札幌ドームの日本シリーズ第一戦のダルビッシュ(日本ハム)投手の好投を
テレビで観た。これを観ながら僕は、戦前戦後プロ野球で活躍したヴィィクトル
・スタルヒンとダルの勇姿がオーバーラップしてきた。多分、彼の容貌とスタイ
ル、それに球場が北海道だったからであろう。
スタルヒンは1916年(大正5年)、ロシアのウラル地方の出身で、17年のロシア
革命で故郷を追われ、両親と共に流転のあと旭川に来た。苦労しながら旭川
中学に入学、野球部で活躍した。その豪速球は全国的に知られ、プロ野球巨
人軍にスカウトされた。戦争をはさみ、1960年までプロに在籍したが、交通事
故で不慮の死を遂げている。1939年に彼の記録した42勝15敗という日本記録
はいまだに破られていない。
戦前、ロシア革命で故郷を追われ来日したロシア人は白系ロシア人と呼ばれた。
スタルヒン一家もそうだ。神戸の菓子メーカー、モロゾフなど成功者もいたが、
大部分は難民として苦しい生活をしていた。僕の記憶にも”羅紗”(洋服地)売
の行商をしていた老人の白系ロシア人の顔が残っている。
ダルビッシュの父親はイラン人で、サッカーの選手だという。それ以上の事は知
らないが、彼の生まれた頃だと思う。イラン人が大挙して来日、東京では代々木
公園が彼らによって”占拠”された時代があった。今でも時々、不法滞在のイラ
ン人のことが新聞にでる。
幸い日本では、革命や戦争による海外への難民の流出や、出稼ぎはない。将来
もそうであって欲しい。