害の模様をルポする学者の話では、皮肉なことにスーパー堤防が、津浪のあと、今度は引水の壁となって被害を出したという。千年に一度の大震災であった。すべてが想定を越える悲劇であった。

        流言飛語には踊らぬが、正しい情報を!

2011-03-16 07:22:21 | Weblog
昨日久しぶりに大手スーパーへ買物に行ったら老妻の言う通り売場からパン類が見事に消えていた。カップ・ヌードルなどの保存食からおにぎりの具も品薄、お米や卵まで便乗値上がりしていた。大地震と大津波後の現象だが、東電の「計画停電」も影響しているようだ。僕は38年前のあのオイルショックのさいのトイレットペーパー騒動を想起した。石油の値上がりからトイレットペーパーがなくなるという風聞に踊らされ、主婦が買いだめに走った時のことだ。

大地震と大津浪で破壊された惨状は、戦争中の空襲直後の焼野原よりもひどい。わが家は幸い直接、空襲の被害にはあわなかったが、当時の東京は空襲後1週間にわたって停電し、ラジオも聞けず新聞もなかった。配給米もなく代用食で空腹を抱えながら、交通機関がストップしたため、歩いて動員先の軍需工場へ通ったものだ。こんな体験をしているせいか、少しの事では驚かない。若い人のように根拠のない流言に踊ってパンの買いだめなんかには走らない。

それにしても東電の「計画停電」は無計画だ。わが家が属する第4群も2サイクル目に入り、区の広報車の伝達で停電を覚悟し、用意していたのに今朝もない。停電がないのにこしたことはないが、こんな基本的な電力予測さえ出来ないのだろうか。どうもこの会社には”お殿さま”的体質があるのではないだろうか。

東電が「計画停電」を発表したのは14日夜だったが、この日の午前、知合いから電力不足を匂わせるメールを頂き、ローソクや懐中電灯をあらかじめ買つていた方がよいと親切に知らせてくれた。この時点では、まだ僕は大地震がこれほどまでに電力不足に影響するとは頭がまわらなかったし、もちろん買いだめなどしなかった。

この国家的非常時がいつまで続くのか判らないが、どうも政府は国民への正しい情報伝達にかけている。消費者担当大臣がいるのだから、一言、国民に向かって”馬鹿な食品買いだめに走るな”と談話を発表すればいいのだが。

      首都圏を無政府状態にさせた政府の責任

2011-03-15 07:09:48 | Weblog
昨日の首都圏は東京電力の”無計画停電”のあおりをくって無政府状態に陥った。東電の「計画停電」はあまりにも”唐突”で”一方的”で”無計画”なやり方だ。そして、この節電に協力した形のJRほか私鉄の運転スケジュールも”唐突”で”一方的”で利用者を無視したものであった。この結果、昨日の首都圏は大げさに言えば”無政府”状態の混乱に陥れた。これはひとえに政府が私企業の言うがままに任せて、大所からの政策指導がなかったからだ。

おとといの夜、東電から発表された輪番制の「計画停電」のエリア別のリストを新聞で確認したが、なぜか東京23区部は荒川区しか載っていない。五つあるどのグループであるか判らない。カスタマー・センターに何回電話してもお話中である。東電のHPでやっと第4グループと判明したが、パソコンを使えない高齢者には解らない。「計画停電」開始時間の前になって町会の連絡網から二回電話があり、そのうちに区の広報車が拡声器で街中をふれてまわったが、なんのことはない。電力量が需要を上まわっているからと中止された。

首都圏の公共交通機関も昨日は大混乱だった。突然、予告もなく各社が自分の会社の都合に従って運行を一方的に停止したり、間引いたようなので通勤通学客は大迷惑だった。東京電力と運輸各社との間で節電について事前に打ち合わせはあったのであろうか。あったとすれば、前もってある程度の電力使用量は予測できたと思うのだが。

この東電の「計画停電」は、はっきりしない形で実施されるらしい。国民は未曾有の大惨事であり、協力は惜しまないが、国民の目には「計画節電」があまりにも無計画に映る。それよりもこんな形で毎日混乱が続けば、国民の生産活動にも影響してくる。政府が介入しきちんとした将来図を国民に提示すべきだ。


   しっかりしてくれ!無計画な政府の大地震対策

2011-03-14 06:57:34 | Weblog
今朝早く、枝野官房長官が「計画停電」について国民への協力を訴えた。東京電力管内を5グループに分けて3時間ずつ輪蕃に停電するというものだ。昨夜8時、唐突に発表になったもので、枝野長官の協力要請談話は実施まで僅か1時間前である。混乱は必至とみていたが、実施時間の6時20分になると、今度は電力需要が予想より下回ったからと、第1グループの停電はしないという。あまりにも無計画で無責任すぎる。

政府の地震対策は、計画性に欠けて思いつき的である。電力事情が悪いとなると、そういっては悪いが電力問題には素人の蓮舫氏を節電担当相に、またあの辻本清美氏を災害ボランテイア担当の首相補佐に任命した。顔ぶれをみて、民主党得意のパーフォーマンス人事とみるのは僕だけではないだろう。

それより、今政府が必要なのは、足が地についた被災地での人命救助である。犠牲者の数は増えている中で、宮城県の南三陸町ではいまだに1万人近かい人の安否が不明だというし、大槌町のように町長が不明で行政機能が麻痺している自治体もある。宮城県では、現状ではボランティアを受けられないとまで言っている。

大正12年の関東大震災の際には、人命救助に当たって、当時の陸海軍の活躍があった。今回の大震災のような場合には、やはり自衛隊の活躍に期待しなければならない。防衛大臣を中心に被災地に前線本部を設置し、被災地の自治体と緊密な連絡の下に行動すべきである。ボランティアの派遣などはその後のことである。



         後手後手の政府の大震災対策

2011-03-13 09:35:51 | Weblog
今朝早くの枝野官房長官の記者会見を聞いて耳を疑った。昨夜、菅総理が福島第1原発の爆発事故にふれて「一人の住民も健康被害にならないよう全力で取り組む」と発言したばかりなのに記者会見では原発事故の技術的な問題だけを優先させ、国民が最も懸念していた住民の被爆については後まわしにした。この時点では、すでに僕でさえ、双葉町から避難してきた住民が被爆していたことを知っており、この問題が最大の関心事であった。

未曾有の大震災である。当然、国家の指導者である菅総理が現状を把握するため震災地を視察することには異論はない。また、被災地にある福島の原発を視察することも悪くはない。しかし、これだけ広範囲にわたった災害である。木を見て森をみないというそしりをまぬかれない。総理は、地震後の対策で多忙な原発の現場に1時間も滞在していた。このため現場の復興作業を遅らせたという批判もある。戦争中の東條英機首相は、なにかというと馬にまたがって街を視察したがったのを想起させた。

福島第1原発の爆発事故を政府が明らかにしたのは、爆発があってから2時間も経ってからである。この時点でも枝野官房長官は”爆発”という言葉を使わず、内容も原子力安全保安院の専門家の受け入れで、国民を安心させるどころか、むしろ政府はなにか隠しているのではないかという疑念さえ与えた。

テレビを見ていると、被害は拡大するばかり、地震発生後2日も経つのに救出されない住民が各地にみられる。宮城県の南三陸町では住民の半数に近かい1万人の安否がまだつかめていないという、大変な数である。これに対して、政府がどんな対策をとっているのか。今日になって、やっと被災地への自衛隊の派遣数を倍増した。後手後手である。