「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

          ”汽笛一声"  125年

2007-10-14 04:19:03 | Weblog
きょうは「鉄道の日」である。旧暦明治5年9月12日(新暦1872年10月
14日)わが国初の鉄道が東京(汐留)と横浜(桜木町)との間に開通した
記念日である。125年前のことだ。「鉄道の日」より「鉄道記念日」のほうが
僕らにはなじみ深いが「鉄道記念日」というと、旧国鉄くさいという理由から
改名になったのだという。そのかっての「鉄道記念日」の名前を聞くと、僕は
「鉄道唱歌」を想い出す。
        ▽ 鉄道唱歌(作詞大和田建樹 作曲多梅稚 上眞行)
          汽笛一声新橋をはや我が汽車は離れたり
          愛宕の山に入り残る月を旅路の友として
明治32年発表の「鉄道唱歌」の東海道編第1集の出だしの一節である。昭
和一桁生れの僕でも、この歌をしっている。

昭和に入ってから「新鉄道唱歌」が二つ生まれている。一つはNHKの選んだ
「新鉄道唱歌」。  
        ▽ 新鉄道唱歌(作詞土岐善磨 作曲堀内敬三)
          帝都をあとに颯爽と東海道は特急の流線一路
          富士、さくら、つばめの影もうららかに
「富士」「さくら」「つばめ」は歌が作られた昭和12年当時、東京ー神戸間を走
っていた特急列車の名前である。

もう一つの「新鉄道唱歌」は昭和4年に鉄道省(当時)が選定したものだが、僕
は歌った記憶はない。しかし、歌詞(作詞者不明)が当時の東京ー横浜間の風
景をよく反映している。少し長いが紹介する。
        ▽ 新鉄道唱歌
          咲きたつ花の東京市名残残してゆく汽車の
          左の森は浜離宮右なる塔は愛宕山

          汐干魚(はぜ)つり春秋に慰み多き品川の
          台場は海に六つ見えて海苔とり柴に風きよし

          松原つづく鈴が森遠くに見つつ大森を
          すぐれば池上本門寺日蓮宗の大本山

          多摩川下流の六郷を渡ればやがて川崎の
          大師参りの乗り降り場梨の産地はここと聞く

          神奈川台の景色よく横浜港に船多し
          下りて見よや貿易のにぎわう日々の有難さ

この歌の区間、今、新幹線で行けば僅かに16分である。お台場は埋められ
僅かに一つだけ象徴的に残っているだけ。鈴が森の松原など消え、川崎大師
の船着場などない。横浜は「みなと未来」の高層ビル群に変容した。